1-1 始まりの風
初投稿です、どうか生暖かい目で見守ってやってください。
森の中でその少女は生まれ育った。親というものを知らず、他人に会うこともなく、森の中心の開けた場所にぽつんと建った白い家で一人眠って起きて、周囲を飛び回る光の玉──妖精と名乗る彼らと他愛のない話をして、辺りが暗くなったらまた眠る。ずっとそれを繰り返し、そのことに何の疑問も抱かなかった。
妖精達は言葉を彼女に与えた。
彼らは自由に飛び回り、集まってはやいのやいのと何かを話している。それを聞くことがなければ、たった一人で暮らす少女が言葉を覚えることはなかっただろう。その語彙は非常に乏しいものであるが、全くないよりは良いものである。
妖精達は知識を彼女に与えた。
かつて彼女が「自分は何なのか」と妖精に訊いたとき、彼らは答えた。
『お前は風の精霊、セリル・クローリスだ』
『メルディアの眷属で、ぼくらのお姫様』
彼女にとってはよく理解できない答えばかり。だがもっと詳しいことを訊くと決まってはぐらかされてしまう。はっきりわかるのは自分が「セリル・クローリス」という名前を持つということだけだった。だがそれだけでも彼女にとっては大きなことで、それからは「セリル」と呼んでもらうたびに喜んでいた。
深いことは何も知らない。森のことも、その外のことも。生が始まって今に至るまで、ずっと夢見心地のままなのだ。赤と青の個体を先頭にけたけたと笑い声を上げながら飛び回る妖精達を、セリルは毎日ぼうっと眺める。「今日も平和だね」と聞いただけの言葉を呟きながら。
森の木々の色はひどく色褪せたような薄い灰色で、それと対称的に鮮やかな青緑色を塗りたくったような空には太陽も雲も月も星もなく、ただ時間と共に明るくなったり暗くなったりを繰り返す。炭のように黒い土は乾ききっていて、生い茂る灰色の下草も簡単に引き抜けてしまう。それが異常であることも知らない。
無数の妖精達とただ一人の少女。それ以外に生命の気配はない。それもそのはず、生命を蝕む魔力──「瘴気」と呼ばれるものがとても濃く漂っているのだから、むしろ生きている者が存在している方が不思議なのだ。
ここが「帰らずの森」と呼ばれる悪名高い危険地帯であることを彼女が知るのは、少しだけ先のことである。
帰らずの森とは、どこか特定の地域に実在する森ではない。森本体は異空間に存在していて、入口だけが外に現れる。二百年ほど前に調査隊によってその事実が解明・周知されるまでに相当な数の人々が興味本意で入り、そのまま帰らぬ人となった。
さて、そんな場所だから普段は相当無知で不運な者しか入らないのだが、その日は違った。人間でいえば15歳前後の少女と18歳程度の青年、男女二人組が歪に組まれた小さな木の門の前に立っていた。灰色の木材でできたそれは、風が吹いたら倒れてしまいそうなほど粗雑な造りに見えても、実際は揺れすらしない。
何もない草原にポツンと建ったこの奇妙な門こそ、帰らずの森の入口なのである。
「へえ~、これが帰らずの森の門……こんなのがあちこち移動してるってホント?」
肩に届く程度の長さの茶髪を指先でいじりながら、先に口を開いたのは少女の方だった。空色に金の光が瞬く特徴的な目を輝かせ、隣の少年に話を振る。
「消えては現れ、また消えて……らしい。今回は預言のおかげで場所がわかっていたからいいが、そうでなかったらいつ発見できたか」
白金の長髪を結い上げた青年は、暗紅色の目を細めながら心底面倒臭そうにぼやき、門の上部へと目をやる。門の上部には石が六個埋め込まれており、左端の一つだけ白色で、あとの五個は無色透明となっている。過去の調査によればこれは森に入れる人数を示しており、白い石の数は毎回変わるのだが、その数しか森に入れないようになっているのだという。つまり今回入れるのは一人だけ。その事を確認して、眉間に皺が寄る。
青年は黒地に金の装飾が施された重たいローブの内側を探り、取り出した鈍色の小さな水晶玉を少女に手渡す。
「目的は帰らずの森の中にいる風の精霊の保護。森に入れるのは今回一人だけ。俺が外から補助するから、お前が森に入って対象を発見・保護したら共鳴晶を二回叩いてすぐ脱出してくれ」
そう言いながら青年は鈍色の水晶玉改め共鳴晶をもうひとつ懐から取り出し、指先でトントンと叩く。すると少女に渡した方の玉も同じように震える。動作に問題がないことを確認してから、少女は頷くと、首に巻いた黄色のマフラーを翻して門へと駆け寄る。門をくぐる直前にあっと一声上げて振り向き、茶色い革手袋を着けた手を元気良く振りながら笑う。
「いってきまーす! ちゃんと見守っててねアティス~!」
そう言って門に飛び込んだその瞬間、姿が見えなくなる。外部から中を覗くことは決してできない、そういうものなのだ。この帰らずの森は。
「……無事に帰ってこいよ、雷花」
アティスと呼ばれた青年は、一人残され共鳴晶をギュッと強く握り締め、幼馴染みの少女の無事を祈るのだった。
森の中では、来訪者を察知した妖精達がざわめき始める。
『誰か来たよ、どうしよっか』
『遊んでいい? 遊んでいい?』
『あそぶ! あそぼ!』
『雷の子! 雷の子だよ! 迎えに来たんだ!』
きゃあきゃあと好き勝手に騒ぎながらも、彼らが今すべきことはただひとつ。赤い光の玉が跳ねるように飛び回りながら他の妖精を制止し、くすりと笑った。
『まずはぼくらのお姫様に会わせなきゃ。ね?』
そうして、いつものように小屋のすぐ近くの木陰で微睡んでいたセリルの元へと妖精達が飛んできた。いつになく騒がしい様子に、彼女は首を傾げる。
「どうしたの、みんな。何か楽しいことでもあるの?」
『君にお客さんが来たよ』
『とうとうこの日が来た』
そう言われてもわからない。「お客さん」とは何か、それすら知らず不思議そうにしているセリルに対し、赤く輝く妖精は苛立ったように上下に揺れながら言葉を続ける。
『君に会いに来た人だよ。君は今日、この森を出ていくんだ』
「え? 森を、出る? なんで?」
『何でと言われても……いいから。君に荷物なんてないから、すぐにでも旅立てるよ』
それだけ言うと、赤い妖精は何処かへ飛んでいってしまった。説明不足でどこか忙しない様子の妖精達と「森を出る」ということに戸惑って、セリルは柔らかな草の上に座り込んだままだった。そんな彼女の耳に、離れた場所からこちらへとやって来る足音が届く。そんなことは初めてだった。何が起こるのかとただそちらをじっと見て、ただひたすらその時を待っていた。
そんなやり取りから遡ること十数分前、門をくぐった雷花は絶句した。毒々しいほど鮮やかでのっぺりとした青緑色の空、それと対称的に色彩を奪われたかのような生気のない草木、炭を擂り潰して敷き詰めたかのような土、そして周囲に漂うあまりにも濃い瘴気。幼馴染みに予め持たされていた手製の護符の力で辛うじて散らしてはいるが、それだってこんな場所では30分も持たないだろう。
一刻も早く目的の人物を連れてここを出なければ。意を決した彼女の耳に突然けたけたと笑い声が入ってきた。思わずそちらを見れば、そこにいたのは赤と青の妖精が一体ずつ。一見何の変哲もない存在である。
だが、それが恐ろしい。妖精とは空気中の魔力が濃い場所で自然発生する生命もどき。しかしここに満ちているのは瘴気、あらゆる生命の心身を害する性質を持った魔力である。
「瘴気から妖精は生じない」というのは、この世界における常識である。だからこんな場所に普通の妖精がいるはずがなく、眼前にいるものはもっと異質な何かなのだ。
そのことに気付いた雷花は、丈の短い上着の裏に隠していた短剣を構えて妖精達を睨む。しかし彼らはそれを意に介すこともなく、それどころか心底楽しそうに笑っている。
『血気盛んだね、雷の子。ぼくも是非遊びたいのだけど』
『まずはお前の目的、風の精霊に会わせてやる。そんな物はしまってついてこい』
「……何故それを」
『教える必要はない。いいから来い』
妖精は本来曖昧な自我のようなものしかなく、語彙力も低く会話も成り立たないことが多い。しかし彼らは明らかに明確な自我を持ち、会話というものを理解している様子である。明らかに知能が高い。ここでみだりに時間を浪費しては、護符の効果が切れ次第瘴気にあてられ、無意味に苦しみながら命を落とすだけ。そこまで考えた雷花は、しぶしぶ彼らに従うことにした。
薄暗い森の中には道などなく、どこもかしこも背の高い草や木の枝が行く手を阻む。しかしそれらはどれも容易く引きちぎったりへし折ったりできるほど脆い。素肌の出ているところに葉がチクチクと刺さるのを少しだけ気にしつつも、雷花は順調に進んでいく。そのまま十数分、奥へ奥へと分け入っていくと突然開けた場所に出て、そこで目に入った光景に思わず息を飲んだ。
そこにいたのは、草の上に座り込む美しく儚げな幼い少女。汚れも傷みもない真っ白なさらりとした髪は地面まで垂れるほど長く、ツンと少し尖った耳がその隙間から覗いている。健康的な赤みがほんのり差した白い肌の上に纏うのは、襟も袖もなく緑色の小さなリボンが胸元に付いただけの簡素な作りの、しかし真珠色の光沢が美しい純白のワンピース。白い睫毛に縁取られた目にはこの森の空の色と似て非なる、質の良い宝石のような青みのある緑色が宿っている。
白と緑で構成されたような、最早神聖さすら感じる少女の姿に、しばし目を奪われ立ち尽くした。それからハッとして本来の役目を思い出す。
「……は、初めまして。あなたは風の精霊?」
「あ、ひ、ひゃい」
黙っていれば輝くような美少女であったセリル。しかし彼女にとって妖精以外、つまり光の玉でない姿のものは見るのも話すのも初めてであり、焦った結果盛大に噛んでしまった。わたわたと狼狽える姿はただの人見知りの箱入り娘のようであり、雷花は苦笑した。
「アタシはあなたをここから連れ出さなきゃいけないの。ちゃんと説明したいけど、今は時間がないから……とにかくついて来てくれる?」
「え、その……ねえみんな、どうすればいいの?」
つい先程、森から出ていくように言われた。それでも実感が湧かない。どうすればいいのかわからなくて、周囲の妖精達に訊こうとする。彼らはセリルの生が始まったときからずっと身近にいた家族のようなもので、今まで大体のことは教えてくれた。だから今回も彼らに頼ろうとした。しかしそんな心細さに対し、妖精達はただけたけたと笑うだけ。
──いや、ただ笑うだけではない。その声はセリルが今まで耳にしたことのないものを含んでいた。
嘲笑。彼らはこの期に及んでも何もわからぬ少女を嘲笑っていたのだ。可哀想に、教えてやればよかったのに、などと嘯きながら。
悪意を露にした彼らに対し、雷花は再びナイフを構える。後ろ手で共鳴晶を二度叩いてからセリルを立たせて片手で抱き寄せ、いつでも逃げられるよう足に力を込める。
『美しくて無知で無垢で愚かなぼくらのお姫様! 旅立ちを祝おう! その生を呪おう!』
『雷の子よ、風の子を連れて森から出ろ。命を賭して我等から逃げてみせろ』
一際饒舌な赤と青の二体以外にも、森中から悪意に満ちた笑い声が聞こえる。瞬間、嫌な気配を察知して飛び退くと、それまで立っていた場所から鋭い棘がびっしり生えた茨が勢いよく伸び上がる。そこからまた枝分かれするように茨が自分の方に迫るのを見て、雷花はセリルを脇に抱えて駆け出した。
行く手を阻む草も細枝も妖精もどきも、右手の短剣とブーツの爪先に仕込んだ刃で弾き、切り捨てる。その間セリルはただ情けない声を漏らしながらされるがままに揺れているだけ。戦い方どころか走り方すら知らない彼女ははっきり言ってただのお荷物。それを抱えたままこの調子で逃げれば、出口に着く前に体力か護符の効果が切れてしまう。
故に、雷花はある種の賭けに出ることにした。抱えていた小さな体を斜め前方に放り投げ、太い枝の上へと跳躍する。背後から迫ってくる茨はあくまでも雷花を狙っているらしく、草の中に転がっていく無防備な存在は無視して上にいる獲物を追って伸び上がる。それを回避して枝から枝へと跳び移り続けながら、怯えて座り込んだまま見上げているセリルへと声を張り上げ叫ぶ。
「……っねえ! あなたの力でこれ切れない!?」
「どうやるの!?」
返ってきたのは内心頭を抱えたくなる問いであった。そこまで無知なことは普通まずないことだが……そこまで考えて、帰らずの森育ちの精霊という時点で普通なんてものは通用しないと思い直す。ここで必要なのは意味のない八つ当たりや諦めではなく、最後まで活路を見出だそうとすること。
「とにかく、『風よ吹け』とか『全部切れろ』とか! なんか考えながら……えいやって!」
「そ、そんな」
恐ろしく感覚頼りの大雑把な指示。だが精霊が咄嗟に使う魔法というものは大体そんなものなのだ。精霊の力の使い方は人間よりずっと感覚的なもの。だからこそ、誰かに詳しく教えられずとも必要に迫られればそれは開花する。
エメラルドの目が冷たく据わる。無意識に高まった魔力が、緑色の燐光となって周囲を舞う。その輝きを、木々の上で曲芸のように跳んで逃げ回る雷花も確かに見ていた。
「切り刻め」
脳裏にふと浮かんだ言葉。それをそのまま口にして、何となく両手を茨の方へと伸ばした。瞬間、指笛を高く吹き鳴らしたような音と共に、僅かに緑色を纏った風が鋭く吹き荒れる。それは標的をバラバラに切り刻むだけに飽き足らず、周囲の立木、背の高い茂み、さらには風に煽られ舞い上がった彼女自身の長い長い髪すら容赦なく切り裂き吹き飛ばしてようやく収まった。
「……お見事!」
烈風を避けて高く跳んでいた雷花が、称賛の声を上げながら数回転ののち着地する。対するセリルは今しがた自分が使った力に理解が追い付かず呆然としたまま、再び脇に抱え上げられた。
「ホントはこれ使いたくなかったんだけど……やらないと間に合わないか」
苦い呟きと共に、周囲に青白い燐光が漂う。パチ、パチと火花が散る音がして、雷花の足に青と金に光る枝分かれした模様が走る。
グッと力を込めて姿勢を低くしてから足を踏み込み、一閃。瞬きの間に、二人の姿は光を散らしてその場から消え、進行方向には全て薙ぎ倒された痕跡だけが残された。
その様子を、赤と青が眺めていた。
『……合格でいい?』
『いいだろう、上出来だ』
彼らが森の中で見守った風の精霊と、外から迎えに来た雷の精霊。二人の少女の力は、彼らにとっての基準を問題なく満たした。
一つ、風の精霊「セリル」を見守ること。
二つ、いずれ「雷の精霊」がセリルを迎えに来たとき、二人の力を試すこと。
この二つが、この森に住まう彼らに課せられた役目だった。遊んでいたのも事実だが、役目に忠実であったのもまた事実。
『それにしても、ずいぶん荒れちゃった』
『どうせ朝になればまた元通りだ』
変わることを忘れた場所。見せかけだけの時間が経ち、また元に戻る場所。この森が元々何であったかを知る者は、彼らの他には極少数のみ。
望みは今や届かぬ在りし日への回帰、或いは再開。それを成し得るのは、たった今送り出した希望の子。
『ぼくらのお姫様に期待しよう』
知らぬ間に期待を背負わされた『お姫様』セリルの旅は、ここから始まる。
一章は軽いチュートリアルとして短く、二章からが実質的な本編となる予定です。
投稿は不定期ですが、月一程度を目標として努力しますのでのんびりお付き合いください。
ここまで読んでくださりありがとうございました!




