閑話――握りしめた毒
「蜂――ですか?」
「ああ」
アンドレイアスは頷いて、寝台に横たわった婚約者、第三皇女のソフィアを見遣る。ソフィアはクッションを高く積み上げ、それに寄りかかっていた。今日はかなり具合がいいらしい。その顔はあまりむくんでいなかった。
侍女とともに、ソフィアの薬係のリョートがやってきた。リョートの婚約者のイオンも一緒だ。
リョートは代々薬をつくってきた家系で、ソフィアの主治医のフォグ卿の処方が間違っていないかをチェックし、実際に調剤することができるだけの知識がある。
イオンは、少し前にリョートがあらぬ罪を着せられそうになったので、それ以来以前にも増してリョートと一緒に居るようになった。
将来の大公閣下で、位を継ぐ日時もすでに決まっているイオンは、多少の無理は通せる立場である。ソフィアとは、情緒面であまり相性がよくないものの、お互いに相手の能力は認めているし信頼感はある、という関係性だ。リョートが心配だから薬房に這入れるようにしてほしい、といわれて、ソフィアはそれを断らなかった。あなたにしてはめずらしく、傍目にもわかる婚約者思いの行動ですね、という、刺々しい言葉つきではあったが。
イオンとリョートは、すでに結婚の日取りも決まっているそうだ。イオンは臆面もなく、それまでに彼女を薬係から解放してください、と、皇女殿下へいってのけた。
リョートが薬を掬って、マグへいれ、ソフィアへ渡す。ソフィアはそれを、まずそうに、舐めるように服む。
「蜂、という言葉が聴こえましたけれど、殿下、お外へ赴かれたのですか?」
リョートが、少し低めの声で、そう訊いた。彼女はイオンと一緒に、侍女の用意した椅子へ腰掛ける。イオンが椅子の位置をずらし、リョートに近寄せた。これだけ露骨なのに、イオンがどれだけリョートを愛しているかわからない人間は、アンドレイアスの予想以上に多い。
ソフィアはマグを下ろし、小さくいった。
「アンドレイアスさまのご在所の話ですよ。わたしがこんなふうですから、沢山お話をしてくださるんです」
「まあ、お優しいんですね、卿」
リョートが微笑みでいうと、イオンが仏頂面になる。リョートは口数少なく、友人も数える程だ。それは、彼女の生来の気質に加え、ソフィアの薬係をしていることが大きい。ソフィアの健康を預かるひとりとして、彼女は、余計な人間関係をつくらないようにしている。どこにどんな危険が潜んでいるか、わからないからだ。
リョートを誰かにとられないかと日々ぴりぴりしているイオンにしてみれば、彼女の控え目な気質や真面目さは、安堵のもとだ。なにしろ、リョートがアンドレイアスと喋っているのを見ても、こうやって不機嫌になるくらいである。イオンにいわせれば、リョートはアンドレイアスに対しては、ほかの男に対するよりも気易いそうだが、それはアンドレイアスがソフィアと婚約していて、堅物で、リョートに対して妙な気を起こす可能性がまったくないからだろう。
「卿、在所でなにかあったんですか?」
慇懃だがどうにも圧力を感じる調子で、イオンが訊いてきた。アンドレイアスは肩をすくめる。これで、リョートに対してだけは本当に甘いのだから、恋愛というのは厄介だ。
アンドレイアスは帝都から遠くはなれた、帝国の属国出身だ。その在所で、事件が起こった。
当然、在所の者らで調べたが、見当もつかない。そこで、アンドレイアスにまで報告が来た。しかし、アンドレイアスはややこしい話は苦手である。考えても、やっぱり見当もつかない。なので、ソフィアへ相談しに来たのだ。……彼女が少しでも、病のことを忘れられるように、という気持ちもある。
「二月前のことだ。俺の在所は、東から南にかけてが、保養地としてそれなりに名が通っていてな。そうひろくはない国のこと、各地から貴族達が遊びに来るんだ。そこには、多くの貴族が利用する、大きな宿もある」
「聴いたことがございますわ」
リョートが無邪気に合いの手をいれる。イオンの目付きが鋭くなる。「ブラーミャが、紀行文が好きで、よく読んでいますの」
ブラーミャというのは、リョートの妹だ。いつも紀行文か数学の本を読んでいる、と聴いたことがあったので、彼女なら、帝国ではそう知られていない、属国の保養地でも、知っているかもしれない。
「その宿で、従業員の女性が死んだんだ」
一年通して貴族達が訪れるその宿は、客室数が百を超え、宿泊客だけが這入れる砂浜があり、食事は時季のものを中心に一流料理人につくらせ、食器も宿の印がはいった特別製のもので、職人に特別に注文しているという、なんとも豪華なものだ。煉瓦造りで巨大な本館だけでなく、はなれが幾つもあり、貴族ははなれに泊まることが多い。
勿論、それを維持する為には、相当な数の従業員が要る。掃除、炊事、洗濯、なにからなにまで完璧にこなす、三百人と少しの従業員が居た。
「従業員は、大体みっつの階級にわかれている」
「階級?」
「ああ。一番上は、支配人や、料理頭なんかの、客の前に顔を出すことのある者達だ。その次が、将来的にそういった立場になれる者達。有名な料理学校を出ていたり、有名な料理店で働いていた料理人や、家政学校出身の人間なんかだな。そういう学歴や職歴のない人間が、一番下。だが、更にその下がある」
ソフィアはマグを傾けながら、真剣な目で聴いている。
「一年通して雇われている人間と違い、保養地がにぎわう時期にだけ雇われる人間が居る。そこまで技術がなくても、宿で働いたことがなくても、礼儀をあまり知らずとも、皿洗いだとか洗濯だとかを滞りなくこなせればいい。おまけに、給金はそこそこだというんで、人気がある」
「貴族が、代替わりの儀式の見栄えをよくする為に、兵士でもない人間に兵士の格好をさせて並ばせておくのと同じようなことですね」
イオンが棘の隠れた言葉をささやく。リョートはその棘に気付かないらしく、婚約者へ微笑みを向けた。「イオンさまには必要ないでしょう? だって、イオンさまがいらっしゃるだけで、もう見栄えは充分ですもの」
イオンが口を噤み、リョートを眩しそうに見詰めた。イオンの少々酷薄でつめたいのを、リョートが溶かしてしまっているらしい、と、アンドレイアスは笑いをこらえる。
咳払いした。
「ま、時期によっては従業員数が相当増えるということを承知してほしい。その上で、だ。二月前は、その、保養地がにぎわう時期で、だから従業員は常日頃に比べて多く居た。そのうちのひとり、この三年ほど時期になると働きに来る、地元の娘が死んだ」
「それが、先程おっしゃっていた、蜂の所為と思われていた、という……?」
「ああ」頷いて、アンドレイアスは蜂を示すハンドサインをした。「三人とも知っているだろうが、蜂の毒は厄介なものだ。一度刺されるだけでも、痛いし腫れるし、治るまでに時間がかかる。薬も、俺の在所ではそうひろまっていない。高いのでね」
「莧はききますわ。もっとも、刺されて直後だけですけれど。薬もあるにはありますが、やはり、卿のおっしゃる通り、高いですから……」
「手許にすぐ、薬になるようなものがない場合は、相当な痛みにたえないといけませんね」
「そう、薬を買う金のないものは、たえるしかない。その娘は、以前蜂に刺され、放っておいた。二月前、その宿の庭に蜂の巣ができて、従業員達でそれを始末したんだが、作業が終わって辺りを掃除していたところ、その娘が倒れて死んでいるのが見付かった」
蜂の巣駆除をした従業員達は、丈夫な革の手袋や、皮のブーツ、皮の前掛けなどで身をまもる工夫をしていたが、その娘は丈の長い布の前掛けをつけ、草の汁がしみついた年季ものの手袋をした、草むしりをするような格好で、茂みのなかに倒れていた。
蜂の巣駆除をするので、宿泊客も従業員も近寄らないようにいわれていた。それが伝わらずに、誤って草むしりにでも来てしまい、刺されたのだろう。この娘は一度蜂に刺されたことがあるそうだから、それで死んでしまったのだ――と、皆がそう思った。人気の宿でもあり、従業員の事故死というのは隠したいことだったので、娘の遺体をこっそりと家まで運び、遺族にいいふくめて、娘は宿ではなく家に居る時に蜂に刺されて死んだことすると決まった。
だが、土地の検屍官が、それに納得しなかった。決まりがあって、ひとが死んだ場合は医者が検分するのだが、その医者がおかしいと思って検屍官へ報せたのだ。そして検屍官は、これは蜂に刺されて死ぬのとは違う、と、気付いた。
「蜂に二回以上刺されて亡くなる場合は、咽が詰まっていることが多いそうですが?」
イオンがあまり興味がないような顔でいう。
「そうらしいな。首の辺りが晴れて、気道が塞がる。だが、その娘はそういう状態ではなかった。くわしく調べて、毒によるものだとわかったそうだ」
「毒」
「ああ。その毒は、体に力がはいらなくなるものだそうだ。ほんの少量なら、腕や脚が重くなって、動かしづらくなる。もう少し量を増やせば、息が停まる。だが、蜂に刺されるのと違い、顔が腫れ上がるようなことはない」
検屍官がくわしく調べると、娘の手に、針を刺したような傷痕があった。毒は少量でもひとを死に至らしめるようなものなのだ。殺人だと断定し、お調べがはじまった。
「その気の毒なお嬢さんは、当日、どういう働きを?」
「ああ。彼女は三月だけの約束で働きはじめ、十日ほど経っていた。去年も一昨年も働いていたから、勝手はわかっている。おもに、食器洗いと、庭の草むしり、水くみを担当していたらしい。なかでも、農園で育った彼女は、駆除したほうがいい草をすぐに見分けたし、植栽をどう刈り込めばいいかもわかっていたらしい。草むしりをするのに、ひろい庭を、庭師と一緒にうろついていたそうだ」
アンドレイアスは、脚を組み替える。「しかし、当日は蜂の巣を始末するのに、大勢の従業員がかかりきりだった。庭に出ようとする客をおしとどめておいたり、十以上あるはなれに蜂の巣駆除を伝えたりで、おおわらわだった。臨時雇いの連中は、ほとんどが厨房か洗濯場に居て、彼女もそういう場所に居た筈だが、蜂の巣のことでごたついていたからな。彼女がいつ庭に行ったかは、誰もわからない」
「仕事を指示した人間が居るのでは?」
「はなれの清掃に行くようにと指示した、といっている。その前日遅く、半年ほど泊まっていた貴族が、そこをひきはらった。次のお客をいれる為に、清掃が必要だった訳だ」
「彼女ひとりで、ですか」
「ああ」
亡くなった娘は、美人で気立てもよく、数人の従業員が秋波を送っていた。娘自身は身持ちがかたく、どれも袖にしていたのだが、別の女性従業員がそれをねたんだ。娘の悪い噂を流し、上司にご注進して、その結果彼女はひとりではなれの掃除をすることになったのだ。
「いじめという程ではなかったようだがな。まあ、いやがらせだ」
「くだらないことをする人間は、どこにでもいるものですね。それで、アンドレイアスさま、彼女はひとりですべてを請け負った訳ですか?」
「そうだ。だが実際には、はなれへは行っていないらしい」
「何故わかるのです」
「掃除がされていなかったからだ。なにもかもが手つかずの状態だった。その為、はなれの掃除のあとにする予定だった草むしりを、なんらかの理由で前倒ししたと考えられている」
「そうですか……ご遺体の状態は?」
「ああ。毒の為に息ができなくなって死んだのは、間違いない。手に、針でつついたような痕があった。そこから毒がはいったらしい。この毒は作用するまでが短く、体にはいって十五分ほどで息が詰まって死んでしまう。ねばねばしたもので、洗い落とすのも難しい。検屍官は遺体の状態から、朝の九時頃が彼女が死んだ時間だといっている」
「正確にわかるのですか」
「そういう毒なのだそうだ。ちなみに、発見されたのは昼頃、検屍官が運ばれてきた彼女の遺体をはじめて見たのが三時頃だから、表現はよくないが、新鮮な状態だった。だが、庭から家、家から医師の家、更に検屍官のもとへと運ばれているから、庭で死んだのか別の場所で死んで庭へ運ばれたのかはわからないそうだ」
「成程。ご遺体の服装は?」
「服装は、従業員に支給されているものに、草むしりをする時服をまもる為の、丈の長い前掛け、草で手を傷付けないようにする手袋。前掛けと手袋は、彼女のものではなく、庭にある道具小屋に置いてあるものだ。庭師や、庭師の手伝いをする従業員がつかう。前掛けも手袋も、どちらもそれなりに丈夫なものだそうだ」
「草むしりをした様子だったのですか?」
「手袋が濡れていたらしい。朝露だろうとのことだ」
アンドレイアスは、溜め息を吐く。
「なにが厄介かというと、従業員は蜂の巣のことでばたついていたし、お客もほとんど、当日九時頃の所在がはっきりしない。蜂の巣を駆除していた連中だって、顔を覆っていたから、こっそり姿を消して……ということは可能だ。となると、誰が彼女を襲い、毒で死に至らしめたか、わからない。従業員のうち、社交室や広間で客の相手をしていた十数人、料理の仕込みで厨房をはなれなかった十数人を除く三百人近くと、蜂の巣のことでばたついていた所為で指示が混乱していた臨時雇いの七十数人、それに、部屋にこもっていたり、宿をはなれていた、海に居た、などといっている宿泊客六十人以上が、全員疑わしい」
「そうですかしら?」
意外にも、そう異を唱えたのは、リョートだった。
ソフィアがくすっとする。
「リョートにはわかったようですよ、アンドレイアスさま。彼女の推理を聴いてみましょう」
「わかったのか、リョート嬢?」
「わかったというか……アンドレイアスさまのおっしゃるように、疑わしい人間をしぼりこめないということは、ないと思うのです」
「何故?」
リョートはもじもじと、手をもみはじめる。イオンが不機嫌げにアンドレイアスを睨んだ。「わたしの婚約者を怯えさせないでください、卿」
「あ、ああ、すまない。リョート嬢、君の考えたことを教えてくれないか?」
「ええ……宜しいですが、犯人がわかったというのとは違いますわ。犯人かもしれないひとを特定できると思うのです」
「どうやって?」
「簡単です。九時頃、所在がはっきりしているひとはいませんか? そのひとが犯人である可能性が高いのではないでしょうか」
なにをいわれたのかわからず、アンドレイアスは目をぱちぱちさせた。だが、ソフィアがこっくり頷いたので、我に戻る。
「ど、どういうことだ、ソフィア?」
「リョートから説明してもらいましょう」
「はあ……」
リョートは困ったようにいい、眉を寄せて、頬に手をあてた。
「だって、その毒は、即効性のものなのでしょう。そして、ご遺体が庭にあったら、誰かは気付きますよね。庭師が毎日、庭を整えているのですから……見付かれば、ご遺体は、医師がみます。そこでなんにもなければ、犯人にはさいわいですけれど、蜂の所為で亡くなったのではないとわかれば検屍官がみます。ですよね、卿?」
「あ、ああ。実際、そういうことが起こったのだ」
「犯人は、そういう仕組みをわかっていたのでしょう。蜂の所為だと判断されれば御の字、そうでなくても、自分は九時頃にはほかのことをしている」
「それがわからない。どうやって、その場に居ないで殺すというんだ?」
「殴ったり刺したりするのとは違うのですよ、卿」
イオンが呆れたような声を出す。「毒なのです。その場にわざわざ立ち会わずとも、気の毒なお嬢さんが毒を塗りつけられたものを触るように仕向ければいい。……そうでしょう、リョート?」
唖然とするアンドレイアスを気にせず、リョートはイオンへとびきりの甘い笑みを向け、はいイオンさま、といった。イオンの笑みといったらない。
「毒を塗りつけたものといっても、なにに?」
「おそらく、掃除の道具だと思います。たわしのような……」リョートは右手で、なにかを掴むような仕種をした。「殿方はご存じないでしょうが、お掃除の時にはこうやって、しっかりとたわしを握ります。そのお嬢さんが掃除をするようにいわれたはなれは、お客さんがいなくなっていたそうですから、床もきっちり洗うでしょう。掃除の際に埃が舞うのは案外と厄介なもので、先に床を濡らしておけば幾らかおさえられます。ですから、先に床を洗うのは、ありえない話ではないです。なら、彼女がつかう筈の掃除道具のたわしに、毒をぬった針を仕込んでおけばいい」
「ああ……そういう……」
「そうなると、手が濡れていたのもわかります。床掃除をするのに、ばけつにせっけん液をつくって、たわしをいれた瞬間だったのではないでしょうか。毒は、ねばねばしたもので、なかなか洗い落とせないのでしょう?」
「そう聴いている」
「彼女はそのまま、そこでなくなった。犯人は、九時頃には誰かと一緒に居るか、よそでなにかしていて、その場に居なかったという証言を得る。時間をあけて戻り、作業小屋から盗んでおいた手袋と前掛けを彼女につけて、庭へ放置してしまった」
「だが、手袋が濡れていたのはどうしてだ? 拭けばよかっただろう」
「石けん液で濡れた手と、お水で濡れた手とは、触り心地が違いますし……手袋には草の汁が染みついていたのですよね。そういうものは、石けん液で変色してしまうことがあります。犯人は彼女に手袋をつけてから、草の汁が変色したのに慌てたのではないでしょうか。変色しなかったとしても、乾けばせっけんが白くうかびあがってしまいます。だから、手袋ごと彼女の手を洗い、はやくご遺体を見付けてもらわないといけないので、手を拭うのがいい加減になった」
「ということは」
アンドレイアスは、額に手を遣る。「彼女がはなれの掃除を仰せつかったのを知っていて、当日九時頃に所在がはっきりしており、反対に遺体が見付かる前後は所在があやふやな人間が、怪しいのか」
「だと思います」
リョートは頷いて、ソフィアへ目を向けた。「あら、殿下、もう服んでしまわれたのですね。わたし、明日からの分のお薬を調合しなくては……」
犯人は、宿泊中の貴族の男性だった。
毎年保養に行っていた彼は、被害者と知り合い、密かに逢瀬を重ねていた。相手とは階級が違い、本気ではなかったのだが、被害者は本気だった。段々と面倒になってきた犯人は、たまたま毒を手にいれたのをきっかけに、殺人を思い立つ。
別の臨時雇いの小間使いに粉をかけ、被害者の悪い噂を流すように頼んだ。被害者の身持ちがかたいのは有名で、犯人が「あの女に袖にされたのが悔しいから、一泡吹かせてやりたい」といえば、頼まれた小間使いは信用した。
被害者が罰のような格好で、はなれをひとりで掃除することが決まると、犯人はそのはなれへ、前夜のうちに忍び込んだ。小さな針に毒を塗って、たわしへ仕込むと、庭師の小屋へ行って手袋と前掛けを盗んでおく。一度蜂に刺されたことは知っていたので、草むしりの最中に蜂に刺されたと見せかけるつもりだった。
毒で死んだのがばれてもいいよう、当日は地元の古美術商を訪問し、品物を見せてもらって不在証明を得た。宿へ戻るとはなれへ向かい、娘が首尾よく死んでいるのをたしかめて、手袋と前掛けを装着させる。
そこで、手袋が濡れ、しかもぬるついたので、犯人は傍らのばけつのなかをたしかめ、せっけん液があるのに気付いた。掃除をしていたと思われたくはないので、外に運んでから水をくんできて手だけ洗った。手巾で水気をとっていると、蜂の巣駆除を終えた従業員達が、ほかにも蜂の巣がないかとさがしに来たので、慌てて逃げた。
ばけつは中身を捨てて戻し、たわしは古美術商の帰りに買ったものを置いて、毒針を仕込んだほうは海へ捨てた。
犯人の持ちものから、毒を運ぶ為の容器が見付かり、更に被害者の悪い噂を流した小間使いが犯人との関係を白状した。たわしを売った農家も、犯人のことを覚えていた。おまけに、被害者の自宅をくまなく調べたところ、屋根裏の奥の奥に、犯人からの手紙が束で置いてあったらしい。それらをつきつけられて、犯人は観念した。
「驚いたことに、毒針付きのたわしが、ついこの間、漁師の網にかかったらしい。潮の関係で、沖へ出たのがまた戻ってきたんだろうとのことだ」
「海も迷惑したことでしょう。毒を流されて」
ソフィアはことの顛末を聴いて、小さく頷く。アンドレイアスは息を吐いた。
「しかし、君らの頭には俺はついていけない。リョート嬢は相当のものだな。それで、自慢げでもないし、平然としているのだから、凄まじい」
「わたしだって、話を聴いてすぐにわかっていたんですよ」
ソフィアは目を半月の形にして、いった。「ほら、わたしのことも誉めてください、アンドレイアスさま。でないと、今日の薬は服みません」
アンドレイアスは慌てて婚約者を誉め、皇女殿下はきっちりと、本日分もお薬を服用された。




