邪神モーロックの都 その47
「こんな至近距離で、バルスの呪文を撃ち合えば、恐らく相討ちになるぞ。建物ごと吹き飛んで、二人とも、一片の肉さえ残るまい」
戰いの中止を提案するムスカル王に対して、警戒を解かず、片腕を彼に向かって突き出したまま、その言葉の真意を問いかける、シュナン。
「臆したのか?ムスカル王」
ムスカル王は、そんなシュナンの言葉に、軽く首を振ります。
「まさか。ただ余は、無駄な事はしたくないだけだ。これを見るがよい。少年よ」
そう言うとムスカル王は、手にした王笏で、彼らがいる水晶魔宮の、青い壁を指し示しました。
すると不思議な事に、壁の一部に外の情景が、まるで窓を通して見るように、少しぼやけた感じで、映し出されました。
今そこには、街の住民が、徒党を組んで王宮内になだれ込み、広場で戦っていた反ムスカル派の兵士たちや市民たちに協力して、魔牛兵たちや魔獣の群れを、その圧倒的な数で制圧する様子が、映し出されていました。
水晶魔宮の床の上で、シュナン少年の前に立つムスカル王は、その映像を見る横顔に、どこか寂しげな笑みを浮かべつつ、言いました。
「これが、余の長年にわたる治世に対する、市民たちの回答だ。どうやら余の負けらしい。意外だったよ。この街の住民が、これほどのエネルギーを秘めていたとは。長い年月の間に、徐々に骨抜きにして来たつもりだったのだがな・・・」
「・・・」
シュナン少年は、相変わらず戦闘態勢のまま、気を緩めずに、ムスカル王の声を聞いていました。
そんなシュナン少年の姿を横目で見ながらムスカル王は、また王笏で、先程とは違う、部屋の壁の一角を指し示しました。
するとそこにも、四角い窓のような映像が、映し出されます。
今度は、水晶塔の前の広場ではなく、別の場所が映し出されているみたいでした。
「見たまえ、あのひどい有様を。余が精魂かたむけて作り出したものを、こうまで破壊するとはー。最早、取り返しがつかん。少なくとも十数年はな・・・」
シュナン少年がムスカル王を警戒したまま、部屋の青い壁に新たに開いた、その窓を見つめると、そこには、かつてシュナンとメデューサが、ムスカル王に捕らえられた際に案内された、モーロック神殿内の様子が映し出されていました。
そこにはシュナンたちが見せられた、モーロック神の神像が、粉々になって、神殿の床に倒れた姿が、大写しになっていました。
そのまわりには、市民たちにロープで縛り上げられ、拘束されたカムラン市長や、彼の部下の兵士たち。
それに解放された生贄の子供たちや、彼らに付き添う、テトラらの姿も映っています。
ムスカル王は、また王笏で、その映像を指し示しながら、再び、自嘲の言葉を漏らします。
「もはや、異次元への通路は断たれ、地獄におられる、モーロック神との交流は途絶えた。生贄の子供たちを、直接、地獄に送り込む為の、あの神像を作るのに、余が、どれだけ苦労した事かー。また同じ事を繰り返すのは、さすがに、勘弁願いたいね。要は、余がこの地に作り上げた、政治システムは、完全に崩壊したという事だよ。君の批判した、システムがね」
ムスカル王の、その敗戦の弁を聞いたシュナンは、ようやく、彼に対して突き出していた腕を下ろして、警戒を解きました。
「降伏する気か、ムスカル王よ。あなたが、もし投降して、潔く市民たちの裁きを受けるというなら、僕も鉾を収めよう」
しかしムスカル王は、そんなシュナンの言葉を、鼻で笑います。
「ハッハッハーッ!馬鹿らしい。余が降伏するなど、あり得ぬ。誰も余を、屈服させる事は出来ぬ。もちろん、殺す事だって出来ぬ。人間にはな。先程、もし実際に、究極魔法を撃ち合っていたとしても、君は絶対に、余を殺せはしなかったろう。これは、あらかじめ、予言されている事なのだ」
ムスカル王の言葉に、目隠しの下の眉をひそめる、シュナン少年。
「予言?どういう事だ?」
しかしムスカルは、そんなシュナンの問いに答える事なく、先ほどの、雷撃魔法の誤爆で黒焦げになったマントを、大きくひるがえすと、片手に持った王笏を、頭上に高々と掲げます。
「知りたかったら、君の持っている、その杖に聞きたまえ。余の兄弟弟子の、レプカールにな。それでは余は、この地を去るとしよう。さらばだ、レプカール。そして、さらばだ。少年よー」
そう言うと、魔術師ムスカル王の身体は、背にしている、水晶魔宮の青い壁に溶け込む様に、徐々に輪郭がぼやけて、透き通って行きます。
「だが、よく聞くがいい、少年よ。余は、いつかきっと、この地に戻ってくるぞ。人間たちが、もっともっと堕落し、余に抗う愛と勇気を失った、その時代に。そして今度こそ、この地を拠点に、悪魔の千年帝国を作り上げるのだー。ガーハッハッハッ!!!」
ムスカルが、この場から逃げ出そうとしているのを察したシュナンは、それを食い止めるために、部屋から消えかけている、その身体に向かって、駆け出そうとします。
しかし、彼が手に持つ師匠の杖が、鋭い口調で弟子を制止します。
「無駄だ、シュナン。あれはすでに、残像に過ぎん。本体は、もう、王宮の外に脱出しているはずだ」
甲高い笑い声と共に、ムスカル王の透き通った身体は、更に存在感を失い、周囲の青い壁と、徐々に一体化して行きます。
そしてついに、ムスカル王の姿は、彼の拠点であった水晶魔宮の中から、完全に消え失せました。
部屋に反響する、冷笑のみを残してー。
シュナン少年は、ムスカル王が溶け込む様に消え失せた、水晶魔宮の青い壁を、しばらく呆然と見ていました。
しかし、自分に向かって警告を発する、手に持つ師匠の杖の声を聞いて、我に返ります。
「シュナン、我々も、早く逃げるんだ。ムスカルが、いなくなった今、この水晶の部屋は、間もなく崩壊するぞ」
シュナンが、水晶で造られた、その部屋の中の様子をよく見ると、天井や壁、そしてひな壇についた階段など、部屋のあちこちに、ヒビや亀裂が走っています。
おそらく、ムスカル王がいなくなった為に、彼の魔術によって維持されていた、その部屋の崩壊が始まったのでしょう。
シュナンは、杖を持ち直して、身をひるがえすと、その場から逃げ出す為に、先ほど部屋に入る時に通った、水晶魔宮の青い壁に開いた出入り口の扉へと、急いで走ります。
まもなく崩れ落ちる、水晶魔宮から脱出しようと、出入り口に向かって、全力で駆け出すシュナン少年。
その際に、彼は、手に持つ師匠の杖に、ムスカル王が去り際に言った、不思議な台詞について、尋ねました。
「さっき、ムスカルが、予言がどうしたとか言ってましたが、あれは一体、どういう意味なんですか?」
師匠の杖が、先端の円板に刻まれた目を、キラリと光らせます。
「ああ、あれか。実は、ワシとムスカルは若い頃、師匠であった、大魔導士マンスリー様に、自分たちの死にざまを、尋ねた事があってな。彼女は、占いと予知の術に長けていたし。まぁ、冗談半分だったんだがー」
杖を持って走りながら、首をかしげる、シュナン。
「死にざま・・・ですか」
肯定の印のように、その光る大きな目を、パチパチと点滅させる師匠の杖。
「その時、ムスカルに師匠は、こう言われた。汝は神の手によってのみ滅び、人の手によって死ぬ事は、決して無いだろうと。彼は、それを真に受けてるんだろう。ちなみにワシは、自らの愚かさで命を失うと、言われたよ。まぁ、ワシは、予言など信じてないがな」
「・・・」
その言葉の意味を考えながら、無言で師匠の杖を握りしめ、部屋の出口に向かってひた走る、シュナン。
やがて彼は、扉にたどり着き、部屋の外に出ると、そこから延々と続く、塔の建物の中央部を貫く螺旋階段を、先ほどとは逆に、急いで降り始めました。
彼の背後で、無人となった水晶魔宮の王室は、その光を失い、水晶で作られたムスカル王の玉座があるひな壇や天井や壁など、部屋のあちこちに、亀裂が走ります。
やがて、水晶で作られた、その青い魔法の部屋は、少しずつひび割れ、崩壊していきました。
[続く]




