邪神モーロックの都 その37
凄まじい爆発音と煙と共に神殿の床に開いた、大穴の奥から神殿内に突入して来たのは、ボボンゴやデイス、そして数十人以上もの、反ムスカル派の市民たちでした。
彼らはまず、ムスカルの王宮からはずっと離れた場所にある、街を流れる川沿いの排水溝を爆破し、そこから市街地の地中を横断する、広い地下水道の中へと侵入しました。
そして、その広い地下水道は、ムスカル王宮内の地面の下を流れる、生活排水用の水路と、地下で繋がっていました。
彼らはそれを利用して、市街地から王宮の敷地内の地面の下へ、地下水道を経由して、誰にも気付かれる事なく、まんまと入り込む事に成功したのです。
更に、王宮内の地面の下を縦横に走る、排水用の地下道を利用して、モーロック神殿の真下の位置まで到達した彼らは、再び爆弾を使って、神殿の床に大穴を開け、そこから雄叫びを上げて、神殿内に突入して来たのです。
ボボンゴたちが侵入した位置からは、少し離れた場所で、生贄の儀式を取り仕切っていたカムラン市長は、いきなり爆音と共に神殿の床が吹き飛んで、大穴が開いたのを見て、我が目を疑います。
しかし、穴から飛び出た男たちが叫びながら、生贄の儀式の中心である、モーロック神の神像に向かって突撃して行くのを見て、慌てた声で、周りにいる兵士たちに命令を下します。
「弓だっ!!弓を使って、奴らを射殺せっ!!」
ムスカルの命に従い、神像に突っ込んで行く市民たちに対して、手に持つ弓で、次々と矢を放つ兵士たち。
しかし、自分たちに向かって放たれた、その矢を、市民たちは、用意していた盾や剣で弾き返します。
特にボボンゴは、その巨体を生かして、市民たちをかばうように、矢が飛来するコースに立ち塞がりながら走っており、飛んで来た矢を、まるで羽虫でも追い払う様に、地面に次々と、はたき落としています。
そして、魔牛兵たちの妨害を物ともせず、モーロック神の神像に向かって突進する市民たちは、ついに件の神像の元へたどり着きます。
その巨大な神像の元へ、一番乗りしたのは、緑色の巨人ボボンゴでした。
ボボンゴは神像の足元へとたどり着くと、何故か、その石で出来た、天井まで届く程の巨体に、自分の身体を、びったりと密着させました。
後ろから見ると、両手を広げて、神像を抱きしめるようにぴったりと、その見上げる様な巨体に、張り付いています。
そしてボボンゴは、ウンウン唸りながら、両腕に力を込めていました。
少し離れた場所から、その奇妙な様子を、兵士たちと共に訝しげに見つめる、カムラン市長は、はき捨てるように言います。
「何だ、あの化け物は?一体、何を、するつもりだ?」
彼の隣で、弓をボボンゴたちに向けている、兵士の一人が、自信無さげに声を発します。
「もしかしたら・・・あの神像を、力ずくで押し倒すつもりなのでは・・・」
それを聞いたカムランが、鼻で笑います。
「馬鹿か、あいつは?あの神像が、どれだけの重量があるか、見た目で判らんのか?千人がかりでも、無理だわ!ええいっ!射てっ、射てっー!!」
兵士たちに、更なる追撃を命令する、カムラン市長。
件の兵士が言った通り、大神像に抱きついたボボンゴは、力ずくでそれを、押し倒そうとしていました。
しかし、いかに巨人族の末裔であるボボンゴでも、身の丈が、天井まである様な巨像を動かすのは、容易な事ではありません。
事実、ボボンゴの怪力をもってしても、その神像は、ピクリとも動く様子はありません。
神像にへばりついたボボンゴの背中に、兵士たちが弓で放った矢が、グサグサと突き刺さります。
けれどボボンゴは、それでも神像から身体を離そうとはせず、両腕に渾身の力を込めて、その像を動かそうとしていました。
神像を床に倒そうと、その見上げるような石の巨体に両腕でしがみついた、ボボンゴの巌の如き緑色の筋肉は、すさまじい盛り上がりを見せており、まるで身体が倍以上に、膨れ上がったみたいでした。
その姿はまさしく、ボボンゴの祖先である、古代ティターン族の王、天空の柱を支えたという、大巨人アトラスの姿を思い起こさせます。
市民たちの気持ちが乗り移ったのか、今のボボンゴは、普段の愛嬌のある顔とは似ても似つかぬ、凄まじい怒りの表情を、その顔に浮かべています。
やがて彼の周りに、一緒に神殿に侵入した、大勢の仲間の市民たちが、集まってきました。
その中には吟遊詩人のデイスや、「鳥煮亭」の地下室で、レダに励まされた男もいました。
モーロック神像の足元に、ひしめくように集まった彼らは、自分たちも、その見上げるような石造りの像にしがみつくと、巨人ボボンゴと力を合わせて、神殿の床に像を倒そうと、一斉に押し始めます。
そんな彼らに対して、カムラン市長の、罵声が飛びます。
カムランは、周りにいる兵士たちと一緒に、ボボンゴや市民たちの様子を、あざけりながら見ていました。
「馬鹿がっ!!人間の力でやれる事かどうか、判らんのかっ!!ええいっ!見ているだけで、イライラするわっ!!」
しかし、その時でしたー。
メキッメキメキーッ
異様な音が、神像の足下の方から、響いてきました。
「な、何だとーっ!!」
カムラン市長の顔に、驚きの色が走ります。
彼の周囲を固める兵士たちも、弓を射るのも忘れ、呆けた様に棒立ちになっています。
なんとモーロック神像の周りに集まった、ボボンゴや市民たちの力によって、その巨大な神像は、神殿の床から浮き上がり、段々と斜めに、傾いていくではありませんか。
怒りに燃える市民たちは、心を合わせて、信じられない剛力を発揮していました。
彼らはボボンゴと共に、この邪悪な神像を葬り去る為に、神殿の床に力ずくで押し倒して、破壊しようとしていたのです。
邪神の神像が、徐々に仰向けに傾く様を見て、神殿内の離れた場所で、儀式を取り仕切っていたカムランは、悲痛な呻き声を上げます。
そして、周囲にいる兵士たちに、慌てて命じます。
「何をしている!?射てっ!!射てっ!!神を恐れぬ反逆者どもを殺せっ!!」
カムランの命令で、神像を倒そうとしている市民たちに、次々と矢を放つ、兵士たち。
しかし、自分たちの方に、数多くの矢が飛んでくるのを見たボボンゴは、両腕で神像を抱えながら、カムランや兵士たちを、一喝します。
「子供を護り育てる、大人の一番の仕事!!一番大事な!!目を覚ませっ!!お前ら!!!そして、思い出せっ!!一番大切な宝!!何なのかっ!!!」
その瞬間、ウォーッという怒声と共に、神像の周りにいた市民たちが、一斉に、その腕に力を込めて、床から浮いて傾いていた神像を、神殿の壁側に、強く押しました。
すると、不安定な状態で傾いていた大きな神像は、完全にバランスを崩すと、仰向けにひっくり返り、凄まじい轟音を立てて、神殿の床に倒れ込んだのです。
ガガガーッズガガーンッ!!!!
神殿内に響き渡る衝突音と、天井まで霞む粉塵を巻き上げて、床に激突する、仰向けとなった、モーロック神の巨大な彫像。
カムラン市長は、その様子を見て、絶叫します。
神像に空いた七つの扉の前にいた兵士たちは、像が倒れる前に、急いで、神殿の床に飛び降りました。
子供たちを監視していた兵たちも、その任務を放棄して、倒れゆく神像の側から、いち早く、安全な場所へと避難しています。
一方で、神殿の両端にある階段をのぼって、神像の身体に空いた、扉の前に行こうとしていた生贄の子供たちは、いきなり爆発音と共に、ボボンゴ率いる市民たちが、神殿内に突入して来るのを見て、驚きで目を丸くしていました。
事態がまるで把握出来ず、階段の途中で立ちすくんでいた子供たちですが、目の前にそびえ立つ神像が大きく傾き、床に倒れようとしているのを見て、あわてて、そこから逃げ出し始めます。
昇っていた階段を逆に駆け下り、悲鳴を上げて逃げまどう、大勢の子供たち。
その、すぐ背後で、彼らを地獄にいざなおうとしていた巨大な神像は、ゆっくりと傾いていき、やがて轟音と共に、床に崩れ落ちました。
そして、そんな神殿内で、悲鳴を上げて右往左往する、子供たちの元に駆け寄る、一つの人影がありました。
それは、モーロックの都の市街地で、夫と一緒に酒場を営む女性、テトラでした。
ムスカル王に、子供を生贄として奪われた彼女は、仲間たちに頼み込み、女性でありながら神殿を地下から急襲する、この決死隊に加わっていたのです。
彼女はボボンゴやデイス、そして仲間の市民たちと共に力を振り絞って、諸悪の根源である巨大なモーロック像を、押し倒そうとしていました。
しかし、逃げ惑う子供たちの中に、自分の息子の姿を見て、思わず、仲間たちの列から、飛び出したのです。
神像が倒れた為に生じた、煙幕の様な土煙りや、飛び交う矢をものともせず、子供の元に駆け寄る、テトラ。
彼女の子供を呼ぶ悲痛な声が、神殿の中に、響き渡ります。
「ラオ!!」
その叫びは、神殿内を悲鳴を上げて逃げる子供たちにも届いて、その中の一人が、ハッとした表情を浮かべます。
彼こそが、テトラとジム夫妻の一粒種である息子、ラオでした。
ラオは母が絶叫しながら、自分に向かって走って来るのを見ると、大きな泣き声を上げ、両手を大きく広げて、彼女の元へ走り出します。
神殿内において、別々の方向から、お互いを求めて駆け寄る二つの影は、やがてちょうど神像が崩れ落ちた場所で、一つになります。
テトラは神殿の床にひざまずいて、やっと再会できた我が子を、ギュッと抱きしめると、ポロポロと涙を流しました。
「ごめん、ごめんね。怖い思いをさせて・・・でも、もう、大丈夫だから・・・お母さんが、一緒にいるからね」
ラオは、夢にまで見た母に抱きしめられて、言葉も無く、喉から絞り出すような声で、嗚咽し続けています。
しかし、そんな親子の再会を、少し離れた場所で憤りながら、見つめている男がいました。
言わずと知れた、この生贄の儀式の、全てを取り仕切っていた、カムラン市長です。
彼は儀式が、ボボンゴや市民たちによってぶち壊され、おまけに、モーロック神の像までもが倒された事に対して怒り、気が狂わんばかりの絶望感を、味わっていました。
モーロックの神像が倒され、破壊された為、地獄にいるかの神との交流は断たれ、今後は自分たちに、生贄の代価として、金銀財宝がもたらされる事はないでしょう。
少なくとも、しばらくの間は。
怒りに我を忘れたカムランは、そのほこ先を儀式をぶち壊した市民たちや、何の罪もない生贄になるはずだった、子供たちの方へ向けます。
そして、崩れ落ちた神像の残骸の前で、ひしっと抱き合い、神殿の床にうずくまる、テトラ親子にもー。
自分の周りを固める兵士たちに、非情な命令を下す、カムラン。
「ええいっ!!弓だっ!!弓を放てっ!!生贄になり損ねたガキ共も含めて、全員、皆殺しだっ!!大切な儀式を、ぶち壊しおって!!!まずは正面で抱き合っている、あのうっとおしい親子を、射殺せっ!!!」
しかしカムランが、命令を発したにも関わらず、周りの兵は、一切動こうとしません。
「ええいっ!!何をしとるっ!?早くせんかっ!!」
カムランは苛立って、兵士たちを、怒鳴りつけます。
けれど、その兵士たちは、弓を構えもせず、だらりと下げた手に持ちながら、神殿の床で抱き合うテトラとラオの姿を、呆けた表情で見ていました。
カムランも、兵士たちのそんな様子を見て、思わず、テトラ親子の方を見つめました。
それから彼は、倒れ込む神像から逃げ出した、神殿の奥で泣いている、大勢の生贄の子供たちの姿も、見つめました。
そして、ボボンゴやデイスを先頭に、彼らに駆け寄る、反ムスカル派の市民たちの姿もー。
神殿内をぐるりと見回したカムラン市長は、最後に儀式の間の床に倒れこんだ、モーロック神像のひび割れた残骸に、その目の焦点を合わせます。
巨大な神像は、石造りの神殿の床に倒れた衝撃で、バラバラに砕けており、首と胴が離れた状態になっていました。
その床に転がる、巨大な牛の頭を見たカムランは、何故か一瞬、呆けた表情になり、憑き物が落ちたみたいにガックリと、その場に崩れ落ちました。
兵士たちに取り囲まれながら、神殿の床にべったりと尻餅をついて座り込む、カムラン市長。
うつろな表情を浮かべる彼は、やがて座ったままの姿勢で、揃えて立てた膝を両腕で抱え込むと、急に、ガタガタと震え始めました。
[続く]




