第一皇子の婚約者候補者達――子爵令嬢は後悔する
――あんなおちこぼれの面倒を見ていたら、あなたが損をするわよ。
級友からの忠告は正しいものだったと、エリミアは思い知った。
わんわんと耳の奥で音がしている。なにが起こっているのかわからない。今、なにが起こったのか。
ふと、ずっと左へ目を向けると、幼なじみのスピラが呆然とした顔で立っていた。そのまわりには、うら若い乙女達が群がっている。これまでスピラには見向きもしなかったような、けれど世知に長けた者達だ。「スピラ嬢」
「まあ、おめでとうございます」
スピラの傍には、フォグ卿が居た。皇女殿下の主治医でらっしゃるし、数代遡れば皇家につながる血筋のかたでもいらっしゃる。今度の試しの結果を、彼は先程口にした。
フォグ卿は、先程読み上げた文章の書かれた紙を、くるりと巻いた。懐へ戻し、スピラへ丁寧にお辞儀する。スピラはまだ、呆然としていたが、フォグ卿がお辞儀したのにびくついた。
「スピラ嬢、あらためまして、おめでとうございます」
スピラは、あのどんくさい子は、まだ事態をのみこめていないようだった。つい先程、第一皇子アイオンの婚約者に選ばれたといわれた彼女は。
エリミアとスピラは親戚だ。間に何十人もがはさまっている為、血のつながりこそないが、同じ年に生まれ、帝都にある同じ教会で祝福をうけた。
年に二ヶ月程度しか領地へ戻らず、ほぼ帝都で育った彼女達は、親戚なのもあって頻繁に顔を合わせ、同じように礼儀作法を学び、音楽に親しみ、本を読んだ。
なんでもそつなくこなし、家事全般それなりにできる上にレースあみは玄人裸足、魔法もたしなみ、おまけに詩文の才を花開かせて帝都で評判になったエリミアと比べ、スピラは左利きだからか、なにをさせても不器用で、裁縫をしていて何度も、手巾を自分のドレスへ縫い付けたことがある程だった。竪琴だけはそこそこできるらしいが、楽士と比べれば数段落ちる。
不器用で要領が悪く、なにをやらせても人並み以下なくせに、諦めの悪い子だ。だからいつでも、エリミアが面倒を見ていた。スピラがまごついていたら横から助けてあげたし、いつまでも無駄にレースあみなんかしていたら、手伝って仕上げてあげた。刺繍だってあみものだって、スピラは不器用で下手なくせに、しつこく続けている。スピラはいつも、エリミアを頼っていたし、エリミアもスピラを妹のように思って可愛がっていた。
ふたりは良家の子女達が通う、帝立の学園へ、ほぼ同時期に入学する。入学試験というものがあって、スピラがそれに通れるとは思わなかったのだが、彼女はぎりぎりで通ったらしい。スピラ当人が、筆記試験はわからないことだらけだったし、そのあと試験官の先生がたとお話しして、あまりいい感触ではなかったから、だめだと思う、といっていた程だった。
スピラはそうやって、だめだった、苦手だわ、などというくせに、諦めが悪くて、なんでもしつこく続ける。その諦めの悪さに、エリミアはいらいらさせられることもある。だめだと思うのなら、やめてしまえばいいのに、と。
スピラのどんくささや、要領の悪さ、入学後の成績の悪さから、おそらく彼女の親がお金にものをいわせたのだろうと、学園内では噂されていた。でないとつじつまが合わないというのだ。
実際、成績順で編成されるクラスは、スピラはいつも一番下かそのひとつ上で、それ以上にはいったことはない。エリミアはスピラが、下のクラスで必死に勉強しているのを見ると、憐れに思う。自分があのクラスに編成されたら、なにか理由をつけて退学するだろう。はずかしくて顔をあげて歩けないくらい、成績の悪い子ばかりだから。
エリミアはいつも、上から二番目か、三番目だ。一度だけ最上位クラスに編成され、当時在籍していた第三皇女・ソフィア殿下とお話しする機会を持ったが、流石に最上位クラスは図抜けて賢いかたばかりで、ずっと居続けることは不可能だった。それでも、三番目より下のクラスへ落ちたことはない。そんなことになったら、はずかしくて登校できない。
スピラの入学については、その家柄が学園側を萎縮させたのだ、という噂もささやかれている。
スピラの家は公爵家で、皇家とは、遠いが親戚である。その上、スピラの祖母は、帝国と張り合うほどの大国の王女だった。
たしかに、スピラの家柄や血筋を考えれば、入学させないという選択肢は、学園側にはなかったのかもしれない。門前払いをくらわせれば、どこから文句が来るか、わかったものではないではないか。
スピラは入学してからも、相変わらずどんくさく、要領が悪く、失敗ばかりしていた。成績は振るわない。記憶力はいいのだが、応用が苦手らしく、試験は毎回散々な結果だった。魔法力も、それ自体は膨大であるらしいのだが、彼女は魔法をつかうのが不得手で、成功したためしがない。最近は一番下のクラスに編成されることは少なくなったものの、下から二番目のクラスでずっとくすぶっている。
エリミアは級友達と一緒に勉強会を開いたり、お茶会をしたり、スピラを精一杯気遣ったのだが、最近疎遠になっていた。スピラが、あなた達は賢いから、お話についていけなくて、わたしに合わせてもらうのも申し訳ないの、といって、遠慮するのだ。幼なじみだし、そんなことは気にしなくていいのよ、といっても、スピラは頭を振ってしまう。以前から控え目な子だったが、このところ輪をかけて控え目になっているようだった。
最近は、ひとりで書庫にこもって、好きな本を読んですごしている。授業が終わるとすぐに馬車へのって、上邸へ戻り、趣味の竪琴をつまびいている。友達もあまり居ないようで、お茶会も開かないし、この間の誕生日会はほんの数人の同輩を招いただけだった。勿論、エリミアはまっさきに招待状をもらった。
その、どんくさくて、要領が悪くて、諦めも悪い、あまり賢いとはいえないスピラが、第一皇子の婚約者を選ぶ試しに選出された時、学園中を噂が駈け巡った。また、スピラ嬢が家柄にものをいわせて、横車を押した、と。
エリミアはそういう噂に眉をひそめていたのだけれど、どうにかできるものではない。スピラ当人は平然としていたし、噂の通りでしょうから、とどこか投げやりな様子だった。お父さまか叔父さまが、気をまわしてくださったのだわ、と。
そもそも公爵の娘である彼女は、公的な行事などで大役を任されることがあり、そして、それをいやがる素振りを以前から見せていた。あまりこういうことは得意ではないの、とか、目立つのは好きじゃないから、とか、そんなことを何度も口にしていたのだ。ただ、ひととの物理的な接触が苦手な彼女は、お父さまの位が高いとひとから抱きしめられることが少ないのだけはいいわ、と、たまに冗談めかしていっていた。
今回も、試しの期間、学園に通えないことを、スピラはいやがっているらしかった。
エリミアも、スピラの口振りでわかった。今度のことは、公爵家の娘でまだ誰とも婚約していないスピラぬきでは、すすまない。幾らどんくさい娘だからといって、スピラを排除して第一皇子の婚約者候補を集めれば、どこからかものいいがつく。彼女には非常に強力な家柄、血筋があるのだ。
スピラが選出されたのは、彼女の家の面子を保つ為の、皇家の配慮に違いない。現に、属国の王女だとか、蛮族の姫だとかも来ていた。それらも、対外的な配慮だろう。
おそらくもう、皇子の気持ちはかたまっている。この催しは、その誰かを選ぶ為のパフォーマンスなのだ。
皇帝陛下は、皇女殿下のわがままを聴いて、生国の木っ端貴族への嫁入りを認めたり、どうも子ども達に甘い節がある。
伝統的に、第一皇子の婚約者は試しをして選ぶことが決まっている。法典で定められている以上それは避けて通れないが、参加者を制限することはできる。選考基準は明かされていないけれど、皇子が選ぶのではないか。なら、集められた娘達のなかに、皇子が「このひと」と決めている相手をまぜこめばいい。
これまでも、そうやって選ばれてきたのだろう。階級に限らず一般市民からも娘達を集めているのは、きっと昔、一般市民と結婚したがった皇子が居たのだ。建前として、「階級に限らず」などと注をつけているに違いない。
そう思っていた。
スピラは選び出された娘達のなかで一番成績が悪かったし、美しさだってスピラよりも上の令嬢が大勢居た。年長者をさしおいて美しい末娘を送り込む貴族や、属国の王族が居たのだ。候補者達は実に華やかで可愛らしい娘ばかりで、醜い訳ではないけれどきつめの顔立ちのスピラは、場違いだ。
飛び抜けて賢い訳でもなく、飛び抜けて美しい訳でもない。その上どんくさくて失敗ばかりしているスピラは、選び出された娘達のなかでういていた。なにしろ彼女は成績が悪い。付き合いをしていたらこちらまでばかになりそうだと、東だか南だかの辺境伯の娘が、苦々しい表情でいっていた程である。つられて勉強ができなくなったり、怠け癖がつくのはいやだからと、皆スピラを避けていた。
すぐに友人をつくったエリミアと違い、后としての心得を学ぶ授業でも、スピラはひとりでひたすら本を読み、友人と喋ることもなく書庫へこもり、食事も黙ってとっていた。試しに集められた娘達だけが這入れる書庫があって、スピラはそこを気にいったらしい。素敵な物語や楽しい問答集があるの、賛歌集も古くてめずらしいものがあったわ、わたしの数代前のおじいさまの手記もおいてあるの、と、エリミアがお茶会に誘っても断った。
講師として招かれている貴族の夫人がたのおかげで、外見だけは少しあかぬけたが、でもスピラはどんくさいままだ。多少見た目をとりつくろっても、中身が后らしくないのでは、将来の皇帝の婚約者としては相応しくないだろう。
エリミアはそんなふうに考えていないが、集められた娘達は、スピラのようなみそっかすが居て喜んでいた。少なくともあの子よりはわたしのほうが上だと、安心できるからだ。スピラはなにをさせてもだめだった。家事全般は不得手、勉強も苦手、かといって、馬にのることもできない。ただ歩いているだけで転ぶような不器用な子だ。
それが、第一皇子の婚約者に選ばれた。
スピラが選ばれた。
「信じられない」
学園で同じクラスのローディナが、ぼそりとささやいた。ローディナは集められた娘達のなかで一番成績がよく、十日に一度の筆記試験ではほとんど一位をとっていた。学園でも、二回、最上位クラスに編成されたことがある。たしか、伯爵令嬢で、家柄も申し分ない。
ローディナの言葉に、ミナが頷く。こちらも成績優秀で、学園では常に二番目か三番目のクラスに居る。歴史の浅い家の娘ということで、社交界ではそう目立つ存在でもないが、ここには一般市民の娘も多く居る為、相対的に、地位の強調された扱いをうけていた。
「どうしてスピラさまが?」
「おかしな話だわ」
そんな言葉が、複数人の口からこぼれ出た。小さな声だが、エリミアにはしっかりと聴こえた。
スピラにも聴こえたのかもしれない。彼女はこちらを見て、なんだかばつの悪いような顔をした。
なんだか、申し訳ないと思っているような。
まるで、不正を羞じているような。
ぴんときた。
エリミアは、深く呼吸する。
成程、わたし達は、茶番に付き合わされていたのだ。
公爵令嬢で、大国の王家とも血のつながっているスピラは、政治的に利用しやすい。后として、つかいやすい。だからスピラを選ぶつもりで、こうやってわたし達が集められた……。
ずん、と、なにか重たいものがのしかかってきたような、そんな心地がする。結局は、家柄と、血筋なのか。それに、スピラには膨大といわれる魔法力がある。皇家はそれ目当てかもしれない。なんだ、わたし達のような、たいしたことのない貴族は、はじめからお呼びじゃないってことね。わたし達、意味もなくこの数ヶ月を過ごしたのね……。
「エリミア」
か細くて、控え目な、スピラの声がした。
今日、久々に、お茶会をする約束だった。度々行われる貴族達との面接が、今日はない。婚約者がいつ選ばれるかは、娘達には報されていないし、自由にしていい時間は好きなようにすごしていた。
お茶会や勉強会で人脈をつくって、いざ婚約者に選ばれた時に困らないようにしていたのに。
エリミアの上邸の温室では、時季外れの花の間にテーブルが置かれ、お茶の準備が整えられている。まるい揚げ菓子にはちみつがかかって、光っている。
花の様子を見ていたエリミアは、スピラの声に振り返った。スピラはエリミアとの約束には、いつだって最初にやってくる。
スピラは曖昧な微笑みで、エリミアを見ていた。エリミアは微笑みを返す。わたしの数ヶ月が、スピラの所為で無駄になった。スピラが選ばれるなんて。わたしは成績がよかったし、閣下達もわたしを賞賛してくれていた。わたしには……。
わたしには足りないものがある。
エリミアは歯をくいしばり、スピラから目を逸らした。成績優秀で、眉目秀麗なエリミアには、ひとつだけ足りないものがあった。家柄だ。
エリミアは帝国の、子爵の娘だった。貴族であるだけで特権階級だが、貴族内ではそうたいした地位ではない。今では血のつながりの絶えたスピラの家に頼って官職をもらったこともあった。そうでもしないと、子爵程度ではたいした官職は手にはいらない。
スピラにはまばゆいばかりの家柄と、血筋がある。
ぱっとしない見た目の、どんくさい、要領の悪い、賢さの欠片もないような子が、家柄だけで婚約者に選ばれた。
「エリミア、お茶会に招いてくれてありがとう」
スピラはやわらかい、竪琴のような声でそういった。「一番に、あなたと話したかったから……」
「お父さまに頼んだの?」
「……え?」
「それとも、叔父さまに? いえ、おばあさまにね? あなたのおばあさまはお優しいもの。それに、各方面に顔が利くわ。殿下の婚約者になりたいといったら、簡単にかなえてくれたんでしょう?」
スピラの表情が強張った。エリミアはそれを、図星を指されたからだと判断した。そう考えると、もう停まらない。
「ねえ酷いわスピラ、幾らなんでもわたし達をばかにしてる。形式的なものだったかもしれないけれど、わたし達はそれでも精一杯がんばったのよ。それを、書庫で本を読むばかりだったあなたが、家柄にものをいわせて殿下の婚約者になるなんて。わたし達の努力はなんだったの? まったく無駄だったということ? あなた、はずかしいと思わないの!?」
叫んで、咽の痛みを覚え、エリミアははっとして口を噤んだ。
花の世話をしていた使用人達が、こわごわとこちらを見ている。エリミアはなにかしら、とりつくろおうとしたが、言葉が出てこなかった。
ふと、スピラに目を戻すと、彼女は今までに見たことのない顔をしていた。
蛇のような、鋭い目付きで、エリミアを睨んでいる。
凶悪そうな光を帯びた、鋭くてつめたい目だ。
「スピラ……」
「そうよ」スピラはその目のまま、いった。「おばあさまに頼んだら、すぐに願いをかなえてくれたわ。……わたしはお邪魔みたいだから、帰るわね」
スピラは踵を返し、項垂れて、ドレスの裾を掴み、歩いていく。
「さようなら、エリミア」
その言葉には、はっきりと、訣別が含まれている。
――あなたが損するわよ。
級友の言葉が、ぐるぐると頭のなかで渦をまいている。
臆面もなく、こちらを睨み付けて、不正を認めたスピラが、脳裏に焼き付いてはなれない。知ってはいけないことを知ってしまった。皇子の婚約者選出に関する不正を、知ってしまった。
「エリミアさま、どうかなさいました?」
スピラとは反対方向から、ローディナとミナを筆頭に、令嬢達がやってきた。エリミアは微笑みをつくり、それに対応する。
お茶会は滞りなくすすんだけれど、エリミアは生きた心地がしなかった。誰でもいいから相談しなくてはならない。スピラの秘密を知ってしまった。公爵家の関わった不正を知ってしまったことを……でもいったい誰に相談できるっていうの?
誰に?