学園・社交室――貴公子ははらをたてる
しばらくの沈黙の後、ソルダがささやいた。
「それは……そうなのじゃございません? だって、リョートさまが……」
「リョートがそのようなことをする訳がないわ」
ガラが嚙みつくようにいってから、鼻を鳴らす。「ブラーミャを殺してなんの得があるというの。いってごらんなさい」
「損得でははかれないことがあるのじゃございません?」長い睫毛を揺らして瞬き、淡々と抗弁するのは、リスベットだ。「自分とよく似た、優秀な人間が居るのって、息が詰まりそうですもの」
「そんなものなのね」
プシュケーは肩をすくめる。
「似ているかどうか判断がつくだけでも、贅沢だというのに」
ミルが咳払いし、実に礼儀正しく発言の権利を求めた。アルケはミルを示し、頷く。「なんでしょう、ミル?」
「もしかしたら、俺は疑われてるんでしょうか、殿下? ブラーミャ嬢と競馬を見に行ったことはたしかにありますが、それだけです。彼女は俺に興味を持ってくれなくて、ふたりで面白くもないレースを見て、帰っただけですよ。いつも通り、彼女は食事にもお茶にも応じてくれなかった」
アルケはひらひらと手を振り、ミルが喋るのをとめた。
「まだるっこいことはよくなかったわね。でも、一から順に説明します。でないと納得されないかたも居るでしょうし、友人を贔屓しただとか、そういう妙な誤解をうけるのもごめんですから」
カロスが場違いにも、くすくすっと笑った。カロスらしい行動に、アルケは頬をゆるめる。彼のおかげで、こういう気の滅入る時間を乗り切れるわ。
「最初にいっておきますが、ブラーミャをむしばんでいる毒は、学園での昼食に出されるクラレットにまぜられていました。ジャグに投入されていたのです。そのことから、犯人は最上位クラス十人のうちの誰かと推定します。料理人は自分で毒味をしますが、具合の悪い者はおらず、給仕達は常に複数人で行動しており毒をいれるひまはありません。また、動機も見当たりません。彼ら彼女らが、ブラーミャを害して得をする勢力につかわれていた形跡もありません」
息継ぎする。誰からも反論はないので、アルケは続けた。
「毒の種類から、カロスとストラテーゴス、ミル、イオンは犯人ではありません」
挨拶以来、神妙な顔で黙り込んでいたストラテーゴスが、息を吐く。ほっとしたようだ。彼はイオンと妙な噂になってしまっているし、心中穏やかではなかっただろう。
アルケは椅子の肘掛けに手を置く。
「理由は、ここ帝国では、彼らのような上流階級の男児が厨に這入れば目立つから。カロスに関しては、とんでもなく不器用ですから、そもそも毒をつくれないでしょう」
カロスは臆面もなくこっくり頷き、ガラがそれに唖然とする。慌てて口許を手で隠すが、ガラが大口を開けたところを見たので、アルケはちょっといい気分だった。ガラ義姉さま、いつだってあんなふうなら、お話もしやすいのに。
「あとの三人は、お邸でつくろうと思えばできるでしょうが、厨に這入ったら誰かが絶対に覚えているから、邸のめしつかいがそのことを黙っている訳がない。なにしろ、ソフィア殿下の命で、アンドレイアスさまが直々にお調べに赴きましたから」
アンドレイアスがふざけてお辞儀してみせた。大柄で見るからに腕っ節が強く、しかも皇女の婚約者である。それを前にして、不審な行動があったことを黙っていられるめしつかいはないだろう。
「厨をつかわずに、その辺で火をたけば、目立ちます。一年前の火事は、誰の記憶にもまだあたらしい。あの火事のあと、失火に備えた巡回は人数も回数も増やしましたし、庭での焚き火も禁止されている。よって、厨に這入らずに毒をつくった可能性は排除します」
一年前の大火災は、宮廷の端にまで被害が及んだ。あれ以来帝都の人間は、火というものに神経を尖らせている。兵士達の巡回だけでなく、市民が結成した消防団の巡回も多く行われていた。その状態で、妙なところから煙が上がっていたら、気付かれる。
「では、他人につくらせたのでは?」
ガラがぴしゃりといった。不満げな顔だ。「それだけの理由で、カロスさまがたが嫌疑を外れるのは、不公平ですわ」
「あの毒は、意図せずに口にはいるものではありません。食用の植物ではないし、生のものを食べても多少は毒になる。薬になるものでもないわ。そして、調べればあの毒を服んでいるとわかる。だから、もしわたしが、自分で毒をつくらず、誰かにつくらせるとしたら、あんな毒は選びません」
ガラは口を開いたが、すっと閉じた。アルケは小さく頷く。
「誰かに用意させるのなら、弱い毒でも強い毒でも一緒のこと。しかもあれは、なにか理由をつけて、毒ではないものとしてつかうとごまかせるような代物でもない。用意した人間は、毒を用意したことをいつまでも覚えているでしょうね。ならば、もっと効果のはっきりした毒を持ってきてもらうのがはやいと思いませんか。こんな、年月をかけなくてはならない、まだるっこい毒ではなくて。或いは、調べても毒とわからないものを用意させればいいのでは? 他人に毒を用意させるのは危険な行いですし、もしそれをするのならば、なにか別の毒を用意させるのが普通だと思うのですが」
「それは……」
毒を盛るのは、「毒を盛れたのはこいつだけだった」と特定される危険を伴う。回数が増えれば、「この時にはこいつには無理だった」という情況がかならず出てくる。だから、一回で片がついたほうがいい。
弱い毒をつかい続けるのは、入手が容易で、誰にもばれないからだ。毒を入手したことを他人に知られるなら、一発で終わりにできる毒にする。それが筋でしょう、と、ソフィアがいっていたし、アルケもそう思う。
「男児が厨へ這入れば目立ちますが、女であれば変には思われない。現にわたしも、皇女らしくないといわれるけれど、たまに厨にたちます。らしくない、とはいわれますけれど、はしたないとか、みっともないとはいわれないわ。皇女のわたしでそうなのだから、あなたがたも、厨へ立ったところで、ご令嬢がめずらしく料理をしているとしか思われないのではない?」
ガラは口を噤み、項垂れる。嫌疑を外れたミルが、ほっとした顔でいった。「じゃあ、君達五人の誰かが犯人ってことか?」
少々不躾な発言に、女性陣が睨みをくれた。ミルは首をすくめ、はやくちで謝る。
咳払いする。
「続いて……プシュケーも犯人ではない」
ほっと、ストラテーゴスがまた、安堵したみたいに息を吐いた。プシュケーはアルケを見ているらしいが、目の焦点は合っていない。
「なぜです、殿下? 火をつかえないとおっしゃるのなら、間違っています。わたしは料理もできますもの」
「知っていますとも。ですが、この三月ほど、誰かに手をひいてもらわないとあなたは社交室まで移動できなかった。視力の問題もありますが、学舎の修繕工事中ですからね。あなたが誰にも気付かれずにこの社交室へやってきて、第五番のジャグに毒をいれるのは、無理がある。それから、それぞれのジャグは順番どおりに配られますが、この部屋へ運ばれた段階ではまだ、ああやって隅のテーブルへ置かれているの」
アルケはくいと、顎でそちらを示した。素っ気ないテーブルがあるが、今はなにも置かれていない。給仕が一時的に、飲みものや食べものを置く場所だ。「そこへ置くのは毎回きちんとした順番という訳ではないわ。給仕達は、そこから、あなた達が楽しくお喋りしながら食事をとるテーブルへ、ジャグを持ってくる。お勉強の話が楽しいとも思えませんけれど……とにかく、あのテーブルに置いてある段階では、きちんとした順番ではありません。先程もいったように、厨では料理人達が料理を仕上げ、毒味をしてから運び出すから、その毒味の都合で、順番どおりに運ぶことはできないのです」
プシュケーはアルケの示したテーブルへ、顔を向ける。どことなく、悔しそうな表情だ。「……今も、置いてあるのですか」
「いいえ」簡単に答えてから、アルケはきつく目を瞑った。それから、開く。「わたしでも、どれがどのジャグか、ぱっと見ただけではわからない。無礼かもしれないけれど、プシュケー、あなたなら触らないと区別はつかないのではない?」
返答はないが、プシュケーは否定もしない。アルケはそれを、肯定ととった。
「ガラスのジャグをべたべたさわれば、当然手の脂がつく。何度もそういうことが起これば、給仕はおかしいと思って誰かに報告するでしょう。彼らは手袋をしていますから」
プシュケーは下唇をかみ、美しい顔を伏せた。ストラテーゴスが心配げにそれを見て、そっと彼女へ近付いていく。「プシュケー……」
「それから、ガラは犯人ではない」
「なぜ?」ミルが反応した。もしかしたら、ガラを疑っていたのかもしれない。「ここまでの条件では、これ以上は絞れないと思いますが、殿下」
「そうでもないの、ミル」
アルケはミルにそう返して、カロスがちょっと不満げにしたのに気付いた。ミルに対して親しげなのが気にくわないようだ。
アルケは苦笑いで、いう。
「あの毒は、傷にしみますし、傷からも体にははいりこむ。ガラは活発ですから、手足に生傷が絶えない。そんなひとがあの毒を扱うかしら? わたしならこわくてできないわ。傷に毒が染みついて、色が残ってしまうから、気付かれるかもしれないし」
「ああ、そういうことですか……たしかに、彼女、今も掌に傷がありますね」
「煩いわね、ミル」ガラはミルを睨む。「エリュトロン殿下と剣の稽古をしてたのが悪いの?」
「そ、そんなことはいってないよ、ガラ」
「同じ理由で、ソルダも違う。彼女は彫刻を趣味にしていて、やっぱり手に傷があります。彼女が度々、彫刻刀で傷をつくっているのは、皆さんもご存じでしょう。医務室で治療をうけた記録もありますから、偽の傷という可能性はない」
ソルダはちょっとはずかしそうに、包帯をまいた手を軽く掲げて見せた。「おはずかしいです。難儀な木だと、おさえておく左手まで傷付けてしまって」
ガラはふんと鼻を鳴らし、リョートを見遣った。
「そうなると、殿下、やっぱりリョートが怪しいようですけれど? わたしは彼女が犯人だとは思えませんが、殿下がたは彼女を疑っているということですか?」
「いいえ」アルケは頭を振る。「犯人はリスベットです」
しん、と、場が静まりかえった。
リスベットはあおざめ、震えている。
「え?」
カロスが小さく、やっぱりね、という。二年前まで最上位クラスに居たソフィアがわかった、といわれて、彼にも判断はついていたのだ。姉妹とイオンと自分はあり得ない、それに毒を用意できない(カロスは男児だから、男が厨に立つのがどれだけ目立つかは知っている)男子生徒も除いて、手足に生傷のあるガラは無理で、ジャグを見分けられないプシュケーにも無理。残りが犯人だとして、二年前には最上位クラスに居なかったソルダは違う。十足す一は十一になってしまうから、ソルダははじき出される。
残ったのはリスベットだ。……カロスが特に理由もきかず、ソフィアがそう推理しているから、というだけで頭から信じているのは、少々癇に障るが、ソフィアはそれだけ賢い。最上位クラスで一緒だったカロスにはわかっているのだ。
アルケは息を吐き、いった。
「先程の理屈で、リョートは排除されるの。彼女は毒にくわしい。ならば、調べればすぐにわかるような毒をつかうかしら? それに」
「ちょ……ちょっと、待ってください、殿下」
リスベットは震える声で、いう。
「そ、それはおかしいのではないですか? だって、たしかに、ガラさまやソルダさまは、ご自分にも危険があるから毒はつくれないでしょう。プシュケーさまに毒をいれる機会がないのも、殿方が厨に立てないのもわかります。でも、リョートさまが、嫌疑から外れようとあえて」
「それはありえないのですよ、リスベット。リョートなら、もっと簡単で、もっと楽に手にはいる毒があったの」
「は……?」
「ブラーミャはある特定の食材で、発作を起こす体質なのです。彼女がお茶会や食事会を、ほとんど断っていたのは、覚えているでしょう。ソフィア殿下のお茶会でも、出されたお菓子には決して手をつけなかった。ここでの食事も、彼女のものは内容が異なっていた筈」
「……あ」
ミルが、ぽかんと口を開けた。カロスが小さく口笛を吹く。「そういうことだったのか。偏食だし小食だなあとは思っていたんだよ」
「さっき、いっていたわね」
カロスの腕を軽く叩いてから、アルケは続ける。
「リョートなら、ブラーミャが発作を起こす食べものを知っているのだから、それをこっそり食事にまぜればいい。あとで彼女の皿からそれが見付かっても、料理人の失敗だと思われてお仕舞です。席順は決まっていたのでしょ? 家格を考慮して決められていた席順なら、姉妹の彼女達は当然隣り合っていた筈。リョートよりはお喋りが好きなブラーミャが、それに気をとられている間に、自分の皿からこっそりなにかを移動させても、気付かれないのではない?」
「たしかに」
ガラが頷いた。
リスベットの震えが酷くなる。
「でも……でも、それでも疑われるかもと思って」
「なら、もっと効果のある毒をつかえばいい。彼女は毒にもくわしいのだから。第一、ジャグに毒をいれるのは、リョートにもリスクのあることなのです。成績は彼女とブラーミャで競っていたから、彼女が第五のジャグをつかうことだってありえた。なら、クラレットにまぜるのは毒ではなくて、ブラーミャだけが発作を起こす食べものでもいいのではない?」
「そ、そ、それは……でも動機があります! 強い動機が!」
リスベットは勝ち誇るように、ぱっと顔をあげて、リョートを指さした。
「彼女は一歳下の優秀な妹に嫉妬してた! 同じ顔で、同じ声で、それなのにブラーミャのほうが」
「そう。そうみせかけたかったのね?」アルケは頬杖をつく。「それはあなたの動機だわ、リスベット。つまりあなたは、リョートとブラーミャを両方、このクラスから追い出したかった。できれば永久に。目的はコラスィ卿でしょう」
リスベットが顔面蒼白になる。
震えが激しくなっている。
「機会があったのはあなた。あなたは毒をつくるために厨にたっても怪しまれない女で、社交室までひとりで来ることができて、ジャグを触らずに順番を把握できた。ブラーミャの体質のことも知らないから、怪しまれずに彼女に発作を起こさせる手段も知らない。そして動機は、コラスィ卿との婚約では? あなたは彼と婚約する話が」
リスベットが叫びながら、その場に膝をついた。
ストラテーゴスがプシュケーを背後に庇う。ミルも、叫び声に硬直したソルダを庇った。
リスベットは肩で大きく息をして、小さく笑う。
「だって、どうせどっちでもいいんでしょ!」
ぱっと顔をあげ、リスベットはイオンを睨んだ。「コラスィ卿。あなた、リョートと婚約してわたしとの話をなかったことにしたくせに、ブラーミャともあっているそうではありませんか。姉妹のどちらでも宜しいんでしょ。自分よりも家格が下で、いうことをきく大人しい妻がほしいだけ。リョートでも、同じ顔のブラーミャでも、かまわない。黙ってお飾りの婚約者で居てくれればいい。だって、卿は、すみれがお好きですものね?」
カロスが、やばい、と、小さくいった。
リョートが不安げに、イオンを見る。「卿」
イオンはリスベットを見て、ふっと笑った。軽く顎を上げる。
「僕は、リョートとブラーミャが似ているなんて思ったことは、一度もないですよ?」
低くて、甘ったるい声だが、アルケは背筋がひえるのを感じている。イオンが、久々に、はらをたてている。これはまずい。
リスベットはぽかんと、イオンを仰いでいる。にこにこ顔のイオンに、驚いているらしい。
イオンはリョートへ顔を向け、うっとりと見詰めた。
「彼女とブラーミャを間違ったことは、僕は一度もありません」
「……な」
「ああ、あなたと似ているものなら、覚えがあります」
イオンはひややかに、リスベットを見ている。唇は笑っているが、目は笑っていない。「躾の行き届いていない犬とかね」
リスベットは大口を開けた。
アンドレイアスが咳払いすると、イオンは笑みをうかべる。
「ああ、犬に失礼でしたね。撤回します」いいながら、リョートの腕をとり、庇うように一歩前へ出る。「あなたに似ている人間は見たことがない。よかったですね? 似ている人間が居ると息が詰まるとかなんとか、いっていたから。あなたのように醜い人間はほかにはいませんよ」
「イオン……」
アンドレイアスが呆れ声を出し、リスベットはまるで魂がぬけたかのように、動きを停めた。