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英霊の天秤  作者: 徹夜で昼寝
1章ビラと清瀑刀
12/13

4話②

京都駅の大きなコンコースには、人々の足音が絶え間なく響いていた。


広い空間の高い天井はガラス張りで、そこからは春の朝の光が降り注いでいた。まるで空全体が巨大な光のスクリーンになったかのように、透明な光が満ちている。


その光は、行き交う乗客たちのスーツケースや鞄の金具を銀色に輝かせ、タイル張りの床に無数の小さな反射を作り出していた。


ざわめきと共に行き交う人々の中に、小鳥遊晴人の姿があった。


晴人は、その人波の中でひときわ硬い表情を浮かべていた。


背筋をまっすぐに伸ばし、肩に力が入っている。呼吸は浅く、その胸の奥に小さく震える緊張が巣食っていた。周囲の人々は、それぞれの目的へと急ぎ足で歩き去るが、晴人にとっては全てが遠い別世界の出来事のように思えた。


胸元のポケットには、バランシオのIDカードが入っている。白いプラスチック製のカードには、自分の名前が刻まれていた。


カードは軽いはずなのに、ポケットの中でずっしりとした重みを感じた。まるでそれが、自分の背負う責任の重さそのものを示すようだった。


彼はまだ研修を終えたばかりの新人観測者。


ほんの数週間前までは、大学の講義室でノートを取り、友人たちと他愛もない話をしていた自分が、いま、全く別の世界の只中に立っている。頭では分かっていても、まだ心が追いつかず、恐怖にも似た感覚が体の奥をじわじわと満たしていた。


人混みの熱気と緊張で、額にじんわりと汗が滲む。


首元に吹き込む冷たい空調の風が、その汗をさらに冷たくして肌を這い、背筋を震わせた。


そのとき、向かい側の人波がすっと割れるようにして、一人の男が姿を現した。


その現れ方は、まるで周囲の雑踏から空気ごと切り離されたようで、そこだけ時間が一瞬止まったようにすら見えた。


深紺のスリーピーススーツを纏い、黒髪をきっちり後ろに撫でつけた男──塔矢賢輔だった。


彼の歩みは無駄がなく、まっすぐで、その周囲だけ張り詰めた緊張感が漂っていた。


鋭いスチールブルーの瞳が、晴人をまっすぐ射抜く。


その視線を受けた瞬間、晴人は心臓が一拍、強く脈打つのを感じた。息を呑む音が自分の耳の奥で大きく響いた。


「小鳥遊」


低く、無駄のない声。


その声は駅の喧騒をすっと押しのけ、まるで二人だけの空間を作り出したかのように響いた。


「はい!」


晴人は、反射的に背筋を伸ばした。背骨の奥に鋭い緊張が走り、指先が微かに震えた。


塔矢は、周囲を気にするようにわずかに視線を走らせた後、短く告げる。


「出るぞ」


その一言だけで、話は終わった。


塔矢の声は冷静で、余計な言葉は一切なかった。それは決断の速さの証であり、任務が始まったことを否応なしに晴人に実感させた。


塔矢の隣に、黒のロングストレートの髪を風になびかせる女性が立っていた。羽鳥琴音だ。


黒い髪は月光のように艶を帯び、歩みとともにゆらりと揺れる。そのたびに、彼女の佇まいに静かな威厳と美しさが漂った。


ダークネイビーのジャケットに白いブラウスを合わせ、鋭くも憂いを帯びたアンバー色の瞳が印象的だった。


その瞳はどこか遠くを見つめているようでありながら、鋭く人の本質を見抜くような強さも宿していた。


「おはよう、晴人くん」


琴音の声は穏やかだったが、その頬にはわずかに緊張の翳が差していた。言葉とは裏腹に、琴音の表情は引き締まり、目の奥には影が潜んでいた。


「おはようございます、羽鳥さん」


晴人は、自分でも驚くほど声が上ずっていた。慌てて咳払いをして、なんとか平静を装おうとした。


「乗るわよ。新幹線」


塔矢が足を向けたのは、東海道新幹線の改札口だった。


その後ろ姿には、迷いも逡巡もない。歩幅は一定で、背筋は一直線に伸びている。


晴人は慌てて彼らの後を追いかけた。周囲の人波に押されながらも、塔矢と琴音の背中を必死に視界から外さぬよう、早足で追いすがった。


車内。


新幹線のシートに腰を下ろした晴人は、額の汗をハンカチで拭いながら深呼吸をした。


背もたれのクッションに体を預けたとたん、長い緊張のせいか、体の奥からどっと疲労が湧き上がる。


車内には、規則正しいレールの音が低く響き、車輪の微細な振動がシート越しに伝わってきた。


窓の外では、春の陽光に霞む山並みが、速度を上げて流れていく。遠くの稜線がうっすらと青く溶け、白い雲が低く垂れ込めていた。


その景色は美しかったが、晴人の胸の奥を重くする不安を、少しも和らげてはくれなかった。


琴音は座席のテーブルにタブレットを置き、指先で画面を操作していた。画面に映る光が彼女の瞳に淡い反射を映し出し、その顔は真剣そのものだった。


塔矢は目を閉じ、無言で座っている。その呼吸は静かで、まるで深い水底に潜っているかのように気配を消していた。


晴人は、緊張に耐えきれず、塔矢へ声をかけた。


「塔矢さん……今回の任務って、どんな内容なんですか?」


塔矢はゆっくりと目を開けた。


その瞳は、氷のように冷たく、鋼のように硬い光をたたえていた。


「それは現地についてから実際に見て欲しい。……先入観なく、自分の目で確かめて欲しい。バランシオの仕事がどんなものなのかを、な」


声は低く、だがその奥には揺るがない決意の色がにじんでいた。


それだけ言うと、再び瞼を閉じた。


その沈黙が、晴人の胸にじわじわと冷たい恐怖を広げた。


晴人は、椅子の背にもたれながらも、胸の奥がずっとざわついていた。


(いったい、何を見せられるんだろう……)


窓の外で陽光が反射し、まるで世界が高速で流れ去っていくように見えた。現実の手触りがどんどん遠のいていく感覚が、晴人をさらに不安にさせた。


長野を過ぎたあたりで、琴音がふいにタブレットの画面を晴人に向けた。


車窓から差し込む白い光が、彼女のタブレットの画面に淡い反射を走らせる。春の陽射しは暖かいはずなのに、車内に漂う空気はどこか張りつめた冷たさを帯びていた。


「今回の対象者──高木勇人さん」


タブレットの画面には、一人の男性の写真と簡単な経歴が表示されていた。小さな液晶の中で、勇人と呼ばれた男は穏やかに微笑んでいた。


写真の背景には、桜らしき花びらがふわりと舞っており、そこに映る笑顔は、どこにでもいる普通の父親そのものに見えた。


「飛騨市在住。三十八歳。ごく普通の会社員。朗らかで家族思い。妻と、小学二年生の娘さんがいる」


琴音の声は淡々としていたが、その瞳がわずかに陰を落としていた。


言葉は事務的でありながら、その奥に潜む重い感情を隠し切れてはいなかった。


晴人は、目を細めて画面を覗き込んだ。


車内の微かな振動が、膝に置いた自分の手を震わせていた。


そこに写っている勇人は、優しげな笑顔を浮かべていた。


口元に浮かぶ柔らかな笑み。目尻の小さな皺は、彼が普段どれほど家族と笑い合ってきたかを物語っているようだった。


「普通の……お父さんじゃないですか」


思わず漏れたその声は、揺れる電車の車輪の音にかき消されそうになった。


琴音が視線を外した。


窓の外では、灰色のトンネルの壁が、連続する影と光の縞模様を作りながら後ろへ流れ去っていく。


「そうだよ。普通の人。でも──」


彼女は、画面を指先でスクロールした。そこには、数字が並んでいた。


画面が切り替わった瞬間、晴人の心臓がまた一つ大きく打った。


【魂量指数:1548】


タブレットの画面には、真っ赤な数値が表示され、下部に警告を示す黄色い帯が点滅していた。


晴人の目が困惑気味に見開かれた。


その額には再び汗が滲み、車内の冷房がその汗を冷やして頬をかすかに震わせた。


「1500……?」


塔矢の声が低く響く。


その声は新幹線の走行音すら押しのけ、はっきりと晴人の耳に届いた。


「成人平均の十倍以上だ」


淡々とした口調。だがその言葉には、測り知れない現実の重みが込められていた。


晴人は言葉を失った。


胸の奥を圧迫するような重さが、次第に息苦しさを増していく。


塔矢が、瞳を細めたまま続けた。


その目は、まるで未来の惨劇を予見するかのような冷たい光を宿していた。


「魂量が過剰な人間は、やがて守護霊と同化する。そして──」


塔矢はそこまで言うと、口を噤んだ。


再び車内には、わずかなレールの響きだけが満ちた。


代わりに琴音が短く告げた。


その声は細く、それでいてどこか刺すような鋭さを含んでいた。


「天使が降りるの」


晴人の喉が、きゅっと詰まった。


その言葉を聞いた瞬間、頭の奥に研修棟で見た映像がよみがえる。


巨大な幾何学の怪物が、空から降り立ち、まばゆい光を放ちながら街を薙ぎ払い、大地を裂き、人々の悲鳴が空気を満たしていく。


耳の奥で、その光景の残響が再生されるように、微かに震える音が響いていた。


塔矢は、はっきりと言った。


「今回の任務は、高木勇人の同化を阻止することだ。それが、災害を防ぐ唯一の道だ」


その言葉は、鋭利な刃物のように空気を切り裂き、晴人の心を冷たく切りつけた。


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