邪神モーロックの都 その5
さて、テトラの用意してくれたテーブルの周りに、椅子を並べて座るシュナン一行は、彼らと同じくテーブル席を囲む吟遊詩人デイスから、この街の事情を聞く事にしました。
側に立っているテトラも、シュナンたちの食事の世話をしながら、会話に加わります。
デイスは、テーブルの上に置かれたコップの水を、一息で飲みほすと、両手を組んで膝の上に置き、同じテーブルを囲むシュナン一行に、自分の知っている情報を話し始めました。
「今から、約20年前の事です。かつては寂れた寒村だった、この地に、あの男がやって来たのは。男は、ボロボロの身なりをした旅の魔術師で、ある目的があって、この地に来訪したんです。それは、ある宗教を広めるためでした」
淡々と話し続ける、吟遊詩人デイス。
「それはモーロック教という、奇怪な牛頭の魔神モーロックを、崇める宗教でしてね。その男ー。ムスカルの熱心な勧誘で、モーロックを崇める者は、どんどん増えていきました。と、いうのもモーロックを崇める者には、とんでもない現世利益が、もたらされたからなんです」
「現世利益?」
テーブルに腕を組みながら座るレダが、デイスに尋ねます。
「ムスカルが建てた、モーロックの神殿の中にある石像からは、何故か、純金や宝石が、止めどなく溢れ出て来るんです。信じられないでしょうがー。ムスカルは、それを惜しげもなく、信者に分配しました。かくして村のほとんどの人間は、ギリシャの神々に対する信仰を捨て、モーロック教の信者となってしまいましてね。村はどんどん大きく豊かになり、町へと発展し、やがて、城壁に囲まれた都市国家に成長したんです。そしてムスカルは、市民の総意で、国王に選出されたのです。しかしー」
デイスはそこで、一旦、話を区切ると、悲しげな表情で、近くに立つテトラの方を、チラリと見ました。
「ムスカルが王になってから、しばらくの事です。なんと彼は、街に住む5歳以下の子供の中から100人を、モーロック神への生贄として差し出すよう、要求してきたんです。自分はモーロック神と、富と引き換えに子供を生贄に差し出す契約を、すでに交わしているのだと。もちろん、市民は反発しましたよ。でも軍事と経済を、完全にムスカル王に握られていて、結局、子供たちは、無理矢理奪われ、神への生贄にされてしまいました」
「ギブ・アンド・テイクという訳か」
シュナンの持つ師匠の杖が、皮肉っぽく言います。
テーブルの側に立つ、テトラの肩が、ピクンと震えました。
無神経な発言をした師匠の杖に、シュナン一行は、一斉に非難の目を向けました。
頭を覆うフードの奥から、師匠の杖を睨みつける、メデューサ。
「さいてー」
レダも、テーブルの向かい側で、呆れたように肩をすくめます。
「本当、信じられない。弟子のシュナンは、こんなに優しい人なのに」
普段は温厚なボボンゴも、何だか、怒っているみたいです。
「意地悪、良くない」
そしてシュナンは、自らの持つ杖に向かい、諭す様に言いました。
「レプカール師匠、もう少し、言葉使いには気をつけて下さい」
師匠の杖は、みんなに責められ、その円板状の先端にある、大きな眼のレリーフを、困った様に煌めかめせます。
「やれやれ、お人好し揃いだな。まぁ良い。それよりデイス殿、話の続きを聞かせてくれ」
師匠の杖にいきなり話題を振られて、一瞬、戸惑ったデイスでしたが、気をとりなおして、いったん中断した、この国の事情についての話を続けます。
「そういう訳で、この国では、数年ごとに100人の子供たちを、モーロック神の生贄として差し出しているんです。神から下賜される、黄金や財宝と引き換えにね。生贄に差し出す子供は、身分の上下に関わらず、ランダムに選ばれます。おそらく、人々の不満をそらす為でしょうがね」
彼の横で、テーブル席に座るレダが、首をかしげます。
「デイスさん、随分、この国の事情に精通してるのね。ずっと、この国にいるの?」
何故か、慌てたように手を振る、デイス。
「いや、あっしが、この国に来たのは、数ヶ月前の事です。あっしの奏でる音楽が、ムスカル王に気に入られましてね。王宮に出入りできるようになったんです。そこで働く、女官や兵士とも知り合いになり、色々な話を聞いたんですよ。先程、話した、生贄に選ばれた自分の子供を、あっしに託した女官も、その一人です。子供を連れて、こっそりと王宮を、抜け出そうとしたのですがー。兵士達に見つかってしまい、必死に街中を逃げ回っているところを、あなた方に助けられたと言うわけです」
デイスの言葉に頷く、シュナン。
「なるほど、でも、そんな酷い悪習が、何十年も続いているなんて、信じられないな。市民が、一致団結して反対すれば、いくら、ムスカル王の力が強大だとしても、そうそう、彼の思い通りにはいかないはずー」
しかしデイスは、視線を下に落として座りながら、首を横に振りました。
「残念ながら、自分たちが豊かに暮らすためには、子供たちが犠牲になるのは、仕方がないと考えている者も、市民の中にはいるのです。しかも、市長のカムランを初め、かなりの数の人たちがね。もちろん、今までには、ムスカル王に逆らおうとした人間も、何人かいましたが、大魔法使いであるムスカルと、その配下である、ジョドー将軍率いる軍勢には、歯が立ちませんでした。まぁ、確かに、あなたの言う通り、市民全員が一丸となって、彼らに対抗していれば、話は違っていたかもしれませんがね」
その時、今までシュナンたちが座る、テーブルの横に立って、飲食の給仕をしてきたテトラが、初めて声を上げ、彼らの会話に口を挟みました。
「でも、あたし達、もう我慢出来ません。この何十年間、わたし達の兄弟や子供達は、何千人も魔神の生贄にされてきた。とうとう今度は、わたしの大切な一人息子までー。お願いします、皆さんっ!子供達を、助けて下さい!!皆さんなら、出来るはずです。人間離れした能力を持つ、あなた方なら」
「その為に、我々を助けたという訳だ。利用して、ムスカス王と戦わせる為にー。化け物には、化け物をという所かな」
冷たい声で言い放つ、シュナンが持つ、師匠の杖。
「師匠・・・」
小声で魔法の杖をたしなめた、シュナンでしたが、やがてテーブル席から、側に立っているテトラの方を、目隠しをした顔で見上げると、少し申し訳なさげな声で言いました。
「助けてくれたのは、本当にありがたいと思っている。だがやはり、君たちの為に、この国の王と軍隊を、敵に回す訳にはいかないよ。リスクが大きすぎる。僕たちには大切な使命があるし。それにやはり、この国の問題は、君たち自身で、何とか解決すべきだと思う・・・」
テトラの懇願を、やんわりと拒絶したシュナンに、その手に持つ師匠の杖が、すぐさま同意の言葉を発します。
「よく言った、シュナン。その通りだ。我々には、全人類の為に「黄金の種子」を見つけるという、崇高な使命があるのだ。こんな所で、道草をする訳にはいかん。それに、ムスカスは我が兄弟子。うかつに敵に回して、良い相手ではない」
シュナン一行の他のメンバーたちも、気の毒そうな表情で、テーブル席から、テトラの懇願する必死な姿を見ていました。
ですが、彼らもどうやら、リーダーであるシュナンと、同意見の様でした。
優秀な戦士であるレダやボボンゴ、そして特殊な能力を持つメデューサも、強大な魔法使いが率いる軍団と戦う事が、いかに無謀で危険であるかは、良く解っていたのです。
一方で吟遊詩人デイスは、沈んだ暗い表情でテーブル席の椅子に座りながら、膝の上で組んだ自分の両手を、じっと見つめていました。
地下室の部屋全体を、重苦しい雰囲気が包みます。
その時でした。
「なら、仕方がないわ」
不穏な言葉と共にテトラは、いきなりテーブル席に座るシュナンの手から、師匠の杖を奪い去りました。
「な、何をーっ!」
「くっ!!」
驚きの叫びを同時に上げる、シュナンと師匠の杖。
いきなり目の見えなくなったシュナンは動揺して、杖を取り戻そうと、両手をあちこちの宙に伸ばします。
テーブル席で、シュナンの隣に座るメデューサは、目深くかぶったマントのフードの中から、テトラを怒鳴りつけます。
「何をするの!?あなたっ!!」
テーブルの向かい側に座るレダとボボンゴも、思わず椅子を蹴って、立ち上がろうとした、その時でした。
ダダダーッという無数の足音と共に隣の部屋から、大勢の男たちが、シュナンたちのいる酒場の地下にある貯蔵室に、なだれ込んで来たのでした。
[続く]




