第1話
=「課長、ゴメン。まだそっちに行けそうにない」
「そんな……」
携帯から、少しだけ申し訳なさそうな司の声が聞こえた。思いもよらない彼からの返答に、私は軽く息を飲む。
=「仕事、ゼンゼン片付かないんだ。あのさ、今度……」
「もぉイイわよっ!」
Pi☆
言い掛けた言葉を遮って、私は一方的に司からの通話を切ってしまった。
なによ……『晩ご飯、久し振りに外でどう?』だなんて司の方から誘って来たクセに……私は自分の仕事を無理矢理途中で切り上げて、ずっとここで待っていたのに。
こんなのって……
胸に何かがこみ上げて、眼のまわりが熱くなった。思わず手にしていた携帯を、私は大きく頭上に振り上げる――
待ち合わせ場所だった全日空ホテルの泉の前で……ピンクの携帯を握って腕を大きく振り上げている、純白のショートコート姿の私を眼にした通りすがりの人達は、みんな一様に不思議そうな視線を投げ掛けて擦れ違って行く……
「……」
私はきまりが悪くなって、大きなため息と一緒に、振り上げていた腕を力無く下ろした。
* *
会社は重要な年度末である三月に入り、社内全体が多忙を極めていた。加えて人事異動が発表されて間も無く……自分の部署の業務どころか、社長である父の業務補佐も兼ねた事務処理に追われてしまった私は、普段よりも『沸点』がかなり低くなっていたみたいだった。
自分でも苛々しているのは判っている。勿論私の体調サイクルの『お月さま』も関係あるのかもだけど、本当は自分の業務と体調だけが『沸点』の低い理由じゃない。そんなのは毎年の事だもの。
男日照りの『干物女』と陰口を言われるくらい仕事一筋だったこの私が、今までと大きく違ってしまったのは、司が傍に居るからだ。
司は去年、私の部署に配属された新卒社員だった。入社式に寝坊して、遅れた分を取り返そうとしたのか、それとも走り屋の『血』が騒いでしまったのかは判らないけれど、遅出だった私の出勤途中に後方から思いっ切り煽りを入れてくれて、オマケに私のすぐ後ろで勝手に事故を遣らかして、勝手に病院送りになってくれたお騒がせ男。
だけど、まさかそのお騒がせ男が私の部署に配属予定が組まれていただなんて……正直考えたくも無かったし、関わりにはなりたくないわと本気で思ってしまったもの。
そんなお騒がせ男を部署に遣した人事課を、当時私は相当恨んでしまった。だって、聞けば司は入院して間も無く、長期家賃滞納で大家さんから見放され、一方的に賃貸契約を解除されていた事が発覚したと言うのだ。事前に耳にしていた悪い噂も、まさかと思いつつ気になって素行を調べてみれば、やっぱりの走り屋で、金銭処かオンナにだってだらしのない……とんでもない不良男だったんだもの。
でも次の人事が決まるまでの期間は私の『部下』なワケなのだし、問題大アリの司だけれど、私は嫌々仕方無く……それでも少しだけ心のどこかで浮かれている自分を自重しながら、司を『居候くん』にしてあげたのだ。
この一年で司は随分と成長して、『他人』だった同居人は私の中では『カレシ』的な位置関係になっていた……と、自分ではそう思う。だけど、同じ一つ屋根に住んで居ると言うのに、最近はお互いの業務に追われてずっと擦れ違いの生活だった。
遅くまで会社に残っている私を司は心配してくれるけれど、司だって夜中の一時頃まで外出していて、顔を合わせる事が出来るのは朝食の時くらい。最近の連絡は、専らメールでの遣り取りしか無かった。
だから、司から誘ってくれた時、私はとても嬉しかった。業務に追われて落ち込んでいた私の気持ちが、せっかく上向きになり掛けていたのに……