2話③
訓練室を満たす蛍光灯の白光は、鋭く、どこか冷たかった。
金属とコンクリートの匂いがわずかに混じる空気の中、空調の吐き出す冷たい風が、床に並べられた銀色の輪の表面を微かに撫で、光沢がゆらりと揺れる。
塔矢賢輔は霊装台の前に立ち、その鋭い眼差しで訓練室に集まった者たちをひとりずつ見渡していた。
その瞳は鋼のように澄んでいて、ひと欠片の甘さも許さない強さが宿っている。
参加者たちは皆、息を詰め、動くことすら恐れるように塔矢を凝視していた。
その中に、小鳥遊晴人もいた。心臓の鼓動が、いつもよりもずっと強く、はっきりと自分の内側で響いている。
塔矢の低い声が、張り詰めた空気を切り裂いた。
「ここに並んでいるのが──霊装の素体だ」
塔矢が手を伸ばすと、霊装台にきちんと整列した銀の輪が、鋭い光を受けて眩しく反射した。
それらはどれも、装飾の一切ない、極めてシンプルなデザインだった。ただ金属の冷たい光沢が存在を主張しているだけだ。
短髪の少女がぽつりと漏らした。
「……思ったより地味だなぁ……」
和装女子も、神妙な顔つきで小さく頷いた。
「でも……なんか、すごい力が眠ってそう……」
塔矢は微かに口元を緩めたが、その笑みはすぐに消え、厳格な声へと戻った。
「この素体に、自分の霊力を流し込むことで、各々の霊装が姿を現す。それが術師だ」
彼は少し間を置く。訓練室全体が、塔矢の言葉を逃すまいと、耳をそばだてていた。
「だが簡単にできると思うな。霊力を外へ流すという行為は、単純に見えて、非常に繊細だ。力任せでどうにかなるものではない」
短髪の少女が、恐る恐る口を挟んだ。
「でも…塔矢さんは簡単そうにやってたじゃないですか……」
塔矢は鋭い視線を彼女に向けた。
「霊装を顕現するには、自分の中に流れる霊力を正確に掴み、制御する感覚が必要だ。お前たちがまだ知らない、自分自身の奥にある力。それを見つけ出すことができるかが、すべての分かれ道になる」
その言葉に、参加者全員が息を呑んだ。
塔矢は言葉を続ける。
「霊装には属性がある。火、水、風、雷、影、光、そして特殊属性。お前たちの魂の色が、どの属性を纏わせるかを決める」
短髪の少女は、小さく呟いた。
「魂の色か……」
塔矢は再び訓練台の上からブレスレットを手に取った。そして、ゆっくりと自分の手首にはめる。
次の瞬間──
銀の輪が青白く光り出し、液体のように形を変えた。
まるで水銀が流れるように金属が波打ち、塔矢の手首を伝い、空中へせり上がっていく。そして蒼い光が刃の輪郭を縁取り、鋭い剣の姿を生み出した。
その刃先がきらりと光を走らせるたびに、訓練室の壁へといくつもの影が揺らめいた。
和装女子が、はっとしたように息を呑んだ。
「……すごい……本当に、武器になるんだ……」
塔矢は剣を一度ひと振りすると、それを静かに収め、再び銀の輪へと戻した。そして冷静に言い放つ。
「今からお前たち全員に、この霊装の素体を渡す。受け取ったら、その霊装に自分の霊力を流してみろ」
短髪の少女が両手をぶるぶる振った。
「えっ、もう!? 心の準備が……!」
塔矢は冷然と言った。
「一回でできる者は、ほとんどいない。失敗しても構わん。だが挑戦することを恐れるな」
張りつめた空気の中、塔矢は無言で霊装台のブレスレットを一つずつ手に取り、参加者たちに手渡していった。
短髪の少女は受け取ると、おそるおそるその輪を見つめ、手のひらの中でころころと転がすように触れてみる。
「……軽いけど、なんか生きてるみたい……」
和装女子は、ブレスレットをそっと両手で抱え込むようにして呟いた。
「私にも……できるのかな……」
そして、真壁楓馬の番が来た。塔矢が無言で銀の輪を差し出すと、真壁は力強くそれを受け取り、その目に普段の飄々とした表情ではない真剣な光を灯した。
「……やるしかねぇよな」
塔矢が短く告げる。
「真壁。行け」
「おう!」
真壁は大きく息を吸い込み、勢いよくブレスレットを手首にはめた。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!! 出ろ! ランス!!」
全身から熱気のような気迫が放たれ、短髪の少女が思わず声をあげた。
「ひっ……!?」
しかし──
真壁のブレスレットは銀色のまま、ただうっすらと光を放っただけで形を変えることはなかった。
真壁は息を荒げながら拳を握りしめた。
「……くそ……! やっぱ一発じゃ無理か……!」
塔矢は小さく息を吐き、静かに言った。
「焦るな。霊装の発現は、一息で成せるものではない」
真壁は悔しそうに唇を噛みしめた後、少し肩を落とし、それでも苦笑した。
「ちっ……カッコつけたのに、情けねぇな」
塔矢は目を細め、軽く頷く。
「だが、その気迫は無駄にはならない。霊力の感覚をつかめば必ず繋がる」
次に呼ばれた短髪の少女は、恐る恐る前へ出て、ブレスレットを手首にはめた。
「お、おっきな大砲が……いい……」
だが──ブレスレットは微かに青白い光を帯びただけで、形を変えることはなかった。
短髪の少女は泣きそうな顔で塔矢を見た。
「む、無理だよぉ……!」
塔矢は低く告げる。
「諦めるな。霊力を感じることさえできれば、必ず道は開ける」
和装女子もまた、そろそろと前に出た。
「私……杖がいい……」
彼女のブレスレットも、一瞬光を灯しただけで、静かに沈黙した。
「……うぅ……」
そして、最後に名を呼ばれたのは、小鳥遊晴人だった。
塔矢の鋭い視線が、まっすぐに彼を射抜く。
「小鳥遊。行け」
晴人は緊張で喉を詰まらせながら、深く息を吸い込んだ。
「はい……!」
そっとブレスレットを左手首にはめた瞬間、ひやりと冷たい感触が肌を這うように広がった。
息が詰まる。
──自分の中に、霊力なんてあるのか?
瞳を閉じた晴人の脳裏に、静かな波の音が遠くで響いた。胸の奥を流れる、ひやりとした細い流れ。その感触が、確かにそこにあった。
それを、少しずつ指先へ送り込むように意識を集中する。
すると──
晴人のブレスレットが、ほんのわずかに揺らめいた。
銀の表面に、かすかな波紋が走る。まるで水面が一瞬だけ、風に揺らいだような──小さな、小さな変化だった。
全員が一斉に息を呑んだ。
塔矢が静かに口を開く。
「……よくやった、小鳥遊」
晴人は肩で息をしながら、戸惑いの表情で塔矢を見た。
「え……でも、ちょっとしか動かなかったし……」
塔矢はわずかに微笑んだ。
「それで十分だ。初めてで反応を起こせたのは、お前だけだ。素質がある」
短髪の少女が叫ぶ。
「ずるい! 一発でできるなんて!」
和装女子も瞳を輝かせた。
「すごい……本当に動いたんだ……」
真壁は悔しそうに笑い、晴人の背を叩いた。
「やるじゃねぇか、小鳥遊……。次は負けねぇからな」
塔矢は全員を見渡し、ゆっくりと言葉を続けた。
「だが──できなかった者も落ち込む必要はない。一回で霊装を顕現できる者など、ほとんどいない」
彼は霊装台を見下ろし、声に熱を込めた。
「次は──霊力を感じる訓練を徹底的に行う。それが、霊装を顕現させるための鍵だ」
短髪の少女はそっと晴人を見て、小さく呟いた。
「でも晴人くん、すごいよ……。なんかちゃんと、自分の中の力を見つけられてるんだね」
晴人は震えの残る指で、そっとブレスレットを撫でた。
「……でも、あれが本当に俺の力なのか、まだ自分でもよくわからないんだ」
塔矢は小さく笑みを浮かべて、言った。
「それでいい。まだわからないのが普通だ。だが、見つけようとする意志がある限り、必ず前に進める」
彼の声は、さきほどまでの鋭さを保ちながらも、どこか温かさを帯びていた。
「術師の道は厳しい。だが、一歩ずつ進めば必ず見えてくるものがある」
蛍光灯の光が、全員のブレスレットに青い輝きを映し出した。
それは、遥か遠い未来へ続く、小さな灯火のように感じられた。
塔矢はゆっくりと告げた。
「──一旦ここまでだ。全員、よくやった」
張りつめていた空気が、ようやく少し和らいだ。
晴人は、腕に巻かれた冷たい銀の輪を見つめながら、小さく息をついた。
──次は、霊力を感じる訓練だ。
その先に、どんな未来が待っているのか。今はまだ想像もつかない。
だが、この小さな揺らめきが、自分を大きく変える第一歩になるかもしれない──
そんな思いが、晴人の胸に静かに芽生えていた。