第11話 選んだ代償
返答は、翌朝に行われた。
昨日と同じ部屋。
同じ机。
同じ男。
ヴェルナーは、静かに書類を整理していた。
「ご決断は」
顔を上げずに問う。
無駄のない言葉。
だが、その裏にはわずかな興味が含まれている。
リシェルは一歩進み、書類を差し出した。
「第三案を選択します」
港湾都市国家連合への移動。
その一文が、はっきりと記されている。
ヴェルナーの手が止まる。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「……理由を伺っても?」
確認ではなく、評価のための問い。
リシェルはそれを理解する。
だから、簡潔に答える。
「私の能力が、どこまで通用するかを確認するためです」
感情ではない。
目的の提示。
ヴェルナーは数秒、沈黙した。
その視線が、わずかに鋭くなる。
「……それは、合理的な判断とは言い難い」
「承知しています」
即答。
迷いはない。
「安全性、将来性、いずれの観点から見ても、他の選択肢の方が優れています」
「そうでしょうね」
淡々と返す。
その反応に、ヴェルナーの眉がわずかに動く。
「それでも?」
「それでも」
リシェルは言う。
短く、はっきりと。
「それが、私の選択です」
その言葉には、これまでにない重みがあった。
誰かのためでも、何かのためでもない。
ただ、自分で決めた。
それだけ。
ヴェルナーはしばらく彼女を見つめ、やがて小さく息を吐いた。
「……理解しました」
書類を受け取る。
形式としては、それで十分だった。
だが。
「一点、確認を」
ヴェルナーが続ける。
「この選択は、撤回できません。現地での支援も限定的です。場合によっては、あなたの立場を保証するものは何もない」
言葉は静かだが、内容は重い。
リシェルは頷く。
「承知しています」
「……それでも、ですか」
「ええ」
迷いなく答える。
ヴェルナーはそれ以上何も言わなかった。
ただ、書類に印を押す。
乾いた音が、部屋に響いた。
それは、決定の音だった。
「手続きは本日中に完了します。出発は明後日」
「理解しました」
短い会話。
だが、それで十分だった。
リシェルは礼を取り、部屋を出る。
廊下に出ると、空気が少し違って感じられた。
同じ場所。
同じ景色。
だが。
自分の中の何かが、変わっている。
——決めたからだ。
その事実が、感覚を変えている。
歩き出す。
足取りは、昨日までと同じ。
だが。
わずかにだけ、違っていた。
その時。
「……本当に、行くのか」
声がした。
振り向く。
そこに立っていたのは、カイルだった。
廊下の奥。
人目を避けるような位置。
リシェルは一瞬だけ状況を把握し、答える。
「ええ」
それだけ。
だが、その一言で十分だった。
カイルは数歩近づく。
その表情は、複雑だった。
「……危険だ」
「承知しています」
「環境も違う。君のやり方が通じるとは限らない」
「理解しています」
淡々と返す。
だが。
その応答に、以前のような“無機質さ”はなかった。
カイルはそれを感じ取り、言葉を選ぶ。
「……それでも?」
同じ問い。
だが今度は、確認ではない。
感情の混じった問い。
リシェルは、ほんのわずかだけ考え。
そして答える。
「それでも」
一拍。
「私は、選びましたから」
その言葉に、カイルは沈黙する。
何かを言おうとして、やめる。
あの夜と同じ。
未完の言葉。
だが今回は。
リシェルは、それを追わない。
必要がないから。
「……そうか」
カイルは小さく頷く。
そして、少しだけ視線を逸らした。
「……君らしいな」
その言葉の意味は、曖昧だった。
だが。
リシェルは、深く考えない。
「ありがとうございます」
形式的に返す。
それ以上でも、それ以下でもない。
短い沈黙。
やがてリシェルは、軽く頭を下げる。
「では、失礼いたします」
「ああ……」
カイルはそれを止めない。
ただ、見送る。
リシェルは背を向け、歩き出す。
振り返らない。
その必要がないことを、理解しているから。
だが。
数歩進んだところで。
ふと、足が止まりそうになる。
ほんの一瞬。
理由はわからない。
ただ。
何かが、引っかかった。
だが。
そのまま、歩き続ける。
止まらない。
振り返らない。
それが、今の選択だから。
そして。
その選択には、代償が伴う。
それを。
リシェルは、まだ完全には理解していなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
主人公が「選んだ」ことで、
世界との関係性が少しずつ変わり始めました。
そして今回、
元婚約者との関係も“断絶”ではなく“未完”のまま残っています。
この「未完」が、後の展開で重要になっていきます。
もしここまで読んで、
この物語の行く先が気になると感じていただけたら、
ブックマークや評価をいただけるととても励みになります。
次話では、いよいよ新たな舞台へと踏み出します。
ここから物語は大きく動き始めます。
引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。




