小悪魔は本性を少しだけ見せた
偶然、ひとつの魔法陣に書かれた文字に別の魔法陣に書かれた文字が重なって文法が変わった事で、デュノワの書いた魔法陣には色々めちゃくちゃだった文言が、しっかり悪魔召喚を可能にする本来の魔法陣の力を更に高等にしていた。
幾つもの魔法陣を重ねて書き込んだ事の偶然の賜物だ。
「賢くない答え。この文字を何だと思っておるのか?」
「それはちょっといいや。でも、ずいぶん薄いな?悪魔とか、高等な存在?って言ってた割に。」
目の前のバイ菌型がノリノリで本来、魔法陣とはー、と魔法陣のうんちくを話し出した所で、興味を完全に失った様なデュノワはつまらなそうにその話を断って、ずっと思っていた事をずばり訊ねた。
『悪魔という割には・・・、恐れるほど強そうにも無いんじゃないか?コイツ。ワイバーン程も威圧的なオーラも感じない、うん。弱いな、コイツ。』
心の内でそんな事を考えるデュノワには竜種や大蛇の様な、とんでもない存在を『買って』使役した実績があった。
複数召喚をするには呼び出した者の魔力量が大きくものを言うが、それをチャラにする手がある。
魔獣、魔物問わずモンスターを魔石化して捕えたのを買う、またはそのスキルを得てモンスターを捕え魔石化するのだ。
これで使い捨てではあるものの複数のモンスターの使役が可能となる。
使い捨てである為か、魔石化したモンスターは若干の弱体化が見られ、思っていた戦果を挙げられずに邪魔なだけだったりもするが、そこは呼び出した者の腕にもよるところだ。
目の前の実力の良く解らない胡散臭いバイ菌型の悪魔は、慣れると恐怖も霧散するかのように無くなったし、何より弱そうにしかデュノワの瞳に映らない。
ワイバーンと言わないでも、ちょっと足を伸ばして東の山に居る大型のウルフの方が威圧感が凄かった。
つまり、悪魔と言われても全然まったく信じれない。
一応人間大なので強そうには見えてはいるのだが、レッサーデビルよりは。
「この地に、負の力が足りないのね。実体化、出来ないわよ、これじゃ。きししし!」
『呼んでおいて、供物料も無いのお?我を何だと思って・・・あ。』
デュノワの中で右肩さがりに評価が下がっていくのを知ってか知らずか、訊ねられたバイ菌型はあっさりと答えを出した。
負の力が無いから実体化出来てないと。
嘲笑まざりに何が楽しいのか、大きく裂けたバイ菌型の口を更に大きく裂いて気味の悪い笑い声を部屋中に響かせた。
腹の中では、呼び出してすぐに払われるべき供物が無いことにイラつきながら、デュノワの内をバイ菌型がなんとなく覗いたその時。
バイ菌型は心の内でガッツポーズを取った。
何故なら、
「でも、アナタの醜く歪んだ心ってとっても、とお〜っても!美味しそう!」
デュノワの魂は悪魔好みのとんでもなく闇の側に傾いたカルマを持った屑の魂だったからである。
バイ菌型の態度が一変して、嬉々としているのが傍目に見ても解るくらいだ。
ハートのオブジェクトがバイ菌型の背景にスクロールするのが幻覚か、何故かボンヤリと見える気がする。しかも、それが大量に。
『あっはははは!魂はすっかり真っ黒じゃない!今すぐでも食べ頃ね。』
なんと言ってもバイ菌型のつり上がった瞳がハートの形に変わってしまった程には、デュノワの魂をすぐにでも食べたいところだったりするのかも知れない。
デュノワの魂は悪魔好みにどす黒く汚れて、まるで暗黒の物質のようだった。
「負の力?──そうだ、力を貸せ!すぐに負の力にまみれさせてやる。」
『そうだ!使い魔ていど、魂まるまるは取られないんじゃ無いか?・・・、連中の依頼の件にでもコイツを使って・・・より上位の召喚を手伝わせれば・・・、よし!』
俯いてバイ菌型の話を聞いていたが、負の力と聞いて思うところがあるのかデュノワはガバッと顔を上げ、目の前でユラユラと今にも消えそうな霧の様に揺らいでいるバイ菌型を見上げて叫ぶ。
負の力は、戦争などで死んでいった無念な感情その他の様々な要因で生まれる感情から染みだし溜まっていく、悪魔や闇の物、暗黒の理から産まれた存在が活発に動く為に必須な力。
手っ取り早く負の力を大量に作り出すなら、街をひとつ消せばいい。
それも大きく、人口も多くて尚且つ、隙だらけな街をパッとサラッとモロリっと地図から消してしまえば、そこに住んでいた住人の数だけ、その住人達が死ぬ間際に一気に膨れ上がって、爆発する負の感情がそのまま負の力となってその地にこびりつく。
バイ菌型の話を耳に入れた途端、デュノワの脳内にとんでもない計画が積み木を積むように組み上がっていった。
全ては。
バイ菌型を小悪魔の類いと見くびっていた為だった。
「くふふ。いいわよぉ。我はイグジスト。白と黒の悪魔。欲望と悔恨の暴君。っと。契約は成ったわよ!良かったわねぇ、アナタの魂と我の存在が繋がったわぁ♪
ぺろっ、ちょっと味見したけど。スッゴく美味しいわあっ!この醜くて、歪んでて!どす黒に染まった、きったナイ魂♪」
そう宣言しながらバイ菌型は歪んだ笑いを浮かべていた。
デュノワとの契約が滞りなく完了し魂と繋がった為、不安になるほど制限された常態のままだったバイ菌型の姿からやっと、本来の何物にも縛られない闇の権現、真の姿である悪魔となってこの場に降臨する事が出来るからであり、目の前の御馳走(汚い歪んだ魂)をやっと味わえるからだった。
小悪魔と見くびっていたバイ菌型が契約をあっさりと終わらせると、デュノワは戦慄した、震え上がった、それはもう。
『悪魔、イグジスト』の意味をいやが上にも思い知らされたからである。
魂を味見してニンマリ、と笑いながら消えたバイ菌型をその鳶色の瞳で見ていた。
刹那に目の前で膨れ上がった黒い閃光と灰色の煙を見たその後、
「・・・ちょ、ちょっと待て・・・使い魔、じゃないのか?その姿は何だッ!」
声を荒げて叫ぶデュノワが、煙が晴れて召喚の儀式が続行されていると知らせる蒼白い光を床から発する魔法陣の中に、さっきまでバイ菌型がユラユラと揺らいでいたその空間に見たもの、それは。
中学にあがるか上がらないかくらいの、くすんだ蒼髪金眼の少女。
その少女がきししし!と妖しい笑い声をこぼしながら、恍惚の表情を浮かべ自らの指を咥え、しゃぶりながら熟れていない胸を掴み、立ったままデュノワを見詰めて身悶えているシーンだった。
バイ菌型が消えてから一瞬の光と共にボワワンっという煙が上がって少女が現れた事といい、同時に身の毛もよだつ程の寒気、と言い知れようのない、言葉にしても伝わらないほどの恐怖、更には息が出来ない程の殺気が、まるで全身に針を刺したかのように、あちこちがぴりぴりとする嫌な感覚で表れデュノワを包んでいた。
加えて吐き気を我慢するのがやっとの強烈な甘ったるい果実やアーモンド臭など様々な匂いが混ぜこぜになって部屋中を漂う。
「いやぁね♪」
微笑んでそう言うイグジストと名乗った悪魔、今は幼い少女の姿をしているが間違いなく目の前に居るのは悪魔だとデュノワは認識することが出来た。
冷や汗が止まらない。
拭っても。
拭っても。
バイ菌型とは全く違う、制限を解かれたイグジストの発する魔力、発するオーラ、そして、そのどちらでも無い圧倒的な存在その物の強さ。
いつの間にかデュノワは体育座りを崩して、仰向けに転がっていた。
「こんな姿がお好みなのお?ロリコンだなあ、アナタ!悪魔は雌雄(しゆう、オスメス)無い変わりに、自由に十人十色、契約した当人の好きな姿になっちゃうのよお?」
「うぐぐ・・・。」
『ふ、ふざけやがって!使い魔じゃないのか?・・・つまり、俺!本格的にヤバい悪魔と契約した?魂が無くなる?』
言われっぱなしのデュノワは二の句が浮かばない訳で無く、圧倒され気圧されて声が出ない。
イグジストはそれを解っていて、嬲る様にじわりじわりとデュノワに近寄っていく。
一割ほどの力しかまだ顕現していないのに、目の前で仰向けに転がってガクガクブルブル震えるデュノワは、声すら発するという簡単な事さえ出来ない、と。
「ヘ・ン・タ・イ♪きししし・・・♪いいけどねーえ。」
『魂が汚れてれば汚れてるほど、欲望が強ければ強いほど我の力になるし、実体化するとズッと力使いっぱなのは、如何ともし難いけどねえ?ま。一割ならウィンウィンか。』
魔法陣を出るか出ないまで近寄っていたイグジストはデュノワを見詰めて離さないまま、ゆっくりそう言って微笑む。
心の内でも、デュノワの事を道具の様に扱うイグジスト。
対するデュノワも、息を飲んでイグジストを見詰めるしか出来なかった。
抗おうとして止めた、動かせないから。
それはまるで、夜間の道路を疾走る車のハイビームに照らし出された小動物の様に。
ぴくりとも。
「ま。これだけきったない魂なら、力が尽きる事もないよねえー。」
魔法陣を一歩踏み出してデュノワまで後数歩。
相変わらずの恍惚の表情を浮かべ続けながら、存在の力だけでこの辺りをクレーターに変えてしまえる程のプレッシャーをデュノワに押し付けつつ、幼い少女の姿に反してその幼い声で紡がれていく汚い言葉は発した悪魔、イグジストの魂を震わせた。