第1章 3話 停泊なき航路
「ふぅ」
激しい音を立てながら、スガリたちがレグルスに戻って来た。わずか十五分ほどの交戦だったが、ただでさえ難しい航空戦を宇宙空間で行えば疲労がたまる。ベルトで固定していたとはいえ、無重力の空間で自分の身体を操り、その先に自分の乗る機体を操るというのは難しい。人は意外と自由なほうが何事においても動きは悪い。コックピットから体を抜け出すと、整備班に肩を貸されながらはい出した。
「ご帰還お疲れ様です。いやあ、しかし、あの迎撃は鮮やかでしたね!」
「ここからでも見えたのか?」
レグルスの前方で迎撃したと思っていたけれども、認識が確かではない。確実に敵機を撃ち落とすためにレーザーを放つ瞬間には周りへの注意を減らす。そこを上手いパイロットは周りを見ながら照準を合わせるらしいが、そんなことは今のスガリには無理だ。そのせいで、目の前の一等兵の言っていることが本当かもわからない。イオの大要塞での防衛戦ではスガリは主に対空砲の砲撃指示を担っていたために機体に乗って戦うのも久しぶりだ。
「スガリ、汗を拭いたら話があるのですぐに艦長室に来てください」
そんなことを考えていると、放送からリノの声が聞こえた。おそらくはこの後の行動についての話だろう。艦隊のメンテナンス班の判断次第だが、このまま進んだほうが良い気もする。既にスガリの頭の中では会話のシミュレーションが始まっていた。いや、それはこうして一等兵と話をするときもそうだ。ナナは戦闘の前に行った演説にて帝国からの造反行為を行うという可能性を示唆した。艦内の雰囲気は上々ではあるが、スガリ自身とナナ、リノの三人が何かを誤れば、それは瓦解してこの身がどうなるかはわからない。
「おやおや、スガリ曹長はお疲れなようで。ご苦労様です」
「トラベスか、相変わらずお前の声はうるさいな。特にその口調が」
ともに出撃していたパイロットたちもこちらへと向かってくる。休憩のための部屋の導線上にこちらがいるからだ。配慮なのか、スガリが最もその部屋に近くの場所にいつも機体を止めている。宇宙空間に馴染む青紫のコーティングがされた機体が光った気がした。すぐさまそれは、メンテナンス班のチェックを受けている。
「それより、あのナナ中佐、いやもう准将閣下か。あの話は本当なんですか?」
トラベスの問いに、スガリは思わず眉をひそめた。トラベスは、この艦の中でも特に口が軽く、感情が表に出やすい若手パイロットの一人だ。しかし、彼の問いかけは、他のクルーたちの沈黙の中で、多くの者が抱えているであろう疑問を代弁していた。スガリはちらりと周囲を見回す。整備士も、他のパイロットたちも、表面上は作業に集中しているように見せかけているが、その耳は明らかにスガリの返事を待っていた。
「もちろん、本当のことだ。そして、俺もナナについていくと決めている。だからと言って、お前たちにもそれを強制をしようとは思わない。できることならこの話を、そして今から起こることを軍の上層部に告げ口をしないでくれと頼むことくらいだな。軍を抜けるのも、転属願いを出すのも自由だ」
スガリはそう言い終えると、軽く息を吐き出した。ナナはこういうことを考えるのが苦手だが、リノは上手くやったようで、わずか十日ほどで既にほとんどの乗員の人心を掌握し終えている。もちろん、上官としてその命令に従うのは軍の内部であれば当然だが、その関係を利用して主に戦闘班と整備班以外には声を掛け終えている。
そして、スガリに任されたのがこの二つの班を帝国の側ではなく、ナナ=ルルフェンズの側につけることであり、そのやり方や、話し方というのはリノからも教わっていた。きっと、それは正しい事である。ナナの方針が間違っているとは思わないし、それに命を懸けると決めた。そして、このことが軍に露見すれば自分は間違いなく軍令裁判にかけられるだろう。だけど、リノのやり方は人の心の話なのに、人の心を介していないようで嫌いだった。
だから、スガリはできる限り、自分の言葉で話す事にした。
「そうですか、じゃあそれでいいや」
「それでいい? なんだその軽い返事は」
「俺達だって帝国には不満があるし、かといって反乱軍に手を貸す気にもならない。じゃあ、目の前にいるスガリさんについていくのがいいってだけですよ。平和とか正義とか考えるだけで面倒だ。代わりにスガリ曹長が考えてくれればいい。そんなことより、いいですねえ。あんなお二人がねぎらってくれて」
トラベスはにやけながら、スガリに肘で小突いてきた。その視線は、艦長室のある方向を意味ありげにちらりと向ける。他の乗員たちの顔を見ても、どうやら納得しているようだ。成功したのかとほっとする。人間関係を築くのはあまり得意ではないと思っていたが、上手くやれているらしい。
だから、トラベスが作ってくれたこの空気に乗ることにした。
「それは俺への嫌みか、それとも皮肉か?」
「いやいや、リノさんはもちろん。ナナさんもなんだかんだいってて美人じゃないですか。気は強いし子供っぽいけど、あんなに綺麗な青い目を見たことがない」
「お前、二人のどちらかを狙っているのか?」
純粋な興味としてスガリは聞いた。トラベスはなかなか良い奴だと思う。下品なところがあるから女にあまり人気はないだろうが、それでもこうして一緒にいて特に気を使わなくて良いというのはスガリのように何かしらの立場と責任を持つ人間にとってはすごく有難いことだった。まあ、ナナやリノを乗りこなせるとは思わないが。
「いやいや、そういうのじゃないですけど。スガリさんも男ならわかるでしょ。この戦争のいつ命を落とすかもわからない中。顔の綺麗な女二人とスガリさんが会議とはいえ部屋で三人きり。スガリさんは、そうだな。どちらかというとリノさんか……」
そこまで言ったところで、バシンと強い音が響いてトラベスの言葉が止まった。
「スガリさんはそういう人じゃないんです」
頭をバインダーで叩かれたトラベスが痛がっており、その隣を歩いてきたのはライカとペルトローネ。彼女たちもまだ余裕はありそうだ。機体の操縦にはかなりの体力を使うが、継戦時間を伸ばすためにナナから厳しい訓練を課された優秀なパイロットたち。ただ、ライカの綺麗な目元には少しだけ疲れが見えた。
「そういう人ってなんだよ」
「あなたみたいな下品な人じゃないってこと。さあ、スガリさん。行きましょう」
ライカがスガリの手を引いて、会議室の方向へと向かって飛んだ。もちろん、こんな艦には人口の重力を自動で発生させる装置など備えられていないからふわふわと浮いている。ライカはおそらく、気を使って会話から逃がしてくれたのだろうとスガリは思う。本当に良い子だ、女性観とか古い考えは持たないようにはしているが、すごくよく似合う。ライカは理想の女性にとても近い、それは文学の歴史が証明してる。
「ありがとう、ライカ。でも、ここまでで大丈夫だよ。君はゆっくり休んで」
「そうですか……。なら、最後に一言だけ」
「ん?」
「私もスガリ曹長についていきます。ついていかせてください」
ライカは、スガリの手を離すと、少し名残惜しそうにしながらも、その場に留まった。小さな体はぷかぷかと浮いているのが、少し幻想的に見える。スガリは彼女に軽く頷き、一人で艦長室へと向かっていく。通路は先ほどの激しい交戦とは打って変わって静かで、自身の疲れた呼吸音だけが響く。
わざわざ言うまでもなく。トラベスの話していたこと、その後半に大した意味がないことは知っている。娯楽があまりにも多様化した世界では、共通の話題はある意味では収束し、男の中では共通の知り合いである女の話になるのだろう。女の中ではどうかはしらないが、それは必然であると思えた。人類が、不完全な生物であるなら。
「あの二人は大変だぞ、トラベス」
そう言いながら、スガリは艦長室のドアに手をかざした。ナナも、リノもそれぞれがこの艦の責任者である残りの二人、そして戦友とも呼べる相手に隠し事をしているということだけをスガリは知っている。なぜ、それを隠すのかは知らない。ただ、今のままでこの戦争を乗り切るには、三人が分裂するよりも賢いと思えた。
「いらっしゃい、遅かったわね」
「ねぎらいの言葉もなく、戦闘を終えてきたパイロットにかける最初の言葉がそれかよ。もう少し、お前は戦術とか戦略よりも人の心を勉強した方がいいだろ」
軽口でそう言ったつもりだったが、ナナからクッションが投げつけられる。しかし、それは宙を漂うだけでスガリに三秒ほどしてからぶつかっても痛みも感じなかった。肌の表面をなぞるクッションのわずかな羊毛が少しだけくすぐったい。
「うるさいわね。とりあえず、今から話すのは戦略の話よ。ここで修理のために時間を費やすのは得策ではない、そうでしょ」
ナナの言うところの得策ではないというのは二つの意味がある。まずは帝国としてはいち早く月を解放したいというところ。もう一つは、帝国軍の編成が完了してしまえばここまでナナ達が自由に動けることもないだろう。情報なども管理されるに違いないため、大きく行動を制限される。なら、このタイミングで出来る限りの情報を集める。
「ですが、レグルスはともかく他の艦には少しではありますが損傷があります」
そうだったのかとスガリは驚いた。やはり、自分の視野が戦域では狭い。
「わかってる。でも、それを直している余裕は多分だけど無いと思う」
ナナはそう切り出すと、テーブル上のホログラムを起動させた。そこには、木星防衛圏の最新の戦況図が立体的に浮かび上がる。これもどこまで正確なものかはわからないが、木星衛星群から発信される情報は軍内では公開されているためそこそこ信じられる程度だろう。しかし、帝国軍の防衛ラインとして示された赤い線。その内側で先ほどの戦闘が行われていたことが帝国の戦力が想像以上に薄くなっていることが示されていた。どれほど反乱軍が力を残しているのかわからないが、時間はない。
「先ほどの敵機は、確かに偵察部隊だったでしょう。しかし、彼らは我々の防衛線を測っていただけではない。同時に、帝国軍の弱点も探っていた。たまたま我々とぶつかり迎撃できましたが、木星本土を攻めるためにも次々と部隊は出てくるはずです。もしもその部隊と接敵するようなことがあれば」
ナナの声には、いつも以上の緊張感が混じっていた。
「上層部は、反乱軍の戦力とそれがどう動くかを測りかねているから、軍の再編と情報統制を徹底している。そもそも和平を求める声と、戦争を求める声。どちらを欲しているのかわからないけど、まだ元帥に動きがないことがそれね。その結果、隊長クラスの下士官にも正確な情報があがらず、結果的に木星防衛ラインの穴が広がっているのが現状よ。私たちがここに留まって休息をとれば、その隙を敵に突かれる可能性がある。敵は本土攻撃を狙っているのは間違いない。帝国軍はソフィア幕僚長を必要としている」
これが帝国の軍だというのであれば、非常に問題ではあるが現在はそれを解消する方法はない。帝国の第一艦隊が戻ってくれば確実に帝国軍の総戦力が反乱軍を上回る。それは敵も味方も問わずに全員が理解しているために反乱軍はエウロパへと強襲をかけた。ソフィア幕僚長の下で木星防衛計画を再計画し、少なくとも第一艦隊が連絡を受けて帰還するまでの時間。その時間を耐えきれば帝国は確実な勝利を得ることができる。
そんな弱腰の帝国軍だからこそ、ナナ達が動かなければならない。それはあくまで軍事的な勝利の方法であり、帝国側からみれば間違いのない勝利の道筋。しかし、ナナの見立てではそのルートが最も多くの血が流れ、最終的には警察側の勝利に終わることになる。第一宇宙艦隊など、もはや何の役にも立たずに。
「じゃあ、どうするっていうんだ?」
スガリは問い返した。彼の頭の中では、次の行動のシミュレーションが既に始まっていた。この状況で、艦隊を動かす選択肢は限られている。近場の衛星に補給と修理のために停泊するというのも考えられたが、時間がかかる。
「このまま、月へ向かう。補給と次の戦闘で受けるであろう傷の本格的な修理は、月の基地で行うわ。破壊されていなければだけれども。あそこのほうがよほど設備も整っているはずよ」
ナナはホログラム上の月を指し示した。スガリは、その提案に一瞬だけだが眉をひそめた。月まで向かうには、まだ危険な宙域が残っている。疲労困憊のパイロットたちを休ませずに進むのは、リスクが高い。それに、更なる会敵で傷を負ったとしても修理できる場所があるかわからない。ここから月までに大型の星はない。
帝国軍としては、地球や金星に攻撃を加えるための前線基地として月を奪取しつつ、ソフィア幕僚長を救出するのが目的だ。しかし、このレグルス艦隊、そしてナナとしての今回の作戦の目的は月に反乱軍の本部が存在するであろう金星に対して直接の攻撃をかける基地を帝国に作らせる。現在は反乱軍はイオに対しての攻撃をいつでもかけることができるのに対し、反乱軍が火星などの宇宙港を制圧しているために木星本土から直接、金星に対して攻撃をかけることはできない。まずは、お互いに喉元に刃をつきつけさせる。そうすれば、戦争は停滞する。
ナナ自身が戦争を動かすことも止めることも、戦線の一つが大きな影響を持つようになる。今も、宇宙のどこかで誰かの命が散っている。平和を願うナナ達と、いまだに明確な声明を発表せずに手をこまねいている評議会と軍の上層部も、とりあえず月を奪取することに関しては同じ方向を見ている。ただ、急ぐ必要はある。
「スガリ達には申し訳ないけれども、ここで休むわけにはいかない。これは賭け」
「私は賛成ですよ。それに、この作戦はずいぶんと面白そうだ」
スガリはちらりとリノの声がするほうを見た。リノの声は相変わらず無機質だが、どこか楽しそうにも聞こえる。まるで、ナナの明るい未来を知っているかのように。それを物語のように楽しんでいる。その完璧な連携に、スガリは胸の奥に冷たいものが走るのを感じた。ナナのテーブルに広げられた一枚の紙には乱雑に書かれた作戦の概要が書かれていた。ナナ=ルルフェンズらしいと感じる作戦だ。想定の犠牲者数があまりにも少ない。
その予想によると、次の戦いは月の上になるのだろう。
「……わかった。パイロットたちの疲労は考慮すべきだろうが、この状況ではそれが最善だろうと思う。少しだけ俺たちは休ませてもらう。いいな」
スガリはそう答えた。言葉とは裏腹に、彼の心には、和平への希望と、そしてこれから始まるであろう苛烈な未来への覚悟が入り混じっていた。きっと厳しい道だ。だけど、やるしかない。自分に嘘をつかないためにも。
「もちろん、お疲れ様。ゆっくり休んでね」