旅立ち その4
霧に包まれた山中を歩き続けたシュナンは、やがてオトールの言ったように、通り道の真ん中に生えている、大きな木を見つけました。
「あの鬼は、ここを左に曲がれと、言っていたな」
手に持っている、杖の言葉に頷く、シュナン。
彼は、木の根元から山奥へと延びる、左手の道を選んで、霧深き山道を、尚も、歩き続けます。
やがて彼は、草深き山道から一転して、ごつごつした岩肌に覆われた、少し開けた場所に出ました。
「見てください、師匠」
シュナンはそう言うと、目の前にそそり立つ、ごつごつとした高い岩壁の、中腹ぐらいに、ぽっかりと空いている、人が通れるぐらいの洞穴を指差します。
「あれが、オトールの言っていた洞窟でしょう。彼は、洞窟の出口が、メデューサの居場所につながっていると、言ってました。行ってみましょう」
シュナンの持つ、大きな目が刻まれた円盤が、先端についている、杖が答えます。
「わかった、気をつけろよ。オトールは、洞窟には、恐ろしい魔物がいると、言っていた」
シュナンは頷くと、持っていた杖を、背中から衣服の間に差し込み、自由になった両手で、険しい岩場を登り始めます。
どうやら、身体から杖を離さなければ、彼の目は正常に見えている様でした。
苦労して、ごつごつした岩場を登り切り、洞窟の穴の中に這い上がった、シュナン少年は、背中から抜いた杖を、再び、その手に持ち直すと、件の洞窟の入り口に立って、そこから、前方に広がる闇をうかがいます。
シュナン少年は、今まで、よじ登ってきた、岩山の中腹にぽっかりと空いた、トンネル状の洞穴の入り口付近に立っており、彼が今いる、穴の内側には、その穴自体が高所にあるせいか、背後からビュウビュウと、強い風が、吹き寄せてきます。
しかし、彼は、そんな足場の悪い不安定な場所に立ちながらも、微動だにせず、前方に長く伸びる洞窟の闇深い穴の奥を、手にした杖をそろりと突き出して、慎重にうかがいます。
そして、師匠である、手に持つ杖と共に、その黒々とした深い穴の中に、入って行きました。
シュナンは、洞窟の中に入ると、手に持つ杖を、高く上げました。
すると、杖の先端の部分が光輝き、洞窟の内部を、照らし出しました。
狭い入口に比べて、その内部は意外と広く、鍾乳洞のような奇観を呈しています。
師匠の杖が、円盤に刻まれた、その大きな目を光らせながら、弟子であるシュナンに向かって、言いました。
「シュナン、気をつけろ。もし誤って、わたしを手放せば、目の見えないお前は、この洞窟から、二度と出られなくなるぞ」
シュナンは、杖に向かって頷きます。
「わかりました、師匠。気をつけます」
そう言うと彼は、光る杖を前方に掲げながら、洞窟の奥に向かって、慎重に歩いて行きます。
しばらく、洞窟の中を歩いていたシュナンは、やがて、大きく開けた場所に出ました。
そこはまるで、石造りのドームの様になっており、何処からか、薄っすらと、光が差し込んでいました。
そしてシュナンは、その石壁の一部に、岩で出来た、大きな観音開きの扉が、ある事に気付きます。
その扉は、左右が、それぞれ巨大な一枚岩で造られており、外側に向けて、開く仕様になっていました。
その手前には、何かいわくありげな、石碑も立っていました。
シュナンが、その石碑に近づいてみると、古代の文字で、何か書いてあります。
シュナンは、その文字が読めなかったので、手に持っている師匠の杖に、聞いて見ました。
「読めますか?師匠」
師匠の杖が、答えます。
「うむ、第四世代の古代文字だな。だが、石碑に刻まれた文字が細かすぎて、よく見えん。もう少し、石碑の近くに寄ってくれ」
シュナンは頷いて、石碑に近づくと、前かがみになって、手に持つ杖を、石碑の文字の方にかざし、記された古代文字を、師匠の杖に読んでもらおうとしました。
ところがー。
ガタンーッ。
シュナンの靴先が、石碑に当たってしまい、件の石碑は、ゴロンと横向きに、倒れてしまいました。
「す、すいません。粗相をしました」
「気をつけろよ。シュナン」
謝るシュナンをたしなめる、師匠の杖。
その円盤に刻まれた眼が、何故か、キラッと光ります。
シュナンは、本当は目が見えないので、師匠の杖の力で、ある程度の視界は確保できても、足元が疎かになる事が、たまにありました。
シュナンは、倒れた石碑を、慌てて手で立て直し、あらためて、その刻まれた古代文字に、師匠の杖を近づけました。
シュナンが持つ師匠の杖は、フムッと一瞬、唸ってから、石碑の文字を読み始めました。
「太古の呪われし影、ここに眠る。汝、賢明なる者、近寄る事なかれ・・・。どうやら、この場所に、何か危険な存在を、封じたらしいな。長居は、無用かも知れん」
「なるほど、わかりました。先を急ぎましょう」
師匠の言葉を受けてシュナンは、石碑に背を向け、杖を持ち直します。
そして再び、洞窟の出口を目指して、歩きはじめました。
しかしー。
彼がマントを翻し、洞窟の奥に去った、その後の事でした。
シュナンが倒し、またすぐに元に戻した、古代文字の刻まれた石碑に、大きなヒビが入りました。
さらに、その石碑の背後にある、鍾乳洞の壁に張り付いた、左右がそれぞれ一枚岩でできた、大きな観音扉が、ギシギシと音を立て始めました。
やがてー。
その巨岩で出来た大きな観音扉が、軋む様な音を立てて左右に開くと、中から太古の瘴気を含んだ、生暖かい風が、吹き出して来ました。
扉の奥でうごめく何かが、ゆっくりと外に出るために這いずる音も、聞こえて来ます。
開かれた観音扉の奥の闇に、ギラリと光る、赤い目が見えました。
一方、光る師匠の杖で、足元を照らしながら、洞窟の闇の中を歩くシュナンは、やがて、前方から柔らかい日差しが、差し込んでいるのに気づきました。
そうです、シュナンは、長い洞窟の出口に、やっと、たどり着いたのでした。
彼が歩みを早めて、入り口と同じくらいの大きさの、洞窟の出口の地点まで辿り着くと、その楕円形の穴から、外の景色が見えました。
洞窟の外には、大きな森が広がっており、所々から、白いモヤが立ち昇っていました。
シュナンが洞窟の外に出ると、少し強めの風が、彼の頬を撫でていきます。
師匠の杖が、シュナンに向けて言いました。
「シュナン、あれを見ろ。左のほうだ」
シュナンが言われた通り、左手のほうを見ると、森の中に建っている、石造りの高い塔の屋根が見えました。
「あれが、メデューサ族の、最後の居場所に違いない。あの砦に、一族の唯一の生き残り、ラーナ・メデューサが住んでいるはずだ」
魔法使いの盲目の少年シュナンは、師匠の杖に向かってうなずくと、メデューサの砦に行くために、砦の高い塔の屋根が見える、深い森の中へと入って行きます。
森の中を進む彼の前に、やがてメデューサの隠れ住む、砦の寂れた全景が、その姿を現します。
砦の周囲を取り囲む石壁は、あちこちがボロボロに崩れ、正面にある鉄門も朽ち果てて、既に、門としての体をなしていませんでした。
シュナンは師匠の杖と共に、その崩れかけた正門を通り、ついに目的地である、メデューサの住む砦の中に入りました。
砦の敷地内には、大小さまざまな建物が、点在していました。
先程、シュナンたちが最初に見た、高い見張り塔や、兵士たちの宿舎だったらしい四角い建物、そして大きな倉庫や武器庫などです。
かつては、大勢の兵士達に守られて、メデューサ王の一族が暮らしていたのでしょう。
しかし、今や、その朽ち果てた建物群には、誰もおらず、時折り吹きすさぶ風の音だけが、虚しく砦の中に響きます。
シュナン少年は、師匠の杖と共に、さびれた砦の敷地内を、黙々と歩きます。
そして、しばらく歩いたその先には、広い庭がありました。
更にその先に、王族の住居であろう、大きな屋敷風の建物が、霧に包まれ、立っています。
おそらく、この屋敷に、メデューサ族の最後の一人が住んでいるのです。
シュナンは、朝露に濡れた庭を歩いて、その大きな屋敷の入り口を捜します。
広い庭を歩くシュナンは、やがてそこで、異様な物体を発見しました。
それはー。
恐怖に歪んだ表情で、どこかへ逃げ出そうとしているポーズを取っている、男の姿をした、奇怪な石像でした。
手に持っている魔法の杖を通じて、その石像を見つめ、絶句するシュナン。
「メデューサの仕業だ」
師匠の杖が、低い声で言いました。
[続く]