旅立ち その7
巨大な魔獣が、洞窟の方から、自分たちのいる屋敷に、迫って来るのを見て、メデューサは驚きました。
師匠の杖を構えて立つ、シュナンを睨みつけ、怒鳴ります。
「あなた、洞窟の封印を、解いたわね!あの魔獣は洞窟の中の、大きな扉内に、閉じ込められていたのよ!誰かが、扉の封印を破ったに、違いないわ!」
シュナンは、さっき洞窟の中で、岩壁の扉の前にあった石碑を、倒してしまった事を、思い出しました。
しかし、あのぐらいで、何百年も有効だった封印が、破れるものでしょうか。
シュナンは、戸惑いながら言いました。
師匠の杖は、その大きな目を泳がせて、沈黙しています。
「わからない。でももしかしたら・・・」
メデューサが、叫びます。
「この馬鹿っ!!」
そうこうしているうちに、魔獣マンティコアは、屋敷を取り囲む壁を破壊し、その中庭に、突入して来ました。
マンティコアはうなり声を上げ、庭で棒立ちになっている、メデューサとシュナンの方へ、真っ直ぐに突っ込んで来ます。
普通の獅子よりもはるかに大きな、巌の如き巨体を激しく揺らして、地面を駆ける、魔獣マンティコア。
かの魔獣の狒狒の顔についた二つの赤い目は、進行方向のその先で、シュナン少年と共に棒立ちとなっているメデューサの姿を、しっかりと捉えており、鵺の様な甲高い叫びを上げると、そちらに向かって、猛然と突っ込んでいきます。
そして、魔眼を使う間も無く、迫り来る魔獣の巨体に、メデューサの小さな身体が、弾き飛ばされようとしたその時でした。
シュナンが、メデューサをかばう様に前に出て、彼女を抱きしめました。
次の瞬間、シュナンの身体は、メデューサを護り抱えたまま、魔獣の巨体にガツンと弾かれて、宙を舞っていました。
いきなりシュナンに抱き抱えられ、そのまま空中を舞うメデューサの瞳に、真っ青な空が映ります。
その直後、ドスンと大きな音を立てて、メデューサを抱きながら背中から地面に、激しく身体を叩きつけられる、シュナン少年。
「ううーっ」
呻き声を上げたシュナンは、そのまま、気を失いました。
メデューサを、その腕に守るように、抱えたままでー。
シュナンの腕に、背中を抱きしめられたまま、地面に横たわるメデューサは、自分の下敷きになっている彼に気付くと、慌てて身体を起こし、彼から離れました。
そして地面にひざまずくと、地面にぐったりと大の字になって横たわる、シュナンを見つめます。
そして、思わず呟きました。
「あんた・・・どうして」
その時、シュナンから離れた場所に飛ばされ、地面に落ちていた師匠の杖が、メデューサに向かって、叫びました。
「気をつけろ、メデューサ!!また奴が、突っ込んでくるぞ!!」
シュナン達を、空中に弾き飛ばした魔獣マンティコアが、その巨体をUターンさせ、再びメデューサたちのいる場所を目指して、動き出したのです。
魔獣は今度は、そのコウモリの様な両翼を羽ばたかせて、空中に、高々と舞い上がりました。
その巨体で、屋敷の屋根の一部を破壊し、宙に舞い上がったマンティコアは、猛スピードで空を飛び、こちらにやって来ます。
メデューサは複雑な表情で、地面で横たわる、気絶したシュナンを見ると、スクッと立ち上がりました。
そして、こちらに飛んで来る、魔獣の進行方向をふさぐかのように、直立の姿勢を取ります。
マンティコアは宿敵であるメデューサの姿を、空中から確認すると、その狒々のごとき顔を憎しみに歪めて、甲高い声で叫びました。
そして、コウモリの様な翼を羽ばたかせ、サソリ状の尻尾を下に向けると、そのままの態勢で急降下し、上空からメデューサを襲います。
その大きな鋭い針のついた尻尾で、メデューサを串刺しにするつもりなのです。
落下しながら翼を羽ばたかせ、近づいて来る魔獣を見上げ、徐々に大きくなる、その異形の姿を、じっと見つめるメデューサ。
彼女の顔は、上半分が蛇の髪で隠されており、その表情を、うかがい知る事は出来ません。
けれど、その屹立する姿は、まるで、彼女の足元の地面に気絶して横たわるシュナンを、危険から守っているかの様でした。
空から迫る魔獣と、地上に立つメデューサを隔てる空間は、徐々に狭まり、数秒後には、その巨体の持つ蠍の尾によって、メデューサは、刺し貫かれると思われました。
しかし、その瞬間、自らに迫り来る魔獣に対して、メデューサの魔眼が、発動しました。
メデューサの蛇の髪の毛が揺らめき、その下に隠されていた妖しく光る瞳が露わになると、彼女に見つめられた、こちらに急降下してくる魔獣の身体は、急速に石になっていきました。
メデューサを攻撃しようと、蠍の尾を突き出して彼女の頭上に降下してくる、マンティコアの身体は、その途中で原子変換され、あっという間に石化していったのです。
空中で完全に石化し、その意思を失ったマンティコアは、大きな岩の塊となり、急に落ちるスピードを増しました。
そして、メデューサの足元から数歩先の地面に、地響きと共に、土埃を高く巻き上げながら、すさまじい勢いで落下したのです。
シュナンと一緒に宙に弾かれ、近くの草むらまで飛ばされていた、師匠の杖が言いました。
「素晴らしいー。さすがは、メデューサ。名にしおう伝説の怪物よ」
一方、メデューサは、空中で石像と化して、自分の目前に落下したマンティコアの、ヒビの入った巨大な石のオブジェの様な亡骸を見つめ、深いため息をつきました。
その巨大な石像は、空中から飛来して襲いかかろうとした体勢のまま、完全に石化しており、前のめりの姿で地面の上に倒れ込み、メデューサの目の前に静かにそびえています。
「また、つまらぬ物を、石にしてしまった」
メデューサは、眼前に横たわるマンティコアの石像に向かって、そう呟くと、今度は、彼女の足元付近の地面に気絶している、シュナンの方に近づいて、その側にひざまずきました。
彼女が、シュナンの目隠しで覆われた顔を、そっと触ると、彼は気を失ったまま、ウゥッと唸りました。
メデューサは、彼の息のある事を確認して、ホッとすると、何故か両手を、パンパンと打ち鳴らします。
すると、庭に自生している花畑の中から、小さな光の玉が飛び出して、メデューサの側にやって来ました。
その光球の中には、蝶の羽根をもつ、手のひらに乗るくらいのサイズの、小さな少女がおり、メデューサの眼前を、ひらひらと舞っていました。
胸と腰を、わずかな布で覆った、煽情的な格好をしています。
彼女は、この屋敷の庭にある花園に住み着いている、小妖精でした。
この妖精は、シュナンが少し前に、山の中で出会った花の精とは、べつの個体でした。
目の前を、ひらひらと蝶のように舞う小妖精に、メデューサが言いました。
「力のある魔族を、誰か、呼んできて。この人を、部屋に運ぶから」
そう言ってメデューサは、地面に横たわるシュナンを、指し示しました。
「わかりました、メデューサ様」
妖精は倒れているシュナンの上を、クルクルと旋回した後、屋敷の外の森の方へ、飛んで行きました。
シュナンを屋敷の中に運ぶために、助けを呼びに行ったのです。
そして、メデューサは、倒れているシュナンの側に寄り添って、心配するような表情で、彼を見つめます。
そんなメデューサに、少し離れた場所に落ちている、シュナンの持っていた杖が、話しかけました。
「わたしの事も、忘れずにな。わたしがいなければ、シュナンは完全に、目が見えなくなってしまう」
そして、ちょっとあきれたような口調で、つけ加えました。
「まったく、未熟者め。魔法を使えば、魔獣を食い止める事が出来たはず。だが実際は、防御壁も張れずに、弾き飛ばされた。君を助けたせいでな」
横たわるシュナンの隣にひざまずくメデューサは、地面に落ちている、その杖を、怒ったような視線で睨みます。
「このシュナンという男の子は、いい人みたいだけど、あんたは、なんだか、信用できないわね。もしかして、洞窟の封印を解いたのは、あんたなの?」
地面に落ちている師匠の杖は、その先端の円盤に刻まれている、大きな眼を光らせると、言いました。
「どうかな?まぁ、何かのキッカケが、欲しかったのは事実だが・・・。君と話し合うためにね」
メデューサは横目で、その杖を睨んでいましたが、自分がいつのまにか、力無く横たわるシュナンの手を握りしめているのに気付き、慌ててパッと、その手を離しました。
[続く]