第1話:完璧な設計図の崩壊
「初投稿です。よろしくお願いします!」
放課後の図書室。ここだけが、俺が本当の意味で息をつける場所だ。
古い紙の匂い、ページをめくる静かな音。窓からは茜色の夕日が差し込んでいる。
隅っこにあるお気に入りの席に座り、誰にも邪魔されない時間の素晴らしさを噛みしめる。
少し伸びた黒髪が目にかかり, 眠気を誘う。俺は気だるげにまぶたをこすった。生まれつきの赤い瞳が、いつもの疲れを訴えている。
だが、その静寂は長くは続かなかった。
「りーーーんーーーたーーーろーーーっ!」
聞き慣れた絶叫が空気を切り裂く。
振り返る暇もなかった。背中に、柔らかくて、とてつもなく重い「何か」が猛スピードで激突した。
「ぐっ……!?」
衝撃で椅子が傾き、次の瞬間、俺は床に倒れ伏していた。幼馴染の体に押しつぶされる形で。
「葵……お前、『重力』って言葉を知ってるか?」
床に押し付けられた肩の痛みを感じながら、俺は呻いた。
「重力なんて弱者の言い訳だよ!」
水希葵は、俺たちの格好悪い体勢なんてお構いなしに、俺の背中の上で一枚の紙を振り回した。
「見てよ! 終わりだよ! 世界が滅びるレベルだよ!」
高めのポニーテールから零れた黒髪が、俺の顔をくすぐる。バレーボール部の練習帰りだろうか、制服姿でもしなやかで力強いアスリートの体格が伝ってくる。
俺は差し出された紙を睨んだ。
英語。100点満点中、20点。
「またか。葵、お前にしてはバカの自己ベスト更新だな」
「バカって言わないでよぉ! 助けてよ、倫太郎ぉ!」
俺はどうにか彼女の下から這い出し、制服の埃を払った。書類の件で職員室に寄るついでに, この歩く大惨事を救う方法があるか聞いてくると告げた。
職員室への道すがら、体育館の前を通る。
半開きのドアから中が見えた。そこに、彼女はいた。
上条奈々(かみじょう なな)。
バスケットボール部のエース。燃えるような赤髪がライトに照らされ、黄金色の瞳はゴールだけを見据えている。
鋭い切り返しからジャンプ。ボールは吸い込まれるようにネットを揺らした。
力強く、美しく、完璧。
だが、その顔に笑みはない。あるのは氷のような決意だけだ。
俺は首を振って歩みを速めた。職員室では、佐藤先生がいつもの「獲物を見つけた肉食獣」のような笑みで俺を迎えた。
「おや、荒木くん。また『婚約者』の葵ちゃんの苦情かい?」
「婚約者じゃありません。……彼女のテスト、どうにかなりませんか」
佐藤先生の目がすっと細くなった。
「荒木くん。断れない提案があるんだ。うちの学校には二つの問題児がいる。一人は君の葵ちゃん。もう一人はバスケ部の奈々ちゃんだ。二人ともスポーツは超一流だが、学力は絶望的……」
先生が身を乗り出し、いたずらっぽく囁く。
「今期末までに二人を引き上げられなかったら……君の大学への推薦状は書かない。そうなれば、東京の国立大への道は閉ざされる。さあ、『シャドウ・リーダー』。仕事の時間だよ?」
心臓が跳ねた。俺の平穏な一年計画が、音を立てて崩れ去った。
図書室に戻ると、葵が机に突っ伏して絶望のオーラを放っていた。
「……もう終わりだ。私のバレー人生はここで幕を閉じる。ロミオとジュリエットより悲劇的だよ……」
「お前、結末知らないだろ。机にヨダレを垂らすな」
俺が声をかけると、葵は勢いよく顔を上げた。
俺はため息をつき、佐藤先生との「悪魔の契約」の内容を短く伝えた。
すると、彼女の絶望は一瞬で消え去り、顔がぱあっと輝いた。
「えっ! じゃあ、倫太郎が正式に私の『専属執事兼家庭教師』ってこと!? あはは! さすが幼馴染、出世したね!」
「……お前のせいで俺の進学が人質に取られたんだぞ。少しは反省の色を見せろ」
屈託のない笑顔を見ていると、ふと昔のことを思い出す。
昔の俺は、今よりもずっと閉鎖的だった。休み時間はいつも図書室の隅で本を読んでいた。
そんな俺の「孤独の城」に、泥足で踏み込んできたのが、太陽のような笑顔の葵だった。
『ねえ、何読んでるの? 面白い? ねえ、答えてよ!』
『……放っておいてくれ』
『やだ! 一緒に帰ろう! お隣さんでしょ!』
あの日から、彼女は毎日俺を連れ出した。彼女がいなければ、俺は今でも暗い部屋で誰とも関わらずに過ごしていただろう。
「……ちょっと、倫太郎! またフリーズしてる! 幽体離脱?」
デコピンが正確に俺の額を捉えた。
「痛っ……ああ、戻ったよ。……分かったよ、葵。お前の赤点は俺がなんとかする」
「やったぁ! さすが私のヒーロー!」
葵が今にも抱きついてきそうになった、その時――。
図書室の空気が、不自然に熱を帯びた。
「……ここだったのね。貴方のお気に入りの場所は。荒木くん」
聞き覚えのある、凛とした声。
入り口には、練習を終えたばかりの奈々が立っていた。首にはタオルをかけ、額には汗のしずくが光っている。だが、体育館で見せた冷徹さはなく、唇には挑発的な笑みを浮かべていた。
「ハロー、荒木くん。……それと、バレー部の水希さん。お邪魔だったかしら?」
彼女は迷いのない足取りで俺たちのテーブルに歩み寄り、俺の瞳をじっと覗き込んだ。
「佐藤先生から聞いたわ。今日から私は貴方の管理下に入るんですって、倫太郎くん。……だから、精一杯『お世話』してちょうだいね?」
「ちょっと待ったぁ! 奈々さん、いつから呼び捨てにしてるの!? それに『お世話』って何よ!?」
葵が椅子をひっくり返して立ち上がり、二人の間に火花が散る。
二人のスター選手に挟まれた俺は、ただ天井を見上げた。
俺の平穏な日々は、完全に死んだ。
――ここから、俺の地獄が始まる。
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