旅立ち その1
[メデューサ]
古代ギリシャ神話における、伝説上の怪物。
かっては美しい人間の少女であったが、その傲慢さから、女神アフロディーテの怒りを買い、髪の毛が生きた蛇と化した、恐ろしい姿の怪物に変身させられた。
その目は魔力を持ち、見た相手を石に変えたという。
後に、英雄ペルセウスの策略により倒され、その首を刎ねられ殺された。
その流れ出た血から、天馬ペガサスが、生まれたといわれる。
その山は、濃霧に包まれていました。
以前は、神山と呼ばれたその山を中心にした、この辺りは、かっては、ある王国の支配下にある都市の一つであり、穀倉地帯として、大いに栄えた場所であったのです。
神々と、その命を受けた人間の軍隊に、蹂躙されるまでは。
今では、その地域は、すっかり荒れ果てた土地となり、各所に貧しい農家か、ぽつんぽつんとあるだけの、荒涼とした場所に、なり果てていました。
やがて、その土地の中央に屹立する山には、様々な魔物が棲みつく様になり、今では周りに住む人間たちは、誰一人と近づかない、禁忌の場所と化していたのです。
そして今、その魔の山の入り口に当たる麓に、一人の異形の少年が立っていました。
もちろん、彼は魔物ではありません。
だが、その姿には、一見して人の心をざわつかせる、異質さがありました。
少年は、仕立ての良い貴族風の紺色の制服を着ており、その上から、黒いハーフマントを羽織っていました。
そして、奇妙な形の、木製の長い杖を、手に持っていました。
その杖の先端は、三つの突起の付いた円板状になっており、円板にはレリーフ状の、大きな一つの眼が刻まれています。
何より奇妙だったのは、青灰色の髪を持つ彼の、顔の上半分が、目隠しをするように、黒っぽい布で覆われていた事でした。
これでは、前が完全に見えない筈です。
しかし彼は、昨夜、一泊させてもらった農家を出て、この場所に来るまでの間、真っ直ぐ普通に歩いており、方向を間違える事もありませんでした。
これは、一体どういう事でしょう?
その不思議な少年は、今から登ろうとしている、濃霧に包まれた魔の山の頂を、目隠しで覆われた顔で、見上げています。
彼の眼には、果たして、その山の様子が見えているのか、やがて彼は、視線を真正面の山の麓の入り口に戻すと、誰に向けたのか、ポツリと呟きました。
「師匠、この山に、メデューサ族の最後の生き残りが、住んでいるんですね」
するとー。
不思議な事に、彼の持っている、一つ目が刻まれた、長い杖が、甲高い声で喋り出しました。
「そうだ、シュナン。神によって罰を受け、人から怪物に変えられた、呪われた一族。その髪は無数の蛇であり、その眼は、見つめる者を石に変える、魔眼だという。初代のメデューサは、英雄ペルセウスに倒されたが、彼女には子孫がおり、その最後の一人が、迫害の手を逃れ、この山に隠れ棲んでいるのだ」
「・・・」
無言で頷く、少年。
そう彼らは、遥か彼方の北の都からやってきた、魔法使いの少年シュナンと、その師匠であり、今は弟子の持つ杖に身をやつした、大魔法使いレプカールの、仮の姿だったのです。
彼らには、ある目的があり、伝説の怪物メデューサの子孫に会う為に、はるばる、この辺境の地までやって来たのでした。
一年近くかけて、都から、ようやく、ここまで来た彼らは、昨夜は、付近の農家に泊めてもらいました。
金に目が眩んで、変な杖を持った、目隠しをした不思議な少年を、家に泊めた、農家の人々は、やがて彼の様子に奇妙な感想を抱きました.
彼は、食事や、少しの距離を移動する際にも、常にその手から杖を放さず、何かの拍子で杖を横に置くと、途端に、急に目が見えなくなった様に、振る舞うのです。
農家の人々は、そんな彼の事を、奇異な目で、遠慮がちに見ていたのですが、基本的には親切な人達であり、彼の目的が魔の山に行くことだと知ると、懸命に止めようとしました。
しかし、シュナン少年は、村人達の心遣いには感謝しつつも、結局、その意思は変わらず、農家の人々の心配そうな視線に見送られながら、今日の明け方に、その村を出立したのでした。
そして、ついに伝説の怪物メデューサが住むという、この魔の山の入り口まで、やって来たのでした。
霧に包まれた、魔の山の入り口に立つ少年は、彼が持っている師匠の杖に向かって、再び語りかけました。
「それじゃ、行きましょう。レプカール師匠」
不思議な事に、その杖に刻まれた大きな眼が、一瞬まばたきをした後で、シュナンに返事をしました。
まるで、自分の意思があるかの様にー。
「うむ。油断するなよ、シュナンドリック」
こうして、その目を布で覆った、不思議な少年シュナンは、手に持つ杖と奇妙な会話をしながら、山の奥へと続く、霧深き道の向こうに歩き出したのでした。
[続く]