邪神モーロックの都 その15
一方、そのシュナン少年はというと、師匠の杖と引き離され、盲目の状態で、王宮の東側に建てられた、兵士の宿舎に併設する、平屋建ての監獄の一室に、閉じ込められていました。
ここは元々、兵士の懲罰房として、作られた建物でした。
メデューサの閉じ込められた部屋とは違い、殺風景なその牢屋で、目の見えないシュナン少年は、一人ポツンと座っています。
鉄格子の中の彼は、目隠しをした顔をうつ向かせて、まんじりともせず座っており、とても孤独に見えました。
でも、もしかしたら、これが、彼本来の姿だったのかも知れません。
視覚を奪われた真の暗闇の中で、彼はいったい、何を思うのでしょうか。
常時、扉の前に監視の兵が張り付いている、北の塔に閉じ込められたメデューサとは違い、シュナンのいるこの平屋建ての監獄棟には、見張り番はついていません。
シュナンが目が見えない事に安心したのか、シュナン以外には誰もいない、この監獄に定期的にやって来るのは、見回りの巡回の兵士か、食事を差し入れる当番の官女くらいでした。
しかし、実は、イレギュラーで、牢獄の中のシュナンを訪ねる人物も、何人かいたのです。
一人は、彼をこの場所に閉じ込めた張本人である、ムスカル王、その人でした。
もちろん、彼の本体ではなく、魔術で作り上げた、本物そっくりの鏡像でしたが。
ムスカル王の鏡像は、シュナンが捕らえられてから、ほぼ毎日、彼がいる牢獄を訪ねて来ました。
王は、牢の中に座るシュナン少年の前に頻繁に立ち、鉄の格子越しに、彼を見下ろして言います。
自分の配下になるようにとー。
そうすれば、命が助かるばかりか、この世の栄耀栄華が全て手に入るのだと。
それはまさしく、狡猾な悪魔の誘惑でした。
しかしシュナン少年が、その誘いをキッパリと断ると、ムスカル王の鏡像は軽く肩をすくめ、牢獄の床に座る少年に背を向けて、去って行きます。
そんな事が、ここ何日か、不定期に繰り返されていました。
そしてー。
ある日ムスカル王の他に、もう一人の意外な人物が、一度だけ、牢の中のシュナンを、訪ねて来ました。
なんとそれは、水晶宮の塔でシュナンたちを捕らえ、この施設まで彼を連行した、この国の警備隊長クズタフでした。
彼は人気の無い時間を見計らい、牢内にいるシュナンを、わざわざ訪ねて来たのでした。
彼はわざわざやって来たにも関わらず、牢内に座るシュナンを、正面から見ようとはしません。
彼は、シュナン少年と自分を隔てる、牢屋の黒い鉄格子に背中を預け、後ろ向きの姿を、牢の中に座る少年の方へ向けながら、彼に話しかけました。
「俺たちの事、軽蔑してるだろうな。子供を生贄にしたりして」
シュナン少年は何も答えず、ただ牢内の床に座り、鉄格子に寄りかかるクズタフ隊長の方へ、その顔を向けています。
クズタフ隊長は、鉄格子越しに背中を向けたまま、何故か言い訳をする様な口調で、矢継ぎ早にシュナンに話しかけます。
「でも、俺たちだって、子供なら誰でも生贄にしてるわけじゃない。優秀な子供や将来的に役に立ちそうな子供は、ちゃんと残して育ててる。この国の未来の為にー」
しかし、その言葉を聞いた牢の中のシュナンは、目隠しをした顔を悲しげに振って、言いました。
「なんだい、役に立つとか、立たないとかー。道具じゃあるまいし」
「・・・・・・」
シュナンの言葉を聞いたクズタフ隊長は、牢の外で腕を組みながら、顔をうつ向かせます。
そして、相変わらずシュナンに背を向けたまま、言いました。
「でも、ムスカル様のお陰で、この国が豊かになったのは本当なんだ。今はあくせく働かなくても、衣食住は保障されてるしな。昔は、みんな、あんなに一生懸命に働いても、飲まず食わずの生活だったのに。でもー」
クズタフ隊長は、更に顔をうつ向かせて、言います。
「最近、昔の事を、よく思い出すんだ。ムスカル様が現れる前の、俺たちが貧しかった時の事をー。何故か、あの頃の方が、今より幸せだった気がする。どうしてだろう?俺にはわからないー」
牢にはまった鉄格子に、背中を預けて寄りかかるクズタフ隊長の発する言葉を、牢内の床にじっと座りながら、耳を傾けるシュナン。
隊長の発するその声は、シュナンには、まるで泣いているみたいに思われました。
やがて彼は、クズタフ隊長の背中に向かって、静かな口調で語りかけます。
「人間は確かに、生きる為や幸福になる為に、他者を犠牲にする事がある。やむを得ない場合もあるし、仕方のない面もあるだろう。その為に争いや憎しみが生じ、戦争に発展する場合もある。でもクズタフ隊長。一つ忘れてはならないのは、どんな生命でも幸福になるために、この地上に生まれてきたという事だよ。本当はみんな、等しい存在なんだー。君や僕、それにあのムスカル王や、生贄になろうとしている子供たちも含めてね。きっと昔の君は、その事に、無意識のうちに気付いていたんだよ。安楽で豊かな生活を、手に入れるより、もっと大切な事にね」
視力を無くしながらも、目隠しした顔を上げて、クズタフ隊長のいる方を向き、懸命に語りかけるシュナン。
「人間はその名の示す通り、一人では生きられない。いや、一人で生きては駄目なんだ。だから仲間と共に、社会を築く必要がある。そして、クズタフ隊長ー。どんな村や町、それに国を地上に作るかは、この世界に等しく存在する、僕たち一人一人が決める事なんだ」
シュナンの声が、暗い牢内に響きます。
「僕は正直言って、いたいけな子らを犠牲にして、大人たちが、豊かさを享受する社会なんて、絶対に間違っていると思う。君たちには、生贄の子供たちを含め、全ての人間が幸せに暮らせる街を、この地に作って欲しいー。僕は心から、そう思うよ。明るい太陽の下で、誰一人として欠けることなく、生きる歓びを分かち合うー。そんな街をね。だけど僕は旅人で、いずれにしろ、ここからいなくなる人間だ。だから、必要以上の干渉はできない。でも、君たちは違う。この地でしっかり根を張り、生きている市民だ。この場所で、他の人間とどんな関係性を結び、どんな社会を作るかを決めるのは、君たちの役目だ。君たちが正しい世界を選べば、人間の心を住みかとする悪魔たちは、その力を失い、この地を去って、深い眠りにつくだろう」
しかし、シュナンの言葉を聞いたクズタフ隊長は、牢の前で腕を組みながら、首を振ります。
「若僧のきれい事だー。そんなに、うまくいくものか」
シュナンは、クズタフ隊長の言葉にうなずきながらも、更に語気を強めて言いました。
「そうかもしれない。もしかしたら、はかない希望かもしれない。でもそんな僅かな希望でも、安易に捨てたりせずに胸にいだいて、一歩ずつ前に進むしか、僕たちの生きる道は、ないような気がする。いつかは理想の世界に、たどり着けると信じて。子供はもちろん、誰一人として犠牲になる事の無い、全ての人間が幸せになれる世界にー」
牢屋の外から鉄格子にもたれて、牢内のシュナンと会話していたクズタフ隊長は、やがてフッと笑うと、初めて牢の方へ振り向いて、牢の中の床に座るシュナン少年を見つめます。
「お前は本当に、世間知らずの青臭いガキだよ。でも、なんだかスッキリしたぜ。自分の進むべき道が、少し見えた気がする。ありがとな。一つ借りにしておくぜ。それよりお前、あくまでムスカル様に逆らうつもりなのか」
牢の中に座る、目隠しをした少年は、答えます。
「ああ、あの王を支持するかどうかは、君たち次第だが、僕はやはり彼を、個人的に許せない。さっき言った事と、矛盾するようだが、命がけで、あいつと対決するつもりだよ。実は僕には、どんな相手でも倒せる、切り札の魔術がある。いざとなれば、それを使うつもりだ」
牢内のクズタフ隊長は、牢内のシュナンの覚悟の言葉を聞くと、考え込むように目を伏せました。
そして、やがて顔を上げると、言いました。
「今、お前を逃してやる事は出来ないが、必ず借りは返すぜ。脱出できるチャンスを、必ず作ってやる。それまでは、しっかり食事を取って、体調を整えておけ」
クズタフ隊長はそう言うと、牢の中のシュナンに軽く手を振って再び背を向けると、そのまま牢屋の前から去って行きました。
牢内に座るシュナン少年は、去り行くクズタフ隊長の背中に、最後に一言、声を掛けます。
「クズタフ隊長。自分たちの求める幸福が、本当はどんな世界に属しているのかを、君には決して忘れないでいて欲しい」
その言葉が聞こえたのかどうか、クズタフ隊長は後ろを振り返らず、その背中は、牢獄の前を走る通路の奥へと消えて行きます。
牢の中に座るシュナンの耳に、徐々に遠ざかる、クズタフの足音が響きます。
彼の閉じ込められている牢獄は、再び静寂に閉ざされ、魔法使いの少年は、自身の盲目の目に映る、深い闇に向き合いながら、牢屋の冷たい床に座っていました。
[続く]




