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捧ぐ僕等のアルカディア  作者: 麦畑ライ
第一章 風吹く大地へ
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1-2 初めての青空

 体の一部に魔力を集め、力や速度を強化する。それが、精霊として生まれながらも魔力の扱いが極端に不得意な雷花が使える、数少ない魔法のひとつ。身体強化魔法である。


 それ自体はこの世界において、ある程度戦ったり身を守ったりする必要がある者なら、誰でも使えると言っていいほどにありふれたもの。


 だが、彼女はそれすらも他人と同じようには使えない。本来なら肉体の強度も上げて、強化された使い方に適応できるようにするのだが、それができない。するとどうなるか。


「……っ、ぐぅ……っ!」


 凄まじい勢いで蓄積する疲労、無理な動かし方に耐えられず肉が千切れていく痛み。流れる血も雫となって後方へ散っていく。初歩的かつ有用なはずの魔法でも彼女にとっては負荷が重いので、緊急時を除いてこの魔法を使うことはない。その緊急時というのが、まさに今。


 左腕の疲労の原因、脇に抱えている風の精霊は追跡者の茨を切り刻む快挙を成し遂げたものの、それから呆然としたままで自分で走ることなどできそうにない。幼馴染みは安全を優先するように言ってくれたが、彼女を森から連れ出し保護することが目的なのだから、置いて行っては意味がない。


 ──そんなことをしてしまえば「あの方」を失望させてしまう。


 その恐怖が、痛みで止まってしまいそうな足を動かす。



 森の出口まで、二人で悠長に歩いて出ていく余裕があれば良かったのだが。


「そろそろヤバいよね……」


 雷花の右腕に紐で結び付けられた護符。それは彼女の幼馴染み兼相棒が自作し、対になる護符から遠隔で魔力を流し続けることで発動しているもので、周囲の瘴気の濃度を生存可能な程度まで下げる効果を持つ。しかしそんな便利な道具にも弱点はある。濃度が高い場所で使うほど使用可能時間が短くなってしまうのだ。


 この森での護符の使用可能時間は推定三十分弱。それを過ぎれば護符は負荷に耐えきれず焼け落ち、そうすれば彼女は瘴気にあてられ数分のうちに狂い死ぬだろう。

 来た道にかかったのが大体十三分。会話に一分、逃走中に茨の回避のため費やしたのが五分。普通のペースで出口を目指せば三十分を超過してしまう。こんな状況に陥った最大の原因である妖精もどき達のことを思い出して小さく舌打ちする。


 もう出口は視界に入っている。このまま走り抜ければ……そう思った矢先、右腕がちりりと痛む。ハッとしてそこを見やれば、護符が端から焼けつつあった。森の瘴気の濃度、そこから生じる負荷が、彼女の想定より重かったのである。


「しまった──」


 護符の効果が失せた瞬間、ぞわりと押し寄せるとてつもない嫌悪感。全身を小さな虫に這われているような、見るからに汚い泥水の中に全身を沈められるような気色悪さ。肌を目を鼻を耳を舌を、物を感じる全てを穢されるような感覚に膝をつき、喉奥から込み上げた胃液を吐き出すのを堪えながら呻く。視界は明滅しぐわんぐわんと揺れ、自分がどの方向を向いているのかすら曖昧になっていく。


「あっ、うあ゛……」


「だ、大丈夫? ねえ……」


 流石に異変に気付いたセリルが腕の中から抜け出し、苦しむ少女の背中を擦りながら不安そうに声をかける。

 心配されている、そのことは当然雷花にも伝わっている。しかし、瘴気に侵された精神はそれをまともに受け取ることができない。



 ──人、他人がいる。敵になるかもしれない。心配するふりで攻撃するつもりかもしれない。恐ろしい。その前に攻撃しなければ。殺さなければ。



 そんな被害妄想じみた思考が暴れまわり、あくまでも我が身を守るためにと上着の裏側へ手を伸ばす。しかしそこで戻ってきた正気が、短剣の柄に触れていた指を引っ込めさせる。


「は、はやく……早く出なきゃ……」


 強化魔法の反動と瘴気による不調で動かせそうにない足に力を込めることは諦め、匍匐前進で出口に近付く。

 出口、つまり入ってきたのと同じ歪な門は、真っ白い光を湛えてすぐそこに立っている。そこまでおよそ10m。たったそれだけの距離が、今はあまりにも遠く感じる。ついには腕にも力が入らなくなって、あともう少しのところで動けなくなってしまった。


「……!」


 その様子を見ていたセリルが、雷花の腕を引っ張ってなんとか出口へと連れていこうとする。

 しかしセリルの体格は人間でいえば7歳程度、対する雷花は15歳程度。魔力で身体能力を底上げする技術を身に付けていれば容易いことだが、ただ森でぼんやり生きていただけのセリルにそんな心得はなく、その発想すらもない。故にその力は見た目通り幼子のもので、細身とはいえ自分より大きな体を引き摺って動かすのは不可能であった。


 名前もまだ知らない、ついさっき出会ったばかりの相手。それでも助けてくれた。「力」を教えてくれた。そんな相手が今、目の前で苦しそうにしている。


 ──だから、今度は私が助けたい。


 「死」をまだ知らないセリルにとって、今の状況に対する理解はその程度であった。それで今は充分だった。


 淀んだ森の中に、再び風が吹き始める。緑の光を散らしながら、セリルは倒れたままだった雷花の上体を起こして抱き締め、右手を門へ向かって突き出し、初めて昂った感情のまま叫ぶ。


「押し出せ!!」


 声と共に突如勢いを増した緑の風が、二人の体を直撃した。セリルは目をギュッと瞑り、取り残してしまわないようにより一層腕に力を込める。やがて風で体が持ち上げられると、そのまま門の外へと二人まとめて押し出された。それを感覚だけで感じ取ったあと、ふっと意識を手放した。






「──い、おい!」


 最初に気付いたのは、つんと鼻につく草の匂い。それはあの森の中の匂いよりもずっと強く、うっすら開いた目には鮮やかな新緑が飛び込んでくる。それから少しして、誰か、聞いたことのない低い声が呼び掛けていることに気が付いた。


「……う、あ」

「……っ! 気付いたか!」


 カラカラに乾いて貼り付いた喉。そんな感覚は初めてで、セリルは小さく呻き声だけを漏らした。それでも呼び声の主はそれを聞き取ってくれたようで、横向きに寝そべっていた少女の顔を覗き込みながら安堵の溜め息を吐く。


 その顔を見たとき、セリルはただ単純に「きれい」だと思った。それ以上に、その人物の容姿を形容する語彙を持っていなかったからだ。


 色白の肌、結い上げられた白金のさらりとした長い髪。切れ長の目は紫がかった暗い紅色で、先端だけ少し尖った耳には銀色のイヤーカフが輝いている。

 十人に訊けば十人が美青年だと答える、いや、うち三人くらいは美女と答えるかもしれない。そんな青年がそこにいた。


 しかし今の状況もわからず、目の前の青年が誰だかもわからないセリルは何を言えばいいのかすらわからず、ただ目を泳がせた。


「アティス! その子目を覚ましたの!?」


 そんな彼女の耳に、聞き覚えのある声が届く。咄嗟にそちらを見たセリルだったが、その姿を見た瞬間目を見開く。


 茶髪の少女は草の上に横座りしていた。しかしその両足には白い包帯が足首から太ももまで巻かれ、赤い斑点がいくつも滲んでいた。


 「怪我」「包帯」「出血」……どれも、まだセリルの知らないものである。それでも、森の中での様子からして、それが良くない状態であることは察していた。

 見ているだけで不安になる、見るからに大丈夫ではない。しかしそんな相手にかけるべき言葉もまた知らない。森の中にそんなものは存在しなかったからだ。


 狼狽えるばかりのセリルを見かねて、雷花は肩を竦めて笑うと、手を差し伸べる。


「えへへ……痛いけど大丈夫。あなたもあたしも、生きてて良かった」


「生きてて、良かった……?」


 初めて聞く言葉。しかし、不思議と何か染み入るものがある。生きてて良かった、ただそれを数度繰り返すうちに、セリルは次第に落ち着きを取り戻していった。

 ほう、と息を吐くと、青々とした草の匂いを乗せた爽やかな風が頬を撫でる。頭上が太陽の光を受けて暖かく、いや、熱くなっていることに気付き、初めての感覚にセリルは空を見上げた。


 そうしてようやく気付く。あの森の中で見てきたものとは全く違う、力強く地上を照らす太陽に。どこまでも広く深い青空に。くすみのない緑の草原に。


 これまで狭くて不変な森の中で育ってきた、矮小で無知な風の精霊、セリル。そんな彼女を、広大で鮮やかで変化に満ちた世界は、ただ優しく吹き抜ける風で以て歓迎した。



 ──それはまるで、残忍で冷酷な本性を隠さんとするかのようだった。


 そう感じるようになるのは、まだ先の話である。

開幕ド遅筆で申し訳ありません。ここから少しずつ投稿ペースも話のテンポも上げていけたらなと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました!

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