邪神モーロックの都 その20
「お、女・・・」
地面に倒れた黄金将軍ジュドーに、とどめを刺そうと、必死に立ち上がったレダが見たのは、今まで仮面の下に隠されていた、その驚くべき素顔でした。
なんとジュドー将軍の正体は、レダより少し年上の、妙齢の女性だったのです。
怪我による出血で、足元をふらつかせながら立つレダは、地面にうずくまる彼女の姿を、驚愕の表情で見つめます。
周囲の街路にひしめいて、両者の決闘の様子を、遠目で見守っていた市民たちも、初めて明らかになった将軍の正体に驚き、事のなりゆきに声も無く、ただ呆然としています。
その時、ジュドー将軍危うしと見た、周りの兵士たちが、地面に倒れている将軍を救うために、その側に折れた剣を持って立つレダに、襲いかかりました。
そして、先頭に立つ騎馬兵が、満身創痍のレダに対して、槍を振りかざした、その瞬間でした。
「レダさん、伏せてーっ!!!」
市街地の道路脇にひしめき、決闘を見ていた群衆の中から、棒立ちになっているレダに向かって、大声で叫ぶ男がいました。
それはレダの仲間の一人である、吟遊詩人デイスでした。
彼はレダに向かって大声で叫ぶと、懐から取り出したボールの様なものを、彼女の立つ地面の近くに投げつけました。
そのボールの様な物体は、レダの足元付近の地面に落ちると、煙幕みたいな煙を吹き出し、レダに襲いかかろうとしていた、兵士たちの目を眩ませました。
デイスは更に、次々と懐から出した煙玉を、あちこちに投げつけました。
たちまち市街地は、もうもうとした煙に、包まれました。
辺り一面には煙が立ち込め、右も左も分からなくなり、街路に集まった市民たちはパニックにおちいり、とにかく煙の無い場所に避難しようと、押し合いへし合いして、その場を逃げ出そうとします。
ジュドー将軍の部下の兵たちも、何が起こったのか分からず、戸惑いながら、軍列を包んだ白い煙の中を、立ち尽くしています。
更に、その時でした。
どこからともなく聞こえる、怒号と叫び声と共に、覆面をした男たちが、こん棒やナイフなどの武器を持ち、白煙が立ち込める街路へと、乱入して来たのです。
彼らの正体は、ムスカル王の政治に反対する市民たちで構成された、この街のレジスタンスグループでした。
レダと共に偵察をしていたデイスに、事の成り行きを知らされた彼らは、危機に陥っているレダを救う為に、リーダーであるオロや、テトラの夫であるジムを中心に徒党を組み、この場に突入し暴れ回ります。
この場所から逃げ出そうとする一般市民たちと、入れ替わりに突入して来た彼らは、白煙で見通しが効かないのをいい事に、棒立ちになっているジュドー将軍の兵士たちに、手持ちの武器で攻撃を仕掛けます。
白煙の中で右往左往していたジョドー軍の兵士たちは、いきなり誰かに後ろから棒で叩かれ、また拳で殴られるなどの攻撃を受け、さらなる混乱に陥りました。
「敵だ、敵がいるぞーっ!!」
「痛い!!痛い!!誰だっ!!」
「落ち着けーっ!!むやみに、動くなっ!!」
やがて兵隊たちの間に、同士討ちも始まり、白い煙幕に包まれた市街地の大通りは、怒声と悲鳴が飛び交う、阿鼻叫喚の地と化していました。
そして満身創痍のレダは、周囲の混乱が極みに達する中、目まぐるしく移り変わる状況に戸惑いながら、動けなくなった身体を、ぐったりと地面に横たえていました。
そんな彼女の側に、寄り添うようにひざまずく、一つの影がありました。
それはレダの仲間である、ボンゴ族の族長ボボンゴでした。
彼はレダの危機を知って、吟遊詩人デイスやレジスタンスの市民たちと共に、急いでこの場所に駆けつけたのです。
地面に横たわるレダは、自分の傍らにひざまずく巨人の姿に気づくと、弱々しい表情で、彼を見上げました。
「ボ、ボボンゴ・・・」
ボボンゴは、立ち上がる力も無くなったレダの身体を、無言で肩に担ぎ上げました。
「ボボンゴ・・・あたし・・・」
ボボンゴは、何かを言おうとしたレダに対して、首を振ります。
「何も言うな。今、逃げるが先」
そう言うとボボンゴは、レダを軽々と担ぎ上げたまま、彼女を安全な場所に運ぶ為に、白い煙幕で覆われた街路を、物凄い勢いで走り抜けました。
彼は、進行方向にいる兵士や馬を、次々とその巨体で弾き飛ばしながら、逃げて行きます。
そして、人気の無い路地を見つけると、その中にレダと共に飛び込んで、身を隠しました。
その様子を近くで見ていた、吟遊詩人のデイスは、辺り一面に響き渡る様な、甲高い口笛を、吹き鳴らしました。
これは、あらかじめ決めていた、仲間たちへの撤収の合図でした。
白い煙幕にまぎれて、兵隊たちを背後から襲い攻撃していた、市民レジスタンスのメンバーたちは、その合図の口笛を聞くと、一斉に兵士たちへの攻撃をやめて、てんでバラバラに逃げ始めます。
彼らは白煙に紛れ込む様に、あちこちの建物や、入り組んだ路地、または普段は隠されている秘密通路などに逃げ込んで、その姿を消したのでした。
そして、半時間ほど経過して、付近一帯を包んでいた煙幕が、ようやく無くなり、視界が開けた時ー。
その場にいたのは、少数の逃げ遅れた市民と、呆然と立ち尽くす、ジョドー将軍の軍の兵士たちのみでした。
整然と行進していた軍列は崩れ、兵士たちはバラバラの状態になって、市街地の大通りに、立ち尽くしています。
地面には何人もの兵士が倒れており、立っている者も、思わぬ奇襲を受け、唖然とした表情を浮かべています。
そしてレダと戦い、もう一歩で命を失う所だったジュドー将軍は、その露わになった顔から、ダラダラと血を流して地面にうずくまり、周りにいる部下たちに介抱されていました。
「大丈夫ですか、将軍」
気遣う部下の言葉に対して、ジュドー将軍は、腫れた顔をうなずかせて言いました。
「わたしは、大丈夫だ。それより、捕らえた子供たちを、うばわれたりは、しなかったろうな」
「ご安心ください、将軍。子供たちを閉じ込めた、荷駄隊は、無事です。奴らも、そこまでする余裕は、無かった様です」
兵士が指差す方向には、何が起こったのかも分からず、馬が引く荷駄車に取り付けられた、木製の牢の中で怯える、大勢の子供たちの姿がありました。
街路にい並ぶ、その子供たちを閉じ込めた、牢が付いた荷駄車の列の、無事な様子を確認した彼女は、ホッと息を吐きます。
せっかく、狩り集めた子供たちを、逃してしまえば、あの恐ろしい王に、どんな叱責を受けるかわかりません。
流石の黄金将軍も、ムスカル王には、頭が上がらないようでした。
ジョドー将軍は、兵士たちの力を借りて、ようやく地面から立ち上がります。
かむっていた、大きな角のついた黄金色の兜は、地面に落ちており、その中に隠されていた長い黒髪が、フワリと、鎧に覆われた身体にかかります。
その顔は、レダの攻撃のために、赤黒く腫れ上がっていましたが、それでも、妙齢の美しい女性である事が分かります。
立ち上がった彼女は、白い煙幕が晴れ、多数の兵士たちがそこに立ちすくむ様子が見える、市街地の大通りを眺めながら、側にいる部下に指示を出します。
「混乱している陣を、立て直せ。生贄の子供たちの入った、牢のついた荷駄車を守りながら、王宮に向かうのだ。倒れている兵士は、動ける者を除いて、しばらくそのまま寝かせておけ。後で回収する」
次々と命令を下すジュドー将軍に対して、側近の兵士が聞きました。
「あの反逆者どもを。捜索しないのですか?」
しかし、顔を腫れ上がらせたジュドー将軍は、首を振ります。
「いや、したたかな連中だ。そう簡単には、尻尾を出すまい。それにー」
ジュドー将軍は、兵士たちが指示通り動く様子を確認しながら、先程までとは打って変わり静まり返った、市街地の街並みの様子を見つめます。
さっきまで、街路の両端を埋め尽くしていた、市民たちの姿は見えず、恐らく建物の中で、息を潜めているのでしょう。
黄金将軍ジュドーは、少し遠い目をして言いました。
「あの赤髪の剣士は、どのみち、もう助からないたろう・・・。どうやら人間では無い様だが、それでも、あれ程の手傷を負ってはな・・・」
[続く]




