第2章 8話 災厄
月での苛烈な任務を終え、木星への帰還を果たしたナナ、スガリ、リノの三人は、休む間もなく兵器開発を担う部署へと向かっていた。ジガルシアをはじめとする第九艦隊の面々には、出撃までのわずかな期間を休暇に充てるよう命じていた。それぞれが故郷の家族や、遠く離れた恋人、あるいは旧友との再会を楽しんでいるのだろうが、指揮官である彼女たちにその時間は与えられていない。
次の作戦は、ナナの予想通り、火星攻略作戦だった。目標地点は、火星の重化学工業地帯であるレインレール。帝国軍が使用する兵器の多くが開発・製造されている、戦略上、極めて重要な拠点だ。そこには反乱軍の主力戦力が注ぎ込まれており、厳しい戦いになるだろうとナナは考えていた。だからこそ、戦力の増強を願い、帝国にも反乱軍にも属さない中立派を自らの陣営に引き込むことで、少しでも多くの味方を増やそうと試みたが、そこまでは上手くいかなかった。だが、帝国が下した決断は、ナナの想像を遥かに上回る、最悪の選択だった。
「しかし、帝国が近衛師団の派遣を許可するとは思いませんでしたね」
リノは、ホログラムに映し出された作戦概要を見つめながら、淡々と呟いた。その言葉の奥には、拭いきれない不安が滲んでいた。
帝国近衛師団。それは、形式上は皇帝の身辺警護を主任務とする部隊だが、その実態は、皇帝の私兵であり、帝国軍全体の中でも最高峰の練度と装備を誇る。彼らが動員されるのは、これまで皇帝自身が直接指揮を執るか、あるいは帝国の存亡に関わるような事態にしか投入されることがないとされてきた。そして、帝国がそのような事態に陥ったことは、これまで歴史上、一度も無かったはずだ。
「さすがに焦りすぎじゃないか、近衛師団まで出すとは」
スガリが呟く。しかし、リノは冷静に現実を突きつけた。
「ですが、人口成層圏の穴を強引に突破できるとすれば、あの部隊しかありません」
ナナも、その部隊のことは噂程度にしか聞いたことが無かった。皇帝に対する絶対的な忠誠心と、最新鋭のアンドロマキアを扱う部隊としての比類なき実力。ドクトリンの演説や、ナナたちが木星へ帰還する最中にも木星周辺の衛星へと次々に攻撃をかけていた反乱軍の動きを考えると、帝国は一刻も早く反乱の鎮圧を終わらせなければならないと考えているのだろう。
「しかし、あんなものが現れれば、火星はぼろぼろにされますよ」
近衛師団の恐ろしさは、その強さだけでなく、その残虐さにあると聞く。彼ら彼女らは、帝国に対する忠誠心を高められるだけでなく、敵をあくまで敵と認識し、心を持った人間だと捉えないように教育されると聞いたことがある。なぜその事実を知っているかといえば、ナナもかつて、その部隊への誘いを受けたことがあるからだ。
「それより、もう着きました。ここからは下手な発言は慎んでくださいね」
リノの言葉に、ナナは身を引き締めた。三人が足を踏み入れたのは、兵器開発部門のトップ、カミル=デリヴァー少将の研究室だった。カミルは、三人の姿を認めると、驚きを隠せない様子で迎えた。彼の研究室は、本来ならば電子データで管理されるべき設計図や部品、試作中の兵器が所狭しと並べられ、紙の設計図が無造作に積み上げられていた。
「カミル=デリヴァー少将。先日は試作機フェノメノウを貸与していただき、ありがとうございます」
「いや、気にする必要はないですよ。私も上からの命令に従ったまでですから」
カミルの感情は読めない。その表情は、まるで仮面でもつけているかのようだ。
ナナは、本題を切り出した。
「次の作戦では、近衛兵を安全に輸送しなければならない。そのため、強固な防御力を持つアンドロマキアと、水爆にも耐えうるシェルターが必要だ。次の作戦のために、あなたに協力をお願いしたい」
カミルは、ナナの真剣な眼差しをじろじろと見つめた。それは、まるで嘘を見抜こうと試しているかのようだった。もちろん、ナナの言葉は嘘だ。近衛兵を派遣するということは、同時に強襲揚陸艦も用意されるはず。その中に近衛兵を乗せ、ナナたちの第九艦隊はあくまでその護衛を務めることになるだろう。火星本土での戦闘は、近衛兵団が行う。反乱軍がこちらの動きを完璧に読んでいたとしても、月の攻略を成功させたナナを相手に同じ手は通用しない。宇宙空間での艦隊戦になることはなく、どこからでも火星に踏み込めば、近衛兵が勝利する。帝国はそう考えている。
カミルは、ナナの嘘を承知の上で、静かに、そしてまるでナナを試すように答えた。
「それは、私が開発している新型機ヨワルテポストリで可能だ。それは、アンドロマキアの技術を応用した都市防衛に向いた新型アンドロマキアであり、その防御力はこれまでの兵器を遥かに凌駕する。まさか、無傷でフェノメノウの戦闘データをいただけるとは思っていませんでしたから、あなたに任せても大丈夫だろう。それに、この機体をどのように使うのか、純粋に興味がある」
「ヨワルテポストリ……それは、どういった機体なのですか?」
ナナは純粋な興味から、問いかけた。カミルは、その問いに待っていましたとばかりに口を開く。
「この機体は、まさに君の思想を具現化したものだ。都市防衛に特化しており、従来のアンドロマキアの技術に加えて、強力なエネルギーシールドと、敵の電子機器や連絡を無力化するジャミングシステムを搭載している。さらに、武装は最小限に抑え、敵を破壊するのではなく、無力化することを目的としている。機動性や攻撃力は大きく劣るが一対一で戦えば負けないだろう。将来的にはこの機体が警察機のスタンダードタイプになるだろう。もちろん、この反乱が帝国側の勝利に終われば」
ナナは、近衛兵の輸送という嘘を方便として、カミルに接触した。しかし、彼の開発しているヨワルテポストリは、彼女が心の奥底で願っていた兵器の概念と重なる部分があった。破壊ではなく、防衛。力による支配ではなく、人々の安全確保。
「しかし、カミル少将。なぜそのような機体を? 帝国の意向とは異なるのではありませんか」
スガリが、慎重な言葉を選びながら問いかけた。カミルは、僅かに自嘲気味に微笑んだ。
「帝国は、力こそが全てだと考えている。敵を徹底的に破壊し、恐怖によって支配する。それが彼らの信じる秩序だ。だが、私はそうではない。力は、人々を守るためにこそ使われるべきだ。無益な破壊は、何も生まない。このヨワルテポストリは、私のささやかな抵抗だと言えるかもしれない」
カミルの言葉には、兵器開発者としての矜持と、帝国に対する静かな反骨精神が滲んでいた。彼は、命令に従いながらも、自身の信念を捨ててはいなかった。
「この機体があれば、近衛師団の無軌道な破壊行動を抑制できるかもしれない」
「それは私も望むところです。少将の期待通りに運用することをここにお約束します」
カミルはなんだか嬉しそうだった。これは期待できるのではないだろうか。
「承知いたしました。ナナ准将。あなたのその覚悟、しかと見届けましょう。ヨワルテポストリの全てをあなたに託します。しかし、水爆用のシェルターというのは用意はできますがなぜ?」
スガリも同じ疑問を感じていた。戦力の増強がナナの目的なのは間違いなく、フェノメノウとヨワルテポストリ、さらにもう一機のアンドロマキア。艦隊の戦力としては心もとないが、順調にナナの活躍は認められている。軍の中では木星出身者以外からの注目を集め始めている。
順調に計画は進んでいるが、それでも対水爆用のシェルターの使用目的はわからなかった。
「俺もそれはどういう風に使うのか知らされていないぞ」
「え、あなたが使うのよ、スガリ。すぐにこの計算式を解いて、この衝撃に十分に耐えられるだけのシェルターを用意してもらって。計算は苦手だから、あなたに任せるわ」
ナナは事前に準備していたデータをカミルとスガリとリノに見せる。その反応は様々だった。リノとカミルは、驚きのあまりに笑ってしまい、スガリは驚きながら怯えていた。
「ははは、やはりあなたは天才だね。うちのスタッフも計算を手伝わせるよ。レプリカ!」
スガリはいずれ来る恐ろしい未来に落胆しながら、レプリカと呼ばれた女性に連れられてコンピュータに向かい演算を行うこととなった。
「キサナドゥ、君の推薦通りにナナ=ルルフェンズが火星攻略作戦の近衛兵団の輸送責任者だ」
「そうですか、それはどうも」
政府の最高決定機関、評議会。帝国の権力者九人が集まり、貴族院と国民院で決まらなかった事案を決定する、あるいは緊急を要する案件を裁くときにはこの評議会の招集がかけられる。普段はそこまで忙しく稼働しているわけではないが、戦争が始まってからわずか一ヶ月の間にキサナドゥは何度もこの場所へ足を運んでいた。権力者は基本的に年寄りばかりで、その中ではまだ若いキサナドゥとアールダイは自然と評議会が終わった後に話すことも多い。
「だが、今回の件は異例だ。近衛師団を動かすとはな。それも火星攻略のためだけに」
アールダイは、重い口調で語った。彼の視線の先には、先ほどまで議論されていたホログラムの作戦図が浮かんでいる。軍の作戦立案などに評議会が意見を出すことは基本的にはないが、近衛師団の投入は評議会での審議の後に陛下へとお伺いを立てる形になる。ただ、現陛下はあまり政治のことには興味がないため、評議会の決定が帝国全体を動かしている。
「ドクトリンの演説が、我々の想像以上に影響を与えています。このまま放置すれば、太陽系全体に反乱の火が燃え広がるでしょう。帝国は、一刻も早くこの火を消し止めなければならない。そのためには、最も確実な戦力である近衛師団を投入するしかない。これは、皇帝陛下ご自身の決断です」
「そういう言い回しが上手いな、お前は」
アールダイは何を考えているのかよくわからない男だ。優秀なのは間違いない。発言一つ一つに力があり、その声を聞いてしまう。そもそも、この評議会に名を連ねたのもエネルギー技術の開発においてアールダイの率いていた会社が新技術を開発したことにより莫大な財力を築き、その地位を利用したのかはわからないが、第三皇女のゲツレイ殿下を娶ったことでのし上がった。親からその立場を受け継いだだけのキサナドゥではどうしても叶わないところもある。
「しかし、あなたが協力をしてくれるとは思いませんでしたよ」
キサナドゥは自分自身がかなり恒星自治主義に傾倒しているという自覚はある。それに対して別に俯瞰して自分を見ることができるが、そこまで間違った考え方だとも思わない。お嬢様の楽観的な思想だと笑いたければそれでもいい。事実として歴史においてそういった思想は裕福な場所で生まれてきた。そして、恒星自治主義の中では密かにナナ=ルルフェンズの人気が高まりつつある。
被差別層からすれば、差別を受けながらも実力で帝国内で順調に出世した金星人のナナ。外からは見えない権力構造により、ナナが完全に実力で出世したとは言い難いが、あの実力は本物だ。月へ行かせるという作戦もキサナドゥは万が一を考えて止めさせたかったが、杞憂に終わった。
「別に俺は帝国がどうなろうとそこまで興味はない。むしろ、このままいけば帝国は間違いなく崩壊するだろう。戦うことしか知らない軍人は、いまだに火星に目を向けているのがその証左だ。お前だってそう思うだろう、キサナドゥ」
アールダイの言っていることはわからない。火星を攻略するのは自然な動きだと思っているし、それに対して近衛兵団の投入はやりすぎだが、考え方は間違っていない。しかし、アールダイは敵の狙いがわかっているのだろうか。ただ、どこか彼にはあなどられたくなくて威勢を張る。
「そうですね。ですが、ナナ=ルルフェンズならなんとかするでしょう」
キサナドゥだって馬鹿じゃない。ナナ=ルルフェンズに乗れば評議会で大きな権力を持つことも、ナナを説得して反乱軍に与することも可能だろう。反乱軍の言うことは正しいと思う、ただ自分の家の事も考えなければならない。道を間違えるわけにはいかないだろう。
「君はえらく彼女を信頼しているね。何か理由でもあるのかい?」
アールダイの問いかけに、何を答えるべきか考える。ここまで来た以上、ナナ=ルルフェンズ自体はどうでもいいが、その立場をどんどんとあげてもらわなければならない。彼女の影響力があれば、後は彼女が亡くなろうとも立場を引き継ぐことはできる。だからこそ根回しをして奇襲攻撃を得意とするナナに移動性能では最新鋭機のフェノメノウを渡した。
「愛しい義娘の姉を優遇するのは、当然の事でしょう?」
嘘は全てではなく、部分的につく。これが嘘の鉄則だとキサナドゥは知っていた。