旅立ち その9
その後、シュナンは、消耗した肉体を回復させるために、しばし、メデューサの館にとどまりました。
魔獣との戦闘の際には、身体の骨も何か所か、損傷を受けており、それを治療する必要もありました。
シュナンはもちろん、治癒魔法が使えたのですが、やはり身体を元の状態に戻すのには、しばらく安静にする必要があったのです。
ベッドで横たわるシュナンが、自らを魔法で治療する間、メデューサは、彼のいる部屋に食事を運ぶなど、身の回りの世話をしていました。
メデューサは、最初は仕方なくといった感じで、彼に接していたのですが、身の回りの面倒をみているうちに、徐々にシュナン少年と、親しくなっていきました。
彼女は幼少の頃から、この山で、今は亡き母親と二人で暮らしており、親しい友人と呼べる相手は、一人もいませんでした。
まして、人間の友達となれば、なおさらです。
メデューサは、ベッドに横たわっているシュナンの側に座り、日に何時間も、彼と話しました。
自分の魔眼を気にせずに、他人と接する事が出来たのは、彼女にとって、初めての経験でした。
メデューサの、とりとめのないお喋りを、ベッドの上のシュナンは、優しい笑みを浮かべて、聞いてくれました。
もっとも、彼の顔の上半分は、目隠しで隠されていたので、その表情の真意は、つかみにくかったのですが。
シュナンは、一方的に話を聞くだけでなく、色々な話をメデューサにしてくれました。
自分たちがやって来た、大きな都の様子や、師匠の杖と旅をしている間に経験した、様々な出来事をー。
たまに、部屋の隅に立てかけられた杖が、口を挟む事もありました。
しかし、何故かメデューサは、その杖が二人の会話に割り込むと、少しだけ不機嫌になりました。
シュナンはメデューサに、いままで経験した色々な事を語りましたが、師匠の弟子になる前、自分の育った村の事については、どうしてだか口が重くなりました。
シュナンの悲惨な村での生活を、師匠の杖から聞いて、少しだけ知っていたメデューサは、恐らく彼は、つらい時期を、思い出したくないのだろうと考えました。
しかし同時に、彼女の頭に、一つの疑問が浮かびます。
シュナンは、飢えに苦しむ人間たちの為に、メデューサ族の、かつての都にあるという、「黄金の種」を手に入れたいと、彼女に語りました。
その為に自分は、師匠の杖と共に長い旅をして、こうしてメデューサにも、会いに来たのだと。
だけど、彼が救いたい人間たちの中には、もちろん彼をいじめ抜いて、深く傷つけた、かつて住んでいた村の人々も含まれています。
シュナンが、なぜ自分を迫害し苦しめた連中を、助けようとするのか、メデューサには理解できませんでした。
シュナンの身体につけられた、無数のあざや傷の事を思い出すと、メデューサの心は、怒りと憎しみでいっぱいになりました。
そうー。
いつのまにかメデューサは、この遠くからやって来た、盲目の奇妙な魔法使いの少年に、心惹かれていたのです。
メデューサは、シュナンと話している時に、一度聞いた事がありました。
何故、つらい旅を、続けるのか。
もしかしたら、自分を苦しめた人間たちを、見返したいのではないのかと。
シュナンはベッドの上で、少し考え込んでいましたが、やがて彼女に答えました。
自分にも、良くわからないと。
でもきっと、旅の終わりには、その理由がわかる気がするとー。
その時にはメデューサは、彼の言葉に納得できませんでしたが、ずっと後になってメデューサは、シュナン自身の口から、旅の真の目的と、彼が胸に秘めた思いを聞く事になります。
そしてそれは、シュナン少年の死の、直前の出来事だったのです。
かくして、シュナンは、傷ついた身体を癒す為に、メデューサの看護を受けながら、彼女の館で養生していましたが、やがて彼の肉体は、徐々に回復していきました。
彼は、ベッドから立ち上がれるようになり、天気の良い日には、屋敷の中庭で、杖を持ち、散歩する事もありました。
彼の世話をしていたメデューサは、その回復を、とても嬉しく思いました。
しかし一方で、シュナンが元気になれば、恐らく、この屋敷を出て、旅を続けるのだろうとも考えて、とても悲しくなりました。
そうなればメデューサは、またこの古ぼけた砦で、ひとりぼっちになってしまいます。
それほどまでにメデューサの心の中で、シュナンという少年の存在は、大きくなっていたのです。
もちろん、シュナンの誘いに乗って、一緒に旅に出る道もあったのですが。
幼い頃から母親と二人で、この魔の山で暮らし、周辺の村々の人間からは、恐怖と憎悪の対象として見られていたメデューサにとって、外の世界に旅立つのは、とても勇気のいる事だったのです。
でも、このままシュナンと別れる事になれば、自分は、一生後悔するかもしれない。
そう思い悩みつつ、メデューサは、シュナンの介護を続けていたのでした。
そんな、ある日の事です。
メデューサは、その日の朝も、シュナンが寝ている部屋に、朝食を差し入れに行ったのです。
ところがシュナンが居るはずの、その部屋には、誰もおらず、彼が寝ているはずのベッドは、もぬけの殻でした。
最初、メデューサは、彼がまた中庭で、散歩でもしているのかと思いました。
しかしよく見ると、シュナンの師匠である、魔法の杖の姿もなく、彼が羽織っていたマントや、その身に付けていた、荷物の入った袋なども、見あたりません。
そうー。
つまりシュナンは、身の回りの物をすべて持って、その部屋から、いなくなっていたのです。
そして再び、長い探索の旅へと、出立したのでした。
メデューサを砦に、一人残したままでー。
思わず、朝食の乗った銀の大皿を、ぎゅっと握りしめるメデューサ。
彼女は、しばし呆然となって、ガランとした部屋にたたずんでいましたが、やがて、その部屋の柱の一部が、光っているのに気づきました。
メデューサが、その柱の側に近づいて見ると、そこには、魔法で描かれた、光る文字が、煌々と浮かび上がっていました。
そこには、こう書かれていましたー。
タルク アビィーナ ダルス
(汝の人生の旅が、美しくあらん事を)
蛇の髪の下に隠れた魔眼を、涙でうるませて、その魔法文字を見つめるメデューサ。
自分以外には誰もいない、寂しい部屋で、ただ一人立つ彼女が見つめる、そのぼやけた文字は、やがて窓から差し込む、きらめく朝日の中に溶け込んで、スーッと消えていきました。
[続く]