名前
「あ~、もうやめやめ! 暗い話題好きじゃない!」
「テル?」
「そういうことは帰ってからじっくり考えようよ! 皆でいる時は楽しく過ごそう!」
なんとまあ、無茶苦茶な。
皆でいるからいろいろ意見が出し合えるというものではないのか。
「ほら、詩月ちゃん! なんか楽しそうで明るい話題カモン!」
「ええ? あの……ええと、ええと……」
いや、そんな必死に考えなくても……。
どうせテルの思いつきなんだし。
楽しい方が良いのは同意するけど。
「あ、ありました!」
「おお! なんだい?」
苦笑いで二人の様子を見守っていると、
「テルさんの名前って、テルじゃないですよね?」
予想外のセリフが飛び出した。
芽依は一瞬で笑みを消す。
「……」
テルは完全に沈黙。
「今日、クラスの皆さんがテルさんのことを……ええと、確か輝――」
「中里さん」
「え?」
慌てて詩月の言葉を遮る。テルに対して名前の話題はタブーだ。
「テル?」
「……」
反応がない。
おろおろしている詩月はとりあえず放っておくとして、テルの言葉を待つ。
数十秒にも及ぶ沈黙の後、
「……そっか、そういえば詩月ちゃんにはテルとしか名乗ってなかったね」
と普段通りの声で返した。
「うん、そう。あたしの名前は藤山輝緒。隠してたわけじゃないんだけど、あんまこの名前好きじゃない……ううん。ちょっと嫌な思い出があって……。だから、テルって呼んで」
声音こそいつもと変わらない。
でも、長年一緒にいる芽依には分かる。笑顔が、歪だ。
「と、いうわけだ中里さん。こいつのことは今まで通りテルと呼んでやってくれ」
「あの……はい」
芽依はなんでもない風を装う。
詩月は困り顔でなにか言いかけたが、素直に答えてくれた。
「だいたい、名前なんて言ったら俺の芽依ってのも微妙だと思うぞ? 小さい頃なんか女の子と間違えられたからな!」
「そ、そうだね! だからみんな芽依のこと英君って呼ぶんだよ」
無理矢理、話題を転換。テルはここぞとばかり乗ってきた。
「親に理由聞いたら『女の子が欲しかったから』とか、ふざけた答えしか来ないしさ」
「あはは。でも、良いんじゃない?」
「なにが?」
「だって、芽依の印章は視力向上でしょ?」
「そのネタはもう聞き飽きた! 目がいいから芽依、だろ? 中学の時から何回それでいじられたか……」
元の調子を取り戻したテルにほっとする。
「そういや、中里さんの詩月って名前も結構珍しいと思うけど、由来とかあるの?」
「え? あ、はい。実はうちの両親が詩を書いてまして……」
「詩?」
「そうです。結構大きな賞も取ったことがあるらしくて、その世界ではかなり有名人らしいです」
「じゃあじゃあ、詩月って、もしかして詩を好きになって欲しいみたいなことから?」
テルが安直な推測をする。詩を好きになってほしいから詩月。詩好き、か?
気持ちは分からないでもないが、名前を付けるのにそれはどうかと思う。いや、芽依の親を考えるとそうも言えないが。
「あ、そうではないんです」
だろうな。
「えと……詩を好きになってくれなくてもいい。でも、自分たちが大好きな詩をほんのり明るく照らしてくれるような、そんな優しい子になって欲しいと、そう言ってました」
「うわー、さすが詩人。なんか深いね」
「そ、そうですか?」
「だな。うちの親にそんな発想はできない」
詩月ははにかんで「でも」と続ける。
「別にテルさんが言った由来でも良かったんですけどね……」
「どういうこと?」
「英くんは覚えていませんか? わたしが印章を使う時、詩を口にしていたのを」
四人で四星術をした時を思い出す。
「ああ、そういや、言ってたな」
「はい。わたしの印章、変色結界はまず詩を言う必要があるんです。染めたい色によって内容は変わりますし、その場その場の思いつきで喋ってます」
「え、あれってその場で適当に考えたの?」
「はい。わたし自身、詩は好きなので、作ろうと思えば簡単にできるんですよ」
と、言った詩月は、
「あ、笑顔」
「ホントだ」
笑っていた。
「え……?」
当の本人は無意識だったようだ。
「詩月ちゃんもっと笑って~! 絶対そっちのが可愛いよ!」
「え、あの……わたし、今、笑ってました?」
「笑ってたよ! すっごい可愛かった!」
「あぅ……。そんなことない……です」
テルにべた褒めされて、出会って何度目になるか、頬を真っ赤に染める詩月。
実際、反射的に目を逸らしてしまった。普通に可愛かった。
「ねえねえ! ほら、もっかい笑ってみて!」
「あうぅ……」
テルの無茶な要求にどうしていいか分からなくなってる。
「ほれ、笑わんか!」
「テル、その変顔はやめろ。異様にブサイクに見える」
「ええ~、やっぱり芽依はあたしに対して手厳しい!」
「そうでもない」
「そうだよ!」
「勘違いだ」
「勘違わないよ!」
「勘違わないでくれ」
「勘違うよ! ん? あれ?」
「よし、勘違いだな!」
「芽依がいじめる~!」
「今のは俺は悪くないだろ?」
言いつつ、横目で詩月を見ると、やはり笑っていた。
相田の言葉が思い出される。詩月は本来、すごく内気で話すことすらままならない。サポート役の教師ですらお手上げだったと言っていた。
二日目にして笑顔が見れたというのは、とてもすごいことなのかもしれない……。