閑話――おさえつけておかないと変形してしまうもの
「畏れおおいのですが、相談できる相手が閣下のほかになく……」
項垂れるストラテーゴスに、アルケは目をぱちぱちさせた。
休日の学園、物語の続きをかりたくて(宮廷の書庫にもあるけれど苦手な書史が居るから行きたくなかった、ともいう)顔を出すと、渡り廊下から、カロスとミル、それにストラテーゴスの三人が、庭で向かい合って立っているのが見えた。もしかして決闘かしら、と、侍女にいいながら、アルケは面白半分でそちらへ足を向けた。
ストラテーゴスはこの間、プシュケーと婚約し、告示があったばかりだ。公爵令息のストラテーゴスは、以前の婚約を解消してからずっと、誰とも噂がなく、女に興味がない、男が好きらしい、とまでいわれていた。だが、ただ単にプシュケーを好きで、だがそれをいいだせなかっただけ、らしい。
少し前に学園で、彼らのクラスが舞台になった事件があり、それをきっかけにプシュケーに求婚した。もしかしたら死んだり、殺人者の疑いをかけられたりするかもしれない、と考えたら、求婚して断られるかもしれない、なんて、こわくなくなったのだそうだ。
もしかしたら、未だに婚約者の居ないミルがそれに異を唱え、プシュケーを奪う為に決闘でもしているのかもしれない。そんなことを考えると面白くて、アルケはくすくすしていた。堅物のストラテーゴスの婚約成立は、皇家でも喜ばしいものとして、きょうだい達と話していたのだ。
だが、近付いてゆくにつれ、三人とも深刻そうな顔をしていることに気付いた。ミルに関しては、顔色が凄く悪い。ストラテーゴスも似たようなものだ。唇の色が悪い。
割合、カロスは冷静そうで、低声でなにやら喋っているのだが、声が小さいのであまり聴こえない。
カロス、と声をかけると、三人は弾かれたように振り向いて、アルケを見、ほっと息を吐いた。なんだアルケかあ、という婚約者殿を軽く睨み付け、隣へ並ぶと、ストラテーゴスとミルからは丁寧な挨拶をもらえた。
なにか悪だくみでもしているのですか、とふざけていってみたら、似たようなものですよとミルが肩を落とした。
「で、実際のところ、どういうことなのです?」
アルケは侍女へ本を預け、少しはなれたところへ追い払ってから、そういった。はなれたところ、といったって、目視できる距離だし、なにかあれば彼女らはとんでくるだろう。
「カロスは成績はいいけれど、杓子定規で真面目で面白味のないひとですわ。相談したって正論しか返ってこなくてよ」
「アルケ、君もなかなかいうよな」
「あら事実じゃない。あなたはまっすぐで、正しいひとだわ。だからすぐひとに騙されるじゃない。わたしくらいひねくれなさいな」
カロスは満足そうににっこりし、ストラテーゴスとミルは溜め息を吐いた。
「我らも、閣下のように信用があればいいのですが」
「このままだと、俺、捕まるかもしれないんです」
ミルが泣くような声を出し、アルケはぽかんとした。
ミルは、成績で分けられる学園の最上位クラスに、長く在籍している。ストラテーゴスもだ。
お互い長いこと婚約者がいなかったこともあり、帝国公爵の息子であるストラテーゴスと、属領の貴族にすぎないミルとには、友情が芽生えていた。学園がなければ会話もしなかっただろう出自の違いだが、最上位クラス、つまりどちらも勉強に熱心である、という点で、気があったのだ。
プシュケーとの婚約も、ミルは告示より先に知っていた。二月かけて、地元からめずらしい香木をとりよせ、ストラテーゴスの上邸へお祝いに行ったのだという。
ミルは顔色が一向によくならない。心なし、やつれたようにも見えた。心労が祟っているのだろう。
「一昨日のことです。俺は香木の包みを持って、ストラテーゴスの邸に居ました。そいつはかなり高価なものでしたし、従僕へ預けて紛失したり落としたりされたらいやで、自分で抱えていたんです。従僕を信用しない訳じゃありませんが、なにかあった場合に、ひとの所為にしたくもない」
「彼が勝手に来たのではなくて、俺が招いたのです。プシュケーと、ソルダも。彼女達は先に来ていて、庭の温室に居ました。ソルダも、プシュケーをモデルにした女神の像を彫ってくれて、それを持ってきていた」
「木像を自分で担いできたのですか?」
「ソルダは力がありますから」
ストラテーゴスは平然といい、アルケは少し考えてから、小さく頷く。たしかに、木彫を趣味にしているソルダは、材料となる木材を運ぶことが多いからか、そう大柄でもない女なのに、力がある。
ストラテーゴスとプシュケーの婚約祝いのお茶会が、温室で開かれる予定だったそうだ。ストラテーゴスとソルダはもともと婚約していたのだが、慰謝料をしっかり払って円満に解消している。そのあと、ずっと同じクラスで、ソルダはプシュケーと親しくしていた。
木彫を趣味にしているソルダにとって、女神か蝶の妖精のように美しいプシュケーは、素晴らしいモデルだったのだ。これまでもプシュケーをモデルにして、複数、木像を制作している。なので、ストラテーゴスが彼女と婚約しても、当然だが文句ひとついわず、女神の像を持ってきて祝おうとしていた。
ストラテーゴスは当日、親しい友人達を招くとあって、張り切っていた。温室やそこへ至るまでの庭は綺麗に掃除させ、厨房には当日の朝偶然手にはいった季節の生のくだものをたっぷりつかったタルトをこしらえるように命じ(プシュケーの好物なのだ)、遊びの道具を揃えた遊戯室もつかうかもしれないからと自分で点検し、温室の花が枯れたりしていないかをひとめぐりしてたしかめ……できることはすべてして、そわそわして友人と、婚約者の到着を待っていた。
「まず、ソルダが来ました。彼女はおめでとうといい、プシュケーも来たらもっときちんとお祝いするといって、木像を背中に担いで温室へ行きました」
「侍女は居たのですか」
「ひとりついていましたが、帝国の言葉はできない者です。彼女の生国から来たばかりで、年も相当若い娘でした。あちらの貴族の娘だそうです」
続いて、プシュケーがやってくる。プシュケーは目が悪いので、侍女ふたりで彼女の手をひいていた。プシュケーとストラテーゴスはしばらくふたりきりで話し、プシュケーが侍女達に手をひかれて温室へ移動する。
「なぜ、あなたは一緒に行かなかったのです?」
「実は我が上邸は、半月前に改装していまして、あたらしい棟が増えたのです。そのあたらしい棟には、香りを楽しむのが好きなプシュケーの為に、調香室を設けています。香木やなにかをとりよせて、そこへ置いてあるのですが、彼女にはそれは秘密でした。お茶と花を楽しんだ後に、三人をそこへつれていくつもりで、きちんと掃除されているかを見に行ったのです。ソルダは、像を持っていくからはやくにいって温室へ置いておく、といっていましたが、プシュケーは予定よりもはやく来ました。それで、調香室を調べる時間が……」
「成程」
ストラテーゴスが、彼の上邸では少し奥まったところにある、小さな温室でのお茶会をやりたがった理由も、ついでにわかった。温室には花が咲き乱れている。目のよくないプシュケーに、少しでも香りで楽しんでもらおうと考えたのだ。
ストラテーゴスの上邸は、通りから門を潜って前庭をぬけると、立派なおもやがある。上から見ると、翼をひろげた鷹のような形状で、調香室のあるあたらしい棟は、その鷹の尾翼の辺りにあるそうだ。温室はそこから近く、裏庭の一画にある。厨房は鷹でいうと、左の翼のまんなか辺り。温室からはさほど遠くなく、走れば五分かからない。きちんとした容器にいれて運べば、お茶がさめない距離だ。
ミルは首をすくめる。
「俺は、ストラテーゴスの邸には何度も訪ねたことがありますし、お茶会は温室でするときいていました。なので、直にそちらへ足を向けたんです。無作法ですが、従僕に、使用人部屋へ挨拶してこいとだけ命じて」
「いつものことなんです。彼には、お茶会はどの部屋でやると伝えておきますし、そこへ直にやってきても、もう無作法だなんだというような間柄でもない。俺だって、ミルの邸へ行って、ろくな挨拶もせずに遊戯室でチェスをさしたりしますから」
「なにか、それで問題になっているのですね?」
「はい、殿下」
ミルは涙ぐむ。「俺がひとりで、温室へ向かっていると、その手前でプシュケーの侍女が倒れていたんです。頭を殴られて」
プシュケーの侍女は、さいわい、命をとりとめた。だが、意識は戻っておらず、目を覚ますかどうかも怪しい状態らしい。
ミルが叫び、使用人達が走ってきて、すぐに捕吏が呼ばれた。
侍女は、プシュケーに命じられて、水をもらいに行っていた。温室にある花がひと株、元気がなかったのだそうだ。プシュケーは目こそ悪いが、鼻でそれを察し、少しお水をあげればいいでしょう、と、侍女に水を持ってくるように命じたのだ。
疑われたのは四人。
まず、ストラテーゴス。ひとりで調香室へ行っていて、誰もその姿を見なかった。調香室の窓から庭へ出て、侍女を殴り、戻ることは可能だ。ただし、ストラテーゴスは凶器になるようなものを所持していないし、調香室にもそれはなかった。すりこぎだとかは、プシュケーの要望をきいて用意するつもりで、砕けたような香木しかなかったのだ。剣は佩いていたが、傷の形状からそれが凶器でないことはわかっている。
ソルダ。侍女やプシュケー、プシュケーのもうひとりの侍女と温室に居たというが、プシュケーは目が悪く、侍女と一緒に花の香を楽しんでいて、ソルダの姿をしっかり見てはいない。侍女も、プシュケーになにかあってはならないので、プシュケーを見るのに集中しており、ソルダが居たかどうかはあやふやだった。
ソルダは、プシュケーが花を楽しんでいるから声をかけなかった、といい、プシュケーをデッサンしていたと紙を出したが、その時描いたものか以前描いていたものかはわからない。以前描いたものを持ってきて、こっそり温室をぬけだし、女神像で侍女を殴ったのかも知れない。
ソルダの侍女も、同じような理屈で疑われていた。ソルダが、自分は温室に居るまま、侍女に命じてそれをさせた可能性があった。動機は、ストラテーゴスとプシュケーの婚約だ。ソルダはストラテーゴスに婚約を解消されている。それに憤っての犯行、というのは、誰しも考えそうではある。
「俺には動機なんてないのに、気の毒な侍女を見付けたのと、香木を持っていた所為で、一番疑われているんです」
ミルは項垂れ、片手で目許を覆う。カロスが暢気な声を出す。
「ミル、災難だな。傷口の状態と、君の持っていた香木とが、一致したの?」
「よく似ていると医者がいうんです」ストラテーゴスは、気の毒げに友人を見る。「ミルがそんなことをする筈はないし、理由もないというんですが、信じてもらえなくて。このままではミルは捕まってしまいます」
「厄介なことになっているのですね」
アルケはいい、頬に手を遣った。
「卿、傷と香木が一致したというのは? あなたが持っていた剣は違ったといっていたけれど、なにか特別、かわった傷なのでしょうか」
「まっすぐなものではなく、おうとつのついたもので殴られたようだと。ソルダの持っていた女神像は、台座のところがそんなようになっています。ミルの香木も……」
ミルは肩をすくめて、顔をあげた。
「樹液が表面を覆ったようになった、稀少なものなんです」
「あら、めずらしい」
「こんなふうな……ソルダに描いてもらったものですが、こういう格好です」
カロスに相談するのに、見せるつもりだったのだろう。ストラテーゴスは、懐から羊皮紙をとりだし、ひろげた。そこには、プシュケーによく似た女神と、なにかの塊の絵がある。
「マムシグサの実に似ているわ」
「は?」
「いえ、なんでも。これか、この台座か、どちらかなら、気の毒な娘さんを殴ったかもしれないのね?」
「はい。ですが奇妙なこともあるんです。殴られて昏倒したのは間違いないですが、頭に、うっすらと火傷のような痕もあるそうなんです」
プシュケーによく似た、なよやかな女神は、体の線のわかる、トーガを身につけている。立っていて、両手で布をひろげ、その布に花がはいっていた。風が吹いているみたいに、髪が優美になびいている。「女神像は、このままなのですか? この絵の通りのもの?」
「この通りです。大きさは、台座を含めて高さが、人間の上半身ほどでした」
アルケは顔をあげる。
「ミルが犯人なんてありえない。ですが、ソルダがこんな愚かなことをする訳もない。そして、俺もしていません。プシュケーは俺を信じるといってくれましたが、彼女に疑念を抱かれるかもしれないと思うと……それに、ミルの立場が……」
ストラテーゴスを見た。
「タルトは?」
「は……」
「タルトはできあがっていたのですか? あなた、召し上がったの?」
ストラテーゴスはしばし、言葉を失ったが、はっとして頭を振った。
「いいえ! せめてプシュケーの心を和ませようと、タルトを包んで持って帰ってもらおうとしたのに、生のくだもののタルトはできていませんでした。かわりに、つめたいチーズのタルトができていて」
「わかりました。犯人は料理人です」
アルケの推理通り、犯人は料理人だった。彼は主のストラテーゴスに邪な気持ちを抱いており、プシュケーとの婚約をどうにか邪魔したかったのだ。プシュケーはひとりにならないからどうしようもなかったが、あの日は侍女が、花にやる水を汲みに、厨房の傍にある井戸まで来ていた。
料理人は凶器を手に、水を汲んだ侍女のあとをつけ、温室手前で殴打。走って厨房へ戻り、素知らぬ顔で業務を続けた。ストラテーゴスが疑われて、プシュケーの気持ちがはなれればいいと考えていたらしい。
「まさか、豆をつかっていたなんてね」
「あの香木が、マムシグサの実のようだったから、ひょっとしてと思ったのよ」
翌日、学園の庭の、胡桃にのぼり、アルケは脚をぶらつかせていた。下にはカロスが居て、ぺらぺらと本をめくっている。
「生のくだもののタルトは、その日の朝に命じられた。プシュケーは予定よりもはやく来た。だから、タルトはまだ焼いている途中だったのね。料理人はそれをオーブンからとりだすと、タルトの重しにしている豆を布巾で包んで、速成の鈍器にした」
「かすかな火傷っていうのは、その所為なのか」
「でしょう。あれってとても熱いわ。でも厨房には、鍋掴みくらいありますからね。――重しを失ったタルトは変形してしまい、彼はそれを砕いてバターとまぜ、新鮮なチーズをつかったタルトにすることでごまかしたつもりだった」
アルケはカロスを見る。カロスはアルケを仰ぎ、にこっとした。「料理の得意な君には、すぐにわかったろうね」
「そうでもないわ。でも、ソルダが犯人じゃないのはわかった。あんなもの振りまわしたら、腰の辺りでぽっきり折れてしまうわよ。それでなくても繊細なものなのに、無理な話。ミルもだめでしょう? もし彼なら、侍女を殴ったあとに現場をはなれ、なにか理由をつけて従僕と合流してから一緒に見付ければいい。凶器になりそうなものを持ってひとりで被害者を見付けるなんて、お粗末すぎる」
カロスに顔を向けていたアルケは、胡桃の枝からころんと落ちた。
驚く間もなく、本をほうりだしたカロスが、それを両腕で抱きとめる。きょとんとするアルケに、婚約者殿はにっこりした。
「おっと、実のかわりに皇女殿下のなる胡桃だ! 帝国には不思議な木があるもんだな」
笑うカロスを、アルケも小さく笑いながら、優しく叩いた。




