第2章 9話 天照作戦始動
木星でのわずかながらも貴重な休暇を終え、第九艦隊の指揮官であるナナ=ルルフェンズ准将は、次なる作戦に向けてその歩みを再開した。すでに兵器開発部門を統括するカミル=デリヴァー少将から、都市防衛に特化した新型アンドロマキア、ヨワルテポストリの供与を受けており、加えて激戦が予想される火星への近衛兵団輸送のため、新旧の艦艇からなる増援艦隊がナナの麾下に集結していた。新たな人員の多くは土星や天王星、あるいはそれらの衛星出身者で構成されており、幸いにも露骨な差別意識を持つ者は見受けられなかった。
「早朝から集まってもらい、ご苦労。これより、火星への近衛兵団輸送作戦の概要を説明する」
ナナはジガルシア、ライカ、トラベス、そしてスガリ、リノを招集し、作戦会議を開いた。ホログラム投影機が映し出すのは、赤く染まった惑星、火星。その表面には、帝国の威信を象徴する巨大な工業都市、レインレールの姿が浮かび上がっていた。レインレールは、帝国が火星に築き上げた最大の工業都市であり、その周辺には、都市への原材料輸送、そしてそこで製造された最新鋭のアンドロマキアなどを木星本土へと輸送するための専用宇宙港が広大な面積を占めている。今回の戦役において、その宇宙港上空に存在する人口成層圏の脆弱な箇所は、先の第六艦隊にとって、まさに墓場と化した場所であった。
「まず、近衛兵団は予想通り帝国の最新型強襲揚陸艦であるノーチラスに搭乗する予定だ。だから我々の目的は本来であれば火星の人口成層圏の手前までノーチラスを輸送するだけで良い。そして、この作戦はそこまで難しいものではないだろう。反乱軍は明確に帝国軍との宇宙空間での戦闘を避けている」
その要因として考えられるのは、宇宙空間での戦闘においては、帝国艦隊司令部の練度と組織力に遠く及ばないと反乱軍が判断しているためであろう。加えて、反乱軍の運用する小型艦艇の多くが、現在、木星周辺の衛星群に対して散発的ながらも執拗な攻撃を仕掛けている。彼らの目的は木星本土への侵入であることは過去の戦争の歴史を見れば明らかであるため、既にシステムが書き換えられ、帝国軍の警察機を認識次第、自動的に砲撃を開始するよう設定された木星衛星群は、彼らにとって排除すべき障害なのだろう。しかし、その結果として、反乱軍は艦隊戦に投入できる戦力を大きく消耗させている可能性が高い。
「今回も、反乱軍はおそらく、火星本土における地上戦に主軸を置いた防衛戦略を採用するだろう。もちろん、帝国軍もその点を十分に想定しており、その対抗策として、近衛兵団という最高戦力を投入するに至ったと考えられる。リノ中尉、近衛兵団と反乱軍の火星防衛部隊との戦闘シミュレーションを投影願う」
ナナの命を受け、リノは事前に周到に準備されていた戦闘シミュレーションのデータをホログラムモニターに映し出した。現代において、帝国近衛兵団が実際に大規模な戦闘を行った記録を目撃した者は極めて少ない。仮に存在したとしても、その最後の戦闘は六十年以上も前の出来事であり、まだ若年のリノはもちろんのこと、現在の近衛兵団に所属する主力パイロットたちですら、実戦における彼らの能力を知る者は皆無に近いだろう。
「はい、これが近衛兵団と火星反乱軍防衛部隊との戦闘シミュレーションです。過去の戦例や両軍の兵力、装備などを基に、十五ほどの異なる戦闘パターンを想定し、解析を行いました」
リノが提示したシミュレーション映像は、近衛兵団が強襲揚陸艦から次々と火星のレインレールへと降下し、待ち構える反乱軍と激しい交戦を行う様子を、あたかも現実であるかのように克明に描き出していた。しかし、そのシミュレーションの結果は、いずれのパターンにおいても、驚くほど同じで、そして絶望的な結末を迎えていた。
圧倒的な物量と高度に訓練された練度を誇る近衛兵団は、反乱軍を文字通り蹂躙していった。たとえ帝国軍が最も苦戦を強いられると想定される、ヨワルテポストリのような都市防衛に特化した機体が警察組織に存在したとしても、その機体は数で勝る近衛兵団の前に次々と撃破されていく。そして、工業都市レインレールに暮らす工場従事者たちは、戦闘に巻き込まれ、そのほとんどが命を落とすという最悪の結末を迎えた。あまりに強力な部隊は、その絶大な力を制御しきれずに、都市そのものを破壊してしまう。工業団地としての性質上、反乱軍に所属する正規の軍人以外の戦死者は、絶対数としてはそこまで多くないとはいえ、それでもナナは、その犠牲者の数を数え上げることに耐えられなかった。もちろん、それは問題ではある。これを予想してもなお近衛兵団を投入する帝国の判断がナナにも読み切れない。
「ほとんどこれは、虐殺ですね」
ライカが素直にそう呟いた。その言葉は、ナナの心に深く突き刺さった。
「その通りだ。近衛兵団は、敵だけでなく、市民の命も顧みない。彼らにとって、反乱軍も市民も、帝国の敵であることに変わりはない。彼らは、皇帝陛下の意思を代行する者として、反乱の芽を徹底的に摘み取ろうとするだろう。そのためならば、火星を焦土にすることも厭わない」
ナナは、その声に冷静さを保ちつつも、明確な怒りの感情を滲ませながら語った。このシミュレーションは、帝国が自らの権威を維持するためならば、いかに甚大な犠牲を払うことを容認するかをまざまざと示していた。それは、彼女が目指す恒久的な平和とはあまりにもかけ離れた現実であった。また、ライカの指摘の通り、近衛兵団と反乱軍との戦闘は、もはや正規の戦闘とは呼べず、虐殺という表現がまさに相応しいものであった。民間人にまで被害を及ぼすこの行為を、本来ならば皇帝陛下の身辺警護を主たる任務とする近衛兵団が行うことは、帝国に対する反発心や、皇帝陛下への不信感をいたずらに増幅させるだけに過ぎないんじゃないか。
「評議会は、明らかに判断を誤った。この段階で近衛兵団を投入することは、政治的に見てあり得ない選択だ。人は、一般的に劣勢な側に同情を寄せるものであり、現状ではまだ反乱軍が不利であると見なされている。加えて、帝国第一艦隊は現在、太陽系の中心部を離れてはいるが、その存在自体が依然として健在であるため、帝国軍が全体的に優位であると判断されている」
ドクトリン=アルメフィア。彼の経歴をジガルシアが調査した結果、特段不審な点は見つからなかった。土星の出身者であり、土星には被差別階級の人間はいない。そのため、彼は若くして木星へ渡り、相応の教育を受けて帝国の官僚となり、金星の統治のために派遣された。その過程で、現地の人々が直面する苦難を目の当たりにし、蜂起に協力する道を選んだのだろう。しかし、ドクトリンがどこまで見通していたかは定かではないが、反乱軍は帝国と互角の戦いを繰り広げながらも、その動きは極めて巧妙であった。
帝国が依然として温存している戦力に加えて、近衛兵団という最高戦力までをも動員すれば、間違いなくそれに反感を抱く人々が現れるはずだ。それは、政治的な信条や主義主張といった理屈を超え、かわいそうだと感じるような、人間の根源的な感情によって引き起こされるものであり、人々の決断に多大な影響を及ぼす。
「この戦闘は、双方にとって不利益にしかならない。だからこそ、私たちがこの戦いを止めなければならない」
適度に両軍が消耗してくれるのであれば、ナナは構わないと考えていた。しかし、ナナが描く理想の構想は、あくまで帝国と反乱軍が共存し、和平が結ばれた世界であった。第六インターナショナルという革命的な思想が公表されたことで、その道はさらに困難なものとなった。それでも、やるしかない。ナナの視線の先には、その理想の世界しかなかった。
「……私たちに、できることはないのでしょうか?」
ライカが、苦しそうに呟いた。その問いに、ナナは静かに首を振る。
ライカが、苦悶の表情で呟いた。その問いに対し、ナナは静かに首を振る。
「いや、まだだ。希望は、まだ残されている。私たちは、このシミュレーションが示す悲劇的な結末を覆すために、カミル少将から託されたヨワルテポストリを最大限に活用する。近衛兵団がレインレールに到着する前に、私たちが降下し、市民を避難させる。そして、ヨワルテポストリの卓越した防御力とジャミングシステムを駆使し、近衛兵団の無軌道な暴走を食い止めるしかないわ」
その作戦のため、ナナは水爆にも耐えうるシェルターを用意させた。帝国としては、レインレールを占領し、最悪の場合は破壊してでも、その重要な工業地帯が警察組織に利用されることを避けたいと考えるだろう。その思惑を達成させるべく、ノーチラスを火星の成層圏付近まで接近させれば、ナナはより自由に動くことが許されるはずだ。
「皆、覚悟してほしい。この作戦は、単なる護衛任務ではない。我々は、火星の、そしてこの宇宙全体の未来を賭けて戦うのだ」
ナナの決意に満ちた言葉に、ジガルシア、ライカ、トラベス、スガリ、リノは、静謐な、しかし力強い頷きを返した。彼らの瞳には、もはや一切の迷いはなかった。彼らは、ナナという唯一無二の指揮官の下、一つの崇高な目標に向かって突き進むことを選択したのである。
ナナの言葉は、会議室にいた全員の心に深く響いた。それは単なる命令ではなく、彼女が描く未来への強い意志の表明だった。ジガルシアは、これまでの冷静沈着な表情を崩し、珍しく感情を露わにした。
「准将、作戦は理解しました。しかし、前回の作戦行動でも敵方にはこちらの行動が筒抜けでしたからおそらく今回のレインレール攻略作戦も見破られているでしょう。近衛兵団を止めつつ、こちらの動きを察している反乱軍に対してレインレールを攻略しながら平和的に解決することなどできるのでしょうか」
「問題は単純で、要は近衛兵団が出てくる前に私たちだけでレインレールを降伏させてしまえば、近衛兵団が戦う理由はなくなるわ。だからこそ、カミル少将に多少の無理は承知で頼んだものが準備された。後はここにいる全員が作戦を理解し、的確に動けば多くの人の命が救われるはずよ」
ナナは言葉を区切り、ジガルシアの目を真っ直ぐに見つめた。その言葉に、ジガルシアは納得したように頷いた。彼はナナの戦略的思考の深さを改めて認識し、彼女の決断に絶対的な信頼を寄せた。ライカは、先ほどまでの苦しげな表情は消え去り、力強い眼差しをナナに向けていた。
「特にレグルスを預かることになるジガルシアと、パイロットの指揮を執るライカ。二人の活躍が肝になるわ。トラベスは民間人の避難の誘導をするために動きなさい。私は最悪の場合を想定してヨワルテポストリに乗る。リノとスガリにも別の仕事を与えているからみんなのサポートをできるとは限らない」
「作戦の詳細は全て頭に入れました。ノーチラスのシステムと、ヨワルテポストリのジャミングシステム、そして火星の都市構造をすべて同期させ、最適な降下ポイントと避難経路を算出します」
皆がそれぞれの役割を再確認し、各自持ち場へと散っていく。会議室にはナナ一人だけが残された。彼女はホログラムに映し出された火星をじっと見つめ、静かに呟いた。
「シデン先生、いったいどこに……」
火星における作戦、これはあくまで月面攻略からの帰還中に立案した作戦だった。それに不備はないと考えてはういるが、それでも不安は残る。ナナが士官学校に在籍していた時、少なくとも同級生の間で彼女に敵う相手はいなかった。作戦立案能力も、体力や銃の扱いなどにおいても、アンドロマキアのパイロット技術においても。それでも、さすがに士官学校の教官たちには敵わない。彼ら彼女らがこちらの思考を理解しているというある意味で不利な状況であるとはいえ、ナナの攻撃作戦は奇襲攻撃を好むためにどうしても読まれれば効果が薄まる。
だからこそ、もしも火星に、レインレールにシデン=ロードロウ。その人が防衛責任者としていた場合にはナナの作戦が。帝国も反乱軍も出し抜いて平和的に解決をするための作戦が失敗する可能性があった。脆い作戦なのは間違いなく、それは戦力にも人員にも限りのあるナナにとって仕方のない事で、その中で最善は尽くした。
だが、戦争はそこまで甘いものではないということもナナは知っている。