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第一章:堕ちた英雄

かつて“正義の象徴”とまで呼ばれたヒーロー、田中昭雄(たなかあきお)は、今やその名を口にする者すらいない。


ヒーローたちを統括する巨大組織『ユニオン』の手によって、その資格を剥奪され、社会から追放されたのだ。理由は「権力への反抗」。しかし、その実態は彼が組織の不正を暴こうとしたがためだった。


それから彼は、普通の人間として生きることを選んだ。



朝の光が薄く差し込む狭いアパートの一室。田中昭雄は、目覚ましの音ではなく、隣の部屋のテレビの音で目を覚ました。


「……もう朝か」


ゆっくりと体を起こし、キッチンへ向かう。ボロボロの冷蔵庫を開けると、そこには缶ビールと半分食べかけのパンがあるだけだった。


「まあ、今日も適当にやるか……」


彼はコンビニで買ったインスタントコーヒーを淹れ、カップを手に窓の外を眺めた。


都会の喧騒。ヒーローだった頃は、こんな普通の朝を迎えることはなかった。


ニュースでは、ユニオンの最新ヒーローが犯罪組織を鎮圧したという話題が取り上げられていた。しかし、昭雄はもうその世界の人間ではない。


「くだらねぇ……」


テレビを消し、外へ出る。


向かった先は、近所の工事現場。日雇いの仕事でなんとか生計を立てていた。


「おっさん、今日も頼むぜ!」


現場監督が軽く手を挙げる。昭雄は黙ってうなずき、鉄パイプを運ぶ作業に取り掛かった。


ヒーローだった頃の力は健在だったが、それを使うことはない。ただ、言われた仕事をこなすだけ。


そんな生活を続けていたある日。



ある夜、昭雄は酒場の隅でグラスを傾けていた。ここ数年で酒の量は増えたが、酔いが回るのは遅くなった。そんな時、静かな足音が近づいてくるのを感じた。視線を上げると、見知らぬ男が立っていた。


「お前が田中昭雄か。少し話がしたい」


知らない名前だったが、どこか只者ではない雰囲気があった。昭雄はグラスを置き、ちらりと男を見た。


昭雄はグラスを置き、ちらりと男を見た。


「誰だ?」


御影(みかげ)だ。情報屋をやってる」


「興味ねえな」


御影は笑みを浮かべながら続けた。


「お前のことは知ってる。かつては“英雄”だったが、今はただの作業員ってわけだ」


昭雄は薄く笑った。どこで俺を見たんだか、そんな話はもうどうでもいい。グラスを傾けながら、何を話すつもりかと黙って待った。


「何が言いたい?」


「俺はお前に仕事を持ってきた。裏社会にも正義が必要だ。お前の力があれば――」


昭雄は鼻で笑った。『正義』。そんなものはもうとっくに捨てた。理想を信じた結果、どうなった? 組織に切り捨てられ、路傍の石のような生活を送る羽目になったのだ。


昭雄は手を挙げ、静かに首を振った。


「悪いが、俺はもうヒーローじゃねえ。頼まれても戦うつもりはない」


御影は一瞬こちらをじっと見たが、やがて肩をすくめた。昭雄の目には、すでにかつての英雄の輝きはなかったのかもしれない。


「そうか。だが、お前の心が変わったら連絡しろ」


御影は名刺を置いて去っていった。



それから数日後。


昭雄はコンビニで買い物を終えた帰り道、大きなビル火災に遭遇する。


「お願いです、誰か! 子供がまだ中にいるんです!」


群衆の中で、叫ぶ母親の声が聞こえた。


田中昭雄は迷った。


ヒーローではない。ただの一般人だ。


だが、気づけば足はビルの中へと向かっていた。


炎の熱気が肌を焼く。


「どこだ……!」


瓦礫をどけながら、彼は煙の中で泣く子供を見つけた。


「大丈夫だ、俺が連れていく」


子供を抱きかかえ、崩れかけた階段を駆け降りる。天井が落ちる前に外へ飛び出し、その場に膝をついた。


歓声が上がる。だが、昭雄はそんなものには目もくれず、そのままその場を立ち去った。



翌日。


「やっぱりな、お前は戦うべき人間だ」


再び昭雄の前に現れた御影は、ニヤリと笑った。


「お前が助けた子供……あのビル火災、ただの事故じゃなかったぞ」


「どういうことだ?」


「闇組織『黒炎(こくえん)』がビルに火を放った。理由はまだ分からないが、何かを消し去るためだったらしい」


昭雄は深く息を吐いた。


目を閉じると、かつての戦いの記憶が蘇る。人々の歓声、仲間の声、血と煙の匂い——それらはもう遠い過去のものだ。彼は、もう二度とヒーローには戻らないと誓った。ユニオンの腐敗を知り、利用され、捨てられたあの屈辱を思い出すたびに、拳を握りしめるしかなかった。


「……ヒーローなんて、もう信じられねぇ」


だが、それでも目の前の事実は消えない。黒炎が火を放ったという事実。人が命を落とし、子供が炎の中で泣いていた光景。何もできずに立ち去ることが、本当に正しい選択なのか?


彼は混乱した。闘いに戻れば、再び命を賭けることになる。戦う理由がなければ、あの地獄に戻る必要はない。


だが——


「……話を聞かせろ」


御影は頷いた。


「まずは火災の証拠を探る。それが黒炎の動きを掴む第一歩だ」


昭雄はしばらく考えた後、ゆっくりと立ち上がった。


「……分かった。だが、俺のやり方でやらせてもらう」


こうして、彼は再び“ヒーロー”として戦いの道を選ぶことになる。

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