さよならを言いに
何も覚えてないのだけれど
幸せな夢だった。
[重ねた手が透けていた]
ふと意識が無くなった気がしたのに、気付いたら部屋の中。見たことはないのだけど、見下ろしたら見たことのある姿。
「あ……」
愛しい姿に触れてみれば、軽く身じろぎをした。微かに分かるようだ。
手を見れば透けている。何故だか幽体離脱をしてしまったようだ。
「大好きだ」
伝わらない声で呟く。君には届かないんだけど、無性に言いたくなったんだ。
「好きだ、でももうこれも言えないくなるんだな」
もっと言っときゃよかった、なんてもう遅いんだよ俺。君も恥ずかしがってなかったら、後悔することも無かっただろうに。
「夢の中ででも覚えて居ればいい。俺がこうして髪を撫でたこと、好きだと言ったこと、全て」
目が覚めたら白い天井。
いつもの風景だ、個室で体にチューブが繋がっていて。
突然の吐き気。深呼吸して鎮めれば、もう駄目なんだろうなと思った。
静かに音を立ててドアが開くと、そこには数少ない家族が居た。
「姉貴、」
「やっと起きた。来たら寝てるし……心配したんだからね」
「ごめんごめん」
10時ということもあり、日はそこそこ高い。君は何を見ているだろうか、青い空を見て思う。授業をサボって、同じ天井を見ているだろうか。
「具合は?」
「最悪。でもなんか良い夢見た」
「彼女?」
姉の言葉にニッコリ笑い返す。姉もまたそれを見てニヤリとした。
「可哀想ねー、放課後デートも出来なくて」
「本当だよ!でもあいつじゃ恥ずかしがって無理だ」
俺が笑っただけで照れるんだもの。自惚れじゃない、端から見ても明らからしい。
「あら、残念ね」
普通なら「いつか出来るよ」って続くのかもしれない。だけど俺には今しかないから、そんな無責任なことは言われないし、言わない。
おちゃらけて、すらも。
君はこんな俺を見てどう思うだろうか。君は悲しんでくれるだろうか。
想像もつかないほど途方もない時――俺にとっては短いけれど永遠に分からない――を思いやって、俺は笑った。
自嘲とも苦笑とも分からない笑い。
青い空を見て、俺と正反対だと思った。君とも正反対だ。だって俺らはずっと曇り空のままできた。
だから君は後悔するかもしれないけど、雲にしかなれなかったんだから仕方ない。
夢を見た君はどうしてるかな。目蓋の裏で言葉を言う俺を見つけるのかな。
君の気持ちが知れない俺は、真っ白で自身の存在すら分からなくなりそうな空間に漂った。
せめて「恋人」らしいことをしたかった、と呟くに呟けない台詞も共に。
気付いたら眠っていたんだろう。そしてまた見慣れた部屋と、愛しい姿。
「あと残り少ないんだ」
そう零して眉を下げる。触れても身じろぎもしなくなった。気持ちも存在も段々薄れゆく。
「もっと触れたいのにな、気付いてはくれないんだね」
髪を梳くも、少し触った感覚があるだけ。前回のように髪にしっかり触ることも持ち上げることも出来ない。
「これが最後かな」
泣くことさえしないけど、これでも悲しいんだ。
でも君の頬に涙の跡が見えた気がした。
「よっ」
そう言って来た友達に、彼女のことを頼むと話す。
「うん、任された」
前なら「諦めんなよ、お前なら大丈夫だから」って言われただろう。だけど今の状況を彼も分かっていたようだ。
「ありがとう、最後まで」
「親友だろ、もっと頼ってもいいんだぜ?最後まで親友らしいことさせてくれよ」
照れた表情の友達に、俺は少し泣きそうになった。
「ありがとう」しか言えないけれど、泣くことはしなかった。泣いたら本当に終わりな気がするから。
「あれ?」
寝ていたはずの俺は君の部屋にいて、いつもと違って君は俺の前に立っていた。
少し開けた窓から、微かに夜の匂いを孕む風と月明かりが差し込んでいる。
「なんで居るの?」
君には見えているんだね。はっきりと分かる最期を迎える俺が。
「会いたくなっちゃって」
「夢……?」
「夢見てる時間だけど夢じゃない」
目を擦って確認する君が愛しくて、我慢出来ずに抱きしめた。
ちゃんと抱きしめることが出来る。まるで自分の身体に入っているかのように。
「どうしたの?」
「抱きしめたくなっちゃって」
「何それ」
笑う君に、もうすぐ死ぬなんて言えなくて、君はまだ生きると思っていて。
「大好きだ、ずっと一緒に居られればいいのに」
パッと顔を赤らめる。だけど"今"言わなくちゃいつ言うんだ。
「ねぇ、ちゃんと聞いて。俺は君のこと愛してる。だから忘れないで欲しい、今の言葉を」
「どういうこと?」
「放課後デートとか、旅行とか、そんなの今更だ。それに俺は君と居たことが思い出だし。だから、」
一息置いて告げる。
「俺が死んでも俺のこと忘れないで」
「それ、どういう、」
お願い。
そう言って俺は君にキスをした。未練を残さない、軽い口付け。
そうすれば、もう時間だ。
「伝えきれなかったことを伝えに来た。俺はずっと君の側に居るから、寂しくなったら話しかけてよ」
俺はここに居るのにね、君にはもう見えないんだ。
震える携帯を開き、耳に当てる。漏れる声は間違いなく親友で。
『あいつが危篤だ!!』
その言葉に、俺は自覚した。ああ、本当の身体に行かなければ、と。
行ったところですぐ追い出されるのは目に見えてるが。
「すぐ行く!」
着替えようとしていた君の部屋から、俺は消えた。
ありがとう、そう伝え損ねた。だから待っていたよ、君が来るのを。
「さっき、ぶりだね」
必死で聞いてるのが伝わる。
「ひとつ、言い損ねたことが……ありがとう、俺と一緒にいてくれて」
そして、目を閉じた。
――隣に居る。
ずっと側にいる。
だから泣き止んで。
重ねた手は、透けていた。