第3話 消えていくもの
膝が地面に触れる、その寸前。
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
――誰も、これ以上傷つかないでほしい。
ぼんやりと、浮かぶ。
誰が?
分からない。
でも。
それだけは。
「……だめ」
自分でも驚くほど小さな声だった。
だめ。
眠ったら。
この人も。
誰かも。
止められない。
霧が、一瞬揺れた。
ユメの表情が変わる。
「……え?」
私は何もできなかった。
攻撃もできない。
ただ、立っている。
眠気は消えない。
重い。
足も、頭も。
それでも。
立っている。
「どうして……」
ユメが一歩近づく。
霧が濃くなる。
記憶が、削られる。
名前が曖昧になる。
でも。
消えない。
私は言った。
「……やめて」
その瞬間。
世界が、止まった。
霧が凍る。
水面が波紋の形のまま固定される。
ユメの足が、前に出たまま動かない。
彼女は目を見開いた。
「……進めない」
怒りでも、恐怖でもない。
純粋な困惑。
「あなた、何をしたの」
私は何もしていない。
ただ、やめてほしいと思っただけ。
霧が、薄くなる。
ユメの肩が震える。
眠気が、彼女の方へ返っていく。
彼女の目が閉じかける。
「……そっか」
小さく笑う。
「あなたは……夢を必要としてないんだ」
私は答えられない。
分からない。
ただ、立っている。
ユメはゆっくり膝をついた。
「もう、いいや」
それは敗北宣言だった。
円壇が光る。
彼女の体が、淡く輝き始める。
体が、輝きが、散り散りに消えていく。
その前に、彼女は言った。
「ありがとう」
何に対してなのか、分からない。
彼女は光になり、消えた。
円壇に、私だけが残る。
静寂。
風は吹かない。
空は青い。
胸が、苦しい。
勝った。
でも。
私は何もしていない。
ただ。
立っていただけ。
足元の水面に、小さな波紋が広がる。
遠くで、微かに。
電子音のような音がした。
ピッ……ピッ……。
病室のモニター音。
一瞬だけ。
私は、空を見上げた。
「……まだ、終わらない」




