終われなかった人
目を開けたとき、
そこは自室だった。
机。
本棚。
閉じたパソコン。
現実と変わらない。
だが、空気が違う。
静かすぎる。
蛇ノ目久美子は、しばらく動かない。
自分がどうなったのか、
考えようとしない。
考えなくても分かっているからだ。
窓の外を見る。
晴れ渡る空。
黒い円壇。
足元を囲む浅い水面。
見慣れないはずなのに、
違和感はない。
頭の奥に声が流れる。
──最後まで勝てば、願いが叶う。
──負ければ消える。
簡潔だ。
無駄がない。
彼女は小さく息を吐く。
「……そう」
驚きはない。
怒りもない。
ただ、
どこか納得している。
ここに来るだけの理由が、
自分の中にあったことを、
否定できない。
窓を開ける。
風は吹かない。
足が自然に動く。
拒否はできない。
部屋を出る。
一歩踏み出すと、
そこは黄泉前
黒曜石の円壇。
静止した川。
向こう岸の鳥居。
中央に、人影がある。
背筋が伸びている。
落ち着かない目。
今にも走り出しそうな気配。
男がこちらを見る。
「……あんたも、か」
声は低いが、焦りが滲む。
距離を取ったまま立つ。
視線を外さない。
「終わらせるつもりですか」
唐突な問い。
男は眉をひそめる。
「何をだ」
少しだけ目を伏せる。
「何かを」
それ以上は言わない。
自分の中にあるものを、
言語化しない。
したくない。
背後の空気が、わずかに揺れる。
細い影が、
ほんの一瞬だけ伸びる。
気づかない。
気づかないふりをしているのかもしれない。
男は拳を握る。
「終われないから、ここにいる」
その言葉に、
ほんのわずかに反応する。
感情ではない。
理解。
円壇の水面が二人を映す。
一人は前へ進み続けた人間。
一人は、何かを抱え続けた人間。
空は青い。
風はない。
戦いは、まだ始まっていない。
だが、
ここに来る理由は、
どちらにも確かにあった。
それだけは、疑いようがない。




