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 はぎゅ、と、焼き立てマリナーラにかぶりつく。

 熱いのだけど、火傷するようなへまはしない。それよりようやくたどり着けた味が、嬉しい。空腹を我慢してありつけた先が、この味であることがもっと嬉しい。しかもピッツェッタなどではなく、大きなピッツァを独り占めできている事実がさらに嬉しかった。


「おうおう、嬢ちゃん。そんなに腹が空いとったのか」

「うん、そう。絶対にこの味を食べたかったから、お腹空いても我慢してたの」


 するとアドリアーノご老人は「ほっほー」と軽やかな声をあげた。からかうような響きに顔をあげれば、どん、と、大盛りになったサラダがテーブルに置かれる。注文していないメニューだから驚いていると、無愛想な表情のラウロが平坦な眼差しを向けている。


「おまえな、ピッツァだけじゃ栄養が偏るだろ。ちゃんと野菜も食え」

「……。ありがとう」


 正直に云えば、サラダまで食べていたらお腹が苦しくなるだろう、と感じたのだけど、せっかくの忠告なんだから、と、考えて、さっそくサラダに突きさじを伸ばした。


 トマトとレタスとハムで作られたサラダ、お手製らしいドレッシングがかかっている。しゃりしゃりと、レタスを噛みしめて、かかっているドレッシングに感心した。


 なんだろ、すごく深い味つけだ。玉ねぎ、オリーブの実、赤ピーマン、まではわかるんだけど、もっとあっさりとこくのある調味料だけがわからない。首をかしげていると、アドリアーノご老人がにやにや笑いながら教えてくれた。


「魚醤じゃよ。なじみの商人が薦めてくれてのー。ラウロがさっそく試したのじゃ」

「ふうん?」


 ぺろりとドレッシングだけを舐めてみる。少し塩辛いけど、複雑な味わいだ。独特の匂いが、無個性なサラダの味を印象付ける。続いて、ハムも食べた。こちらもちょうどいい塩加減で、おいしい。マリナーラと云い、サラダと云い、手を抜いてない。なのに。


(どうしてここは、こんなに人がいないのかしら……?)


 連れてこられた場所は、なるほど、わたしが迷うだけあってわかりにくい場所にある。噴水広場からくねくねと折れ曲がった先、崩れそうな建物の二階にあるピッツァ専門店。


 でもちゃんと看板も出ているというのに、いま、この店のテーブルについているひとはわたし以外にいない。さらに云うなら、注文している間にもやってくる人はいなかった。これだけおいしいのだから、もっと流行ってもおかしくないのに、と考えながら、ピッツァを食べる。ふにゃん、と、たちまち顔がゆるんだ。


「しまりのねえ顔」


 ちらっとわたしの顔を見たラウロが云うと、「こりゃこりゃ」とご老人が口をはさんだ。


「どうしてそんなに口が悪いのかのー。嬉しいなら『ありがとう』は基本じゃぞ?」

「……。……師匠、いつまでそちらにいるつもりですか。ここは師匠の店なんですから、師匠が調理しないと意味ないでしょう」

「スベテノ技ハオヌシニ伝エタ。ワシハタダ、穏ヤカニ去リ行クノミヨ」

「誤魔化さないでください、師匠はただ、遊びたいだけでしょう。……ったく」


 ラウロはそう云いながら、手元で何か作業をしている。なにをしているのか、と気になったけれど、わたしは食事中だ。もぎゅもぎゅとピッツァを食べて、サラダを食べている。アドリアーノご老人は、鼻歌を歌いながらスプリッツを飲んでいた。スプリッツとは食前酒の一種だ。リキュールに発泡性ワインか白ワインを加え、ソーダで割る。「お嬢ちゃんも飲むか?」と云われたけど、遠慮した。飲めないことはないけど、アルコールでお腹がいっぱいになったら切ない。わたしはピッツァを食べに来たんだから。


 だから三人の間に、会話はない。でも居心地が悪くなることはなかった。


 だって窓から外を眺めたら、みずみずしい緑が広がっていたし、入ってくる風にはオレンジの匂いが混じっていて、気持ちいい。おまけに食べているピッツァは最高の味わいだ。サラダも美味しい。


(なんか、いいなあ……)


 しみじみと感じている。すごく気持ちよくて、心が和んでいた。お店としてはどうかと感じるんだけど、三人だけ、と云うところも、くつろげる理由かもしれない。テーブルにのっている料理はそのうち無くなる。わたしが食べつくす。でも、食べつくしてももっと食べたい、ここに居たい、と感じる程度には、居心地の良いお店だった。


 サラダとピッツァ、それからラウロがさらにおまけしてくれたマスカルポーネのジェラートも食べて、ご機嫌な気持ちで店を出た。階段を下りて、店のある建物を振り返る。


(しっかり場所を覚えておこう。次は迷わないようにしなくちゃ)


 だからまわりの建物の形や色をしっかり覚えて歩き出そうとしたときだ。「お嬢さん」、と呼びかけられた。やけに気取った声だなあ、と感じながら振り返って目を丸くした。


 なぜならそこには、きざとしか云いようがない男が、立っていたのだ。



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