止まるな
足が重い。
呼吸が荒い。
見えない何かに絡め取られている。
分かっている。
このままでは削られる。
直線が潰される。
女は動かない。
ただ、立っている。
観察している。
(考えるな)
馬淵真人は拳を握る。
走れ。
止まるな。
それだけで生きてきた。
それだけで、ここまで来た。
なら、
それでいい。
深く息を吸う。
体の奥に熱が溜まる。
足に力を込める。
今までより強く。
今までより速く。
地面を蹴る。
水面が爆ぜる。
加速。
空気が裂ける。
さっきまでの重さが、一瞬置き去りになる。
女の目がわずかに動く。
(見えた)
女の視線が追いきれていない。
拘束が追いつかない。
なら、
速度を上げ続ける。
止まらないことが弱点なら、
止まらなければいい。
二度目の踏み込み。
三度目。
四度目。
直線の連続。
円壇を縦横に駆け抜ける。
絡みつく感覚が、振り切れる。
女の背後の影が揺れる。
一本目が乱れる。
二本目が薄くなる。
女が、半歩下がる。
初めてだ。
(効いてる)
拳を振るう。
今度は届く。
かすめる。
女の肩がわずかに揺れる。
表情は変わらない。
だが、
足元の水面が乱れる。
真人は止まらない。
突進。
突進。
突進。
円壇の中央を支配する。
速度が、場を壊す。
拘束の網を引き裂く。
女の呼吸がわずかに乱れる。
女は距離を取る。
一瞬、背後の影が三つに分かれかける。
だが、まだ完全ではない。
(押し切れる)
真人は確信する。
止まれないことは、弱点じゃない。
武器だ。
一気に間合いを詰める。
拳が腹部を捉える。
衝撃。
女の体が後方に滑る。
水面に大きな波紋。
初めて、女の足が踏み直される。
追い込んでいる。
確実に。
女の目が細くなる。
冷静なまま。
だが、
奥に何かが揺らぐ。
背後の影が、濃くなる。
細い首が、もう一本はっきり浮かび上がる。
空気が変わる。
だが、
今はまだ真人の領域だ。
息が荒い。
足は震えている。
それでも走る。
止まらない。
止まれない。
円壇の中央。
女は後退し、
真人が前に出る。
初めて、
戦況がひっくり返る。
「……止まりませんね」
女の声が静かに落ちる。
真人は答える。
「止まれないだけだ」
だが今は、
それで十分だった。




