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英霊の天秤  作者: 徹夜で昼寝
1章ビラと清瀑刀
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2話④

訓練室を出ると、塔矢は一行をさらに研修棟の奥へと導いていった。


廊下は薄暗く、足音がコンクリートの床を鋭く叩く。


頭上では蛍光灯が低くうなりをあげ、壁際に並ぶ赤いランプがゆっくりと瞬いていた。


それはまるで、先に待つものが危険だと告げているかのようだった。


小鳥遊晴人は、自分の左手首をそっと見やった。


冷たい金属のブレスレットが、妙に重く感じられる。


──さっきのあの一瞬、揺らいだ感覚。あれが、本当に俺の霊力なんだろうか。


短髪の少女は黙ったまま塔矢を見つめ、緊張を隠すように背を伸ばして歩いていた。


真壁が低く呟く。


「次の訓練ってやつ……本当にやべぇ世界だな。さっき霊装出せなかったのに、今度は霊力を感じろってかよ」


和装女子も深い息を吐く。


「頭がいっぱいです……。正直、ついていけるか心配になってきた……」


塔矢は振り返らずに告げた。


「恐怖は当然だ。だが、知ることを恐れるな。それが術師の第一歩だ」


やがて、一行の前に重厚な鋼鉄の扉が立ちはだかった。


そこには、厳めしい文字で【霊力充填室】と刻まれている。


塔矢が立ち止まり、全員を振り返る。


「これから行うのは、霊力を感じるための訓練だ」


その声は厳格だったが、微かに柔らかさも滲んでいた。


「部屋の中は、外とは比べ物にならないほど高濃度の霊力で満たされている。お前たちはその中で、自分の霊装を発現させようと試みる。それが最初のステップだ」


和装女子が眉を寄せる。


「それだけで……感じられるようになるんですか……?」


塔矢はゆっくり首を横に振った。


「霊力を感じるのは、一朝一夕で身につくものではない。だが、自分の内側を意識する最短の方法は、濃密な霊力に身を置くことだ」


短髪の少女が低い声で問いかけた。


「感じるって……どんな感覚なんですか」


塔矢の瞳が鋭く細まる。


「人によって異なる。熱、冷たさ、音、光、波、重さ……。だが、それは必ずお前たち自身の中にある」


真壁は渋い顔で吐き捨てる。


「全部、雲をつかむみたいな話だよな……霊力とか守護霊とか……」


塔矢はその言葉を切り捨てるように告げた。


「わからないのは当然だ。だが、その『わからない』を超える者だけが術師になれる」


そして扉に手をかけ、ロックを外した。


ギギィィ……


重い鉄が軋む音とともに扉が開く。


空気が変わった。熱くはないのに、肌を押し返すような圧力が漂っている。


短髪の少女が目を細める。


「……空気が……変わった……」


和装女子も胸に手を当てた。


「息が……少し苦しい感じ……」


部屋の中には、淡い青白い霧がたゆたい、微かな光が散り、空間全体が幽かに揺らいで見えた。


塔矢は短く命じる。


「入れ」


全員が足を踏み入れた。


入った瞬間、空気が別物に変わった。音が遠のき、まるで水の中にいるような静寂が耳を包む。


霧が微かにまとわりつき、背筋を這うような寒気が走った。


和装女子は小さく呟く。


「……ここ、本当に別の世界みたい……」


短髪の少女も低く言った。


「息をするだけで……体が重い」


塔矢の声が外から響く。


「感じられないうちは、ただの重苦しい空間だ。しかし感じ始めた瞬間──全てが変わる」


その隣で塔矢と並んでいた琴音が、ガラス越しに訓練室を見つめていた。


霧の向こうで目を閉じる晴人たちの姿が、自分の昔の姿と重なる。


──自分も、あの中にいた。


まだ術師候補生だった頃。あの冷たく重い霊力充填室で、必死に霊力を探していた。


最初は何も感じず、ただ霧が濃いだけの空間だった。


しかしある瞬間。


心臓とは別のところで、脈打つ何かが生まれた。


──それを感じた瞬間、私は吐いた。


空気が急に重く、体が締め付けられ、頭の奥に鋭い痛みが走った。喉の奥が熱くなり、気づけば床に手をつき、胃の中のものを全部吐き出していた。


霊力を知覚するとは、それほど人間にとって異質な体験だった。


──今思い出しても、皆の前で吐いちゃったのは恥ずかしい……。


琴音はそっと目を伏せ、再び訓練室の奥を見つめた。


「……頑張って」


その小さな声は、訓練室までは届かない。だが、そこには確かな祈りが込められていた。


中では、全員が試行錯誤を続けていた。


晴人は息を整え、そっと目を閉じる。


──波の音……あのひんやりとした流れ……。


集中するたびに、それは近づくのに、掴もうとした瞬間にふっと消える。


和装女子も目を閉じ、静かに呼吸を繰り返す。


──私の中に、何かが流れている気がする。でも、それが霊力なのか、自分の思い込みなのかすらわからない……。


真壁は拳を握りしめ、額に汗を浮かべた。


──くそ……! 熱い感覚はある。でも、それが霊力なのかただの興奮なのか……全然わかんねぇ!


短髪の少女もそっと瞳を閉じ、息を沈めた。


──心臓とは別の脈動。先生はそう言ってた。でも……何も感じない。私には無理なのかな……。


霧は静かに揺れ、時折細い光が部屋を満たしていく。


やがて、低い電子音が鳴り響き、訓練室に女性の合成音声が流れた。


【訓練時間終了です】


塔矢がゆっくり扉を開けた。


「──出ろ」


外の空気は、まるで一気に軽くなったように感じられた。


真壁が深く息を吐いた。


「……ダメだ……何も掴めなかった……」


和装女子も疲れたように呟いた。


「波の音どころか……何もわからなかった……」


短髪の少女は目を伏せ、静かに言った。


「ただ、空気が重いだけ。でも、すごく……疲れた」


晴人は小さく息を吐き、ブレスレットを見つめた。


「俺も……。掴みかけたと思ったのに、また消えた……」


塔矢は全員をゆっくりと見渡した。


「霊力を感じるというのは、一朝一夕にはできない。今日、何も感じられなかったのは当たり前だ」


その声は厳しかったが、微かに優しさが滲んでいた。


「だが、感じようとしたこと。それ自体が前進だ」


真壁は眉を寄せ、唇を噛む。


「でもよ……オレ、やっぱり霊力とか守護霊とか……別世界すぎて、頭がついていかねぇ……」


和装女子も深く息を吐いた。


「私も……。本当に霊力が存在するのかすら、自分じゃまだわからない……」


短髪の少女もかすかに呟く。


「私も……怖いっていうより、ただ、どうしたらいいのか分からない」


塔矢は短く息を吐き、低く告げた。


「術師とは、その『わからない』を超えていく者だ。それができなければ、この世界では生き残れない」


晴人はブレスレットに目を落とした。


──でも、少しでもわかるようになりたい。


塔矢は短く告げる。


「今日はここまでだ。お疲れ様。帰ってゆっくり休め。休息もまた訓練のうちだ」


短髪の少女は静かに頷き、和装女子も深く息を吐く。真壁は無言で塔矢に頭を下げた。


晴人は夜空を見上げた。


街の灯りが、ビルの谷間で小さく瞬いている。


──颯太に話さないとな。今日、何があったのか。何が、まだわからないのか。


その思いが、少しだけ晴人の足取りを軽くした。

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