第一話 窓
リュミエール王国と言えば、豊かで広大な緑の大地、蒼く美しく広がる湖で国を覆われた、活気ある人々で栄えているという歴史に名を重ねる王国である。これは誰もが知っている事実である。
そして、その国の王女さまには誰にも言えない秘密がある。 ……このことは、彼女の側近、父である国王、母の女王ですら知らない。 つまり、 王女さまだけに秘められた秘密であった。
それとは場所を異とした、王国からは少し離れた場所にある、山奥にひっそりと栄えている町。 そこにはとある貴族の家族が移り住んでいた。 貴族の性はアデルーノ。 そのご令嬢、メイリー=アデルーノは今日も執事を横目に本を読んでいた。
………気が、散る。
メイリーはため息と共に、読んでいた本をゆっくりと膝に下ろす。 おや、とそれに気づいた彼女の横に立っている男が声を上げる。
「いかがなさいました、お嬢様。 その本の話が、お気に召さないので?」
「……べつに 」
「……べつに、ですか。 お嬢様らしくありませんね、以前でしたら同じ本を繰り返し繰り返し吟味なされるほどの愛読家……であったとお聞きしていますが」
ぎくり。
そう、少しだけ身じろぎしたのに男は気づいただろうか? ……いや、大丈夫そうだ。 メイリーはふう、とまた細々と深い息をつく。
「外は……寒そうね」
そう口を小さく動かす。 外はちょうど秋の真ん中。窓枠で切り取られた庭の一角は、殺風景な部屋とは違ってとても艶やかだ。 色気付いた葉が目の前の庭を型取り、見るも綺麗で心踊る。 ……もっとも、出られるはずは無いにしても。
「……お嬢様、外に出ることは父上から」
「わかってる。……わかってるったら」
メイリーは父親の万年眉寄せ皺ん思い出して胸がむかむかするのを感じた。あの低くて深みのある声がこの身を外に出さないのかと思うと、長年溜まってきた鬱憤も限界というものだ。
退屈、だなあ。
メイリーは深く息を吐く。
窓の外で肌に感じるはずの冷たく頬を撫で、髪を揺らすあの風にあたりたい。 黄色く色づいて土に還ろうとしている葉を踏みしめたい。 そして、あの市場の活気ーー…
ハッと目を開けると執事、エルナンは訝しげにメイリーの顔を覗き込んでいた。 ぼうっとしすぎていたのかもしれない。 いけない、と自分を戒める。すると、間を開けず執事の口が開いた。
「お嬢様、以前から思っていたのですが…… 少し、お変わりになられましたか?」
エルナンは静かに、遠慮がちに、それでもはっきりとこちらを動揺させることを言う。
変わった? 以前からとは、いつから思っていたのだろう。 それとも、誰かに気づかれるほど自分は明らかな以前との差が出来てしまったのか?
そんな動揺を顔には出さず、メイリーはわずかに首をかしげて見せる。
「変わったですって? エルナン、あなたは来たばかりでしょう? 」
わたしの何がわかっているのかしら? と語尾に含みつつ。 たしかに、この紅茶は美味しいけれど。
エルナンはアデルーノ邸に来てまだ一月だ。 前の執事はもう引退するとかで入れ替わりで入ってきた男である。 もっともわたしのことは情報で知っていたにしても、確証のない話を相手にするほど抜けてはいないつもりだ。
「……たしかに。 失礼いたしました。」
執事はそう言って頭を下げる。 再び顔を上げた時、その宵闇色の瞳と目が合った。 ……まるで作り物のような顔立ちだと思う。 白磁器のような白い肌、藍色の瞳、スッと通った鼻立ち、形のいい薄い唇。 瞳と同じ色の髪は顔の輪郭を縁取って耳にかけられている。
人形みたいだ。 初めて顔を合わせた時に感じたその気持ちはいまも変わっていない。 会話をするようになってからは少し薄れてきてはいるけれど。
とにかく、簡単に揺れたりはしないその瞳に見つめられると、心の奥が暴かれてしまいそうで不安になるのだ。
ーーコンコン と、不意に扉がノックされる音がした。
「メイリー様、王国から使いが来ております」
「王国……なにかしら」
わたしには何とも、と給仕の女は首をかしげた。 エルナンを見上げると、こちらも首をすくめる。 わかったわ、と本をテーブルに置き、立ち上がる。質のいいドレスの衣擦れの音が耳に慣れなかった。
メイリーはゆっくりの部屋の扉に向かって歩き出した。