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(4)

 かぶりついたとたん、うわ、とわたしは硬直してしまった。

 だって、おいしい。いままでに食べたマリナーラでは間違いなくいちばんだ。


 もちもちっとしていながら香ばしさもある生地に、酸味を残しながらしっかり旨味をかもしだしているトマトソースがからむ。カリカリに焼けたにんにくが風味豊かなアクセントだ。わたしは夢中になってピッツェッタを食べた。おいしい。きゅるるう、と急に食べ物を与えられたお腹も喜んでいる。あっという間に三枚、平らげてしまった。


(まだ、食べたいな)


 物足りない気持ちで窯を眺めたけど、物欲しげなわたしの眼差しにだれも気づかない。


 リーチャだって、次々とやってくる人に焼き上がったピッツェッタを渡す行為に、一生懸命だ。ちぇ。残念な気持ちでわたしはお腹を押さえた。たしかにもう、お腹は満足しているのだけど、と、なにげなく考えて、唐突に自分にびっくりした。


 だってわたし、充分な量の食物摂取を済ませたのに、まだ食べたいと感じている。


(はじめてだ)


 ちょっと呆然としてしまったかもしれない。お腹を撫でさすりながら、わたしは困惑している。だって、もう充分な量を食べたのに。ぐるぐる考えながら、でも、衝動は明らかだ。つい、ちらちらとリーチャを見てしまう。もっとピッツェッタをちょうだい。そう云いかける自分を必死で押しとどめていた。

 どうしたんだろ、わたし。


「まだ足りないのか? 小さいのに、よく食べるなおまえ」


 だからことんと小皿に乗ったピッツェッタを前に置かれたとき、びっくりしてしまった。


 呆れた表情の、リーチャによく似た少年が、すぐ傍に立っていた。ええと、ラウロ、と云う名前だったっけ。栗色の髪と茶褐色の瞳、きれいなはちみつ色の肌をしている。

 まじまじと見上げていると、戸惑ったように、茶褐色の瞳がまたたいた。


「食べないのか。食べたいんだろ、おまえ」

「……いいの?」


 おそるおそる問いかければ、ラウロはちょっと笑った。

 手を伸ばして、くしゃり、と、わたしの頭をかき混ぜる。思ったより大きな手のひらに髪の毛をかき回されて、わたしはさらにびっくりした。だってわたしより少し年下くらいの男の子なんだ。


 それなのに、手のひらだけ、成人並みに大きいなんてびっくりするしかない。


「いいから食えよ。食べさせるために、持ってきたんだ。冷めたら、がっかりだろ?」

「うん」


 冷めたらがっかり。それはその通りだ。


 神妙に応えて、わたしはようやく指を伸ばしてピッツェッタにかぶりついた。ああ、おいしい。思わず満面に笑顔を浮かべて、もぐもぐと食べる。なんておいしいんだろ。

 夢中になって食べていると、傍にいたラウロはちょっと驚いた様子だった。ちょっとためらい、言葉を探して視線をさまよわせて、やがて思い切ったように口を開いた。


「……うまいか?」


 口をピッツェッタでいっぱいにして、もぐもぐと口を動かしていたわたしはすぐにうなずいた。ごくんと飲み込んで、にっこり、ラウロに笑いかける。


「いままで食べたマリナーラでは、いちばん!」

「……そうか」


 くしゃり、と、ラウロが笑った。

 くすぐったそうな、それでいて、とても誇らしそうな、心から嬉しいのだと感じさせる笑顔だ。なんだか眼差しがそらせなくて、でももっと彼から笑顔を引き出したくなって口を開けたんだけど、なにを云えばいいのか、わからない。


 すっきりと笑顔をおさめて、ラウロはぱくぱくと口を動かしているわたしを不思議そうに見た。でもまた、大きな手のひらを伸ばして、わたしの頭を撫でた。髪の毛がくしゃくしゃになる。もちろん気づいていたけど、温かな茶褐色の瞳を見たらなにも云えなかった。


「ありがとう、な。姉貴の傍にいてくれて」

「え?」


 きょとんとまたたけば、ラウロは少し、居心地悪そうに視線を逸らした。


「だから、あいつらのアジトで姉貴の、リーチャの傍にいてくれたんだろ? やつらに捕まって怖かったけど、お腹空かせた女の子と話していたら怖さが薄らいだんだって、リーチャが云ってたんだ。だから、」

「それだったら、ありがとう、は、わたしの言葉よ?」


 ぎこちなく言葉をつむぐラウロをさえぎった。

 なんてことだ、お礼を云うためにリーチャを探していたのに、食欲を満たす行為に夢中になって、肝心の目的をきれいに忘れ去っていた。わたしは視線を巡らせ、リーチャを探す。ああ、どこかに行っちゃったのかな。リーチャの姿が見えない。


「おまえの言葉……?」


 不思議そうにつぶやくラウロを振り返って、うん、と頷いて見せた。


「お腹空かせていたところ、リーチャが飴をくれたの。だから元気でいられた」


 胸張って正直に云えば、ラウロはきょとん、と、目をまたたいて。


「っ、なんだよ、それ……っ」


 くっ、と身体を抱えて盛大に笑い始めた。さすがは姉弟、と云うべきか。遠慮もない、それでいて怒る気になれない、豪快な笑いっぷりはよく似ている。


 なにごとかあったのか、と、こちらを眺める人もいるけど、ラウロは気にした様子もない。まあ、たしかに笑っているときは、まわりの反応なんて気にならないだろうな。


 手持無沙汰にラウロを見て、水の入った器に気づいた。ラウロが持って来てくれたんだろう、ちょっとためらいながら指を伸ばして器を取り上げた。笑い声はまだ続いている。よく笑えるなあと感心しながら、器に注がれた水を飲んでいると、手首をつかまれた。


「どうしたんだ、これ」


 もう笑いをおさめたラウロが、眉を寄せていた。

 視線をたどれば、見事にあざになっている縄の跡が見える。ああ、そういえば。ピリピリかすかな痛みがあったけど、食欲優先で忘れてた。ラウロはじっとわたしの答えを待っている。真剣な様子に戸惑いながら、わたしはおずおずと応えた。


「やつらに捕まったとき、縛られてたから……」

「ああ、それでか。ちょっと待ってろ」


 そう云うなり、上衣の隠しを探る。取り出してきたのは丸くて小さな軟膏入れ。ふたを開いて、薄緑色の軟膏を、そっと手首に塗ってくれる。すっとしみこむ感触は、同時に、さわやかな感触だ。丁寧な、やさしい手つきで軟膏を塗ってくれながらラウロが云う。


「ちゃんとした手当をしたほうがいいんだろうけどな。黄衣の魔道士さまはもっと大きな怪我をしたやつの手当てにてんてこ舞いだっていうし。これだってよく効く軟膏だから、少なくとも痕になることはないはずだ」

「……。ありが、と」


 黄衣の魔道士はわたしの妹なんだ、とか、どうして軟膏を持ってるの、とか、そういう言葉がぐるぐる回っていたんだけど、やっぱりわたしはいずれの言葉も口に出来なかった。


 どうしてか、わからない。でも、どうしても、云えなかったんだ。


 軟膏を塗り終えたラウロはわたしの顔を見て、ぽん、と頭に手をのせてくれた。大きな手のひら。温かさがじんわりてっぺんから伝わる。それ以上に、温かな眼差しが微笑む。


「よく頑張ったな。でも、もう大丈夫だ。マーネの守護者たちが、助けてくれたんだから」

(ああ、わたしがその魔道士だとは、気づいていないんだ)


 今度こそ、ラウロの勘違いに気づいてしまって、わたしは笑ってしまった。


(ちょっとまぬけだよ、ラウロ。でも、)


 ありがとう――――。もう一度つぶやく声は、たぶん、ラウロには届かなかったに違いない。



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