ペガサスの少女 その9
大きな円陣を組んで天を飛ぶ、ペガサスの少女たちは、クラーケンが、巨大な白波を蹴立てて、こちらに近づいて来るのを見るや、その場で翼をはためかせながら、空中でいったん静止し、運んできた大きな網を、海上の宙空に、協力して広げると、件の怪物が、自分たちの真下を通過するのを、じっと待ち構えます。
彼女たちは、円陣を組んで浮遊しながら、その真ん中に置いた、丈夫な蔓草で編み上げた、巨大な投網の端を、それぞれが長い首を伸ばした口先に咥え、空中で協力して支えていました。
それは遠目から見ると、漁師の使う網を、巨大化させた様な物体が、空中をフワフワと、浮いているように見えました。
一方、沖の方に目をやると、怒りにまかせて波を蹴立て、海岸の方に近づいて来る大海獣クラーケンの、海面に半身を突き出した巨大な姿と、その眼前を羽虫のごとく旋回して飛ぶ、シュナン少年の小さな姿が、水平線の向こうに、かすかに見て取れます。
羽虫のごとく眼前を飛ぶシュナンを、血相を変えて海を泳ぎ、追いかける、魔獣クラーケン。
それとは対照的に、反対方向の海岸側から飛んで来て、沿岸近くの海の上空に、大きな網を広げながら、滞空して陣を張り、クラーケンがやって来るのを、静かに待ち受ける、ペガサスの編隊。
水平線の向こうから迫り来る、クラーケンの巨大で異様な姿が、宙空で待ち受けるペガサスの少女たちの、澄んだ瞳に映ります。
海と空で、上下の空間を挟み対峙する両者は、どんどん接近して、砂浜近くの浅瀬の海で、今まさに、すれ違おうとしていました。
飛行するシュナン少年は、空中で微妙に進路を変えると、背後から波を蹴立て追ってくるクラーケンが、前方の空で網を広げて待ち構えるペガサスたちの群れと、ちょうど正対する様に、海獣を上手く誘導します。
そしてー。
双方が浅瀬の海ですれ違おうとする、その刹那、シュナンは急に飛ぶスピードを上げて、空中で、ペガサスの群れと交差しました。
その瞬間、彼は叫びました。
「今だっ!!網を落とせっ!!!」
次の瞬間、ペガサスたちは、円陣を組んで支えながら運んでいた、その大きな網を、海を泳いでこちらに迫る、クラーケンの頭上に落としました。
落とされた網は、フワリと空中で大きく広がって、重りがついている為か、徐々に加速し、海を行くクラーケンに向かって、急速に落下していきます。
そして、シュナンやペガサスたちが、空中で迂回しながら見守る中、その落とされた網は、海上のクラーケンの身体に接触し、その巨体をすっぽりと包みこみました。
「イアーッー!!イアッー!!イタベタッ!!」
今では誰にも理解出来ない、古代の言語で咆哮を上げる、大海獣クラーケン。
彼は夢中でシュナンを追いかけていた為、上空で待ち構えるペガサスの編隊に、ギリギリまで気づかなかったのです。
そして、いきなり上空から網を落とされ、それに身体を絡みとられて、クラーケンはパニックに陥ります。
クラーケンはその怪力で、絡みついた網を引きちぎろうとしましたが、樹齢千年以上の大木の蔓で作られたそれは、とても丈夫で柔軟性もあり、さしもの大海獣の力をもってしても、縄から抜け出す事は出来ませんでした。
むしろ、ジタバタと動いたせいで、その網は、ますます彼の身体に、深く絡みつきました。
「グアッ!!メンラー!!モ!!イタベタッ!!」
そして、浅瀬の海で網に絡まれ、それを外そうと、波を立てて暴れるクラーケンを、上空から、ペガサスの群れと共に見下ろすシュナン少年は、網が完全にクラーケンの身体を覆ったのを確かめると、海岸の方に向かって、合図をするように、大きく手を振ります。
実は、クラーケンの上に落下し、彼の身体を拘束している、その大きな網には、一本の太くて長い丈夫な手綱が、取り付けられていました。
その丸太の様な、極太のロープを引けば、網はキュッとすぼまり、中に入った者は、出られなくなる仕組みだったのです。
そして、その長い長いロープは、海の中を真っ直ぐに走り、海岸の方へ延びています。
一方、その海岸では、砂浜まで延びた長いロープの周辺に、ボンゴ族の男たちが、長蛇の列を作って、待機していました。
ボンゴ族の男たちは、砂浜の上に置かれた、海へと延々と続く、長い極太ロープの側にうずくまり、それぞれが綱引きをする様に、両手で、そのロープを握りしめています。
海岸の砂浜にずらりと並び、綱引きの要領でロープを握りしめる彼らは、拘束された海中のクラーケンの真上で空に浮かぶ、シュナンからの合図で、一斉にロープを引く瞬間を、今や遅しと待ち構えていました。
海獣クラーケンを、そのホームグランドである、海の中から引きずり出し、無力化する為に。
そう、これこそ、シュナンとその師であるレプカールが、ペガサス族とボンゴ族に提案した、共同作戦の中身でした。
それは、海の中では無敵を誇る海獣クラーケンを、まず海岸近くの浅瀬までおびき寄せ、それからペガサス族とボンゴ族が共同で、彼を大きな網で捕らえて、そのまま、陸地まで引きずり出して倒すという、大がかりな作戦でした。
砂浜で、長く太いロープを両手で持ち、綱引きをする様に順番に並んでいる、ボンゴ族の男たちの先頭に立つのは、一族の長ボボンゴでした。
彼は、ペガサスたちと共に、網に捕らわれた海中のクラーケンの直上で空に浮かぶシュナンが、杖を大きく振って合図をしたのを見ると、自分の後ろに並んでロープをもつ仲間たちに、大声で呼びかけます。
「今っ!!引けっ!!!ボンゴッ!!ボボンガッ!!!」
ウオーッという、裂帛の気合いと共に、綱引きの要領で、怪力揃いのボンゴ族が、一斉にロープを引きます。
すると、砂浜から海中へと延びる太いロープは、たちまちピンと張って、先端についた網を、茶巾袋みたいにキュッと引き絞ると共に、その中に捕らわれた海の底でもがくクラーケンを、海岸の方にズルズルと引き摺り始めます。
「ヤキガースー!!!」
必死に抵抗するクラーケンでしたが、浅瀬の海にいる為に、本来の力を発揮できず、網に閉じ込められたまま、海底からズルズルと陸地の方へ、引き摺られていきます。
海岸に近づくにつれ、その巨体は水の中から引きずり出され、その奇怪な全身が、露わになってゆきます。
シュナンと、ペガサスに変身した少女たちは、その様子を、海の上の空中に浮かびながら、ジッと見下ろしていました。
そして、ついに海の海獣クラーケンは、一丸となってロープを引く、ボンゴ族の手により、完全に水の中から引きずり出されました。
「シーチャ!!!マシマシ!!!ギネッ!!!メエカヒッ!!!ンガーッ!!!」
ホームグラウンドである海から、陸地に投げ出され、網に包まれたまま、狂ったように、砂浜で、のたうち回るクラーケン。
そしてー。
そんな風に網に包まれた、その巨体を、白日の下にさらしたクラーケンに向かって、周囲の砂浜にいるボンゴ族の間を縫う様に、一つの人影が近づいて来ました。
[続く]