追い返し侯爵様、離縁するなら国外逃亡の手助けしてください
突然現れたデブおじ……こと多分父親である子爵に「お前は私の娘だ」と拉致られて子爵家の令嬢となり早三日。どうやら今度は知らない侯爵様の妻になったらしい。
「……君は誰だ」
「おそらく貴方様の新しい妻ですが」
「そうか」
目の前の背が高くて身なりのいい人……侯爵様は一瞥をくれるとスタスタと廊下を歩いていってしまった。血のような真っ赤な瞳。氷みたいに透き通った髪。顔もいかにも怖いですって感じだったわ……って。
え、もう少し嫁に関心があってもいいのでは??
「お初にお目にかかります、アンナ様。お部屋にご案内いたします」
なんだかあまり使われていなさそうな門の前で馬車から降ろされたと思ったら、出迎えもなく、さすがはお貴族様などでかいお屋敷を迷い遭難しかけて庭師のおじいさんに助けてもらった挙句、玄関をノックしたらメイドさんが出てきて、事情を話している最中に侯爵様が帰還なさるって何??
しかもほぼ無視して行ってしまいましたが??
「……お荷物はそれだけですか?」
「ああ、はい」
メイドさんの瞬きが止まらない。ええ、そうです。目を疑わないでください。お恥ずかしながらこれだけです。三日前に子爵家の令嬢になったばかりなものでして。
「……お持ちします」
「いえ、結構です。これだけなので」
なんと驚きのトランク一個。中に入ってるのは婚姻に関する書類だけ。誰でも持てる軽さ! なんて脳内で軽口を言っても、脳内だから誰も返してくれない。
「はぁ、そうですか……」
女二人で荷物もないのでスタスタと歩く。大きくて豪華なのに案外使用人が少ない。なんなら子爵家の方が多いんじゃないかと思うくらい。というかどれだけ歩けばいいのか。部屋数が多すぎる。本当に全部使えているのか。
「こちらでございます」
案内されたのは四階……というか屋根裏。なんかムカつくわね。屋根裏のくせに私が村で住んでた小屋よりも大きいなんて。
「本日は侯爵様がお帰りになっていますので、夕食の時間になりましたらお呼びします」
「はい、ありがとうございます……」
クールなメイドさんはそれだけ言うと、律儀に扉を閉めて行ってしまった。
とりあえず部屋を見渡す。
ベッドは……埃まみれだけどヨシ。クローゼットもハンガーがあるからヨシ。テーブルって、これアンティークじゃないの。なおヨシ。椅子も足が折れてるけど直せそうだしヨシ。
そして掃除用具。さすが屋根裏だ、ばっちりあってヨシ!
もう侯爵様に会ったし嫁いだと言えるだろうし……、さて次が大事。立て付けの悪い窓をバンッと開けた。
「これは絶対に無理。命の危険がある」
逃亡できそうかどうか。結論、不可能。ロープがあっても怖い。普通に外に出ようにも、こんな元平民がお屋敷の構図なんて知っているわけがない。十中八九また遭難する。運が悪ければ不審者としてとっ捕まえられそう。誰も私が来るって把握してなかったようだし。
早々に諦めるのも嫌だけど、これは直談判しかないか……。
ああでも、高いから風が気持ちいい。とりあえず掃除して、布団を干して、シーツを洗いたいけど……部屋から出たら怒られるわよね。
「もう一踏ん張りするか」
今からやれば、夕方までには終わる。そうしたら、夕飯まで寝ていよう。三日間ほぼ不眠不休でマナーやらを叩き込まれて疲れたし。なんなら数時間前まで遭難してたし。
意を決してドレスを脱ぎ始めた。唯一の服を汚すわけにはいかない。
「お夕食の準備が整いました」
「……ふがっ!!」
あぇ……もう朝……牛乳配達の時間が……じゃない夕方だ。そうだ、村娘から子爵令嬢になって侯爵様の妻になったんだった。
それにしてもよく寝た……と床に寝転んだまま伸びをする。やばいなぁ。掃除終わってすぐ寝たから下着姿だ。
「今行きます!」
さっさとドレスに着替え……着替……着……これどう考えても一人で着るのが難しい。紐、紐、紐、紐。ドレスってヒモだらけ。難解複雑な作り。思い出してみると脱ぐ時も大変だった。
「アンナ様……?」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「はぁ……」
夕食に遅れたのが理由で離縁を言い渡されてしまったら……たまったもんじゃない。高速で腕と指を動かした。多分途中でありえない動きをしたと思う。どこか捻ってたりしていないといいけど。
「お、お待たせ、しましたっ」
「はぁ……」
髪が少しボサッとしているかもしれないのは……しょうがない。だって手櫛だもの。
「こちらが食堂でございます」
「向こうが厨房?」
「? はい」
食堂に入ると細長いテーブルの向こう側に怖い顔の侯爵様が鎮座していた。いるだけで威圧感を感じる。ここに小さい女の子がいたら泣き出しそう。
「……座らないのか」
「……失礼します」
そのまま会話もできず、次々に料理が運ばれてきた。正直、付け焼き刃のテーブルマナーや威圧で味が分からない……なんてことはなかった。凄く美味しかった。洗練された透明のスープに、柔らかくてフカフカなパン、そして上質なお肉。最高だった。正直食事中の侯爵様のことなんて一切覚えていないしわからなかった。
「食後の紅茶でございます」
その一言で我に返る。や、やらかした……。そろりと侯爵様を見るけれど……うん、全然表情の変化が分からない。
「あの……侯爵様!」
「…………」
しかし機会を逃してなるものかと話しかけたものの、侯爵様は席を立って食堂を出て行ってしまった。
あんな冷たい目しなくてよくない?? というか無視って、貴族どころか大人としてどうなの? ああ、でもマナーの時に高位の貴族に下位の貴族が話しかけるのはマナー違反ってあったわね。つまり妻として認めていないということ?
「アンナ様、お邪魔をしてしまい申し訳ありませんが……」
「あ、はい」
いつまでも食堂にいるわけにもいかず、部屋に戻らされた。
もしや、出迎えなしや屋根裏部屋ってあれ妻として認めていないってこと? ああ、だから追い返し侯爵なのか!
三日だけの実家、子爵家では見かけられる度に「追い返し侯爵に嫁がされるなんて」とか「子爵に殺されてしまうでしょうね」とか「何日持つか……」なんて言われていた。
「つまり、今までの奥さん達はみんな耐えられなくなって自分から離縁を申し込んだわけね……」
部屋に戻る途中にメイドさん達がコソコソ話しているのを聞くに、侯爵様は軍人さんらしく、今晩のうちに前線に戻るらしい。今日はただ書類仕事をしにきただけだとか。
『“本日は侯爵様がお帰りになっていますので”、夕食の時間になりましたらお呼びします』
ということは、
「明日の朝ごはんは無いわけか……」
と掃除したことでほこりっぽいベッドの上でひとりごちることしかできなかった。
*
「そ、そのグロテスクなものは何ですか……?」
翌朝、食堂で少し遅めの朝食を食べているとメイドさんに引かれた。そんな、目と口をかっぴらいて固まらなくても……。予想通り何時になっても来ないし用意しなかったのはそっちじゃないの。おかげでここにくるまでどれだけ迷ったか。昨日一度来てなかったら確実に無理だった。
「見ての通り朝ごはんですが……ああ、あと出口を教えていただけませんか? 仕事を見つけたいので」
「はい?」
選択は間違っていないはずなんだけどな。案の定厨房にコックさん達はいなかったし、ちゃんと残飯を使ったから勝手に食材だって使ってない。お金は要求されない……はず。
「流石にご飯を食べるくらい許してくださいよ。餓死しちゃいますから」
「……ソウデスネ。ご実家に帰られてはいかがでしょうか?」
「いや、無理です」
とりあげられたら大変だと、マナーも何も知ったこっちゃなく残りをかきこむ。ちゃんと飲み込んでからはっきりと申し上げる。
「家に帰ったら、私売られるか殺されるかの二択なので」
「はあ?」
クソデブジジイは言った。『もしも離縁されるようなことがあれば、お前はあの世行きだ』と。泣いて懇願して交渉すればギリ売られるくらいで済むような気もするけれど……どっちも嫌。確かに普通の令嬢なら帰ればいいだけでしょうね。でも私四日前まで平民だったんですよ。
「というわけで今日は残飯があったので生きられたんですけど、多分明日からは無理なので出口を教えるか食い扶持をください」
メイドさんはわかりやすく頭を抱えた後、私の両手を縛り上げて、使用人寮に招いてくれた。そして10人くらいのメイドさん達に囲まれる。
え、何これ。てかスルーしてたけどなんで縛られたの、私の両手。
「どういうことなんですか?」
「あなたもしや刺客……」
「洗いざらい吐きなさい!」
あれこれ離縁とか以前の問題? 家に帰らなくても私死ぬ?
「ええと、そもそも私は四日前に子爵家の令嬢になりまして……」
死にたくないので洗いざらい吐いた。ゲロった。
するとちょっと面白いほど周りの顔色が変わっていった。青かったり赤かったり……人間って凄い。
「つまり、あなたは子爵のお手付きメイドの娘で、平民育ちだけれど、正式に子爵家の血は継いでるのね」
「で、お母様は五年前に亡くなって」
「生まれ育った村で手伝いをして日銭を稼いで過ごしていたところを父親に誘拐されて」
「三日間マナーを叩き込まれ」
「昨日うちに来たのね」
ち、近い。そんな詰め寄るように事実確認をしなくても。
「は、はい。大体そんな感じです」
そういうと一斉にため息を吐かれた。使用人寮が逃げた幸せでいっぱいになりそう。
「とりあえず、お風呂に入りな。あんた埃だらけだよ」
「私の服貸してあげるわ」
「空き部屋あったかしら……」
「仕事手伝ってくれれば、ご飯分けたげる」
どうやらメイドさん達の同情を買うことに成功したらしい。飢え死には免れそうだ。よかった。
*
ヒルダさんを筆頭としたメイドさん達の言うことには、どうやら本来は屋根裏部屋に案内された時点で喚いて怒り散らして出て行ったり、侯爵様に無視されたことで泣き出して帰ったり。長くても翌日の昼には帰っていたらしい。貴族のお嬢様方ってか弱いんだなぁ。
しかし平民育ちからすれば普通の日常で。ぶっちゃけ働けていた分気が楽だった。そんなこんなでメイドの仕事をしながら侯爵様のおかえりを待つこと一ヶ月。ついに時は訪れた。
「「「おかえりなさいませ」」」
「……ああ。執事長、報告を頼む」
私はメイド服でメイドの中に並んでいた。どうやら気づいていないらしかった。執事長さんが留守の間の報告をすると、侯爵様のこめかみがぴくりと動いた。
「……は? まだ、出て行っていないのか?」
「ええ! 出て行っておりません!!」
そう申し上げた瞬間の侯爵様のギョッとした顔ったらもう……最高だった。
*
『妻なんていらない』
散々そう言っても、追い返しても、いつのまにか結婚させられていた。王は、どうしても俺の血を途絶えさせたくないらしい。
巷で俺は、追い返し侯爵と呼ばれているらしい。が、軍では違う。俺は戦場の死神だ。
敵はもちろん、戦友も、部下も皆死んでいった。生き残ったのは俺だけだった。
どれだけ守ろうとしても、どれだけ遠ざけても、結果は同じだった。同期で一番親しくしていたやつは、子供が生まれたばかりだった。慕ってくれていた部下は、村の幼馴染と結婚する予定だった。二人とも、幸せそうで、守るべき相手がいた。俺には、誰もいないのに、俺以外は皆死んでいった。俺が殺したも同義だった。
そんな人殺しが、家族を持つなんて許されない。
使用人として刺客が紛れ込んだのだって、一度や二度のことではない。今では昔からの古株しか出入りしなくなったとはいえ、今後ないとは限らない。
きっと、どうやっても、俺は死神の名に相応しく妻を殺してしまうだろう。
だから、迎え入れない。存在を認めない。最初のうちはそれでよかった。しかし次にはそれをいいことに好き勝手し始める者もいた。皆で相談した結果、待遇を酷くすることにした。そうすれば、令嬢は翌日には耐えきれなくなって帰る。そもそもまともな令嬢など来たことがなかったが、誰が来てもそうしようと、決めていたのに。
『おそらく貴方様の新しい妻ですが』
ミルクティーのような美しいブラウンと、意志の強いオレンジの瞳に、目を奪われた。凛とした声が耳に残った。美味しそうに夢中で飯を食う姿は、可愛らしかった。近くにいるだけで、周りが明るかった。なんだか、風に吹かれても折れない花のような強かさを感じた。この人に、生きていて欲しいと思った。
……だからこそ、より遠ざけたというのに。今までの令嬢のように、勝手に去ってくれるように。
『ええ! 出て行っておりません!!』
面くらわされた。出て行ってくれていなかった。なぜかメイドの姿をして、そこにいた。俺は、この令嬢を侮っていた。何が風に吹かれても、だ。殺しても死なないの間違いだった。
*
「まずは、お話を聞いてくださりません?」
「……ああ、聞こう」
あれ、意外と素直だ。拍子抜けしてしまう。というかちょっと顔が青ざめている。
「離縁するなら国外逃亡の手助けしてください」
もしや油断させる作戦……いや、ちょっと怖いけど本当は優しい人だと、ヒルダさんやマリーさんに教えてもらった。半信半疑だけれど、押してみる価値はある。
「家に戻ることはできません」
キッと睨みつけるように見上げ……見上げたのだけれど……。
「……その、追い返すのはやめると、言いたかったんだが」
うわぁ……今度はお顔が真っ赤。子供みたい。案外可愛いところがあるじゃない……って。
いや、待て待て。
「え、私の国外逃亡は?」
「今更すまないが、何も知らずに離縁したくない」
え、えぇぇぇぇ……。何それ。おかしい。
「まずは、一緒にお茶でも飲まないか。貴女のことを、教えて欲しい」
貴女は、俺を許せないだろうがと続ける侯爵様。いや許す許さないではなく。私にとっては死活問題でして。こちらも押しかけてきたようなものらしいので、お互い様ではありますし。
「……本当に、すまなかった。すぐに、相応しい対応をする」
まあ、殺されないなら、いいか。私の目的は生き延びること、ただこれだけ。お茶くらい飲んでやろう。今の生活も、別に不自由はないし。なんなら村にいた頃よりも少し肥えた気がする。侯爵家のメイドっていいもの食べられるんだなぁ。
「だから、そのメイド服から着替えてくれ」
「ドレス一着しか持ってないんですよ」
「……本当に子爵家の令嬢か?」
表情は変わらないのに声色はわかりやすいのね……。そんな驚かなくても。
「いえ、国外逃亡する予定だった貴方の妻です」
いっそ懐柔して子爵家と縁を切れるようにシフト転換した方がいいかもしれない。
読んで下さりありがとうございました。
ブクマ、評価などして頂けると作者喜びます。
コメント、ツッコミなんでもお待ちしております。
追記 新連載を始めました。
『隣国の王太子様、ノラ悪役令嬢にご飯をあげないでください』
同じく図太く気ままな令嬢とそれに絆される隣国の王太子のグルメコメディです。読んでいただけると嬉しいです。下にスクロールして押すとページに飛びます。