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第五回 大政奉還までの流れ

幕府がアメリカと結んだ日米和親条約の片務的最恵国待遇とは!?

幕府の考えた挙国一致体制とは何なのか…

そしてその大きすぎる代償

時代は一気に加速する!!

幕府がアメリカと結んだ日米和親条約

一般的に教科書で取り上げられている内容は、

・下田、箱館港の開港

・駐日領事(大使ではない)を置くこと

の二点であろう

ちなみに、現在の日本に置かれているのは駐日大使であることから、当時の日本の扱いの雑さがわかるというものである


しかし、最後にもうひとつある

・片務的最恵国待遇

というものである

名前からわかるように、これは日本からアメリカに対して、一方的に良い扱いをするものであった


例えば、日本がオランダに対して優遇したとしよう

するとアメリカは、「オランダに優遇したんだからうちにもよろしくね」というわけである

しかし日本は、アメリカが他の国に優遇したからと言って「じゃあうちにも…」とは言えない、まさに一方通行の内容だったのだ


そしてそのあとに、駐日領事としてハリスが就任、通商条約を結ぶ事となるのである


次に、挙国一致体制とは何なのか…であるが、これはペリーの来航から始まった


ペリーが来航したときの老中は、阿部正弘、安政の改革を行った人である


彼はこの国の危機に対して、日本全てで対応しようとした

それが挙国一致である

具体的には、大名(雄藩)を政治に参画させ、その内容を朝廷に報告し、勅許を貰い、正当化しようとしたなのだ

結果的に、大名の発言力が高まり、あまつさえ不穏分子である朝廷の権威をあげてしまう事となったのである


この時に、500石以上の船の建造を禁止していた大船建造の禁が解除されたのである

幕府だけでは船の建造が間に合わない事を悟ったのであろう

また、藩所調所が設置され、翻訳業務を行った

他にも、西洋軍事を教える構武所や、海軍伝習所が長崎に出来た


しかし、このあとに阿部正弘は、朝廷に与する者として内部から突き上げられて、あえなく引退した


次に老内となったのは堀田正睦であるが、ハリスが求めてきた日米修好通商条約の調印に対する勅許を貰えなかったのだ


その時、大老である井伊直弼が動いた(大老は臨時の最高職)

彼は無勅許調印と、当時起こっていた将軍継嗣問題を無理矢理片付けたとである

まず、将軍継嗣問題であるが、これは13代将軍家定の妻に、島津家から有名な篤姫が嫁いだことから始まった

島津家は外様大名である

そんな家から将軍の妻が出ることが、譜代大名達は面白くなかったのである

なので、14代将軍を、徳川家茂にするか、一橋慶喜にするかで対立が起こったのである

家茂を推す譜代・旗本らを南紀派

慶喜を推す雄藩大名らを一橋派

と呼んだ

南紀派は、正当な、然るべき血筋から将軍を出すべきと、まだ幼かった家茂を将軍な位に据えようとした(操り人形にして、幕府の主導権を握ろうとした)

一橋派は、この国難の時代では、一橋公のような聡明な人物が将軍にはふさわしいと主張した


しかし、時の大老井伊直弼は、譜代大名井伊家の当主。つまりは南紀派のトップだったのだ

よって、大老である井伊が付いた南紀派が勝利し、14代将軍には徳川家茂が就任したのである


次に、日米修好通商条約の無勅許調印についてであるが、井伊直弼からすれば、

天皇から勅許を貰うなんてのは前の老中阿部正弘が勝手に始めたこと何だから俺はそんなの知らん

というわけである

その後、1858年に日米修好通商条約が結ばれ、1859年に通商がスタートしたのだ


さて、ここで、開港した場所の確認だが、

神奈川→横浜+下田閉鎖

(神奈川は交通の要所だった為に当時辺鄙な漁村だった横浜へ)

長崎

新潟

兵庫→ある出来事により1867年に勅許→神戸開港

ある出来事については後程…



さて、ついでに、日米和親!!と日米修好通商条約の弊害について記しておこう


国家は、その規模の大小に関わらず対等の対応が成されなければならない

これが、建前の条件であるが当時の日本は、関税自主権が欠如しており、関税は協定関税制となっていた


協定関税は、貿易の相手国と協議の末、関税を決定するという物だが、これが原因で後程黒字で始まった南蛮貿易が急激な赤字へと転落してしまうのである


何にしろ、この2つの条約を、アメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスの5ヵ国と結んだのだ

これを、安政の5ヵ国条約という(ドイツは入らない)



最後に、この時代の志士だが、響きはいい

が、結局は自分たちの不平不満を攘夷運動と尊皇論で自己正当化しただけのテロリストなのだ

現代ならば、政党が気にくわないから刀を持って襲撃するということなのだ


このあとに、批判勢力を井伊直弼が安政の大獄で弾圧し、その結果として桜田門外の変で死ぬ事となるのである


今回はここまでとさせて頂きます

次回にご期待くださいませ

次回、貿易と国内産業のダメージ


圧倒的な黒字で始まった南蛮貿易

しかし、直ぐに安価な外国製品の逆襲が始まる…

流出する金

日に日に苦しくなる生活

窮乏する幕府の現状!


こうご期待!!


読んでいただきありがとうございました

次回もよろしくお願いします

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