旅立ち その3
師匠である、手に持つ杖と共に、魔の山を行く、魔法使いの少年シュナン。
彼が、欝蒼とした木々に囲まれた、山道を歩いていると、今度は、その道の真ん中に、まるで道を塞ぐ様に、頭の左右に角を持つ、背の高い大男が、立っていました。
彼はオトールといって、魔の山の奥深くに住む住人であり、山に迷い込んだ旅人や、功名を上げる為に山にやって来た人間の戦士を、捕らえて食べてしまう、恐ろしい悪鬼でした。
悪鬼は腰に布を巻いたのみで、ほとんど裸同然の姿をしており、そのたくましい赤銅色の筋肉質の巨体を、見せびらかしながら、シュナンの前に立ちはだかっています。
彼は、自分の半分ちょっとぐらいの背丈しかない、杖を持った少年を、舐める様な視線で見下ろしながら、言いました。
「やい小僧、俺の名はオトール。山のこの辺は、俺様の縄張りなのだ。本来なら有無を言わさず、頭から食ってやるところだが、あいにく俺は、さっき山鹿を捕らえて食ったばかりで、腹がいっぱいなんだ。土下座して泣いて頼むなら、見逃してやってもいいぞ」
シュナンは、悪鬼オトールの威嚇にもひるむ事なく、目隠しをした顔を上げ、落ち着いた声で言いました。
「僕の名前はシュナン。遥か北の都からやって来た、魔法使いだ。僕はある目的のために、この山までやって来た。だけどそれは、君を退治する事じゃない。実はこの山に住む、メデューサの子孫に、会いに来たんだ。彼女がどこにいるか、教えてくれないか?教えてくれれば、君には危害は加えない」
シュナンの余裕しゃくしゃくの様子を見て、オトールは腹を立て、目をつり上げます。
そして怒った彼は、シュナンに対して、さらにある提案をして来ました。
「ふんっ、生意気な小僧め!良かろう、そんなに自信があるなら、俺と勝負しろ。力くらべだ!ただし魔法は使うなよ。男らしく、自分の力だけで勝負だ。背中が地面についたら、負けだからな。もしお前が勝ったら、メデューサの居場所を教えてやる。ただし、負けた時はー。わかってるだろうな?」
そう言うとオトールは、道の真ん中に陣取り、腰を落として、臨戦態勢を取ります。
シュナンは、彼のその姿を見るとうなずいて、魔法の杖を、側に生えていた木に立てかけ、羽織っていたマントも脱ぎ捨て、地面に落とします。
木に立てかけられた師匠の杖が、心配そうに言いました。
「大丈夫か、シュナン?相手は鬼だぞ」
シュナンは肩をすくめると、落ち着き払って答えます。
「ご心配無く。身体の大きな奴の相手は、慣れてますから」
沈黙した杖が、立て掛けられた木から見守る中、マントを脱ぎ捨てたシュナンは、山道を塞ぐ様に立っている悪鬼オトールに向かって、ゆっくり近づいていきます。
しかし何故か、杖を持っている時とは違って、彼の歩みは遅く、前方を確認するかの様に腕を伸ばしながら、フラフラと歩いており、まるで、急に目が見えなくなったみたいでした。
フラフラと蛇行しながら、こちらに近づくシュナンを、訝しげに見つめる、悪鬼オトール。
そして狭い山道の路上で、シュナンとオトールは、向かい合います。
その姿はまるで、山道のど真ん中で、大人と子供が、睨み合っている様でした。
やがて、正対するシュナンと悪鬼オトールは、腕を上げて、互いの手と手を組み合わせ、両腕をアーチ状にして、それを押し合う、力比べを始めました。
悪鬼オトールは、その太い腕に力を込めて、差し向かいで組み合わせた、シュナンの両手を圧迫し、彼の身体を、押し潰す様な体勢を取ります。
しかしシュナンは、そのほっそりとした体型にも関わらず、意外と力があり、オトールは、なかなか彼を、地面にひざまずかせ、屈服させる事が出来ません。
業を煮やし、更に両腕に力を込める、悪鬼オトール。
シュナンも負けじと、オトールの腕を、押し返します。
互いに組み合わせた、手のひらと手のひらの間から、汗が滴ります。
そして、がっちりと組み合った態勢のまま、長い時間が過ぎ、両者の身体は、汗でびっしょりになっていました。
互いに荒い息を吐き、顔も真っ赤になっています。
その時でした。
シュナンを押し潰そうとしていたオトールの力が、一瞬緩んだ隙に、シュナンが今までに無い強い力で、繋いでいたオトールの両腕を、撥ねとばす様な勢いで押しました。
オトールは不意を突かれ、身体のバランスを崩し、仰向けの状態で、地面にぶっ倒れます。
「うがーっ!!し、しまったぁーっ!!」
絶叫して、地面に崩れ落ちる、悪鬼オトール。
こうして、人間と怪物との力比べは、意外にも、人間の少年の勝利で、終わったのでした。
気恥ずかしい様子で頭を掻き、地面に横たわるオトールは、彼を側で見下ろす勝利者である、シュナン少年に向かって、言いました。
「ううむ、やられた。細っこいのに、恐ろしい小僧だ。わかった、メデューサの住む館へ行く道を、教えてやろう」
彼は、山奥へ続く道の向こうを指し示しながら、言葉を続けます。
「この一本道を、3キールぐらい登ると、大きな菩提樹の木がある。そこを右に行くと、ごつごつした岩場になっている場所に出る。そしてそこに、人の背丈ぐらいの洞窟があるから、その中に入るんだー」
「ありがとう、オトール」
オトールの説明を聞いたシュナンは、彼にお礼を言いました。
そして、周りを探る様な手つきで、両腕を、目の前の宙であちこちに動かし、足をフラつかせながら、杖を立てかけた木に向かって、ゆっくりと戻って行きます。
そのおぼつかない歩き方を見ると、やはり彼は、目が見えていない様でした。
彼の顔の上半分を覆っている、目隠しのせいでしょうか。
だとしても、何故ー。
シュナンは、木の根元にたどり着くと、立てかけた杖を手に取り、地面に落としたマントを拾って、身体にまといます。
そして、未だ地面に倒れたままのオトールを横目に、その場を、しっかりとした足取りで、去っていきます。
その歩みには、先程までの、まるで、盲人の様な迷いや躊躇は、一切ありませんでした。
彼は、山奥へと続く一本道を、真っ直ぐ足早に、進みます。
そして、ようやく地面から身体を起こした悪鬼オトールは、自分を倒した、その謎多き少年の去りゆく背中を、じっと見つめます。
シュナンの姿が、霧のかかった山道の、向こう側へ消える直前、魔の山の悪鬼オトールは、彼の背中に向かって、大声で叫びました。
「おーい、小僧っ!!さっき話した洞窟の中には、この山で、最も恐ろしい魔物が潜んでいるっ!気をつけろっ!!そう簡単に、くたばるんじゃねえぞ!!!」
彼は、魔の山の危険に一人で挑む、少年の勇気に敬意を表すために、そう叫んだのでした。
シュナンは、後ろを振り向かずに、杖を持った手を軽く振って、オトールの言葉に答えます。
やがて、魔法使いの少年の後ろ姿は、霧に包まれた山道の向こうへ消えて行きました。
[続く]