キャンディ3 ~破滅の魔女~
ボス無双の回です。今回、主人公の活躍はなし。
前作1,2を読んだ方がより楽しめます。
長いですがご了承ください。
世界の大部分を占める中央大陸。思想や利得など様々な理由で国々が争う、群雄割拠の大地である。
その大陸部の中心には複数の小国が点在しており、情勢は留まることを知らない。跡目争いや経済競争、休戦調停や同盟締結、国家転覆に滅亡。陰謀、謀略、裏切り……
流動していく時代背景の影で、歴史の中に消えていく国も多々あった。北方の大国と連合軍との戦争などは、まだ新しい記憶だ。
その小国群の一つに、ここ二百年間侵略の手を悉く跳ね返してきた国家が存在した。
――神聖教国ファーンミスト
周辺国から大国と同等の扱いを受ける、列強国だ。
神に祝福された国、豪運の成せる奇跡の所業。
この聖域に進軍した国は例外なく、戦争開始前にトップが次々と謎の変死を告げる。あるいは国の中枢部が一夜にして壊滅することもあった。
曰くに尾ひれがついてまわり、いつしか世界中から神聖視されるようになった経緯を持つ国だ。
何故そんなことが起こりえるのか?
その裏には世界最強最悪の闇ギルド『ミストラル』の暗躍が関係していた。
本来ならば依頼が無い限り動かないのが組織の在り方。だが何事にも例外はある。
侵略されたら困るから。
そう、つまりは単純明快な理由、その国にミストラルの本拠地があるからなのだ。
厚かましくも、首都の目と鼻の先に堂々と構えられた屋敷。黒と白の色合いで塗り固められた、小さな王城のような造りの建物が、その存在を十二分にアピールしていた。
控えめなどという言葉が似合わない程のインパクト。でっかく横断幕で『ようこそ ミストラルへ』と書かれた豪奢な旗は、真っ当な商売をしているようにしか見えてならない。いや、突き詰めれば子供の遊び場といったところだろうか。
他者を完全に舐めくさったような門構え。だが確固たる実力と実績が彼らにはあった。
闇ギルドが白昼堂々営業しているということは、大きな声では言えないが、国に認められているという証拠でもある。事実、ミストラルは国と共存関係にあり、国が非公式にだが闇ギルドを容認していた。国民もそれを暗黙の了解で受け入れている。
なにしろ国を護ってくれているのだ。力を持たない無辜の民には決して非道な行いをしない。ならば問題はない。それが組織の名目上の約束事だった。
最も個人の趣味嗜好により、そんな取り決めなど歯牙にも掛けない輩はいる。組織のモットーはあくまで自由。抑制など無意味に過ぎない。
だがそんなことを知らない民草は、彼らの存在を好意的に受け取っていた。知らぬが仏という奴だ。
事情を知っているのはごく一部の関係者のみ。
教団の顔役が一族代々ミストラルに仕える家柄であり、持ちつ持たれつの関係を築いていた。
当然弊害はある。情報はどこからか漏れるもの。
殆どの闇ギルドが地下に潜る中、ミストラルはお日様の下に絶対無敵宣言をしている。嗅ぎつけてきた同業者や正義感溢れる勇者、血気盛んなチャレンジャーや組織に恨みを持つ者など、日々襲いかかってくるのも珍しくはない。
夜襲、爆撃、狙撃、暗殺などなど、懲りずにやって来る無知無謀な愚か者はいるが、その全ては既にこの世に存在しない。知恵を張り巡らせようとも関係ないのだ。
絶対なる実力と、容赦ない反撃。
敵対する者は完膚なきまでに叩きのめし、関係者全てを殲滅する。
事実、一国家レベルの軍隊やギルドランクオーバーの精鋭部隊が、今までにも何度か投入されてきたが、それらも同じ結末――返り討ちに遭い、一族郎党皆殺しとなった。
関与すれば未来はないが、無関係なら目もくれない。
恐怖と安心、アメとムチ。
暗に無視しろ関わるな、と深い楔が人々の深層意識に根付いていた。
近年では名が売れすぎて、その数も減ってきたところである。
今日もファーンミストの国内――延いてはミストラルの者達は、平和そのものだった。
それは裏を返せば退屈ともいえる……
「スポイルの奴、近頃見かけないが、どこにいったのだ?」
一人の女性がふと疑問を呈した。鋭い黒目が魅力的で、スタイル抜群のスレンダーボディと長く艶やかな黒髪。ミストラルのトップ――ギルドマスターのリリスだ。
現在彼女は、部屋の最奥で社長専用の煌びやかな装飾の椅子に座り、覆面恋愛小説作家としての執筆活動に勤しんでいた。これは彼女の趣味も兼ねている。
ここ最近は忙しく、気にする余裕がなかったが、リリスは今になってその違和感に気付く。彼がいない。
周りをキョロキョロ見渡しても、その人物がいないのを確信するだけだ。
リリスの一言で、ダラけきっていた自由空間に一石が投じられた。
ソファーに座りのんびりお菓子を食べていた無表情の女性、頭の下で腕を組み卑猥な雑誌を顔に載せうたた寝していた小汚い男、趣味の筋トレをここぞとばかりに実行していた暑苦しい大男、椅子に座ってボケっと仕事をしていたのほほん少女が、こぞって顔を上げる。
そういえば慣れ親しんだ男の姿が見当たらない。このダラけ空間の最初の首謀者たる、怠惰の王様がいないのだ。
皆の視線が室内を一巡し、最後にリリスで止まる。結局のところ、誰も行方を知らなかった。
そんな中で只一人、秘書らしき感情欠落女だけが、人伝に聞いた情報をボソッと口にする。
「同棲しているみたいですよ」
「ぬぅわんだと! このラブリーお姉ちゃんを放っておいて、いつの間にそんな事態に!」
奥に陣取っていたリリスが、物凄い勢いで椅子から立ち上がった。彼女の目は血走っていた。
その剣幕にドン引きする一同。
秘書らしき女性も己の失言に、しまった、と動揺した。
詳しい事情をリリスに迫られている女性。彼女の名はユリエナ。透明感溢れる銀髪に海をイメージさせる蒼目、ピクリとも動かない表情筋は精巧な人形と見間違う程だ。俗世から切り離されたかのような、穢れのない美しさを身に纏っていた。
彼女は裏の世界では『ナビゲーター』と呼ばれる、暗殺含む戦闘教育のエキスパート。鍛え上げられた弟子達は皆超一流の戦士という、凄腕の指導官である。
某国に在籍していた時に第一級要注意人物指定を受けたため、他国からの刺客が絶えず、裏の世界へと逃げてきた過去を持つ。
今ではリリス専属のお茶汲み係である。
「あの……スポイルって誰ですか……?」
恐る恐る声を上げたのは、強面で精悍な顔立ちをした二十代後半の大男。猛々しい茶色の短髪は逆立っており、お洒落な顎髭とのバランスが良い。無駄のない筋肉を幾重にも重ねたような鋼の肉体は、逞しすぎて子供達を怯えさせそうである。貫禄が滲み出ていた。
そこに立っているだけで王の如き覇気を漂わせる男。彼はかつて某大国で『戦場の獅子』と恐れられた英雄――バントラスだ。
軍隊を統括する将軍の地位にいた彼は、大戦直後に嫉妬に狂った上層部の策略で、同僚達を相手するハメになる。嫉妬の原因が女性関係だったのは、くだらない事実だ。
やるせない状況に陥り、ついには死の間際にいた彼は、偶然リリスに助けられた。そして組織に加入したのだ。恩人であるリリスを痛い程に敬愛しており、秘密のファンクラブの名誉会長でもある。
バントラスは困惑を露わにしていた。自分一人だけ話についていけない。事情が理解できないのだ。
新たに幹部に加わったばかりの彼が、獅子らしからぬ子猫のような顔で、リリスに問い掛けていた。
「ん……? ああ、幹部以外に素性は秘密だったな。うちの副ギルド長のことだ」
「――粛清の『食才者』!? あの『国落とし』ですか!」
「ああ、ソレ禁句な。本人聞いたら怒るから」
「えっ、あっ、はい」
驚くバントラスに、やる気ゼロの男性が髪を掻きながら忠告した。
俗に蒼銀と言われる青み掛かった銀髪それに赤い目は、相対的な美を醸し出しており、緩みきった服装にも関わらず独特の破壊力を持っていた。
彼は巷では『快楽の権化』、『遊び人先生』、『娼館王子』や『風俗界のご意見番』など、数々の浮名で有名なイケメン――ギンカスだ。その筋では『ギンちゃん』の愛称を持つ。
その本性はミストラルきっての殺戮マシーン。残虐非道で冷酷無比、『絶対暴君』と名高い危険な男だ。不用意に近寄った"男"はその後消息を断つという噂もある。
彼はその昔某国の暗部にいたが、その制御不能な残忍さが災いして、危険人物指定を受けていた。任務達成率百%かつ対象殺傷率も百%で、不必要な殺人が多かったからだ。
結局国の手には負えず、裏ルートでミストラルに依頼が回ってきた。リリス直々に天誅を下した形だ。ついでにお引き取りを願われ(泣きつかれ)、組織で雇い出したのが始まりである。
彼はМ体質なのか、リリスにコテンパンにやられたのをキッカケに、何かに目覚めてしまったようだ。以来、リリスに猛アタックする日々を送っている。
「そんなことはどうでも良いのだ! こうしてはおれん! お前ら、ここを頼む!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよぅ! マスターと副マスター、二人も不在なんてぇ」
熱く語るリリスに誰も言葉を掛けない。彼女の突拍子もない行動はいつものことだ。
そんな中、この場の全てを放り出し飛び出そうとするリリスに、待ったを掛ける人物がいた。蜂蜜色の髪が輝かしく天然さを際立たせており、見た目が十代半ばの小柄な少女だ。
彼女はララ。締りのない無法地帯で只一人、きっちりした服装で背筋を伸ばし、椅子に座って予算の管理をしていた少女である。居眠りしそうになっていたのはご愛嬌だ。
そんな勤勉(?)真面目少女が、子リスのような愛らしい顔を歪ませ訴えていた。
「困りますよぅ」
その口調から察するに、暴力反対の平和主義者。まるで人畜無害な小娘だ。
しかしその見てくれに騙されてはいけない。彼女もまた戦闘をこよなく愛する狂人の一人。『笑う死神』と恐れられる二重人格者だ。
一度スイッチが入ったら誰にも止められない。敵か自分か、どちらかが力尽きるまで、破壊の嵐が吹き荒れる。
闇ギルド『ミストラル』の大半は性格破綻者。彼女も例外ではない。下手に軟派しようと彼女に近づいた男は、当たり前のように真っ二つにされる。
彼女はどこから来たのか出生は不明。寄ってくる男を片っ端から処分していたら、いつの間にか第一級の賞金首――ランクオーバーの指名手配犯へとなっていた。
その噂を聞きつけたリリスが興味本位で接触。すったもんだで紆余曲折の果てに、めでたく組織の一員に加わった。その経緯は未だ明かされることはないが、その話題が出る度に彼女が隅で震えていることから、大体は想像できる。幹部全員の意見は一致していた。
彼女は恐ろしい程リリスに忠実だ。この危険空間に置き去りにされること以外は。
「構わん、どうせ暇だ」
「いやでも、私らじゃあのイカレ変人共を制御できませんよぅ。幹部の皆さんも自由奔放すぎて、本部に殆ど顔を出しませんしぃ」
リリスが最後の砦。彼女がいなくなればちょっとしたキッカケだけで、立ちどころにここは戦場へと様変わりする。血の宴が始まってしまうのだ。そうなったらもう歯止めが利かない。勝者は只一人。生存率四分の一。そんなのは嫌だ。
行かないで欲しい。主に自分のために。
リリスにしがみつき健気に説得するララに、誰も助け舟は出さなかった。この場で真面目なのはララだけである。気に入らなければ殺り合うのみ。それがどうした上等だ。それがここのルールだった。
ちなみにこうしてじゃれ合っている間にも、彼女らは一瞬足りとも気を抜いていない。常に臨戦態勢、油断は死へと結びつく。それが闇に生きる者の日常だった。
リリスとしては早急にスポイル成分を補給したいところだが、流石にギルドトップとしての責任感はあったようだ。足を止めて何やら考え込む。
「ふむ……アーチスはどうした?」
「あの人ならいませんよぅ。スポイルさんにべったりじゃないですかぁ」
「あのリアルBLめ!」
「ありゃ陰湿ストーカーだろ。スポイルの旦那も苦労が絶えねぇなぁ」
「問題児ばかりですね。まあ当然ですけれど」
リリスは代理として、まず一番にアーチスを指名した。
根暗で覗きが趣味の変態だが、こと冷静さに関して言えば彼は申し分ない。少なくとも幹部連中の抑止力にはなるだろう。
そんなことを期待しての抜擢だったが、彼もまたこの場にいないようだ。
自分を差し置いて彼の近くに居座るとは、お仕置きが必要だろうか。
そんなことをリリスは考える。
ともあれ誰かを代理に仕立てなければいけない。
ユリエナは他人に無関心、ララは頼りにならない。バントラスは入ったばかりで問題外だし、ギンカスに至っては役目を放り出して遊びに行ってしまう可能性がある。
まあ、適当で良いか。結局はそこに行き着く。
闇ギルド『ミストラル』の運営は、彼女の気分で成り立っていた。
「ならギンカスはいるか?」
「俺ならいるぞ~。ってか、今話してたじゃねぇか! どんだけ無関心なの!?」
「いたか、このハーレムマイスターが!」
「それ酷くない!? 俺ってばマスターちゃん一筋なのにさ」
目の前で会話していたにも関わらず、ゴミ虫を見るような興味なし宣言をされ、ショックを受けるギンカス。
遊びまわっていて一筋も何も理屈が通らないのだが、そんなことはお構いなしだ。
「ぬかせ。とにかく、ギルドはお前に任せた!」
「はいはい、りょうか~い」
「では出てくる」
責任は果たしたとばかりに、リリスが出ていこうとする。
そこに後ろのギンカスから、気楽に注意をされた。
「それは良いけどさ、アンタ有名人なんだから気をつけろよ」
「私がやられるとでも?」
「いや、そっちの心配というよりは、むしろ……」
絡まれてやり過ぎないように、と言おうとしたギンカスは、妙な寒気を感じて口を閉ざした。消し炭にされては堪らない。
顔を引き攣らせて固まり、手を振って見送ることにした。
「ハ、ハハ……いってらっしゃ~い」
「行ってらっしゃいませ、リリス様」
「うむ、行ってくる」
ユリエナが丁寧に頭を下げ、リリスが偉そうに頷き出ていった。メイドとご主人様のような光景だ。
リリスがいなくなると、早速ギンカスが煙草に火を点けて、ぼやき始める。
「ぷはぁ~、うちの幹部連中は自覚が足りないのばっかだな」
「ギンカスさんがそれを言いますかぁ?」
「なんだぁ? 俺に文句でもあんのか?」
「ひぅ、な、なんでもないですぅ」
「俺に指図できるのはマスターちゃんだけだ」
ついツッコミを入れてしまったララが、ギンカスの眼力に負けて縮こまる。
リリスが去って数秒で既に一触即発状態。ピリピリした緊張感が室内を駆け巡った。
(空気が痛いですぅ。早く帰ってきてくださいよぅ)
ララは人知れず溜息をつく。
「にしてもぉ、悪名高き『破滅の魔女』様がお天道様の下に顔を出すってぇ……」
「そうですね。あの方は生粋のトラブルメイカーですから」
ララの呟きにユリエナが同意を示した。お茶を飲みながら人ごとのような口調だ。
他人には興味のないユリエナだが、ことリリスに関しては眉が少しだけ動く。秘密の趣味が人間観察のララは数少ないユリエナの理解者であり、「これでも心配してるんだな~」と感慨深げに見つめていた。無論、言葉には出さないが。
ミストラルの連中は何が琴線に触れるかが分からない。だからこそ口を噤む。トラブル反対、まったり最高。ララは一人、仕事に戻った。
ララの見解は的中していた。ただしユリエナの心配は、また変なものを拾ってこなければ良いけど、というものであった。リリスの気まぐれにも困ったものだ。
最も後始末をつける用意はいつでもしてある。リリスの言葉は絶対、ユリエナは彼女に神の如き忠誠心を誓っていた。彼女には何かがある。
謎の行動力は理解不能――意味不明だが、彼女が動けば何かしら凄絶な事態が起こりうる。今までに培った経験則だ。それは力を持つ者の宿命か、あるいは世界の意思なのか。
だが誰も彼女を傷つけられない。
それでこそ最強、傲慢が許される真の王者、ユリエナが仕えるべき生涯の主なのだ。
今回もまた、死と狂気が吹き荒れることだろう。
本人は知る由もないが、リリスはもう一つ、ミストラル内部限定で『歩く災害』という隠れたアダ名を付けられていた。
「荒れなければ良いけどな……いや、荒れた方が面白いか? くははッ」
注意を促しておいて、その期待の先には波乱を求めている。
人生、刺激があり過ぎるくらいでちょうど良い。
ギンカスは狂ったように笑っていた。その瞳に映るのは真紅に染まる景色のみ。彼の心情を表すかのように、赤く、鋭い瞳が鼓動していた。
「……ここにまともな人間はいないのでしょうか」
真っ当そうなララですら心の奥底では血を欲している。
本当の意味で正常なバントラスのみが、現状を憂いていた。
◆◇◆◇◆◇
まだ日が出たばかりの早朝――大陸南西の国フラムヘイト。一年中暖かい気候は、比較的過ごしやすいと評判だ。
国の首都ウルスの正面には、雲を突き抜ける程高い霊峰がそびえ立っており、獰猛で強力な魔獣が住んでいる。当然近寄る輩は少なく、人が住み着くなど論外、もしいたらイカレているとしか言い様がなかった。
しかしどこの世にも変人はいるものだ。山の麓に一軒だけ、砦のような家が建っていた。
外装から一目瞭然、防塞に特化した造りで、とてもじゃないが民家には見えない。実際、王城にも使われている特注品――高級素材をふんだんに用いているので、並みの魔獣では突破できない鉄壁さを誇っていた。
そんな防塞民家に正気で暮らす、常識知らずの男女。飴玉を転がしながらソファーに寝そべる男の横で、美しい女が動き回っていた。
スポイルとエレノイアである。
エレノイアは仕事の準備をしていた。輝かしい金髪が朝日に映え、瞳には、スポイルが見惚れる程に強い意思が秘められている。それらは彼女の気高さを十二分に表現していた。
「ノイア、また仕事か?」
「ああ、この間の異能殺しの件で、盗賊の残党が出没したらしい」
「そんなの、他の奴らに任せておけば良いじゃないか」
――異能殺しの件。
最強の傭兵と謳われるエレノイアが、不覚を取った事件だ。
盗賊団に対異能者限定の殺し屋――噂の"異能殺し"が混ざっていたおかげで、エレノイアは一回"死んだ"のだ。
それに怒り狂ったスポイルが盗賊団を全滅、エレノイアも彼の手により復活を果たした。彼女としても妙な気分だ。
その件を知っているからこそ、エレノイアが仕事に行くのをスポイルは良しとしない。この間酷い目に遭ったばかりなので、余計に渋っている。
無理もない。
スポイルとしては心配で心配で仕方がないのだ。
つい先日までなら、そのような杞憂はしなかっただろう。だがエレノイアの死を目撃した時、彼の中で何かが芽生えた。それは恋心然り、過保護衝動もまた然りだ。
事実、エレノイアは死にかけた(実際は死んだ)というのに、生真面目過ぎた。自分を殺した盗賊退治に出向くというのだ。心配せずにはいられない。
そうは思うがエレノイアは頑固だ。言っても聞かないだろう。そこがまた妙にスポイルの悪戯心をくすぐる。
「私も偶には運動しないとな」
「運動なら毎日してるだろ?」
「ぇ、う?」
「それとも運動し足りないのかな? だったらノルマを増やすか~」
自分を放って仕事を優先するとは、けしからん。
スポイルは仕返しとばかりに、エレノイアの耳元で囁く。わざとらしい甘い声色だ。飴玉から漂う柑橘系の香りが艶かしく、エレノイアを硬直させる。
更には耳をパクリと噛まれると、エレノイアの顔が真っ赤に燃え上がる。本気と悪戯が混じった、いつものスポイルの行動だ。
進歩のないエレノイアは、またもやドギマギして目を泳がせた。
「そ、そちらの運動は十分足りている。というか、足り過ぎているというか……」
「はは~ん、お仕置きが必要かな~」
「そんなぁ……」
先日の激しい夜を思い出し、エレノイアの背筋がゾクリと震えた。甘美な余韻が広がっていき、身体中を駆け回る。腰がヘタリそうになるも、何とか堪えた。
あれは滅多にあってはならない。あんなものが続いたら……
必死に雑念を振り払おうとするが、スポイルの真剣な目に射抜かれて、どうしたら良いか分からなくなる。
思考の連鎖はまたしてもパニックを引き起こし、エレノイアの脳を停止した。許容量オーバーに達したのだ。
スポイルは後悔していた。
この間訪ねてきた少年騎士によって、エレノイアの生存がバレてしまった。何でも墓参りに来たとか。殊勝な心意気だが、スポイルにとっては迷惑以外の何物でもない。
更には目撃者として本気で抹殺を考えた矢先、エレノイアの必死の説得により実行を中断してしまった。
思えばあれが始まり。
エレノイアを見た時の少年騎士のあの驚愕の様相――目と唇、頬の肉などが一斉に飛び出すような、もはやギャグとしか言い様のないアホ顔を見ていたら、そんな溜飲もあっという間に下がっていた。
少年にしてみたら、まさかの幽霊様にご対面だったのだ。青い顔で涙を流しながら、あっているかも分からない念仏を唱えていた。挙句、エレノイアが近づいたら気絶。介抱してやっと受け入れられて、今に至る。
以来、再び国からの仕事が舞い込むようになってしまった。
「あの少年騎士、今からでも肉片にしてやるか」
「た、頼むから、それもヤメテくれ」
エレノイアの懇願で、スポイルの殺気が引いていく。
先日の異能殺しの一件で、スポイルがギルドランクオーバークラスの実力者であることが発覚した。
元々エレノイアの傭兵としての経験から、スポイルが只者ではないと、薄々勘づいてはいたのだ。それを確信できたのは大きい。
何故サボリ魔の彼がそんな強さを隠し持っていたのか。尋ねても、生きていくのに必要だったから、という理由しか聞き出せなかった。過去を詮索する趣味はないが、惚れた男の秘密だ。気になるものは仕方がない。
それはこれからのコミュニケーション次第なのだろう。
取り敢えず少年騎士の安全は確保できたので、これで良しとする。
エレノイアは一人納得した。
「……にしても、はぁ」
エレノイアは深い溜息をつく。
衝撃的だったのは件の少年だけではない。前回、町に行った時の皆の反応も物凄かったのだ。
当然と言えば当然、死人が生き返ったのだ。当たり前と言えばそうなのだが、戸惑いは隠せない。
ちなみに生き返った理由は東方の秘薬を使ったという、あからさまに怪しい言い訳をしている。
疑いの眼差しが絶えなかったが、そこはエレノイアにしては珍しく、強引にやり過ごした。
理屈で無理なら押し通せ。スポイルから教わった処世術である。
「ともかく、一生仕事をしないという訳にはいくまい。堕落した生活は心身ともに良くないぞ」
「俺はそれで生きてきたんだけどな~」
「……それはお前だからこそ許されるんだ。普通は身体が鈍って、戦闘に支障が出るからな」
「そんなもんかね」
人は慣れる生き物だ。動かなければいざという時に動けなくなる。私生活にもケジメ――メリハリが必要なのだ。
それに左右されないスポイルの肉体維持は、ある意味異常ともいえた。
「それに、やられっぱなしは好きじゃないんだ。いい加減、カタを付けたいしな」
「そっか……もう二度と死ぬなよ」
「分かっているさ」
死んでも生き返る、と気を緩めてはいない。
本来、死は終わりを意味するのだ。安易にポンポン蘇るような、世界の調和を乱すようなことは避けたい。それに、肉片一つ残さずに焼き払われてしまえば蘇りようがないのも、また事実。
いついかなる時も慎重にいくべきだ。
今度は負けない。
エレノイアは、気を引き締めて出発した。
◆◇◆◇◆◇
「本気でやるんですかい?」
夜の帳も下りる頃合、見窄らしい廃墟に怪訝な声色が響いた。賛成できかねるといった口調だ。
問われた男は弱腰のその部下を睨み返す。
「当たり前だ。頭達の弔い合戦だぞ」
「しかし、相手はあの最強の傭兵ですよ」
現状の不利を訴え、弱気な男が暗に撤退案を持ち出した。そんな言葉を歯牙にも掛けずに、リーダー格の男性が切り捨てた。
今更引いてどうするんだ。もはや自分達に希望はない。
ならばせめてその元凶に一矢報いるだけ。
リーダー格の男性は、やる気に満ち溢れていた。剣呑な光が瞳の奥を捉え、夜の闇を斬り裂く。
この場にいるのは全部でたった十人。仕事――狩りに行っている間に、ねぐらにいた仲間が全滅したのだ。皆屍のように成り果てており、最強の助っ人だった男は殺られたという。
彼らは異能殺しの件の盗賊の、生き残りだった。
「確かに殺した筈なんだがなぁ」
「でも間違いなく生きているそうですぜ」
常識を超えた事実に、皆が一斉に顔をしかめる。
これから討とうという相手だが、得体が知れない。
「不気味な女だな。死体を確認しておくべきだったか」
「恐らくベリドゥウスの旦那を殺ったのも、その女傭兵ですぜ」
「あっしらだけで、どうにかなるもんでやすか?」
あの"異能殺し"を倒したのなら、自分達だけでは荷が重い。しかしリーダーがやると言っている以上、逃げる訳にもいかないのだ。
九人の視線がリーダーに降り注がれる。
リーダーはこの中で唯一、幹部だった男だ。妙案があるに違いない。
九人の部下の縋るような瞳を、リーダーは受け止める。
そして次の瞬間には、期待に応えるかのように口元を釣り上げた。
「なぁに、助っ人は用意するさ。それも飛びっきりのな」
彼には宛てがあった。
◆◇◆◇◆◇
エレノイアが首都ウルスの城門前に到着すると、例の少年騎士と異能騎士団の現団長――元副団長が待っていた。
彼に会うのは事件以来だ。
「お久しぶりですね、エレノイア殿」
「ええ、副団長――いや、今は団長殿でしたね。お変わりないようで安心しました。国が安泰という証拠でしょう」
「ははっ、変わっていないと言われるのは、ちとキツイですね」
「……?」
「団長、結婚したんですよ」
言いずらそうにもじもじしていた団長を置いて、隣にいた少年騎士が代弁する。スポイルがいれば「男の癖に気色悪いんだよ!」と団長に怒鳴っていたかもしれない。
エレノイアは改めて団長を凝視する。そういえば、雰囲気が当時よりも柔らかくなった気がしないまでもない。強面で女性とは無縁だと思っていた彼が結婚したとは。エレノイアは時の流れの侘しさを感じた。
「そうだったんですか!」
「いや、まあ……異能殺しの件が解決しましたからね」
「……それとどう関係が?」
「実は、妻は……親友だった男の妹でして、ね……」
親友だった男。それはかつて大臣の策略で亡くなった、異能騎士団の元団長のことだ。清廉潔白な人柄が災いして大臣に疎まれたのが、その理由と聞く。
彼のことは今でも残念でならない。惜しい人材を亡くしたものだ、と改めてエレノイアは目を瞑り、簡単な黙祷を捧げた。
「彼……団長のこと、ですね」
「ええ、アイツも今頃は笑っているでしょう」
「兄さんはシスコンでしたからね。泣いているかもしれませんよ」
エレノイアを違和感が襲った。奥歯に物が挟まったような不明瞭感。何かが……
彼女は少し考えた後、ハッと少年の言葉を思い返した。
「兄さん……?」
「ああ、コイツはアイツの弟。今では義理の弟ですよ」
「――なるほど、どこか面影があると思っていましたが……」
改めて少年騎士を確認すると、確かに彼に似ているのが分かる。顔のパーツや仕草にも共通する部分があった。
エレノイアは驚いた。言われてみればその通りだ。スポイルの暴走を止めるのに必死で考える暇がなかったが、会った当初からどこか懐かしさを感じていた。
異能騎士団元団長。共に戦場を駆けた友。対異能戦のスペシャリストで、あの異能殺しに出会わなければ、今頃は楽しく酒を交わしていただろう。
(……そうか、彼の弟か)
沈痛な感情が、エレノイアの胸をズキズキと波打つ。
もしも大臣の陰謀にいち早く気付いていたなら、もしもあの時共にいたなら、もしも、もしも……
後悔は未だに彼女を苛んでいた。
いや、もう止めよう。過ぎたことだ。今自分がすべきは繰り返さないこと。
彼のためにも胸を張って前を向こう。彼のように強く生きる。
エレノイアの瞳に、強い決意の雷光が漲った。
「兄から貴方のことを聞いて憧れていたんです」
「そ、そうか。しかし真っ直ぐに"憧れ"とか言われると照れるな」
「ふふっ、コイツはストレートな物言いしかできないんですよ。勘弁してやってください」
「いえ、戦士として光栄なことです」
エレノイアは少年騎士の姿に、国の未来を思い描いていた。
少年から感じるのは、大臣のような偽物の正義ではなく、清く実直な使命感のようなもの。国を護る騎士とはこうあるべき、というお手本のような少年だ。兄と同じで汚れが感じられない。
できれば濁ることなく、このまま国の未来を紡いでいって欲しい。偏見のないまっさらな目で民を護り、真っ直ぐに進んでいってくれることを祈るばかりだ。
「今回で終わりにしましょう。残党は十人だけです」
少年騎士に羨望の眼差しを向けて物思いにふけるエレノイアの耳に、団長の静かな声が入ってくる。
ここにいる皆、団長もまた悲しみを乗り越えた人物だ。どこか達観した精神をしていた。
気合いは十分、準備も万端。気がかりと言えば……
「行くのは三人だけ、ですか?」
「油断している訳ではないのですが、相手は四人。大所帯で向かっては逃げられる可能性もあるかと」
「しかし、その少年は……その……」
頼りなさそうとは言えなかった。
少年の実力を知らないこともそうだが、まだ若い。十代半ばだろう。階級に変えれば見習い騎士といったところだろうか。
しかしこの場で直接、本人にそれを告げる勇気は、エレノイアにはなかった。若い芽を潰してしまうのではなかろうか。況してや自分に憧れている人物からダメ出しをくらったら、一生単位でのトラウマを残してしまう気がした。
そんなエレノイアの心配を余所に、団長が不敵な笑みを浮かべ断言する。
「ふふ、コイツは強いですよ。現在の異能騎士団では俺と副団長に継ぐ腕前です」
「――そうなのか?」
「恥ずかしながら……」
エレノイアが少年騎士を見据えると、彼は頬を染めて俯き、謙遜を見せた。
どう見ても純朴そうな少年にしか見えない。しかし団長が言うのならば間違いない。元団長の弟の肩書きは伊達ではない、ということなのだろう。
エレノイアは受け入れ、三人で行動すべく、互いに顔を見合わせた。
「実力はもちろん、因縁のあるこの三人で終わらせたいのです」
「雪辱戦、ですね。行きましょう」
「非力ながら僕も頑張ります!」
未だ燃え尽きぬ炎。
これで元団長の無念に幕を閉じるのだ。――後顧の憂いを断つ!
あらかじめ調査済みの廃墟へと、彼らは向かい出した。
◆◇◆◇◆◇
エレノイア達三人が忍び足で残党の拠点に到着すると、そこには生活の痕跡があった。ここで暮らしているのは確かだ。
肝心の残党の姿が見当たらないが、出掛けてでもいるのだろうか。
「奴ら、どこにいったんだ?」
「――ああ、ここにいるさ」
声は拠点の中からではなく、外から聞こえてきた。その方向をエレノイアが睨みつけると、夜の闇から団体様が姿を現した。大鉈を右手にぶら下げた男を筆頭に、小悪党面のヒョロい男ら九人が得物を手に後ろに控えている。
奇襲はバレていた。
盗賊達は用事があって出ていた訳ではなく、敢えてエレノイア達が入り込むのを、隠れて待ち構えていたのだ。
あらかじめ、エレノイア達が襲撃するという情報が漏れていたことになる。
可能性としては国の上層部か騎士団の者、あるいは調査を頼んだ傭兵ギルドのどれかなのだが……
「こちらの奇襲は予測済みという訳か。調査を頼んだ傭兵ギルドの中に内通者がいたようだな」
「金さえ払えば情報を操作してくれるのもいるのさ」
「そうだな、参考になる。以後気を付けるとしよう」
「ククク、次なんてあると思うのか?」
国の上層部は、前回異能殺しに加担していた大臣から芋蔓式に処分が下され、一新した筈だ。騎士団もありえない。ともすれば、傭兵ギルドから情報が流れたとしか考えられない。エレノイアを妬む者がいるのもまた事実。組織は一枚岩ではない、それが現実なのだ。
だがそれもエレノイア達の想定内だ。前回の失敗を反省し、あらゆる事態を予測してきたのだ。同じ轍は踏まない。
「ふふふッ、前回の件で懲りたのでな。この事態も想定はしていたさ。問題ない」
「チッ、忌々しい女だ」
余裕の笑みを浮かべるエレノイアに、盗賊リーダーが舌打ちをする。
リーダーとしては彼女の慌てふためく様が見たかったのだ。できれば絶望する顔も見てみたい。
それからじわじわと甚振ることで鬱憤を晴らそうとしていた。予定では……
しかし予想に反して、エレノイア達には動揺がなかった。憎らしいことこの上ない。
「お前は、あの時の盗賊団の一員だな」
「そうだ。殺したと思ったんだがな。生きていたとは、熟々ふざけた女だ」
「その節は世話になった。御礼はたっぷりさせて貰おう」
この状況でもリーダーの口調に揺らぎはない。飛びっきりの切り札がある感じだ。
エレノイアの脳に警報が鳴り、嫌な予感が走った。
「団長……コイツら、何か隠しているぞ」
「ええ、俺もそう思います」
「僕も同感です」
三人の意見が一致した。しかし異能殺しは既にいないのだ。どんな輩が来ようとも大丈夫な、筈。それでも不安は拭えない。
その様子に多少は機嫌を良くしたリーダーが、ニヤリと笑いながら謳いだした。
「お前がベリドゥウス様を殺ってくれたおかげで、色々とパァになってな」
「私が? ふふふ、そういうことになってるのか。しかしその割には甘くないか? 貴様ら程度が私に敵うとでも?」
「いや――」
登場する四人の男。その姿を直視した途端、エレノイアの顔色が青く染まった。
何故彼らが盗賊に味方している?
四人とも親しい訳ではないが、業界では有名人だ。三人は傭兵、エレノイアに匹敵するかもしれないギルドランクオーバーの戦士達だ。
そして最後の一人は手配書で見た醜悪な顔、ギルドランクA相当の賞金首。
「よう、兄弟!」
「兄貴! 待ってたぜ!」
「ソイツは確か……闇ギルド『ストレイドール』の元幹部、ザコイ。賞金首だな。後ろの奴らは――なんで!」
ここにいるのは『大道剣』のガビリに、『胡蝶爆雷』のハルゼー、それに『飛針』のローネの三人。そしてランクAの賞金首ザコイ。
ガビリは巨漢の大剣使い、ハルゼーは術士タイプの細身の好青年、ローネは表情の暗い少女だ。皆、ギルドランクオーバーの、最高峰の使い手達。
意味が分からない。
傭兵ギルドが盗賊に味方するとはどういう了見なのだ。
エレノイアだけでなく、団長や少年騎士までが混乱に陥る。
「これだけの有名人を、集めるのには苦労したんだぜぇ」
「ククッ、最高だ、兄貴」
「だろう?」
盗賊リーダーとその兄貴分のザコイが、愉悦を堪えきれずに笑い合う。
リーダーはこの際どうでもいい、無視だ。ザコイもそれ程脅威ではない。
問題なのはギルド所属の三人。彼らは本来味方の筈。何故、何故だ!
エレノイアの瞳に熾烈な怒りが宿った。
「――どけ! ソイツらは盗賊だぞ!」
「悪いが、俺達は護衛でね。アンタが誰だろうと、その言葉を聞くわけにはいかないんだ。確証が無ければ引くわけにはいかない」
「何を言っている! そこの男は賞金首だぞ! 知らないのか!」
頑固にも程がある。盗賊の顔は知らずとも、賞金首のザコイくらいは知っている筈だ。どういう石頭なのだ。
困惑するエレノイアを、隣にいた団長が余裕のない、それでいて決心した声で諌めた。
「無駄です、エレノイア殿。恐らくギルドの裏切り者が情報操作して、我らは国の反逆者とでも見倣されているのでしょう。
いや、気付いていて敢えて依頼を遂行する、そういった問題児ばかりを集めたのかもしれません」
「くっ、うまくはいかないものだな」
「なに、異能殺しがいないのです。それに俺たちもいます。何とかなりますよ」
「そうです! 実質四体三です。諦めるのは早いですよ!」
俯向くエレノイアに、団長と少年騎士が発破を掛ける。
そうだ、まだ終わった訳ではない。雑魚はいないに等しい。なら人数差はほぼイーブンではないか。弱気になってどうするんだ。
冷静になったエレノイアは、現状を分析して、二人にある提案を持ち出した。今できる最善策。これだけは譲れない。
「二人には雑魚共を任せたい」
「……貴方は?」
「あのランクオーバーの三人、それと賞金首ザコイを足止めします」
「――しかしそれでは!」
「残念ですが貴方達にアレらの相手は酷でありましょう。雑魚を片付けたら加勢して頂きたい」
「クッ、致し方ない。エレノイア殿、ご武運を!」
「負けないでください!」
「ふふ……ええ、そちらも」
エレノイア達はリーダー率いる盗賊組と、ザコイを含む傭兵ギルド組に挟まれていた。
背中を合わせるように、敵を見定める。
「潔い覚悟。流石は最強の傭兵様だ」
「……無駄」
青年ハルゼーが賞賛し、少女ローネは愚かと切り捨てる。
それはエレノイアも承知している。だがやるしかない。
腰の二振りの剣を抜き放ち、踏み出した右足を重心に前傾姿勢を取る。左足は後ろに、右手の黒剣を前に突き出し、引くように左手で白剣を握り締める。双剣の構えだ。
臨戦態勢が整い、機を逃さないように心を鎮めるエレノイア。
それを見て、巨漢ガビリが豪快な笑顔を解き放った。猛々しくも洗練された気配が飛び散り、それだけで盗賊とザコイ、それに団長と少年騎士が息を飲んだ。
エレノイアとハルゼー、ローネは微動だにしない。慣れたものだ。
ガビリが背中の大剣を頭上で旋回させ、ウォーミングアップ完了。
――いざ飛び出した!
地面が、巨体が生み出す踏み込みの威力で爆発する。
一瞬にしてエレノイアの眼前に到達し、同時に大刃がジャストのタイミングで急襲した。
エレノイアが剣を交差させ受け止めるも、そのパワーで後退させられる。
何て膂力だ。これが大道剣か!
嫌な汗がエレノイアの焦燥を誘う。落ち着け、焦ったら負けだ。
エレノイアが負けずとガビリを睨みつけた。それに対してガビリは会心の笑みを向ける。彼は楽しくて仕方がないのだ。
「アンタ、最強の傭兵って噂の『二重能力者』だろ?
『太極剣刃』ってくらいだ。剣の方もイケんだろ? 一度、殺りあってみたかったんだ」
「くそ、この脳筋めが!」
エレノイアが二本の剣で弾くように大剣を返す。手首の柔軟さと全身のバネの最適駆動、瞬発力に速度も合わさり、至高の剣技が生まれる。それが彼女の真骨頂。
更には光の異能で身体強化までしていた。それでもギリギリ跳ね返せた程度だ。ガビリ、彼は異能を持たない生粋の戦士の筈。なのに何てパワーだ。
ガビリの強さはそれだけではなかった。
弾かれた大剣を横に返すことで、エレノイアの力を上乗せして、最大破壊を叩き込む。
巧みな技でエレノイアの迎撃を乗っ取ったのだ。
「――なっ!?」
エレノイアも驚きを隠せない。
力に技、速度、そして――
「ははァッ! オラァ!」
大剣のリーチこそがガビリの驚異。不利な間合いが速度の差を埋める。そして遠くに退避しても、その余波だけで斬り刻まれる。
幾ら強化しても、エレノイアにあそこまで巨大な剣を扱う芸当はない。
破壊の刃が巨大な波となって、エレノイアに迫った。
凄まじい速度の遠隔斬撃。
「何て破壊力だ」
エレノイアは"光"の速度で離れ、陽炎のように横からガビリに接近した。追従する残像がその疾さを物語る。
突き上げ、斬り下ろし。
瞬間で二つの斬撃を振るうも、ガビリの巧みな大剣テクニックで弾かれる。
「くははッ、おもしれぇな!」
更にエレノイアの光に追いつくガビリの一撃。速度で翻弄しようとするも、ガビリの研ぎ澄まされた傭兵の勘がそれを許さない。捉える。
常人には捉えることもできない速さに、大剣が合わさっていた。
「くッ、デカイ癖にここまで疾いのか」
迂回して、横に回り込むも、またしてもそこに大剣が飛んできた。
避けて飛び込むと、合わせてガビリも下がる。
間合いに入らせてくれない。リーチの差は速度で埋まるもの。その速度でさえ互角。
何て使い手だ。流石はギルドランクオーバーの戦士。
「――!」
経験で培った"勘"がエレノイアを突き動かした。後方に飛び下がる。
シュシュン
不可視の何かが通り過ぎた。軌道上の樹木に穴が空く。
「――針!? 『飛針』か!」
無数の見えない針を気配だけで躱していく。
エレノイアは忘れそうになっていた。敵は一人ではないのだ。改めて厳しい戦況に、彼女は舌打ちをした。
彼女はお返しとばかりにレーザーを放ち、ローネを牽制する。
――そこにハルゼーの"蝶"が飛来する。
空間が震動し、至る所で爆発が起こる。
「くあッ」
近接、範囲術式、暗器。敵のバランスも良い。
三体一は無理がある。どうする?
エレノイアは考える。活路を見出す。
しかし考える暇なく、ガビリがいた。ヤバい!
ドガン
追撃は来なかった。
「お前ら、邪魔しねぇでくれねぇか。興が削がれるだろ」
「貴様こそ、これは遊びではないのだぞ」
「……貴方が邪魔」
「真面目な奴らだな。戦闘なんざ楽しんでナンボだろう。俺を縛るんじゃねぇよ」
「ならこちらも自由にさせて貰おう」
「……同感」
仲間割れか? エレノイアは油断しない。
二体二にでもなれば楽になるのだが……いや、仲間割れを期待するとは、情けない。
彼女は自虐の笑みを浮かべる。
「チッ、好きにしな。こうなりゃ早いもん勝ちだぁ!」
やはり寝返りはない。そう甘くはなかった。
エレノイアは再び構えた。
ガビリが来る。が、ローネの姿がない。気配を完全に見失った。どこだ?
ガビリから距離を取り――
シュカン
近くの木に穴が空く。エレノイアに悪寒が走る。
しまった、この方向は! 間に合わない!
そこに、針の軌道を邪魔するかのように、ハルゼーが蝶繋ぎの鞭で襲いかかってきた。
(コイツ、何故?)
エレノイアの軽い一撃に、受け止めたハルゼーが大げさに下がる。
(この男、手加減している? 何か企んでいるのか?)
ならば甘えさせて貰おう!
状況を素早く判断するのは、戦場の常識。戦況は常に変化するもの。躊躇わず、現状を最大限に利用して敵を討つ!
エレノイアに再び見えない針が飛んでくる。
――目には目を! 不可視には不可視を!
エレノイアが聞こえないように呟く。
「――光の紗幕」
光の屈折現象で自分の姿を消し去る。不可視を生み出すカーテンが、エレノイアを隠蔽した。
条件はこれで同じ。
一番厄介なのはガビリだ。
姿を消しても、速度を上げても、気配で位置とタイミングを把握している。
しかもリーチが長く、疾く、凄まじい。流石はギルドランクオーバーの戦士。
それならこちらもリーチの不利を克服するだけ――
「――影纏い」
エレノイアの持つ剣に、黒が広がる。漆黒が距離感までをも侵食する。
太陽の真向かいにダッシュし、エレノイアはガビリの影を斬る。
「なっ!? ぐあッ」
ここにリーチの優劣が完全に逆転した。ガビリの笑顔が固まり、驚愕に変わる。
エレノイアは高度な幻惑や物理干渉を可能とする、光と闇の使い手。惑わし、侵し、変革する。
彼女が二重能力者と呼ばれる由来だ。
「ぐっ、さすが、"最強"の称号は伊達じゃないな……」
ガビリが後退するが、それは追わない。
エレノイアは標的をローネに変更、色のない針を避けながら、彼女に迫る。
この際、多少の傷は致し方ない。
シュッ
吹き矢――いや、含み針か!
避けきれない針をエレノイアは最小限で躱す。多少は掠めたが戦闘に支障はない。
と思った矢先、彼女から力が抜け落ちた。……何が?
目を凝らせばローネの口元が尖っていた。笑っている? これは……
「毒矢、猛毒か。不覚……」
エレノイアがふらつき膝をつく。
彼女の光の浄化作用を越える猛毒。こんなものを使ってくるとは。下手すれば自滅する代物だ。
見れば何もしていないザコイが、不敵な笑みを浮かべていた。
「エレノイア殿、助太刀します!」
エレノイアのピンチに、所々に傷を負った団長と少年騎士が走ってきた。あちらは雑魚五人を掃討したようだ。残りはリーダーと雑魚四人。リーダーはBランク相当、一番厄介な相手だが……倒せなかったか。
薄れゆく意識を必死に繋ぎ止め戦況を分析しつつ、同時にエレノイアは解毒作業にあたっていた。あともう少し……
「くっ、来るな! 貴方達では敵わない……ぐっ」
彼らではランクオーバークラスは倒せない。犬死するだけだ。早く動かないと。
エレノイアは懸命に集中していた。
――その時
『ふふふ、面白そうなことをやってるじゃないか』
風に乗って奏でられる、愉悦の響きが空間を満たした。
その声に、その場にいた実力者達が揃って振り向く。全員の顔には余裕が一切なく、驚愕が浮かんでいた。
「誰だ、あの女……?」
それもその筈、その女には気配が全く感じられなかった。どんな些細な気配にも反応する。それを自負する歴戦の戦士達が完全に不意打ちを食らったのだ。これが戦ならばもう終わっている。
その恐ろしさに気付いていないのは、ザコイと盗賊達、団長に少年騎士だけだ。
木陰から人影が近づいてくる。若い女だ。彼女は散歩でもするように陽気に歩いてきた。
場違いな程暢気なその笑顔に、皆が戸惑いを全開にして、呆然となる。
その女――リリスが気さくに挨拶を始めた。
「やっ、こんにちは」
「何だテメェ」
良い場面で水を差された盗賊リーダーが、不機嫌な様相で威嚇した。
空気の読めない女だ。後で戦利品として掻っ攫っちまおうか。そんなことを画策する。
「あっ、気にしないで続けて良いよ。ここで見てるからさ」
「妙な女だな。まあいい、今はあの女が先だ。ククク、どう料理してやろうか」
盗賊リーダーがいやらしく崩れた顔で、エレノイアに近づいていく。
団長と少年騎士が駆けつけようとするが、ザコイがそれを阻む。
そこに――
「どういうつもりだ、ハルゼーさん?」
「エレノイア殿! 助太刀いたす!」
敵側のハルゼーが、リーダーとエレノイアの間に割って入った。コイツは何がしたいんだ、とガビリとローネが訝しげな目を向ける。
突然の裏切りに、ザコイが眉に皺を寄せて、淡々と口を開いた。
「ハルゼーさん、アンタ裏切るってのかい?」
「元々、今回の企みを阻止するのが、私の大義! そのために潜入していたのだからな」
その言葉にザコイが目を見開く。まさか最初から裏切りが目的だったとは。
盗賊リーダーも感心したように頷いていた。
「へぇ、ギルドも馬鹿じゃないんだな。まっ、無駄だがな」
ならば敵として排除するだけ。リーダー、雑魚四人、ガビリ、ローネが揃ってハルゼーを囲んだ。ザコイは団長と少年騎士を牽制している。
刻一刻と事態が動く中――
またしても、空気を読まない女の声が割り込んだ。
「エレノイア……? お前が? 最強の傭兵?」
「そうだが、貴方は誰だ?」
「お前がエレノイアだというのか? こんなけしからん巨乳女が! くぅっ」
「……?」
拳を握り締めながら、悔しそうな顔で地団駄を踏むリリス。
緊迫したこの状況で、邪魔をしないで頂きたい。いや、時間稼ぎにはありがたい、か?
エレノイアは気が抜けてしまい、無意識に応対していた。
「なら、スポイルの知り合いとはお前のことか?」
「――スポイルを知っているのか!?」
危うく他の人間を忘れそうになる程緩和した会話。
当然、横槍を入れられた盗賊達は気分を害する。なら面倒くさいから巻き込んじまえ、とリリスをも囲んでいった。
「おいおい、俺達を無視してもらっちゃあ困るぜ。なあ、姉ちゃん」
雑魚男の一人がリリスの肩にポンと手を置き、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる。
それが男の人生にピリオドを打った。
「私が喋ってるんだ。貴様、ちょっと黙ってろ」
その直後、空気が凍りついた。
リリスの苛つきと同時に事態が大きく変化する。
リリスに触れた男が、針を刺した風船のように、パァンという音を残して消え去った。
男は一瞬で絶命したのだ。
「「「――なッ!?」」」
男は派手に肉体が破裂したのに、血の一滴も残されていなかった。周囲にも全く損害がない。
対象だけを完全に抹殺したのだ。
圧倒的実力差、完全なる制御。
怖気がする程簡単な幕切れ。
亡くなった男も何が起こったのか、死の寸前ですら理解できなかった。
「何が起こった? ゴミクスの野郎どこに消えやがった?」
そんな呆気に取られる盗賊の一切を無視して、リリスが寸劇を始め出した。
「どうしよっかな~、助けた方がポイント高いかな~、でも嫌だな~。あんなクソ女、助ける義理はないし、っていうか八つ裂きにしたいし、埋めたいし。そもそも私に黙ってた時点で抹殺候補だし……でもスポイル喜ぶだろうな~、ギュッてなるかも……もしかしたら、アンナコトやコンナコトもしてくれちゃうかも。う~ん……
うん! 取り敢えず、助けておこう! 殺すのは後でもできるし!――という訳で、死んでくれる?」
「何だ、この女、イカレてるのか?」
「まあ良いじゃねぇか。こんな美女、そうそうお目にかかれるモンじゃねぇぞ」
「げへへ、それもそうだな」
超絶美少女リリスを前に、雑魚共が卑猥な想像を膨らませる。露骨な目付きがリリスを射抜き、彼女は不快感を示した。
この豚共はいらないな。リリスの中で彼らの未来が決定した。それは雑魚達の"破滅"を意味する。
「あ~、そんないやらしい目で見られると――」
「へへ、見られると、何だ?」
「――最高の苦痛をプレゼントしたくなっちゃうじゃないか」
怖気がする程冷酷で無機質な声。
まるで地獄の底、開けてはならない蓋の隙間。それを覗いてしまったかのような悍ましさが一帯を取り巻いた。
小虫を追い払うが如き感情の無さが、ゾッと底冷えする瞳が、盗賊共の恐怖を射抜く。金縛りにでもあったかのように、彼らは動けなくなっていた。
本能が"生"を否定する。苦しみ生きるより呆気なく死んだ方が幸せ、と訴えているのだ。
どれだけ積み重ねたらこの領域にまで達するのだろう。それ程に濃厚な死の気配。
失禁し出した盗賊もいた。涙が溢れ出す者もいる。何故、身体が勝手に反応するのだ。分かってはいても理解はできない。
憐れな子羊。それでも彼らの未来は変わらない。
リリスが指を鳴らすと、突然盗賊の一人の手足が、音もなく吹っ飛んだ。動画を音声なしで見ているかのような、そんな光景。悪夢だ。
傍にいた者達も夢と現実の境目が分からない。
これは現実か? 何が起こっている?
数秒後、手足を消失した男が痛みと共に漸く気付く。
「――ぐ、ぎぃ、ぃぁああああああッ!」
「て、テてっ、テメェ、何しやがった!」
止まらない恐怖が、絡み滑る口を作り上げる。彼らにも分かっているのだ。
それでも目の前の美女一人の仕業とは思えない。伏兵でもいるのではないだろうか。
何が正しくて何が悪いのか。何も分からない。
「お前らの構成をちょっと弄っただけだよ。心配しなくても『破滅』を迎えるのはまだ先だ」
ニタリとリリスの口元が釣り上がる。
淫靡で残酷な微笑。人を破滅に導く悪魔のような囁きだった。
その言葉で、盗賊達の助っ人ザコイが一際蒼白な顔で震え出した。
「お、おおおおおおお、おま、おま、おまえぇぇえええ! まままま、まさかッ!」
口が噛み合わず震えが止まらない。ザコイはとんでもない存在に手を出してしまったことに気付いた。
「ふふ、私は一度敵と見定めた獲物は決して逃がさない。怯え泣き叫ぼうとも容赦はしない。『破滅』を刻み込むまで絶望を与え続けよう」
その宣言でザコイは確信する。
何故、ここにいる? いや、それよりも逃げなくては!
「――し、しししし、失礼するッ!」
「ちょっと、どうしたんだ!」
「うるせぇ! つつ、付き合ってられるか! お、おおお俺は元々無関係だったんだ。コココ、コイツらがご所望なら煮るなり焼くなり好きにしてくれッ! アンタに逆らう気はないんだ!」
「そっか、まあ興味ないし、逃げたいなら早くしたら?」
ザコイが無様に前方に転がる。足元が覚束なくて這いつくばり、それでも少しでも前へと距離を稼ごうとプライドをかなぐり捨てて、逃亡を図る。
今まで彼を尊敬していた盗賊団の面々が、驚き、そして徐々にゴミでも見るような目付きへと変わっていく。
「グズグズしてると気が変わっちゃうよ~」
「ヒィ~ッ」
それすらも気にならないといった感じで、ザコイは逃げてった。
残ったのは、リーダー含む盗賊団四人、ギルドランクオーバーの三人、エレノイア達三人の計十名だ。
この状況で存外鈍いのか、震えながらも盗賊四人は動き出す。雑魚はともかくリーダーは勘づいていたが、それでも部下の手前引くことはできない。
傭兵ギルド組とエレノイア組は、リリスの溢れ出す殺気で固まっていた。否、動けない。強者程濃厚に感じるリリスとの圧倒的実力差。動けないのだ。
盗賊リーダーは恐怖を引き金に、無謀な賭けに出た。
「良く分からねぇがヤッちまえ! 囲え、囲え!」
遊び心満載で盗賊の行動を見守っていたリリス。彼女はモロに盗賊雑魚の剣で心臓を貫かれた。致死の一撃。リリスは無抵抗だった。
呆気ない結末に呆然としたリーダーが、再び余裕を見せ始める。
「ハハッハァ~ッ、何だ何だ、弱えじゃねぇか! ハッタリだったのか! ハハッ――ハぁッ?」
「フフッ、フハハハハハハぁぁッ、この程度で倒せるとでも?」
狂気の嘲笑。女は絶命することなく、平然と立っていた。
身の毛がよだつ笑い声に、盗賊達を恐怖が襲う。
「何だと!?」
「確実に仕留めた筈だ!」
映像が巻き戻されるかのように、リリスの傷が埋まっていく。決定的な致命傷は、瞬く間に修復された。
「ば、バケモノ」
「ふん、失礼な。私は人間だぞ」
盗賊達はやっと確信する。彼女には敵わないという現実を。この寒気が一生を左右する程の警報――最後の忠告だったという事実を。
ザコイは正しかったのだ。どんなに見苦しくても逃げ出すべきだったのだ。それを見抜けなかったのが人生の分かれ目。
彼らはここに来て、避けられない"死"を感じ取った。
殺されても死なない。それこそが、ミストラルで『マスタークラス』と呼ばれる二人の真実。
原子や素粒子と呼ばれるもの――この世界、この時代では未知の存在を操る。元異界人である彼女ならではの、凄技だ。
本名、有栖川理々奈。
彼女の能力『限界干渉』は、最小単位の存在にまで干渉を可能とする。それこそ原子や素粒子といった段階まで操ることができるのだ。
――個にして個にあらず。
流動素粒子意識体。それが彼女の姿だ。
彼女の意識は常に流動している。肉体の大部分を失ったとしても、意識は他の部分――ただ一粒の素粒子さえあればソコに乗り移り、決して死することはない。
いや、仮に粒子が対消滅したとしても、別の粒子に変換されるだけであり、事実上彼女の存在自体は消滅しない。
細胞を構成する分子も、細かく掘り下げていくと、原子や素粒子に行き届く。つまり、老化の抑制や、肉体の制御なども自由自在、まさに完全なる不老不死であった。
痛覚の遮断などもお手の物、戦闘においては彼女に死角はない。
唯一彼女に対抗する手段は、異能殺しによる、能力そのものの無効化のみ。それも、今や彼女の手の中だ。彼が裏切ることはない。
最強の異能。不条理の女王。
闇ギルド『ミストラル』を纏めてきた女の真骨頂が、そこにあった。
「そろそろ飽きたな。もういいや、バイバイ」
その言葉で盗賊達は一斉に消えた。余韻も何も残さない。只、その存在を抹消されたのだ。
不気味な静寂が空間を支配する。
ありえない戦慄に、ランクオーバーの戦士達が、揃って後退る。
勝てる気がしない。
それでも屈したりはせずに、皆で事態を見守る。
気丈に武器を構える六人。もはや敵味方の区別はない。リリス対全員。無論エレノイアも加わっていた。
本能が戦闘を否定する。だが腐ってもランクオーバーの傭兵達だ。築き上げたプライドがある。それすらも失いそうになる心を必死に奮い立たせる。
そんな彼らの心境などお構いなしに、マイペースな少女が語りだす。
ここからはリリスの独壇場だ。
「さて、ガビリとやら、お前は何のために戦う?」
「お、おぅ、俺様は強い奴と殺り合いたかっただけよ!」
「ふむ……コイツら盗賊をどう思う?」
「ああん? まあ、生きるために物資を奪うのは仕方ないとしても、無力な一般人の人攫いや人殺しは最低だな」
「成程」
ガビリは終了。次に進む。
「そちらのハルゼーとやらは? 何のために戦う?」
「知れたこと。正義のためだ!」
「そうか」
これにてハルゼーも終了。次に進む。
「私は――」
「ああ、結構。お前は良い、対象外だ」
「へ、えっ?」
「――次」
声高々に宣言しようとしたエレノイアがバッサリと切り捨てられる。より一層そっけないリリスの態度に、彼女は困惑した。
会った時からやたらと感じる敵意。自分が何か粗相でもしたのだろうか。妙な展開、極度の不安に、彼女は冷や汗を流した。
得体の知れない謎の女。明らかに自分よりも格上だ。それも遥か高みにでもいるような神の如き深み。底が知れない。
エレノイアは何故自分が睨まれているのか、皆目見当がつかないでいた。
最後はローネだ。
物静かに怯えていた彼女に、リリスは気にした様子もなく問い掛ける。
「そこの女、お前は?」
「……自分のため」
「殺害に抵抗はあるのか?」
「……全然。敵は殺すだけ」
「ほう……」
ここで初めて、リリスは屈託のない笑みを浮かべた。無邪気な、子供のような笑顔。ローネの言葉の何かが彼女の琴線に触れたのだ。
他には興味も残さずに、解散を告げる。
「よし、ローネ以外は帰って良いぞ」
傍若無人にこの場を仕切るリリスに、皆が困惑する。
しかし既に争う気はない。依頼人もいないのだ。これ以上は無意味だろう。
「あっ、それとエレノイアとやら、スポイルにお姉ちゃんが会いに来たと伝えておいてくれ」
「……お姉ちゃん? あ、ああ、分かった(スポイルにお姉ちゃんなんていたのか?)」
そういえばスポイルの知り合いと言っていたな。彼に聞けば良いか。と、今更ながらにエレノイアは思った。
リリスはこの場で勝手にスカウト――面接をしていた。
ミストラルは基本、勧誘などは行わない。入りたがる者が後を絶たないからだ。好きに向こうからやって来る。
しかし組織のトップでもある彼女は趣味のレベルで、それこそ好き勝手にやっていた。当然、誰も文句など言わない。
どんな状況でもマイペース、それが彼女の在り方だった。
「ローネとか言ったな。お前だけは合格だ。『ミストラル』に入りたくはないか?」
「ミストラル? 闇ギルドの? あの?」
「そうだ、やりたくないことはしなくていい。自由で気楽なダークネスライフだ。最も、給料を貰うためには仕事をやらねばならないがな。要は働くも怠けるも全て自己責任という訳だ」
「……入りたい」
「なら決定だな。後で本部に呼ぶ。ああ、呼びたい時に呼ぶので、いつも通りに生活していて結構だ」
「でも連絡……」
「居場所など、どこにいても見つけられる」
「嘘……」
「それくらいできて当然だ」
ローネは常に居場所を特定させないでいる。彼女の得意分野が暗殺な故だ。
連絡はどうやって取るのだろうか。待ち合わせなどは必要ないのか。ローネは疑問に思うが、この常識外の人物――お姉様のことだ。伝手でもあるのだろう。
細かいことは置いておくことにした。
「名前……」
「ああ、私はリリスだ」
「リリスお姉様……」
彼女はリリスに堕ちた。
一方、エレノイアと団長、少年騎士、そしてハルゼーは、帰宅の途についていた。のんびり会話しながら歩いていた。
「我々を嵌めたギルド員は既に捕まっています」
「なるほど、全て計算ずくだったのだな」
エレノイアも最初はどうなることかと思ったが、ギルドも馬鹿ではなかったようだ。彼女を信頼して敢えて囮に使ったのだそうだ。
そのことについて、ハルゼーからの深いお詫びを受けていた。終わり良ければ全て良しだ。さっぱりした気分でエレノイアは顔を輝かせた。
「それにしても、流石は『不死身の戦女神』殿だ。あのお手並みには感服しました」
「不死身の戦女神? な、何ですか、それ?」
嫌な予感がエレノイアを襲った。
ある意味、これも経験則。この流れには覚えがある。それはない、ないよね、と淡い期待を胸に抱くが……
「ああ、貴方は知らなかったのですね。元々の貴方の名声に加えてその美貌、そして先日の、死んだと思われた後の奇跡の復活劇! 今や世間で貴方は神様――女神様として崇められております!」
「な、な、なんですと!?」
「フフフ、そういう私も信者の一人ですよ」
「俺もですよ」
「僕もです!」
三人が一斉に自己主張したのを見て、エレノイアはガックリと肩を落とす。やはりこういうオチか。信者って……変な輩が出てこなければ良いが。
どうしてこうなった、と彼女は遠い目をした。
最強の傭兵だの、対極剣刃だの、二重能力者もそうだ。そして今度は不死身の戦女神。
どんどん余計な称号が増えていく。名が売れるのも考えものだ。
「しかし、あの女性は何者だったんでしょうか。あれは只者じゃありませんでしたよ」
「私も良くは知らないのだが、友人の知り合いみたいでな」
「ほ~、貴方の人脈の広さには脱帽ですね」
「しかし、あの底の見えない気配。私でも腰を抜かすかと思ったぞ。何者だったんだ」
ハルゼーの険しい顔付きに、エレノイアも同意する。
アレは異常だ。ギルドランクオーバーが束になっても敵わないレベルなど初めてお目に掛かった。
自分も最強などと言われているが、世間は広い。エレノイアは己の未熟さを鑑みた。
◆◇◆◇◆◇
仕事も終わり、自宅に帰ったエレノイアは、律儀にリリスの伝言を想い出した。
それを聞いたスポイルの顔が引き攣っていく。
「姉ちゃんが来る!? ソイツはそう言ってたのか!」
「ああ、姉がいたのか? あの女性はいったい……」
エレノイアの言葉を最後まで聞くことなく、スポイルは真っ青な顔で立ち上がった。
こうしてはいられない!
先程までリラックスして舐めていた飴玉は、勢いで噛み砕いてしまい、額には尋常ではない汗をかいている。
彼は急いで私物を纏めて、玄関に向かった。
「ちょ、ちょっと数日、出かけてくる! 理由は聞くな、探すなよ!」
「おいッ、スポイル! 急に焦りだしてどうしたんだ!」
「い、いや、それがだな……」
その時、彼はありえないものを見た。
懐かしいけど懐かしみたくない人物。トラブルメイカーならぬトラブル製造機。彼女が歩くことは、嵐が通り過ぎるのと同義。
その世界一の問題児リリスが、彼の開けようとしていた玄関を逆側から開いていた。
「やっほ~、スポイル~、お姉ちゃんだぞ~、会いに来ちゃったぞ~」
「げッ、リリス!」
思わず出てしまった言葉を打ち消すように、スポイルは慌てて口元に手を当てた。
そして機嫌を伺うが如く、チラリとリリスに目を向ける。彼女は不貞腐れて腕を組んでいた。
いけない! 御冠だ!
スポイルが口をパクパクさせて狼狽えていた。
普段の威風堂々としていたスポイルには珍しく、動揺しまくっている姿に、エレノイアの頭に「?」が浮かぶ。
「その反応は傷つくな~、お姉ちゃん、怒っちゃうぞ~」
「ご、ごめん、じょ、冗談だよ、ハハ」
「そうだよね~。もう! もっと分かりやすいジョークじゃないとダメだぞ!」
「き、気をツケマス」
「それに、こんなところで暮らしていたなんて、お姉ちゃん聞いてないぞ。スポイルは忘れん坊さんだね!」
「ソ、ソウダヨネ……ツイ、ウッカリ、ネ……ハハ、ハ」
「危うくここら一帯を更地にしちゃうところだったじゃないか」
「――えっ?」
リリスの物騒な発言に、エレノイアが唖然とする。
スポイルとしては慣れっこだが、知らない人間にしてみれば、頭のおかしい人にしか見えないだろう。
相変わらずだな、とスポイルは黙っていた。沈黙は金なり、とは良く言ったものだ。これ以上は墓穴を掘る可能性が高い。
「ん? 何か失礼な事を考えてないか?」
「ハハ、マサカ……ソンナ、ハハハ」
事態を収拾すべく、スポイルは頭をフル回転させていた。
どうにかしてお帰り願わなければいけない。しかし下手な交渉はより一層の悲劇を生むだろう。どうした良いか……
そんな彼の切羽詰った心境など露知らず、エレノイアが軽快に御礼を述べる。
「そ、そうだ! 先程は助けて頂いてありがとうございました!」
「えっ、そうなの?」
「チッ、お前のために助けたんじゃねぇよ(ボソッ)」
「…………」
エレノイアが固まる中、空気を呼んだスポイルがリリスを褒め称える。「ここは酸素が薄い、誰か助けて!」と願いを込めて。
「そうだったのか! リリス、ありがとうな!」
ご機嫌取りのために、スポイルがリリスをやむなく抱きしめる。今までの経験からこの方法が一番効くことを、彼は良く知っていた。
こうでもしないと我が憩いのこの家も、想い出の街も、全てが跡形もなく消し飛んでしまう。
スポイルは必死だった。
「ス、スポッ――ぐふっ……い、いや、当然のことをしたまでだ! ぐふふっ」
「俺のためにありがとうな!」
「お姉ちゃん、スポイルのために頑張っちゃったよ! 思いっきり奮発しちゃったんだね! 愛の力だね!」
「ソ、ソウナンダ……リリスは偉いな!」
「えへ、エヘヘ……」
何とか誤魔化そうとリリスの頭を撫でて、方向性を誘導するスポイル。
気持ちよさそうに蕩けた顔をして、相貌を崩すリリス。
今や、完全に姉と弟の立場が入れ替わっていた。
よし、このまま……
「ところで私の泊まる部屋はどこかな~」
「「え゛っ?」」
「なに? せっかく会いに来たお姉ちゃんを追い返そうっていうの?」
「ま、まま、まさか!」
壊れた機械のように、スポイルは高速で頭を横に振った。
ツッコまれたくない質問が来てしまった。ピンチ、ミンチ、リンチ。ヤバい、ヤバい、ヤバい。
血は繋がっていないが姉代わりの彼女は、自分を何故か溺愛している。狂愛といった方が正しいだろうか。
特に女関係には五月蝿く、ミストラルの本拠地にいたときはチェックが激しかった。市井で買ってきたエロ本を細切れにされたこともあった。声を掛けただけの女が行方不明になったこともある。
ここで真実に辿り着いたらどうなってしまうのだろうか。
スポイルはしどろもどろに言葉を濁した。
「えっと、寝室は一つしかなく……」
「えっ? 二人はどうやって寝ているの? ん? ん?」
陽気に問いかけてくるが、リリスの目は笑っていない。嘘をつき通すか、それともぶっちゃけるか。嘘もバレそうで怖い。本当のことを言うのも怖い。
もはやどうしようもない。
スポイルは観念して事実を述べることにした。後は天に祈るのみ。南無三!
「い、一緒に?」
「ま、まさか、イケナイ階段を登ったりしてないよね? ねっ、スポイル?」
スポイルが目を合わせられずに逸らすも、リリスの顔が追従する。どうやっても目と目が離れない。
彼は高速の異能、幻惑の異能、精神操作の異能など、能力を無駄に駆使しているが、それも意味をなさない。
流石のリリスだ。
もうオシマイか、と思われた矢先――
リリスの反応がおかしくなりだした。
「ハ、ハハ、お姉ちゃん、そういう冗談はもう飽きちゃったんだけど、それとも耳が遠く……」
「そ、その、な?」
「あ、ああ、その……まあ、そういうこともあるかと」
「ま、さか……ほんと、うに?」
流石にここまで来れば、エレノイアにも大まかな事態は把握できる。
まさか荒れるのではないか。そんな彼女の予想に反して、斜め上の結末。リリスがじわっと涙を浮かべた。
自分でも分からないが何かをスタンバイしていたエレノイアは、その瞳に戸惑いの色を宿す。
「え、えっ?」
「うぅ、スポイルの童貞は私が貰う筈だったのにぃ」
彼が童貞だったかどうかはともかく、駄々っ子のような豹変ぶりにエレノイアも唖然とした。
以前助けてもらった時の毅然とした態度など、微塵もない。戦闘のショックで幼児退行でも起こしたのだろうか。そんなことをエレノイアは考えてしまう。
彼女の常識の範疇では、今の状況が掴めないのだ。
だがスポイルにしてみれば、またか、という展開でしかない。
彼は二択の賭けをしていた。すなわち、破壊か逆行(幼児化)のどちらかだ。
そして賭けに勝ったのだ。ここに国家滅亡の危機は去った。
「はぁ、丸くなったと思ったら、これだもんな。出会った当初が懐かしい……」
かつてのリリスの、凛々しい立ち振る舞いを想い出す。あの頃は彼女に憧れていた。それが今では……
遠い目――いや、死んだ魚のような目をして、スポイルは過去を懐かしんだ。
「くっ、私は負けてにゃいからな!」
「おい、リリス、どこに――」
「あッ、あのッ、どちらに――」
「このバカイル! あんぽんたん!」
「あんぽんたん、て……」
「うわぁぁああああああん~」
リリスは泣き喚きながら飛び出していった。
スポイルが頭を抱える。
――ミストラルの皆、スマンな。後は任せた。
呆気に取られたエレノイアの横で、スポイルはそんなことを思っていた。面倒なことは人任せ。自由を愛するミストラルならではの考え方だ。
それにしても……
「……子供か」
目的不明でそれを投げ出し、最後には泣きながら走っていった。子供そのものである。
結局何しに来たのだろうか。エレノイアはふと疑問に思っていた。
「スポイル……彼女は……」
「あ~……アレは気にするな。病気みたいなもんだ。さっ、もう寝るか」
『ミストラル』のマスターとして、各国に最上級要注意指定を受けている謎の女帝『破滅の魔女』。
その女に不必要に関わった者は、誰もが完全なる破滅を迎える、と囁かれている。
彼女は表裏の世界に関係なく、最悪の脅威として認知されている"闇"と"死"の象徴。
その本質は、ただの子供であった。
[完]
組織の幹部一覧
No.01:リリス(ギルドマスター)
No.02:スポイル(副ギルドマスター/粛清係 ※監察官のようなもの)
No.03:ギンカス(諜報部隊トップ)
No.04:ユリエナ(お茶汲み担当/指導官)
No.05:アーチス(暗殺部隊トップ)
No.06:???(医療担当)
No.07:???(技術部トップ)
No.08:ララ(経理担当)
No.09:???(国との折衝係)
No.10:???(営業担当)
No.11:???(物資担当)
No.12:バントラス(本拠地防衛担当)
ここで一つ裏話を。
エレノイアとリリスはある意味で光と影の存在です。
性格や言動など、似ている部分が多々あり、互いに意識し合う場面もあります。
主人公にとってリリスは実の姉のような存在。リリスとの恋愛には肉親の情という形が邪魔をしていました。
一方、エレノイアは赤の他人。
主人公がヒロインを好きになったキッカケは、リリスの面影を見ていたのが理由かもしれません。
次はヒロイン無双とかやりたいですね。