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皇女殿下は安楽椅子探偵  作者: 弓良 十矢 No War
学園最上位クラス殺人未遂事件
2/19

宮廷・第三皇女の居室――皇女は婚約者にお願いをする






「あまり暢気にかまえてもいられないようですね」

 寝台の上で、皇帝の三女、ソフィア殿下が曰った。


 ふっかりした布団に沈み込むように横たわり、大量のクッションに体を預けて、半分ほど上体を起こしているような格好だ。彼女好みのレースが縫い付けられたクッションは数限りなくあり、毎日のように侍女達が干して、ふくらませている。

 寝台の傍には、豪奢な彫刻が施された椅子がある。それに腰掛けたアンドレイアスは、ソフィアの手をやわらかく握りしめた。彼女の手はかなりむくんでいて、不気味に弾力がある。肌がかさついていて、不健康そうだ。

「君に煩わせるのは、不本意なのだが」

「いえ、わたしだって、困るのですから。リョートほど、きちんと薬の知識がある人間もめずらしい。彼女が居ない所為で、このざまです」

 くすくすと笑っているが、以前はきらきらとかがやくようだった瞳も、今は少々濁っているし、顔色はよくなかった。呼吸も浅く、喘ぐような時がある。苦しいのだろう。

 アンドレイアスは溜め息を吐き、ソフィアの銀の髪を、そっと撫でた。彼女は微笑みで、小さく頷く。

「頼りがいのない婚約者ですまないな、ソフィア」

「いいえ、アンドレイアスさま、あなたがいらっしゃるだけでいいのです」




 ソフィアは皇帝の三女で、皇女の位を賜っている。ここ、帝国の、帝位を継ぐ可能性がある立場だ。

 アンドレイアスは、帝国に攻め入られ、降伏した国の、貴族だ。といっても、アンドレイアスの生国が帝国に降伏したのは、すでに皇帝数代分昔の話である。今や安穏と、帝国を宗主国と仰ぎ、平和を享受している。

 今の皇帝はどうにも()()()というか、帝国を牛耳っているとは思えない、穏やかな人格だ。子ども達に高度な教育を施すまでは普通だが、帝位を継ぐ可能性があるというのに、平然と、恋愛感情に基づいた婚約を交わさせた。


 帝都には、各国から良家の子女が集まる、学び舎がある。学園、と呼ばれる場所だ。アンドレイアスはそこで、ソフィアと面識を持った。

 はじめは皇帝の三女だなどとは知らず、書庫でたまに言葉を交わす仲だった。豊かな銀髪を結い上げもせずにせなかに流し、レースをたっぷりあしらったドレスを身にまとった彼女は、書物の妖精のように愛らしかった。はじめて目にした時には、絵物語から姫君がぬけだしてきたかと思ったほどだ。

 アンドレイアスはあまり、勉学というものが得意ではない。だが、物語が好きで、書庫に入り浸っていた。彼女もいつも、本を開いていて、次第にお互いの好きな本や、読んだことのある本、好きな作家の話などをするようになった。

 授業では顔を合わせることがなかったのだが、その理由はすぐに判明した。学園は成績でクラスが分けられていて、ソフィアは最上級のクラス、アンドレイアスはまんなかのクラスだったのだ。顔を合わせる訳もない。

 ちなみに、皇帝には娘が大勢居る。皇女が在学しているとは聴いていたが、ソフィアの姉や妹しか認識していなかった。それで、アンドレイアスは入学から随分長い間、ソフィアのことをただの貴族の娘か、属国の姫だと考えていた。

 アンドレイアスがソフィアの立場をはっきり認識したのは、里帰り中に手紙をもらった時だ。彼女の手紙には、皇女の印がおされていた。


 アンドレイアスは、自覚しているが、単純な人間だ。貴族としてはあまり優秀ではない。彼女が皇女だとわかってからも、接しかたをあらためることができなかった。ソフィアは裏表のないアンドレイアスとすごすのを楽しみにするようになり、病に倒れてすぐに、彼と結婚したいといいだした。

 機を見て求婚するつもりだったアンドレイアスは、思い切り出鼻をくじかれた。しかし、ソフィアを愛しているのは事実であったし、彼女に求められて断れる訳もない。ふたつ返事で婚約を承諾した。






 婚約から、まる二年経つ。ソフィアの病も、薬をつくる人間が優秀なのがあって、段々とよくなっていた。あと半年もすれば復学できる、卒業すれば結婚しよう……などと話していた矢先に、これだ。

 ソフィアは無言で、額にかかる髪を払いのけた。その手は、しっかり握れないくらいにむくんでいて、指なんてよく熟れた葡萄のようだ。色こそあんなようではないけれど、なかに水分を湛えているところが似ている。

「ブラーミャは、どうなのですか? 容態は」

「ああ、危険な状態ではなくなったが、まだ目を覚ましていない」

 項垂れて、アンドレイアスは髪をかきあげる。「リョートの薬なら治るだろうに、彼女は疑われてしまっているから……」


 リョート、というのは、アンドレイアスと同じく、帝国に従属している国の人間だ。アンドレイアスの生国よりももっと辺境にある、小さな国出身である。彼女はそこの、伯爵令嬢だ。

 身長は高からず低からず、痩せ型で、細面。薄墨色の長い髪をきっちりと結い上げ、翡翠の髪飾りでとめている。長くて折れそうな首、きゅっとひきしまった腰、すらりと指の長い華奢な手、と、美人の要素を多く持っている。顔立ちも、少々男性的な眉を加味しても美人の部類にはいるのだが、いつも遠慮がちに目を伏せているので、多くの人間がその美しさに気付かない。

 リョートはソフィアと同じく、学園では最上位のクラスに所属している。成績がいいのもそうだし、魔法に造詣が深く、とくに回復魔法を得意としている。その上、魔法では回復不能な、毒や病にきく薬をつくることもできた。彼女の家は、代々薬をつくっている。一年前に帝都で大火災があった時など、帝都に居た一族の人間全員で、火傷に効く薬を三日三晩寝ずにつくってくれた。そのおかげで、大勢の市民が救われた。


 リョートはソフィアの薬をつくり、煎じる係を命じられていた。表向きには、彼女に知識があるから、ということになっているが、実際はソフィアの願いだった。

 リョートはソフィアとは長いことクラスメイトだったし、ソフィア自身が、リョートならば安心できると、そう判断したのだ。学園は持ち込むものが制限されていたり、各所に兵士やめしつかいが配備されていて、危険は少ないが、宮廷はなにがあるかわからない場所だ。そんな場所で、毎日薬を()むのは、それなりに勇気が要る。

 リョートは穏やかで、真面目な性格をしている。ソフィアの薬係になってから、五日に一度、かならず薬をつくり、それを毎日煎じて、ソフィアに()ませていた。おかげで、一時は二度と歩けないといわれていたソフィアの脚も、だいぶ動くようになっている。ソフィアの人選は間違っていなかった。




 それが、これだ。

 リョートは妹のブラーミャに毒を盛ったと疑われ、拘束されている。






「いっそ双子であったなら――ですか」

「ああ。そのような戯れ歌が、書庫の壁に書かれていたらしい」

「趣味の悪いこと」

 ソフィアは鼻を鳴らし、緩慢な動きで体の向きをかえた。仰のけだったのが、横へ向いたのだ。アンドレイアスは彼女の髪を払いのけ、目にかからないようにする。ソフィアは随分つらそうな呼吸をした。

 リョートにとんでもない疑いがかかっている為に、ソフィアは薬をつくる人間をかえざるを得なかった。あたらしく薬の係になった人間は、リョートほどの腕はないらしい。ほんの一日で、こんなにも病状が悪化している。

「ありがとうございます。……リョートが気にしていることを、あげつらったつもりなのでしょうか」

「だろうな」


 リョートには、一歳(ひとつ)下の、ブラーミャという妹が居る。ブラーミャも学園に在籍していた。それも、リョートと同じく、最上位クラスだ。

 しかもこのふたり、友人や親族であっても見間違うくらいに顔が似ている。髪や肌や瞳の色、眉の形、耳の形、ちょっとした癖や、言葉遣いまで、そっくりそのまま同じなのだ。クラスメイトに魔法でいたずらをしかけられて、吃驚して気を失った時は、倒れかたまで同じだったときく。

 ただ、ブラーミャのほうがどちらかというと社交的で、友人が多少は居るのに比べ、リョートは含羞(はにか)み屋で内省的で、自分の婚約者とごく少数の学友以外とは、まともに言葉も交わさない。

 奥床しいというよりも陰鬱な性格で、()()()殿()()()()()()()、あまりお近付きになりたくはない……と、そんなふうにくさす貴公子も居る。

 とはいえ、ブラーミャにしたって、世間一般の「社交的」よりは程度が浅い。お喋りが好きで、学友と芝居見物などに出かけることはあるようだが、お茶会や食事会などはほとんど断っていた。どうしても出席しなくてはならない時にも、食事はしない。口を開くのをはずかしがっているからではないか、と噂されているそうだ。姉妹はどちらも大人しく、見ず知らずの男性の前で大口を開けるのをはしたないことだと考えているのだろう、と。

 そしてどちらも、成績がよく、魔法に造詣が深い。ブラーミャは回復魔法をつかえないが、調剤はできるので、時折リョートの手伝いをしていた。


 一年差があるのに、妹が自分と同じクラスに居て、自分の仕事の手伝いまでしている。リョートは心中穏やかではなかっただろう。周囲はそんなふうに見ている。いっそ双子であれば、妹が自分より優秀でもはらも立たなかっただろうに、一年違うというのが余計に惨めさを誘う、と。


 実際、リョートはブラーミャを攻撃こそしなかったものの、べたべたとひっつくこともなかった。淡々とした姉妹仲で、ふたりだけで一緒にでかけたり、なにかをするというのは、アンドレイアスは聴いたことがない。

 姉妹でソフィアのお茶会に招かれても、並んで座り、そっくりな顔を軽く伏せて、お喋りに興じ、微笑んでいるだけだった。ブラーミャに関しては、出されたお菓子にも手をつけず、お茶をすするのみで。




「コラスィ卿はなんと?」

「黙っている」

「彼らしい」

 ふん、と、もう一度、ソフィアは鼻を鳴らす。アンドレイアスは肩をすくめた。ソフィアの不満がわかるような気がしたからだ。

 コラスィ卿、というのは、リョートの婚約者だ。イオン・ハロス。帝国北西の大公家の総領息子で、跡取りである。卒業後には速やかに位を継ぎ、出仕することが決まっている。


 光の加減ですみれのような濃い紫色に見える、ゆるい癖のある髪に、金に緑が散った瞳、滑らかで色のうすい肌。少々女性的な整った顔立ちと、細身だが鍛えられた、ひきしまった体をしている。

 成績もいい。魔法はつかえないが、それを補うだけの知恵と体力があった。見目麗しさも相まって、各地から集まった良家の子女達の注目の的だ。といっても、好意的に彼を見るのは、帝都に来たばかりの者だけだが。


 一時は、ソフィアと婚約するのではないか、と噂されていた。その直後、あまり好ましくない噂が流れ、病に倒れたソフィアがアンドレイアスを選んだのがあって、噂は妙にねじまがった。

 イオンがソフィアに毒を盛った、と。

 北西の大公家は、今まで数人、毒による自殺者を出している。毒をつかって政敵を殺した人間も、数人居た。殺人者など、どの家だって遡れば見付けられるだろうが、大公という肩書きがある為に歴史書などに記録が残ってしまっている。その為、北西の大公家といえば毒、のイメージができてしまった。しかも、大公になる前は、罪人の処刑を生業にしていた。北西の大公家といえばだから、帝国の人間にとっては、毒と殺しなのだ。

 ソフィアの病は、毒も呪いも関係ない。それは、医者達が数人がかりでしらべて、わかっていることだ。だが、イオン当人が一筋縄ではいかない「かわりもの」である為に、未だにソフィアの病は毒によるものだなどという噂がなくならない。




 イオンは、花狂い――とでもいえばいいのか、帝都にある上邸を、帝国の属領からとりよせた花でいっぱいにしている。魔法やなにかを駆使して、年中花の咲き乱れる庭をつくっているのだ。

 なかでも、彼が特にご執心なのは、すみれだった。自分の髪の色と同じだからだろう、と噂されている。

 イオンはすみれと名のつく花は集められるだけ集め、すみれだけの温室をつくっていた。そこでは、時期を外れてもすみれが咲いている。そのすみれ園の為に、イオンは自分に与えられている金の半分以上を費やしているらしい。大公は息子の趣味に眉をひそめているそうだが、イオンはそれを無視している。


 すみれは、帝国では特別な意味を持つ。男性同士の友愛、もしくは()()()()のものを、暗に示す為の花だ。そんな意味合いを持つこともあって、少なくとも、「男性」が愛好する花とは思われていない。

 そんなすみれをかき集めている「かわりもの」のイオンは、去年リョートと婚約した。控え目で穏やかで、社交的ではない、その上属領の木っ端貴族の娘であるリョートと、だ。イオンが望んでのことだったが、それで尚更、イオンの悪名は高まった。リョートのような、大人しく、口数少ない穏やかな女性なら、()()()()()()と考えたのだろう、と。






 ソフィアは溜め息を吐いて、アンドレイアスの手をきゅっと握った。

「コラスィ卿にも困ったものです。あれだけ賢いのに、立ち回りがうまくない」

「君にそれをいわれたのでは、お仕舞だな」

 思わずそう返すと、ソフィアはくすくすと笑ってくれた。アンドレイアスは笑みをうかべ、婚約者の頬に軽く口付ける。「ソフィア、君の叡智で以て、リョートを救い出してくれ。俺にはどうにもできない」

「はい、アンドレイアスさま」ソフィアはにっこり、笑った。「でも、わたしはここから動けません。ですから、かわりに、調べてほしいのです」






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「殺人者など、どの家だって遡れば見付けられるだろう」 貴族の常識、怖えぇー‥‥ガクブル
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