聖女として七年の眠りから目覚めたら、私を嫌いと言ってきた婚約者がなぜか甘やかしてきます~皇帝陛下、無理をなさらないでください。私はお飾りの妻で結構です~
「お前なんか――お前なんか嫌いだ!」
最後に出会った時のあの人の言葉が、頭の中に反響する。
私よりも年下で、やせっぽちな王子様。
一人隠れるように書庫で本を読んでいる、末の王子様が――憎々しげに、私のことを睨みつけている姿。
「お前が聖女になったって、結婚なんてしてやらない! 僕はっ……僕はお前のことが、大嫌いなんだ!」
目に涙を浮かべた彼の言葉が、ちくりと胸に突き刺さっている。
「無事のお目覚め、何よりでございます……聖女様」
「……私、は――無事に試練を乗り越えたのですね」
「左様でございます。ざっと七年ほど眠り続けておられましたが、お加減はいかがですかな?」
白ひげを蓄えた神官の手を借りて体を起こすと、なんだかひどく肩が凝っていた。
ただ、言ってしまえばそれ以外の変化はない。喉が渇いているとか、お腹が減っているということもなかった。
(七年、か……随分眠っていたけど、『聖女の試練』ではこれが普通なのよね……)
私――エリエット・マーデルロ子爵令嬢は、この度新しい『聖女』に選ばれた。
たくさんの神々を戴く大陸の主教・カルマニア教の最高指導者として神託が下り、七年前から今日までずっと眠り続けていたのだ。
「外でレオンハルト陛下がお待ちでございます」
「……レオンハルト、さま?」
「えぇ。聖女様がお眠りの七年間で、イフブラッド帝国の皇帝になられたのですよ」
うげ、と声を出さなかったのは我ながらファインプレーだと思う。
――レオンハルト・ディ・イフブラッド。私の婚約者の名前で、今は一国の皇帝陛下だという。
柔らかなクッションに包まれた『静謐の柩』から外に出て、ひんやりとした廊下を歩きながら、記憶の中のレオンハルト様の姿を思い出す。
(レオンハルト様は、帝国の末王子……まさか皇帝になられるとは――)
カルマニア教の聖女は、通例としてイフブラッド帝国の皇帝と結婚しなければならない。
一応、以前は私の他にも聖女候補がいた。
そのため、一番聖女に選ばれる確率が高い女性から、皇太子、第二王子……とそれぞれ婚約をしていたのだが――最も聖女に選ばれる可能性が低かった私は、後ろ盾のない末王子のレオンハルトさまと婚約したのだ。
(まさか、その後で私が聖女に選ばれるとは……)
神託が下り、神々から「エリエットを聖女に」と言われてしまったのだから、この決定には誰も逆らえない。
当時十七歳だった私は、潔斎を終えて七年間の眠りについた。
――その直前、レオンハルトさまに「お前は嫌いだ」と吐き捨てられながら。
「レオンハルト様……は、その――いつ皇帝に即位されたのです」
「五年前でございます。ささ、こちらへ……詳細は皇帝陛下御本人からうかがうがよろしい」
ニコニコと笑う白ひげの神官に背を押され、建物から外に出る。
すると、そこには一人の男性が立っていた。
黒髪をきっちりと撫でつけ、逞しい体を軍服に包んでいる。腰に佩いた剣は、帝国に伝わる宝剣だろう。
――じり、と一歩後ずさった私は、目の前に立つ偉丈夫に声をかけた。
……しばらく話していなかったせいか、その声は無様に震えている。
「え、ぇと……レオンハルト様は、どちらに」
「目の前に立っているだろう。……久しいな、エリエット」
どく、と胸が低く鳴動したのはその時だ。
「うそ――だ、だって……」
だって、私が知っているレオンハルト様は……もっと、もっと小さかったはず。
背丈だって私より低かったし、体は木の枝のように細かった。年も私より三つ下の十四歳……七年経ったから、今は二十一だろうか。
いや、それにしても。
それにしたって――
(育ちすぎじゃない……?)
分厚い体は黒い軍服に包まれ、軽く締めあげられただけでも殺されてしまいそうだ。
肌の白さは相変わらずだったが、それが切れ長の目元と相まって余計に雰囲気が冷たく見える。
「……あれから七年も経ったのだぞ。変わらないのはお前だけだ」
「そ、そう……そう、ですかぁ。いえ……その、ご立派になられて……」
ややよれたドレスの裾をもってぺこりと頭を下げると、レオンハルト様は難しい顔で腕組みをして私を見下ろしていた。
(あぁ――やっぱり、嫌われてるんだなぁ)
お前など嫌いだ。結婚などしてやらない。
叫ぶように告げられたその言葉は、私にとって昨日の記憶のように鮮明だ。
(無理もないか……あの時、レオンハルト様は皇位継承権がないようなものだったし……)
年若く母親の地位が低いということで、レオンハルト様はいつも蔑ろにされていた。
私は何度か彼の話し相手になったことがあるが……あの時もほとんど会話はなかった。
ただ、どこかで彼の気に触れるようなことを言ってしまったのかもしれない。いつの間にか嫌われていた。
「皇帝陛下に即位されたと聞きました。……お、おめでとうございます」
「あぁ」
短く返事をしたレオンハルト様の顔立ちは精悍で美しい。
かつて感じていた幼さや頼りなさはみじんも感じられなかった。
「……王宮に向かうぞ。馬車を用意してある」
「王宮……ですか?」
「そうだ。早急に婚姻の儀を執り行う――聖女が目覚めたら、真っ先にやる仕事だろう」
低い声で告げられて、ハッとした。
そうだった。聖女の試練を終えた後は、皇帝陛下と婚儀を挙げなければならない。
「あの、レオンハルト様……」
「なんだ」
嫌われている相手とはいえ、これは聖女としての使命だ。
ぐっとお腹の辺りに力を入れた私は、極力明るい声と笑顔を作り上げた。
「私――いつでも離婚の準備はできておりますから!」
「……は?」
「白い結婚大賛成、三年後の離縁だろうが愛人を囲って後宮を作ろうが、これっぽっちも口出しいたしません! 離婚後はカルマニア教の施設で暮らしますが、そこでも悪口なんて言いませんのでご安心を――」
「なにを言っている」
どこで機嫌を損ねてしまったのか、ムッと視線に眉を寄せたレオンハルト様が、ため息交じりに佩き捨てる。
「俺はお前と離婚をする気はないぞ」
そう言って私の腰に手を回してきたレオンハルト様の横顔は、どこまでも不機嫌そうだった。
● ● ●
イフブラット帝国の王宮に連れてこられてから、三か月が経過した。
その間に婚儀を行い、久しぶりに両親と食事をし、眠っていた七年間のことをあれこれ聞いたのだが――。
(知らなかった……先の皇帝陛下が毒殺されたなんて……)
レオンハルト様の兄である第三王子が反乱を起こし、そのゴタゴタで王宮内で骨肉の争いが起こったらしい。
それはもう血なまぐさい内乱だったと侍女に教えてもらったが、私が一番驚いたのはその戦いの勝者がレオンハルト様だったことだ。
「陛下の英雄譚は、この国の人間なら子どもでも知っておりますとも!」
「へぇ……」
七年の間に、国は大きく変わった。
貴族の力は大きくそがれ、官吏や学者――平民出身でも能力の高いものは積極的に登用されているらしい。
「陛下は教育に力を入れられ、女性でも最高学府に入れるようになったんです! 奨学金も出るし、ウチの姉も教師をしているんですよ!」
侍女がニコニコしながら教えてくれた話を、興味深く聞く。
以前のこの国は、貴族の女性は早く嫁ぐことが美徳とされていた。学問を修めたければ、神に身を捧げてカルマニア教の修道院で働きながら学ばなければならなかったのだ。
「それもこれも、陛下のおかげです!」
「そう……」
多分、レオンハルト様は善政を敷いている。
それは彼女の口ぶりからよくわかることだったし、現に帝国は以前より明るくなったように思う。
(前は……お妃様ごとに派閥があって、出身の家同士でつぶし合いをしてたり……)
レオンハルト様のお母様も、その派閥争いで苦労を重ねて早くに亡くなった。
(どちらにせよ、民が安らいでいるっていうのはいいことだけど……)
子どもの頃に寂しい思いをした分、国を平らかにしようと決意したのだろうか。
国を大きく作り変えるのは大変だっただろうな、などと考えを巡らせていると、部屋のドアがガタガタと音をたてた。
その音が乱暴なノックだと気付いた侍女が扉を開けると、すぐさま小さな悲鳴が聞こえてくる。
「はい? どなたで――きゃっ……!」
「えっ、どうしたの!?」
まさか、侵入者――慌てて椅子から立ち上がると、扉のすぐそばにはレオンハルト様が立っていた。
「なっ……陛下? どうしてここに……」
「午後の時間が空いた。……甘いものを持ってきてくれ」
突然来訪したレオンハルト様は、驚きで目を丸くしている侍女にそう告げると、私の座っていた椅子のすぐ隣に腰を下ろした。
「は、はいっ! ただいまお持ちいたします!」
パタパタと慌ただしげに準備に向かった侍女を見送る私に、レオンハルト様がそっと顔を近づけてくる。
……迫力がある美形なだけに、顔が近づくと思わず背筋が伸びた。
「……エリエット」
「は、はい」
「ケーキが好きだろう。苺の……ゼリーで固めたやつが」
「……はい」
確かに好きだけど、どうして今その話をするんだろう。
そもそも好物の話を彼にしたことがあっただろうか。
「ミルクティーには蜂蜜をひとさじ。蜂蜜は林檎のものが好きだったはず」
「なんで知ってるんですか……?」
「……前に、飲んでいただろう。その、書庫で――好きなのかと聞いたら、そうだと言ったから」
そんなこと言ったっけ。
いや、言ったとしても、少なくとも七年以上前のことだ。それを覚えているなんて、随分と記憶力がいい人みたいだ。
「陛下って、マメな方ですね」
「別に……婚約者――いや、……妻の好物くらいは覚えておくだろう。それと」
相変わらず不機嫌そうな顔で鼻を鳴らした
そんな、言いにくいくらい「妻」と呼ぶのが嫌なのか……そう思うとちょっと悲しい。
「陛下ではなく、名前で呼べ。お前にはその権利がある」
「権利ですか……」
「義務であるとも言い換えられるな」
そう言われると、私に否ということは不可能だ。
じっとこちらを見つめ、瞬きもしない漆黒の瞳に気圧されて、上ずった声で彼の名を呼ぶ。
「レ――レオンハルト、さま」
「あぁ」
分厚い唇の端が持ち上がったかと思うと、肘置きの上にあった手をぎゅっと握りしめられた。
「ひわっ……!」
存外温かい――いや、熱い手のひらにすっぽりと左手を覆われて、奇妙な声が上がる。
「そう呼ばれる方がずっといい」
先ほどの不機嫌さはどこへやら、侍女たちの手で美しい苺のケーキが運ばれてくるまで、レオンハルト様は私の手をずっと握り続けていた。
● ● ●
――あれから。
私の部屋で一緒にお茶をしてから、レオンハルト様はちょっと変だ。
「国立最高学府の名誉理事長に、お前を推薦する声が上がっている。反対する理由はない。エリエットさえ問題がないのなら、話は通しておく」
「は……え、えぇ。その――別に異論はありませんけど」
寝室で眠る前の時間は、よく語り合うようになった。
とはいえ内容は色気のあるものではなく、主にこの国の政策や聖女としての動きについてだ。
(まぁ、会話がないよりずっといいけど)
「……あの、レオンハルト様」
「なんだ」
「そのぅ――いつも私の部屋でお休みになられていますけど、よろしいんですか?」
「皇帝が皇后の部屋で休んで何が悪い」
相変わらず不愛想な口調でそう告げるレオンハルト様に、ぽりぽりと頬を掻いた。
……もしかして彼は、自分が言ったことを忘れているんだろうか。
いや、それほど愚かな人じゃないのはわかっているけれど。
「嫌い、なんでしょう? 私のことが」
――これまで言うまいとしていた言葉が、いつの間にかぽろっと唇からこぼれ落ちていた。
「おっしゃっていたじゃないですか。七年前……私が、聖女としての試練を受ける前に」
目に大粒の涙をため、力強くこぶしを握り締めながら。
そこまで私のことが嫌いだったのか――まっすぐこちらを睨みつける表情は、忘れたくても忘れられない。
「覚えていたのか」
「わ、私にとっては、ほんの少し前の出来事です。私を嫌いだと――妻になどしたくないとおっしゃったのは、レオンハルト様じゃないですか……」
あれよあれよという間に話が進み、いつの間にか彼の妻になっていた。
けれど、実際のところ妻としての役割が果たせているとは言えない。
夫婦としての繋がりはないし、彼はほしいと思えば側妃を娶ることだってできる立場だ。
「嫌いな人間と一緒にいるよりは……あなたの好きな人をそばに置いてほしいと思っています」
「――イフブラットの皇帝は、聖女と結婚するのが通例だ」
「それは知っています。ただ、側妃を置くことだって……」
「好きでもない女をそばに置けと? それでは戦いが起こる。要らぬ血が流れ、民が苦しむことになるだろう」
大きな手が、いつかと同じように私の手を握ってきた。
漆黒の瞳がまっすぐこちらを射抜いてきて、思わず息が止まってしまう。
(しかも、なんでレオンハルト様がちょっと悲しそうなのよ……!)
近寄りがたい不機嫌そうな表情というより、ブスッとして何か言いたげな顔をしたレオンハルト様がじっとこちらを見つめてくる。
……なんだか、その表情を向けられていると自分が悪いことをした気分になる。
「エリエット」
「は、い」
「俺は……背が伸びただろう」
「え? え、ぇ……まぁ、はい。記憶の中のレオンハルト様と比べると、かなり……」
「体も鍛えた。お前の父に言われたように語学も治めたし、それなりに戦えるよう修練を積んだつもりだ」
それは流石に、見ればわかる。
今のレオンハルト様は筋骨隆々の偉丈夫という言葉がこれ以上なく当てはまっていた。
「……俺はまだ、お前の中では頼りない年下の少年なのか」
「え? ……それは――」
今のレオンハルト様は、眠っていた私よりも肉体的な年齢は上だろう。
神々の加護により、試練を受けている聖女候補の体は成長しない。私の肉体は未だ十七のまま――この国の法律で言えば成人しているが、彼と並ぶとやや幼く見えてしまう。
「今の、レオンハルト様は……とても頼りがいがある男性に、見えます。その、昔とかまるで違う……」
「そうか」
体の厚みなんて大体二倍くらいになっている。
素直に昔とは全然違うと答えると、彼は小さく息を吐いて私の体を抱き寄せた。
「ひぁっ……!」
「よかった。これだけ鍛錬を積んでもなお、お前には俺があの頃と同じように見えているのかと」
「レ、レレレレオンハルト様……!?」
ぎゅーっと強く、けれど痛くはない程度に加減して。
筋肉の檻というにふさわしいほど逞しい腕に閉じ込められた私は、とにかくパニックになっていた。
だって、彼は私が嫌いなはずだ。
涙を流し、お前は嫌いだと吐き捨てる程度に――多分、私のことを憎んでいたはず。
「は、離してくださいっ! あのっ、私言いましたよね!? 白い結婚でも何でも結構です、って――」
「あの時は、俺も必死だった」
「っ……」
ぎゅ、とさらに強く体を抱きしめながら、レオンハルト様が耳元で囁いてくる。
耳元をくすぐる声は低く心地いいが、いきなり抱きしめられるとそれどころではなくなってしまう。
「ひ……っ」
「兄上たちが殺し合っているのは知っていたし……聖女候補になれば命を狙われる。それに――もし、本当にお前が聖女に選ばれたら」
抱きしめる力が、どんどん強くなっていく。
破裂しそうなくらい強くなってきた鼓動に、顔がどんどん熱くなっていく。
「お前は皇太子だった兄上の妻になる。そうしたらお前の夢は……」
「わ、私の……夢……?」
震える息を吐きだしたレオンハルト様の言葉に、私も胸がギュッと押さえつけられるようだった。
「学者になりたいと言っていただろう。聖女として皇帝の妻になれば、学者にはなれない」
「そ、れは――えっ、ど、どこで聞いたんですか!? 私、レオンハルト様には……」
「お前が……書庫で、父親に言っていたのを聞いた」
父が書庫番をしていたということもあり、私はたびたび王宮にある書庫で勉強をさせてもらっていた。
聖女候補に選ばれてからも書庫での勉強は続けていたが――まさか、その時父に言ったことをレオンハルト様が覚えていたとは。
(あの時は、女性が学者になるなんて絶対に不可能って知って……それで、ショックを受けていたけど)
修道院で働くことになっても、生活のすべての時間を好きな学問に費やせるわけではない。
私はずっと、寒冷地でも育つ薬草を研究したいと思っていたのだが――その分野はどうやら、私が眠っていた七年の間に大きな進歩を遂げていたらしい。
「子爵令嬢だったお前が、皇族との婚約を破棄することはできない。それなら、俺が別れを切り出せば――」
「そ、それであんなことを言ったんですか?」
「……結果として、お前は聖女に選ばれてしまったがな。この決定は神々の決定……俺の力でも覆すことはできない」
すまない、と絞り出すように呟いたレオンハルト様が、ようやく戒めを解いてくれた。
はっと顔を上げると、彼の表情はどこまでも不安げだ。
まるで――そう、最後に会った日の、あの少年のままのような。
「私のことを考えて、結婚はしないとおっしゃったんですか?」
「結果として、お前が聖女として選ばれてしまった。……夢をかなえてやることはできなかったが」
心底悔しそうに目を伏せるレオンハルト様の手を、私はそっと握りしめた。
後ろ盾もなく、蔑ろにされていた末の王子様。
あの時の彼が選ぶことができた選択肢は、私のことを突き放すことだけだった。
「レオンハルト様が皇帝になって、女性でも学ぶことができるようになったって――私についている侍女が、嬉しそうに話していたんです。姉が教師をしているんだって」
「……そうか」
「教育の間口を広げてくださったおかげで、一般市民でも官吏に登用されいるんですよね」
長らくの慣習をたった五年で変えようとしたのは、きっと並々ならぬ努力があっただろう。
軋轢だってあっただろうし、彼自身が傷ついたこともたくさんあったかもしれない。
私が眠っていた七年――その間に、レオンハルト様は少しずつ傷つきながら色々なことを変えていてくれた。
――その根幹が自分に合ったのだと思うと、なんだか嬉しいを越して少し気恥ずかしくなってしまう。
「というか……私のことが、本当に嫌いだったわけじゃないんですね」
「嫌いになるものか。お前は……その、俺のことを無視したりしなかっただろう。小突いたり、嫌味を言ったりもしなかった」
他の女官や侍女たちのように、と付け加えられた言葉が、逞しい体からは考えられないほどに弱々しい。
私は思わずぐっと息を飲み、握りしめた指先に力を込めた。
彼はずっと――生まれてからずっと、そんな扱いを受け続けていたのだ。
「俺の婚約者になったせいで、俺と同じ思いを味わわせたくなかった」
心細さをにじませるその声に、胸が苦しくなった。
レオンハルト様がそれほどの決意をして私を突き放したことも、その中で何を考えていたのかも、なにも知らなかったからだ。
「……レオンハルト様」
「お前には少しでも、不自由を覚えてほしくなかった。……今でさえ」
握りあった手を引かれて、また二人の体が重なり合う。
今度は困惑することも、居心地の悪さを覚えることもない。
広い背中に手を回した私は、温かいその腕の中に体を委ねた。
「すまなかった。お前のことを――結果として、傷つけることになって」
そばにいてくれ、と囁かれた言葉にうなずくと、ゆっくりと唇が塞がれる。
胸の中に巣食っていた、棘のような痛みはもうどこにもない。
「ありがとうございます、レオンハルト様」
夫の体を抱きしめると、そっと寝台の上に押し倒される。
白い肌がにわかに赤らんでいるのに気が付いた私は、ほんの少しだけ彼に意趣返しをしたような気持ちになっていた。