第10話 選ばされるのではなく
夜は、思考を深くする。
王宮の一室。
すでに多くの物が運び出されたその部屋は、どこか空虚で、音がよく響いた。
リシェルは机に向かい、三つの選択肢の書類を並べていた。
修道院。
実家。
他国。
それぞれに利点と欠点がある。
それぞれに、合理的な選択理由がある。
だが。
——どれも、決定打に欠ける。
リシェルは一つずつ、丁寧に検討する。
修道院。
安全。
外部からの干渉は少ない。
生活は保証される。
だが。
——終わる。
役割も、可能性も、そこで閉じる。
それは、選択というよりも“停止”だった。
次に、実家。
安定。
名誉は維持される。
将来的な再縁も可能。
だが。
——従属。
再び、誰かに選ばれる立場に戻る。
これまでと、何も変わらない。
そして、他国。
未知。
危険。
不確実。
だが同時に。
——自由。
リシェルはそこで、思考を止める。
自由。
その言葉は、これまでの人生で、あまり重要ではなかった。
必要とされなかった。
だが今。
その意味が、わずかに重みを持つ。
「……自由、とは」
小さく呟く。
それは、何を指すのか。
好きに生きることか。
義務から解放されることか。
それとも。
——自分で決めることか。
その時。
ふと、思い出す。
書庫での司書の言葉。
『言葉にされなかったものも、意味を持つことがあります』
そして。
カイルの言葉。
『ただ……』
未完の言葉。
選ばれなかった言葉。
もし。
あの時。
自分が何かを言っていたら。
何かを、問いかけていたら。
結果は、変わっていたのか。
——否。
リシェルはすぐにその仮説を否定する。
過去は変わらない。
重要なのは、今だ。
だが。
その思考の流れの中で、一つだけ、はっきりしたことがあった。
——私は、何も選んでいない。
これまでの人生。
すべては用意されていた。
教育も、立場も、未来も。
自分はそれを、正確にこなしてきただけ。
選んだことは、ほとんどない。
だから。
今、迷っている。
基準がないから。
リシェルはゆっくりと立ち上がる。
窓の前へ。
夜の王宮は静かで、遠くに灯りが揺れている。
その光を見つめながら、思考を整理する。
合理性だけでは、決められない。
ならば。
別の基準が必要だ。
自分の中に、まだ言語化されていない何か。
それを、探す。
「……私は」
言葉が、途切れる。
続かない。
だが。
完全に空白ではなかった。
ほんのわずかに、方向が見え始めている。
——私は、試したい。
その言葉が、ゆっくりと浮かぶ。
何を。
自分の価値を。
役割ではなく。
誰かに与えられたものではなく。
——自分で、どこまで通用するのか。
それを。
確かめたい。
その瞬間。
初めて、選択が“意味”を持つ。
修道院では、試せない。
実家でも、試せない。
ならば。
残るのは。
——一つだけ。
リシェルは、書類の一つを手に取る。
港湾都市国家連合。
未知の土地。
未知の価値観。
そして。
これまでの自分が、通用しない場所。
それを見つめる。
そして。
静かに、言葉にする。
「——私は、ここへ行く」
その声は、小さかった。
だが。
確かに、決意が込められていた。
それは。
これまでの彼女にはなかった種類の選択。
誰かに与えられたものではない。
自分で、選んだ道。
リシェルは書類を机に置く。
そして、深く息を吐く。
胸の奥に、わずかな高揚があった。
不安もある。
未知への恐れもある。
だが同時に。
——進んでいる。
その感覚が、確かにあった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
ついに主人公が「自分で選ぶ」という段階に入りました。
これまで“正しさ”で生きてきた彼女が、
初めて「意思」で決断した瞬間です。
ここが、この物語の一つの転換点になります。
もしこの決断に少しでも惹かれたら、
ブックマークや評価をいただけるととても励みになります。
次話では、この選択がどのように扱われるのか、
そして新たな舞台への動きが始まります。
引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。




