邪神モーロックの都 その53
「家獣」に乗って旅立ったシュナン一行は、その不思議な生き物の上に建てられた、家の中には入らず、家の周りを木の柵で区切った、魔獣の背中にできたベランダみたいな場所から、遠ざかるモーロックの都の姿を見つめていました。
魔獣の背に建てられた、家を囲む柵の近くに並んで、今は邪神から解放された、その都の城壁を、遠くから見つめるシュナン一行。
だんだんと遠くなって行く、その街の全景を、魔獣の背の上から、万感の思いで見ていたシュナンたちですが、やがて、杖を持って柵の前に立つシュナンに対して、隣にいるメデューサが、もじもじしながら声をかけました。
「シュナン、テトラたちに約束したように、いつかまたこの場所に戻って来ましょうね・・・。旅の目的を果たした、その後に」
シュナンは、その目隠しをした顔を、隣に立つメデューサの方に向けると、力強くうなずきながら、彼女に答えます。
「そうだね、メデューサ。必ず二人で、この場所にまた来よう。いつの日か、きっと」
フードの奥からかいま見える、蛇の前髪に覆われた顔に笑みを浮かべ、うれしそうにうなずき返す、メデューサ。
しかしそんな風に親しげに、互いの顔を見合わせる、二人の甘い雰囲気に水を差すように、またしてもレダが、横槍を入れてきます。
二人と同じく魔獣の背の上で、柵の前に立っていたレダは、甘えるように、隣にいるシュナン少年の片腕に、自分の両腕をからめます。
柵の前で、シュナン少年の右隣りに立つレダは、反対側の左隣りで、彼に寄り添うメデューサに見せびらかすように、顔を赤くした少年に腕をからめ、積極的にアピールします。
「わたしも是非、またあの街に行きたいわ。わたしの故郷の村からも遠くないし、村のみんなと一緒に遊びに行くのもいいわね。でもわたしはやっぱり、シュナンと二人っきりで来たいわ。そうね・・・たとえば、新婚旅行とか・・・」
レダの言葉を聞いたメデューサは、頭にかむったマントのフードの奥で、蛇の前髪の下に隠れたその眉を、ピクリとヒクつかせます。
そして、どこか不満を押し殺したような声で、言いました。
「ちょっとレダ、やめてよ。シュナンと最初に約束したのは、私なんだから。横入りする様な真似は、しないで。第一、シュナンとわたしはもうー」
メデューサはレダに、自分とシュナンはもう、お互いの気持ちを確かめ合っているのだと、言おうとしましたが、何故か、恥ずかしくて、言えませんでした。
そんなフードの中の顔を赤くして、無言でうつ向いてしまったメデューサに対して、相変わらずシュナンの片腕にしがみつくレダが、からかうような口調で声を発します。
「あんたとシュナン、なんかあったみたいだけどー。一ついい事を、教えてあげるわ、メデューサ。人の心は、移ろいやすいものなの。特に殿方の心はね。だから、多少優位に立ったからって、安心しちゃ駄目なの。例えばこうすれば、あんたの、あやふやな自信なんてすぐにー」
そう言うとレダは、シュナンの右腕に、自分の両腕を絡めたまま首をのばすと、彼の頬に軽くキスをしました。
「お、おいっ!レダ、何をーっ!!」
目隠しをした顔を赤くして、動揺する、シュナン。
「ーっ!!!」
一方、シュナンの左隣りに立つメデューサは、その光景を目撃すると、目深くかむったフードの中の顔を真っ赤にしながら、自分とは反対側の少年の右隣りに立って彼にしがみつく、レダに向かって飛びかかり、二人を引き離そうとします。
「こ、このーっ!!淫乱ウマ娘っ!!」
しかし、敵もさるもの。
レダは、メデューサが自分に飛びかかって来るのを察すると、しがみついていたシュナンの腕を、パッと離しました。
そして蛇娘の突撃をヒラリとかわして、柵の前から後方に飛び退いて少し距離を取ると、舌を出して彼女を挑発します。
「やーい!やーい!ノロマな蛇娘!!こっち来てみろーっ!」
「こ、このーっ!!」
拳を振り上げて、レダを追いかけるメデューサ。
レダは、そんなメデューサをからかいながら、「家獣」の背中の上で逃げ回ります。
逃げるレダと追いかける、メデューサ。
なんと二人は、木造家屋が建つ魔物の背中の上を木の柵で囲んだ、ベランダみたいな場所の中で、ぐるぐると、追いかけっこを始めたのでした。
家を取り囲む柵の近くに立つ、シュナンとボボンゴは、そんな二人の様子を、呆れ顔で見つめます。
緑色の巨人ボボンゴが、その大きな肩をすくめて、ため息混じりに言いました。
「まったく、仲いいのか、悪いのか、わからない」
シュナンの持つ師匠の杖も、呆れたように、その大きな眼を光らせます。
「やれやれ若い者の考えてる事は判らんよ」
シュナンも片手に師匠の杖を持ち、もう一方の手で「家獣」の背に立つ柵に寄りかかりながら、追いかけっこをする二人の姿に、戸惑いの表情を見せます。
しかし彼はやがて、その目隠しをした顔を振り向かせると、自分が寄りかかる「家獣」の背に立つ柵の向こう側に見える、遠ざかるモーロックの都の姿に、もう一度、目を馳せました。
師匠の杖を通して見る、その城郭の姿は、もはや地平線の向こうに霞んで、消えようとしていました。
シュナン少年の胸に、あの街に関する様々な思いが、波のごとく、次々と押し寄せます。
神ならぬ身の彼には、邪神のくびきから解き放たれたモーロックの都が、これからどんな運命をたどり、新たな歴史をどう紡いでいくのかを、知る事はかないません。
何故なら、神から与えられた生命の果実を、どのように分け合うかは、あの街に住む一人一人の人間が決める事であり、旅人である彼には、あずかり知らぬ事だったからです。
しかしシュナンは、その城壁で囲まれた街が、地平線の向こうに遠ざかってゆく様子を見つめながら、街の人々の前途に、明るい未来と幸福があらん事を、心の底から祈りました。
少年が杖を通じて見つめる中、その城壁で囲まれた街の遠い輪郭は朝焼けに霞み、やがて地平線に重なるようにして、消えて行きました。
[続く]




