第2章 20話 思想
「そうか、レインレールは落ちたか」
ダッカニア地区を抑えているルビア=ロスカから連絡が入った。金星の警察本部では、現在はドクトリンの部屋にシデン=ロードロウが訪れていた。部屋には静寂が満ちていた。ただ、ホログラムモニターに映る火星の戦場の映像が、わずかな光を放っている。モニターの向こうでは、ラズロの部隊が近衛兵団の猛攻を受け、次第に後退していく様子が映し出されていた。その内の数機がどんどんと反応を無くしていく。
「いやはや、これは恐ろしいですね。近衛兵団を封じ込める方法はもちろん、優秀なあなたなら準備をしているんでしょうが、それでも不安が残ります」
ドクトリンの懸念はもっともだった。実際に第六インターナショナルの最大戦力の一角であるオースティンを出撃させたが、近衛兵団のアンドロマキアとは交戦をしていない。この火星戦で実力を測るつもりではあったが、予想によるとおそらくは近衛兵団の一兵よりは強いが、そもそも戦闘組織として優れた近衛兵団を相手に一対一を作ることができるかどうかという話だ。だが、今回の戦闘はそれ以上のデータが得られた。
「ええ、問題ありません。近衛兵団を相手に十分な戦闘を見せてくれるでしょう。ナナ=ルルフェンズは」
シデンの言葉に、ドクトリンはわずかに眉をひそめた。ドクトリンは自分自身が戦争指揮官向きの人間ではないことを知っている。どちらかと言えば問題解決能力やその問題を分析する力が必要な指揮官よりも、目の前にいる人を説得する言葉を選ぶ力が高いと自分を分析している。
だから、その作戦行動の全てを元帝国軍の中将であるヴェルトラノウ=クレーバスに一任している。大局観を持つ彼は戦線全体を見ながらそれぞれに戦力を割り振る。だが、元々は帝国内でもかなりの実力を見せていた彼が、いくらナナ=ルルフェンズがアンタッチャブルな存在とはいえども二戦とも、しかも防衛側が有利とされる戦闘で基地を失っている。さすがに、戦地を知らないドクトリンでも怪しんでいた。
「ナナ=ルルフェンズですか。彼女は確か金星人でしたね」
ドクトリンの言葉に、シデンは静かに頷いた。
「ええ、金星出身です。元はダッカニアで発生したダッカニアの乱にて命を落としたハルタ=アマデウスの長女、今はルルフェンズ家に養子に入りその名跡を継いでいる。公的な書類などでは木星人の扱いではありますが、魂は金星のものでしょう」
ドクトリンは、シデンの言葉に静かに耳を傾けた。ハルタ=アマデウスの名は、ドクトリンの記憶にも残っている。彼は帝国から信頼された優秀な金星の政治家だった。帝国の支配圏の経済安定と発展により自治主義や平等主義の台頭を帝国は融和するために一部の惑星の政務官を建前上は木星外の出身者に選んでいた。その中で金星人でありながら火星のダッカニアの統治を任されたのがハルタだ。
さすがに惑星の出身者をそのままその惑星の統治につけることは許されなかったが、それで十分だと思われていた。だがそれも一時の慰めにしかすぎず、帝国や評議会の意志を代行するだけの惑星出身の統治者はむしろ裏切り者とみられ、その憎しみはより強くなっていった。
「魂は金星人、ということは我々の同志と考えても?」
「ええ、そうですよ。どちらにせよ、彼女の指揮する部隊を相手に敵う指揮官は第六インターナショナル内に置いても片手で数えられるほどしかなく、それにも充分な戦力を与えたうえです。しかし、我が軍においてもそんな余裕はない。ならば、ナナ=ルルフェンズの出てくる戦場は放棄したようには見せずに敵に占領させ、そのうえで帝国軍の一部を引っ張り出しつつ、彼女の地位を高めさせる」
ドクトリンは、シデンの言葉に静かに頷いた。彼の言葉の裏にある冷徹な戦略を、ドクトリンは完璧に理解していた。余程、自信があるのだろう。シデンの口元から笑みが零れ落ちている。まあ、実際に彼の言うとおりになっている。いまだに木星に潜んでいる同士たちからの情報によると、ナナ=ルルフェンズの存在感は日に日に高まっているようだ。それに、容姿が麗しく、女性であることもいい。まさに戦場の女神として、革命の象徴として建てるにふさわしい。ドクトリンは自分自身ではその役目では足りなくはないが、十分ではないと考えている。もっと、相応しい人がいる中でナナは理想的な属性を備えている。
「彼女が、この戦争の鍵となるでしょう。その部下たちにも優秀な人材が揃っている」
スガリ=アナスタシア、リノ=セルヴェリオ、カブラキ=ジガルシア。この三人も能力は年齢にしてはずば抜けている。まだ完全ではないナナ=ルルフェンズにこれらの優秀な部下がついているというのも魅力的だ。どうやってこちらに引き込むのか、シデンという人たらしなら上手くやるんだろう。
「そうですか。それはお会いできるのが楽しみだ。お任せしますよ」
ドクトリンの言葉を背中で聞いたシデンは、部屋を後にする。次の戦闘ではいよいよナナ=ルルフェンズと戦うことになる。生きたままあの少女を捕らえ、会話をする機会を持てればいい。そうすればあとはなし崩し的に帝国第九艦隊はこちら側につく。まだ、帝国の暗い部分を知らない理想主義者、まだ幼い彼ら彼女らに真実を伝えるだけで充分だ。次はどこに派遣されるかは関係なく、艦隊で戦えばいい。艦隊での戦いを教えたのも、シデン自身だ。ひっそりと戦争は彼の思いのままに進んでいる。
ラズロが目を覚ますと、そこは医務室のようだった。全身を包帯で巻かれ、体の自由は効かない。視界に入ったのは、彼の前に立つ帝国軍人の姿だった。見た目は二十代の前半も前半で、まだまだ若々しい。
「目が覚めたようですね。拘束をさせていただいていますが、ご安心ください。あなたの命までは奪いません」
「お前は何者だ?」
別に死んでもいいと覚悟をしていたから、せめてみっともない姿は誰にも見せないようにと強い言葉を使う。しかし、相手は何も感じていないようだった。眉一つも動かないのが不気味さを感じる。
ラズロが目を覚ますと、そこは医務室のようだった。全身を包帯で巻かれ、体の自由は効かない。視界に入ったのは、彼の前に立つ帝国軍人の姿だった。見た目は二十代の前半も前半で、まだまだ若々しい。
「目が覚めたようですね。拘束をさせていただいていますが、ご安心ください。あなたの命までは奪いません」
「お前は何者だ?」
別に死んでもいいと覚悟をしていたから、せめてみっともない姿は誰にも見せないようにと強い言葉を使う。しかし、相手は何も感じていないようだった。眉一つも動かないのが不気味さを感じる。
「申し遅れました。私は帝国軍伍長カブラキ=ジガルシアと申します。第六インターナショナルのラズロ=グリフ司令官、あなたハクライ=カムイミンタラ大尉の乗るアンドロマキアへ勇敢に攻撃をかけられ、捕らえられた。あなた方は、我々があなたの部下を拿捕する際に、逃走する見方機を援護するべく、全力を以て我々に抗いました。その結果、あなたのアンドロマキアは壊滅しましたが、我々はその奮闘を評価し、帝国軍人として丁重に扱わせていただきたく存じます」
ジガルシアの長々とした、感情の全くこもっていない言葉に、ラズロはわずかに眉をひそめた。ジガルシアは、まるで教科書を読み上げるかのように、淡々と事実を述べている。彼の言葉は、ラズロの心を揺さぶることはなかった。
「話が長いな、伍長。それで、俺をどうするつもりだ?」
ラズロは、静かに言った。彼の表情には、依然として敗北の悔しさや、自らの身を案じる様子は一切見られない。ただ、冷静に現状を分析しているだけだった。
「ご安心ください。あなたの身柄は、我々が保証します。どちらにせよ、前回の火星攻防戦であなた方が捕らえられた我が軍の将校の身柄と交換になるかと思いますが、それまでは我々の下でしっかりとした生活をさせることを保障します。それが、ナナ准将の意志ですから」
以前の戦いでもそうだったが、今回の戦いでもやはり見事だった。反乱軍の戦力はほとんどが壊滅し、帝国の近衛兵団も現在はナナ=ルルフェンズの指揮を代行するリノ=セルヴェリオの下にある。そして、帝国第九艦隊はこれ以上の戦闘の継続を望んでいない。ほとんど戦闘は集結しており、結果は帝国軍の勝利だった。
「そのナナ准将は、今どこに?」
しかし、被害や懸念点が残らなかったわけではない。まず、明らかに詭弁とリノの話術で抑え込んだだけだが、中将が亡くなっているのはそれは、ただの戦死ではなかった。中将は、敵機に撃破されたものではなく、内部から避難民に殺害された。誰もがナナ=ルルフェンズの仕組んだことだと察していたが、口に出す者はいない。
現場はそれで済んだが、果たして木星に戻るとどうなるのか。
「准将閣下は今も、本艦の指揮を取られていますよ」
これは嘘だ。ナナ准将は今は厳重に警備された部屋に拘束されている。感情が暴走状態にある彼女を抑えることは簡単ではなく、その部屋はアンドロマキアのコックピットを模して作られた特殊な空間だった。
外部との接触は一切遮断され、リノ、スガリ、ジガルシア自身といったごく一部の人間だけが彼女に面会を許されている。ジガルシアの言葉は、ラズロに不安を覚えさせないための嘘だ。これから引き込もうとしている相手に、上官に対して不信感を抱かせるのは得策ではない。
「そこでラズロ司令官。あなたに提案があります」
提案という言葉に、ラズロはわかりやすく訝しんだ表情を見せる。ジガルシアは、その表情を冷静に見つめながら言葉を続けた。簡単な指示ではないが、これがナナ准将が暴走する前に指示したことだというのであれば、ジガルシアには成し遂げなければならないものであった。
「私と共に、ナナ准将に使えませんか? あなたが帝国に対して不信感を抱いているというのは完璧にではありませんが、少しは理解しているつもりです。私だって、帝国に対して思うところがないわけではない」
金星出身のジガルシアも、かなり暗い過去を持っていた。それは思い出すだけでも彼女の口元をわずかに歪ませた。ラズロのことは調べて木星時代のことはわかっている。本当は自分のほうがよほど辛い経験をしているのではないかと思うが、それは出さないように気を付けながら話す。
「なら、どうして帝国軍にいる? 木星人のスガリ=アナスタシアはともかく、お前たちはほとんどが金星の出身であるはずだ。それなら、第六インターナショナルに与すればいい。お前たちの実力ならきっと帝国を打倒し、差別のない平等な宇宙を創ることに貢献できるぞ」
ラズロの問いかけに、ジガルシアは静かに答えた。ラズロの言葉には、彼女の心を揺さぶるような感情は一切含まれていなかった。ただ、既に知っている事実を淡々と述べるだけである。差別という言葉に苦しめられたが、全ての集められる情報を集めたうえで、ジガルシアは現在は帝国軍にいるべきだと判断した。そして、それは言葉にも表れている。
「私は確かに帝国軍人ですが、別に皇帝陛下に仕えているわけでも、エンデヴァー元帥に仕えているわけでもありませんよ。私の主はただ一人で、ナナ=ルルフェンズ一人です。もう一度、言います。確かに差別のない宇宙を創るためには第六インターナショナルが帝国を打倒することが近道でしょう。ですが、それよりももっと良い方法がある。ナナ=ルルフェンズを立てた新秩序を設立するべきだと私は考えます」
ジガルシアの言葉には、ナナへの絶対的な忠誠心と、ナナの理想への深い理解が滲み出ていた。彼女は、ラズロの心を読み取るかのように、言葉を続けた。
「第六インターナショナルにも、差別を本気でなくしたいと考える人もいれば、自分たちが木星人中心の政治を打倒し、金星人を始めとした被差別層の政治を行おうとする人もいるでしょう。どれほどの準備が行われた上での蜂起かは存じ上げないが、とても四つの惑星がまとまるとは思えない。いずれ、対立を生んでその身を滅ぼすでしょう」
ラズロには実際に、ジガルシアが言うことを考えたことがあった。現在、第六インターナショナル勢力圏が存在するのは水星、地球、金星とそれらの衛星、そして火星の一部である。その人口はゆうに三百億を数え、帝国の支配戦略によりそれらの人々の中でも社会的立場の分断を産もうと様々な施策が取られている。ドクトリンの演説という希望により現在はまとまっているが、崩壊する可能性はあった。
「なら、お前たちはどうするんだ」
その言葉を待っていましたと、ジガルシアは一言で説明を終える。
「私たちはあなた方のような平等主義者ではない。そのようなものは、人が作れるわけではないと考えているから。だけど、自由は保証できる。恒星自治主義。この考え方こそが宇宙に平穏をもたらすものだと信じているわ」




