辺境伯上邸――皇女殿下は泣かない
「アルケ、君の所為じゃないよ」
カロスは枕に頭を預けたまま、寝台の傍に居る婚約者の手を掴んだ。
アルケは、椅子に腰掛け、項垂れている。
カロスは目を覚まし、ことの経緯をアンドレイアスから聴いた。
自分がみききしたことも説明した。あの日、ミルにいわれ、花時計まで行ったのは、ストラテーゴスとプシュケーに花束をつくろうといわれていたからだ。行ってみるとソルダが寝ていて、ミルは微笑みで、彼女も手伝ってくれるんだけど寝てしまった、とかなんとかいっていた。
そのあとは記憶がない。
ミルは死なずにすんだ。
彼の邸からは、幾つかの証拠が出てきた。
毒と、リョートが縊れていた紐の残りが出てきたそうだ。
ミル自身は、アルケと結婚したかった、といったきり、口を噤んでいる。だが、彼の邸には、家族や、本国の王家からの手紙が、数通残っていた。燃やすように命じられていた使用人が、それを怠ったのだ。二年前の火事以来、帝都は火に厳しくなっている。庭で簡単に燃やすことはできなかった。
その手紙には、ミルに対しての指令が書かれていた。
ミルはある目的のもと、送り込まれたのだ。皇女か帝国の高名な貴族の娘と結婚することと、本国以外の属領・属国の地位を下げる。それが、ミルへの指令だった。
毒は、その為に送られてきたものだった。
ソルダがカロスを襲って自殺した、となれば、ソルダの国は窮地に立たされる。立場は悪くなるだろう。カロスが死ねば、アルケの婚約者は居なくなり、学園でいい成績をおさめている男児のなかで婚約者の居ないミルが候補に挙がるのは間違いない。なにより、ミルはアルケと親しくしている。
そのようにせよ、と、どこからか指示があった。それを、ミルはこなした。邦の為に。
書庫の窓敷居には、一箇所だけ、釘を刺したような痕があった。ひとが沢山居る時にそんなことをしたら露見するが、忘れものをしたなどといって夜に忍び込み、釘を打っておいて、厚い帳で隠せば気付かれない。その釘に紐をかけ、書庫の窓から中庭へ出入りしたのだ。釘はぬいてしまえばいいし、あとから書庫を荒らして、至るところに傷をつけてしまえば、釘穴は目立たなくなる。
リョートは、釘の穴を見付けたか、窓敷居に紐がこすれた痕を見付けたのか、どちらかだろう、とアンドレイアスはいっていた。
ストラテーゴスとプシュケーは卒業を待たず、結婚して帝都をはなれた。
ガラも学園を辞め、宮廷で、エリュトロンとすごしている。
ソルダはまだ目を覚まさないけれど、以前より状態はよくなった。
最上位級はほとんどいれかわってしまった。
ブラーミャは邸を出ず、リョートの遺体は故郷へ運ばれていった。
イオンは行方をくらまし、今も見付かっていない。
「カロス、元気になって」
「うん」
「カロスが居てくれないと、わたし、だめだから」
「わかってるよ」
カロスはアルケの手を、ぎゅっと握る。「僕の前では、泣いてもいいから」
アルケは頷いて、けれど泣きはしない。
「ミルのやつ、いやだったんじゃないかな。あんなことするの」
「……そうかしら」
「そうだよ。ストラテーゴスや、僕達と親しくしてたのも、嘘なんかじゃないよ、きっと」
結婚式までには動けるようになっているから、というカロスに、アルケは目を潤ませて、小さく頷いた。




