邪神モーロックの都 その8
さて、クズタフ隊長の先導で、モーロックの都の王宮の敷地内を歩く、シュナン少年は、ついにムスカル王の住まう宮殿ー。
箱型の土台の上に、水晶でできた巨大な塔がそびえ立つ、奇妙な形の建物の入り口へと、たどり着いたのでした。
その建物の下層部分は、列柱に支えられた箱形になっていて、水晶ではなく、石造りのギリシャ風の建築様式で、作られていました。
クズタフ隊長の案内で、宮殿の最下層にあたる、その箱型の神殿風の建物の中に入り、石柱の間をくぐり抜けると、更にその奥には、四方を硬い石の壁に囲まれた、建物の本体部分が存在しており、そこには複雑な模様の彫刻が施された、大きな観音開きの、石の扉がありました。
クズタフ隊長が、石の扉に付いている取っ手に触ると、ギギギィーッという音と共に、扉が左右に分かれて、大きく開きました。
二人が中に入ると、そこは広いホールになっており、天井にはシャンデリア、床には豪勢なソファーやテーブル、舞踏会を行う為のスペースも、設けられています。
壁には、大小の豪華な額縁に入れられた、何点かの絵画がかけられており、壁際の床にも、いくつかの彫刻が並んでいました。
シュナンは隊長の後ろで歩きながら、師匠の杖を通じて、その豪奢なホールの様子を眺めていましたが、何故だか、壁に掛けられた一枚の絵が気になりました。
それは、薔薇色のドレスを着た、美しい女性の肖像画でした。
その絵が気になったシュナンは、手に持つ師匠の杖に、聞いてみました。
「あの女性は、誰なんでしょう?もしかして、ムスカル王の妻君でしょうか?」
師匠の杖は、その円板状の先端に刻まれた、レリーフの目をきらめかせて、答えます。
「いや、あの方は、ムスカルやわたしの師匠にあたる、大魔術師マンスリー様だよ。今は引退されて、田舎に隠棲されておられるが」
シュナンが納得して、頷きます。
「あの、すごく高名な・・・。美しい方ですね」
しかし、師匠の杖は、フンっと鼻を鳴らすような音を立ててから、言いました。
「今は、ただの婆さんだよ」
その後、シュナンは、クズタフ隊長の先導で、ホール中央にある階段を登り、一階のホールから、大小のパーティー会場や応接室のある二階、さらに階段を登って居住室や、倉庫のある三階に移動しました。
そこから先の上の階は、建物自体が、半透明の水晶でできた塔の様になっており、中央を貫く螺旋階段が、上の階へ向かって延びています。
クズタフ隊長と、その後ろに続く我らがシュナンは、その細長い形状の塔の内部の各階間に設けられた、階と階をつなぐ、中間に踊り場がついたクリスタルの螺旋階段を登り、王が住まう最上階の部屋を目指します。
螺旋階段を登るごとに各階ごとに区分けされた、色々な用途に使われている様々な大きさの部屋が、次々と現れ、それらは内装を含めて、全て水晶で出来ており、隊長の後について階段を登るシュナン少年は、手に持つ杖を通じて、その事を確認し、改めて驚きます。
一方、彼の前を行くクズタフ隊長は、王の居室に近づきつつあるせいか、階段を登りながら、額に冷や汗を浮かべています。
どれだけ、階段を登った事でしょう。
やがて、いくつもの階層を通り抜け、その各階を縦方向に連絡している、螺旋階段を登りきった二人の前に、王の玉座のある最上階の部屋が、その姿を表しました。
通称、水晶魔宮と呼ばれる、その部屋は、やはり透明度の高い青みがかった水晶で作られており、正面の閉じられた取っ手のない大きな扉から、中の様子が透けて見えました。
王の部屋の扉の前の通路に立つ、シュナン少年とクズタフ隊長の耳に、やがて何処からか、甲高い男の声が聞こえて来ました。
[久しぶりだな。レプカールよ。中に入るがいい。クズタフは、そこで控えておれ]
その声と同時に、正面の大きな扉が、スーッと上の方に開き、そこから、王の玉座のある、部屋の中の様子が見て取れました。
クズタフ隊長は声の指示通り、扉の前に跪いて待機し、隣にいるシュナンに、中に入るよう、うながします。
「王が、お待ちだ。中に入るがいい。その背中の荷物は、置いていったらどうだ?良ければ、ワシが預かろう」
しかし、クズタフ隊長が親切心で言った、シュナンが背負った大きな箱型の荷物を預かろうという提案を、少年が持つ師匠の杖が、一蹴します。
「いや、これは、ムスカル王への贈り物でな。ご親切にありがとう」
そしてシュナンは、扉の前に控えるクズタフ隊長に対して一礼すると、いよいよ、王のいる部屋に入っていきます。
扉をくぐって、部屋の中に入ったシュナンは、師匠の杖を通してみる、その内部を見て驚きます。
四角い土台に乗った鉛筆みたいな形状の、クリスタルパレスの最上部に位置する、その大きな部屋は、豪奢なカーテンやテーブルなど、いくつかの家具以外は、壁や床を始めとして、すべてが水晶で出来ていたのです。
そして真正面には、これまたクリスタル製の長い階段が付いた、背の高いひな壇があり、床からは見上げるほどの高所にある、その壇上には、金色の玉座が置かれています。
ひな壇の上に置かれた豪奢な玉座には、貴族風の服の上に白いマントを羽織った、一人の男が座っていました。
男はスッと玉座から立ち上がると、壇上を歩き、部屋の床へと続く階段の側まで近づくと、そこから階段下の床に立つシュナンを、見下ろしました。
彼は中肉中背の壮年の男性で、茶色の髪を横分けにして、端正な顔に皮肉っぽい微笑を浮かべて、壇上からシュナンを見下ろしていました。
特徴的なのは彼が、その冷たい光をたたえた青い眼を覆う様に、顔に奇妙な器具を、付けている事でした。
その器具は、楕円形の薄い透明色の水晶みたいなものを、二つ横に並べた形状をしていました。
そして、その二枚の平たい楕円形の透明な物体を囲むように、細いつるが付いており、それを鼻と両耳に引っ掛けて、透明な物体を、ちょうど両目の上に固定する、仕様になっていました。
それは、魔術師であるムスカルが超技術で作った、視力を増幅する、メガーネという魔道具であり、後世では「眼鏡」と呼ばれる代物でした。
面倒くさいので今後は、この作品でも、この道具を「眼鏡」と呼ぶ事にします。
さて、その男は眼鏡を光らせながら、その奥から覗く冷徹な眼で、ひな壇の壇上から、その階段下付近の床に立つシュナンを見下ろします。
一方、その部屋の床に立つシュナンは、壇上にいるその白いマントを羽織った男を、師匠の杖を通じて見上げました。
二人の視線は、部屋の床と玉座のある壇上とを繋ぐ、ひな壇の長い階段の真ん中で、交差しました。
やがて、シュナンの持つ師匠の杖が声を、発します。
「久しぶりですな、ムスカル兄者」
その声を聞いた壇上の男は、眼鏡の奥の目をキラリと光らせると、ひな壇の階段の下に立つ、杖を持つシュナン少年に対して、言いました。
「ああ、久しぶりだな。レプカールよ。もっとも、お前の本体は、遠く離れた場所にいるようだな。杖に身をやつして、余の前に現れるとはー。兄弟子である余に対して、少し無礼ではないかね。ところで、杖を持っているのは、貴様の弟子か?」
そう今、玉座のあるひな壇から、階段下のシュナンを見下ろす、この人物こそ、この王国の支配者であり、稀代の魔術師にして、邪神モーロックの地上代行者。
ムスカル・ド・トルウル王、その人だったのです。
[続く]




