第二回 伊藤博文の過去と新撰組
伊藤博文は首相になる前は○○だった
新撰組の語られない事件と三人の末路
やらかしちゃったね慶喜くん
の三本でお送りします
皆さんは伊藤博文という人物の事はご存知だと思う
言わずと知れた日本の初代首相である
教科書では明治維新後の功績が沢山あげられている
これはもちろん事実だ
しかし、伊藤博文はまだ幕末と呼ばれる時代でなんと、高杉晋作らと共に建設途中のイギリス領事館を襲撃して燃やしているのである
分かりやすく言うと、伊藤博文はテロリストという訳である
つまり、日本の初代首相はテロリストと言うこととなる
しかし、当時は、
尊皇攘夷論が一般的であったので、伊藤らはよくやった!!と評価されるのだが…
さて、次は新撰組の語られない事件と三人の末路について語ろうかと思う
ます、世間一般の新撰組についての評価は、元が浪士の集まりで、京都守護職であった会津藩のお抱え組織であり、京都の治安維持(志士狩り)が主な仕事であり、戊辰戦争の折りには、最後まで幕府側で戦い抜いた誠の組織
などが一般的であろうか
もちろん間違いではない
が、そればかりではないのだ
一例を見てみると、戊辰戦争中に新撰組へ、甲府へと赴き、甲府を死守せよ。新政府軍を通すな
という命令を受けた事があった
結果は、甲府は陥落。新撰組の損害0となっている
なぜか?
理由は簡単、開戦に間に合わなかったのである
幕府側としてはしょせん浪士上がりの奴らだから使い潰してしまおうという思惑もあったのかもしれない
しかし、新撰組は、生き残った
原因は新撰組、彼らにある
彼らは甲府に向かう途中、新撰組の首脳三人らの生まれた故郷である村に立ち寄った
のだが、その際に、村人から盛大な歓迎をうけたのだ
もともとは村の鼻つまみ者であった近藤らだったが、今や近藤は奉禄一万石の高給取りである
更にこの当時、一万石から大名扱いされたのである
つまり、近藤は日本という封建的な社会の中で元農民から大名まで上り詰めた、いわば英雄であったのだ
そんな近藤率いる新撰組はその村でどんちゃん騒ぎをして数日過ごした
そして、気がつけばその数日のうちに甲府は陥落してしまっていたのである
新撰組もやはり人の集まりであったと言うことだろう
そして、首脳三人の末路であるが
沖田はご存知の通り肺結核で死亡
近藤は、会津方として戦争に参加していたが、包囲され降伏。近藤は捕らえられた
本来ならば大名、つまり武士扱いされる筈の近藤だったが、長州側の意向により切腹はさせて貰えず、犯罪者と同じように打ち首に処され、その首は晒された
それまで散々煮え湯を呑まされた長州側としては、近藤は許せるような相手ではなかったのだろう
そして、戊辰戦争最後の舞台である五稜郭まで落ち延びてきた土方であるが、彼の最後は、敵に撃ち取られたのでは無いようだ
何故ならば、土方の遺体に撃ち込まれていた銃弾は背中から飛び込んでいたため、味方に裏切られて死んだ可能性が高いとされている
何故、幕府側は五稜郭に逃げ込んだのか
それにはちゃんとした訳がある
戦争の形態が、刀を持って突撃し合う形態から銃や大砲を使用する近代戦争の形態に移行していたのが原因である
日本の城は、堀と迷路のような城内で守られている
が、大砲があれば、そんなものを無視して本丸に砲弾を叩き込む事が出来るのだ
役立たずとまでは言わないが、かなり弱体化してしまうのだ
その点五稜郭は、元が対ロシアの防衛拠点として建造されている
つまり、初めから近代戦を意識して建造されているのだ
星形をしているのは、つき出した五点それぞれの先端に砲台を設け、銃や大砲が最も効果を発揮するクロスファイア(十字砲火)を作り出す事ができるのだ
さらに、五点それぞれの間にも部隊を配置し、銃弾を敵に叩き込む事が出来るのだ
まさに(物資が保てば)鉄壁である
また、幕府側として最後まで戦い、降伏した榎本武昭は、幕府が勝つことは可能だと言った人物でもある
榎本は、一般的に弱いとされていた江戸城を使い、防衛線を構築しようとしていたのだ
作戦の概要としてば、敵の大軍は、数の問題から、東海道を通るはずだから、その東海道の宿場に狙いを定めて幕府軍艦で砲撃して、進軍を阻み、新政府軍の軍艦は、幕府が誇る最大級()当時 の軍艦海洋丸をもってして対処する
これで止めることは可能だと豪語した
この作戦がとられる事はなかったが
何故ならば、大阪城にいた十五代将軍、慶喜がやらかしたのである
榎本が、報告の為に大阪城に登城している隙をついて、慶喜は彼の側近、側室を連れて海洋丸を強奪
そのまま海洋丸で江戸城まで逃げ帰ってしまったのである
慶喜の為に戦っていた彼らにすれば信じられないような裏切りであった事だろう
しかも、大阪に取り残された旧幕府軍への命令は、部隊は解散。各自で江戸まで来るように
これだけである
一般兵たちからすれば、
「そういえばお偉いさん達の姿が見えねぇが…」
「何でももう江戸に帰っちまったって話だぞ」
「なん…だと…」
「しかも自力で江戸まで来るようにっちゅう事らしいよ」
「なにそれ酷い」
と言うことなのだ
こうして、慶喜の活躍(新政府側からすれば)によって旧幕府軍は、大幅な戦線の後退、榎本の作戦の頓挫をきたしてしまったのである
さて、今回はここまでとさせて貰いましょう
次回にご期待ください
では
読んでいただきありがとうございました
次回は、恐らく
天皇と明治新政府、教育の名残
となるかと思われます
これからも本書をよろしくお願いいたします
感想等頂けると嬉しいです
では、また次回でお会いしましょう