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閑話――せっけん殺人事件






「ねえアルケ、ちょっと相談していいかい?」

「なあに、カロス」

 昼下がりの学園、最上位クラスから遠征してきた婚約者に、第五皇女アルケはそう簡単に返した。


 学園は宮廷にほど近い位置にあり、周囲には貴族の上邸が立ち並んでいる。皇家の人間や貴族達は、それぞれ住んでいるところから馬車で通うのが普通だ。馬車を全部置いておけるような場所はなく、校庭はあるけれど駐車は禁止なので、どの馬車も生徒を送って帰り、下校時間にまた迎えに来る。

 すでに今日の授業は終わり、アルケは馬車が来るのを待っているところだ。教室はひろく、長机と長椅子が並んでいるのだが、アルケが座っているまわりにはあまり生徒は居なかった。

 殿下々々と敬われる立場のアルケだが、学園はそれとは関係ないものでクラスを決める。成績だ。アルケは下から数えたほうがはやいクラスに編成されており、まわりも同じくらいの成績の子達ばかりである。

 たまにお調子者は居るし、アルケが居ないと楽しくお喋りしているらしいのだが、アルケが居る前では大人しい子が多かった。公爵家の若さまだろうと、男爵家の庶子だろうと、なんにもかわりはない。下のほうのクラスに居る『皇女』に、どう接したらいいかわからないのだ。




 なのでアルケは、学園にはいる前から見知っている、親しくしている相手や、帝都から遠くはなれた場所から来た、皇女というのがなにかよくわかっていないような他国の人間だとか、そういう生徒くらいとしかまともな会話はしていなかった。今も、馬車がいつもより来るのが遅いらしく、一向に侍女が姿をあらわさないので、あまりにもひまで本を読んでいたところだ。

「なんでもいいから、お喋りしていたい気分だったの」

 本をたたみ、アルケは隣に腰掛けたカロスを見た。こちらは、お父上から位を譲られた若き辺境伯、おまけに男子の首席か次席、という、かがやかしい人生を謳歌している貴公子である。皇帝の娘で大勢にかしずかれてやたらとやわらかい椅子に座らされ、合法的に見下ろされるような屈辱的な経験はしていない。


 彼は長机に右肘をついて、上体をアルケへ向ける。

「正直困ったことになってるんだ、僕」

「あなたが? 賢いあなたなら大概のことに対処できるでしょうに。いったいぜんたいなにがあったっていうの。試験のことなら相談されてもなんにもできないわよ。こっちが相談したい気分なんだから」

「じゃ、僕のなやみをどうにかしてくれたら、勉強をみてあげるよ。いつもいってるじゃないか、僕が教えてあげるって」

「冗談でしょ、勉強なんてここで退屈な広長舌を聴くだけでもうおなかいっぱいなの。その上あなたに訳のわからない話をされたくないわ。なやみってやつをさっさと話して。そうしてくれたらわたしのなやみがどこかへ吹き飛ぶから。ひまでひまで、長椅子ってどれくらい釘をぬいたら分解するのかしらってたしかめたい欲望がどうにもならなくなりそうなの」

 カロスはちょっと肩をすくめてから、宙を見た。











 事の起こりは半月前、カロスの領地、そのなかでも国境(くにざかい)にほど近い村でのことだ。

 カロスは学園に在籍しており、長期の休みにしか領地へ戻れない。辺境伯の仕事は大部分を、帝都に居たままでやっていた。親戚の若い男性達数人で、カロスが本来領地でやらなくてはならない仕事を分担してしてくれていて、その結果を報告させ、これはこうしろあれはああしろと指示を出すそうだ。




「本当なら、僕が見に行かなくちゃならなかったんだけど、国境(くにざかい)のその村で溜め池や用水路が壊される事件があってね。他国の工作じゃないかってことになって、にいさん達が見に行ったんだ」

 カロスは親戚の若い男性達をにいさんと呼ぶ。仕事を手伝ってくれているひと達は、軒並みカロスよりも歳上なのだ。学園の先輩も数人居るらしい。

「最初の溜め池は、縁が崩されただけで、すでに修繕済みだった。次の用水路は深刻で、二箇所、完全に壊されてしまっていて、修繕が大変だったらしい。要請をうけてにいさん達が見に行った頃には、まだ修繕中だった。とはいえ、直すほうじゃなく壊すほうの手口で、自国民か他国民かを推測するのは難しい。その犯人については、未だに見当もつかないんだけど……」

「勿論、軍も出たのよね」

「うん。本当に国境(くにざかい)ぎりぎりに駐屯している部隊が居たから、その三分の一くらいを呼び戻して、警戒にあたらせた。それは僕が指示したんだ。というか、そういう決まりがある」

「決まり?」

「溜め池や用水路は、国家にとって大切なものだろ。それが破損するのは一大事だ。だから、住民達でどうにもできない場合は、すぐに職人達を派遣する義務があるんだよ。領主にはね。その上で、作業が滞りなくすすむように、犯人さがしもしなくちゃならない。といっても、そう簡単に見付かるものではないし、犯人ではないひとを犯人にしてしまうのは領主の罪だから、とにかく軍を送り込んで睨みをきかせるっていうのが一番なんだ。それ以上の悪さをしづらくなる」

「つまり、あなたは領地を健やかに保つ義務があるってことね。決まりっていうのは」

「そうさ。領主だからね。だから、軍はたしかにその時、普段よりも多く居たよ。それで、その事件が起こった時も、すぐに怪しい人間が拘束されたんだ。殺人事件が起こってさ」






 事件は、カロスの名代の男性達が村についた、その次の日に起こった。

 村には古い教会があり、聖人ゆかりの地ということで、農村だが観光に訪れる者も多かった。名産は油と薬草で、土産物としてせっけんや薬草茶を扱う店が幾つかあるそうだ。

 村の中央には大きな宿がある。そこは、領主が視察の際につかう宿でもあった。

「どんなつくりなの?」

「はいってすぐが、食堂になってる。その一画に受付があって、そこで部屋をかりる手続きをできる。奥へ行くと廊下があって、部屋は全部でよっつ。どれも同じ大きさで、内装もほとんどかわらない。扉を開けて正面に窓がある。ベッドがあって、枕許にグラスとジャグがある。水はいつでも、ちゃんと用意されているんだ。それから、服を掛けておける台がある。それと、壁につくりつけの洗面台があって、いつでも木桶と、水がたっぷりはいった大きなジャグ、名物のせっけんが置いてある。窓を開けたら、薬草園のある庭が見えるね。建物の傍に溝が切られてて、顔を洗ったりした水をそこへ捨てられるようになってる。朝晩、宿の小間使いが水をかえてくれるんだ。扉越しにもう一間あって、そっちには浴室がある。宿のひとに幾らか渡せば浴槽にお湯をためてもらえるし、つれてきた使用人に命じてお湯をためさせるひとも居る」

国境(くにざかい)の村の宿としたら、相当豪勢なところね」

「うん。二階にも似たようなつくりの部屋が、こっちにはむっつある。二階は排水がややこしいから、二階に泊まっているお客さんがお風呂にはいりたがると、一階の浴室をかすこともあるんだそうだよ。一階の浴室なら、床に傾斜がついてて、壁に小さな穴がつくってあってさ、そこから、水が外の溝へ流れていくんだ」

「え? どういうこと?」

「ああ、説明が足りなかったね。さっき、宿のひとに頼んだら、お湯をためてもらえるっていったろ。なかには、教会を見に行っている間に、とか、寝てる間に、とか、注文をつけるお客さんも居る。そういう時に、ベッドのある部屋を通って何度も湯桶を運ばなくていいように、浴室から直に廊下へ出ることができるようになってるんだ。扉があるんだよ。勿論、お風呂をつかわないお客さんも居るし、つかうひとだってずっとそこに居る訳じゃない。二階に泊まっているひとがお風呂をつかいたがったら、まず一階の客さんが全員お風呂をつかっているかを確認して、あいている浴室があったらその部屋のお客さんに打診するんだよ。幾らか宿賃を割り引くから、浴室をつかっていいかって。承諾するひとがおおいそうだよ」


 アルケは頭のなかで図面をひいて、小さく頷いた。

「それって、煩いとか、文句は出ないの」

「出ない。豪華さはないけれどしっかりした建物だから、少しくらいの物音ならわからない」

 領主が視察に行く時の定宿なのだ。壁がうすいなんてことはない。

「そこで殺人事件が起こって、あなたが困ってるってこと?」

「そういうこと。にいさんのひとりが疑われてるんだ。そのひとしか機会がないってことになってるんだよ」






 教室内には、アルケとカロス以外にも数名の生徒が居る。だからか、カロスは固有名詞を出さない。

「殺されたのは、その村の土産物屋だった。日が暮れる頃、宿の敷地で見付かったんだ。庭で倒れていた。彼は一家で薬草園の世話をして、それをお茶にして売っていたんだ。薬草を好きなだけつかっていいっていう条件で、ただで世話していたそうだよ。宿はただで、いい香りの花を咲かす薬草を世話してもらえて、土産物屋は土地代を払わなくていい。どちらにもうまみのある商売だったってことだね」

「その薬草園で倒れていたの?」

「ああ。彼は午前中は土産を売って、昼過ぎからそこに居ることがほとんどだった。午前は彼の娘か息子が薬草の様子を見て、昼をすぎたら収穫したものをお茶に加工していた。彼以外の家族と、数人の作業員でね。だから、彼の家族はひとりを除いて、容疑を完全に外れる」

「見付かった時、どんな状態だった?」

「殺されてすぐだった。というか、見付かった頃にはまだ、わずかに息があった。用水路の様子を見たにいさんが、夕食前に薬草園で気持ちを和らげようと考えて、散歩をしていたんだ。それで見付けた。すぐに、回復魔法をつかえる人間が呼ばれたけれど、間に合わなかったそうだよ。にいさんが被害者を見付けてすぐに、戻ってこない被害者をさがしに、孫が来てる。だからこの子には機会があった訳だけれど、年端も行かない子だし……」

「死因は?」

「頭を殴られていた。かなりかたいなにかで殴られていたらしい。おそらく木材だって。出血はあったけれど、返り血を浴びるほどではないというのが医者の見立てだ。孫はなにも持っていなかったし、子どもの腕力では不可能だともね」

「疑われているのは、気の毒なかたを見付けた『にいさん』ね」

「ああ」

「あなたの『にいさん』が、そのかたを殺す理由はあるの?」

「ないよ。そもそもにいさんは、仕事でその村へ行ったんだ。それも、大切な用水路についての仕事だよ。土産なんてものに用事はないさ。現に、溜め池と用水路を見てまわるばかりで、それらを壊されて迷惑している農民と話すことはあっても、関係ない土産物屋とは関わらない」

「でも、そのひとしか機会がないんでしょ」

「そうだけど……」

 カロスは哀しげに眉を寄せる。アルケはその表情を見ていられなくて、優しくいった。

「じゃあ、その気の毒なかたを殺す理由がある人間は? 居るの?」

「うん。疑われて、一時的に拘束された人間がね」カロスはこっくり頷く。「三人居る」


 ひとり目。同じく土産物屋の男性。

 こちらは、薬草茶だけしか扱っていなかった被害者と違い、多くの商品を扱っていたが、被害者と似たようなものを売っていた。それで、何度かもめていた。被害者のほうが先に売っていたのだが、この人物が真似ていたらしい。袋なども似せていたそうで、殺人の起こる数日前に、被害者の息子から訴えるといわれた。もめていたのは多くの人間が見ていたので、怪しまれてすぐに拘束された。

「売りもののなかに傘があった。あれで殴れば……でも、そのひとは店で接客をしていて、殺人をできそうにないんだ」

「お客さんが沢山居るのね」

「お客が途切れた時に、そっと店からぬけだして、宿へ行けばいいかもしれない」

「店から宿まで、どれくらいかかるの?」

「走って行き帰りしたとして、三十五分くらいかな……でも、大通りをぬけないといけないから、沢山のひとに見られてしまうね」

 カロスは顔をしかめた。


 ふたり目。宿に泊まっていたご婦人。

 こちらは、土産物屋の親戚だ。はなれた街で暮らしていて、夫がそこで商売をしているのだが、最近経営が思わしくなく、親戚に金をかりに来た。

「そうはいっているけれど、わからないよ。彼女の夫が、被害者の弟なんだ。被害者の遺産は、そこそこのものだったそうだから、殺して幾らかでも手にいれようと思ったのかもしれない。借金に来るのも、はじめてのことではなかった。返済していない借金が沢山あるのに、尚更お金をかりに来たっていうので、疑われてるんだ」

「でもそのひとにも、機会はないのでしょ」

「うん。そのひとはしばらくそこに滞在しているんだけど、気のいいご婦人で、その日は人手の足りなかった宿の厨房を手伝ったんだ。オーブン掃除をね。それでかなり汗をかいたらしくて、顔やなにかにも()()がついてしまったし、夕食前に、自分のつれてきた小間使いと宿の小間使いのふたりに湯を用意させて、風呂にはいっていたといってる。大変な騒ぎだったんだって。風呂にはいっていたのは間違いないんだからって、村の娘達にたしかめさせたそうだよ。髪もしっかり洗っていたし、()()はなくて、汗の匂いはしなかった。そもそも、庭で誰か襲われたって小間使いが伝えに行った時に、まだ彼女は浴室に居た」

 カロスは腕組みし、唸った。

「小間使い達が湯をためて、隣の部屋に居た彼女に報せてから、被害者が見付かるまでは三十分ほど。部屋をこっそり出て、被害者を殴って戻るのに、走っても十五分はかかる。十五分で全身くまなく洗うのは、髪の長い女性には、なかなか難しいことじゃないかな」


 三人目。教会の経理担当者。

 聖人にちなんだ薬草茶を売ることについて、教会で管理するか、教会に上納金を納めるようにと、被害者に迫っていた。被害者が娘に相談していたので、家族から軍に伝わり、教会が釈明することになった。教会ではそんなことは把握しておらず、誰かが指示した訳でもなかったのだ。この経理担当者が、自分の懐に金をいれる為に、脅迫めいたことを複数の土産物屋にやっていたらしい。

「この人物は杖を持ち歩いているから、それで殴ったのかもしれない」

「脚が悪いの?」

「いや」

「凶器の形状とは一致しそうなのかしら」

「それは……そうでもない。でも、魔法をつかえるんだよ、彼は。それを悪用したのかもしれない」

「教会から現場までは、どれくらいかかるの?」

「そう、それだよ、それがあやしい。実は、教会の庭と宿の庭が隣り合ってるんだ。教会からすぐなんだよ。だから、教会に集まってたひと達は、即座に軍がおさえたんだ。調べたらそんな怪しいやつが居たってこと」

 カロスは顔をしかめた。「でもその日、具合が悪くなったひとのかわりに説教を担当していて、彼はほとんどずっと教会に居た。とはいえ、なんとか、目を盗んでぬけだすことはできるかもしれないし……」


 アルケはしばらく考えて、小首を傾げる。

「ねえ、容疑のかかっている土産物屋さんと、ご婦人の旦那さんが扱っている商品って、おもになんなの?」

「土産物屋はいろんなものを売ってるよ。もめごとの原因になっていた薬草茶に、傘、旅にぴったりの長靴(ブーツ)、土地の名産のせっけん、バター、牛革の小物とか。牛革の小物は結構売れているらしいよ。儲かってるんだから、薬草茶を真似しなくてもよかったのにね……。ご婦人の旦那さんは、せっけんの商会をしていた。品は悪くないんだけど、あんまり高級だから、売れてないんだ。原料がずーっと南から運ばれてくるんで、輸送費がかかってるらしい」

「教会の経理担当さんは、殺人犯でなかったとしても、なにかの罪には問われるのでしょ?」

「そうなるだろうね。すでに、査問にかけられることが決まってる」

「ふうん。じゃあ、わかったわ」

 アルケがそういうと、カロスは目をぱちくりさせた。






「え? なんだって、アルケ? まさか、にいさんだなんていわないよね」

「いわない」

 アルケはくすっとしてから、表情をひきしめた。

「わたしが得た情報から導いた結論だから、間違っているかもしれないわ。それは承知して」

「ああ、わかってる。君のいうことを参考にするだけだ」

「ありがとう。あなたの話だと、その三人のうちひとりは、気の毒なかたを襲う機会があるわ」

「誰だい、それは」

「ふたりめの、ご婦人よ」


 カロスは眉を寄せ、アルケは姿勢を正す。

「ほんとに? アルケ。僕は三人のなかで、彼女が一番難しいと思っていた。被害者の売りものを真似して売っていたひとり目や、大勢から金をまきあげていた三人目と違って、いいひとそうだし」

「でも、よく考えてみて、カロス。ひとり目はほかの商品を沢山扱っているんだし、牛革の小物は売れてるんでしょ。被害者こそ、とてもいいひとだったようだから、薬草茶でのこれまでの儲けについてはきっとなにもいわないわ。訴えを起こすのは大変だし、そもそも訴えると息巻いているのは、被害者じゃなくてその息子。売るのを辞めてしまえば、被害者はそれ以上なんにもいわなかったのじゃないかしら」

「それは……そうかもしれない」

「ね? それと三人目は、もっともありえない。彼はうしろぐらいことをしているのよ。それで、自分が普段居る教会から目と鼻の先で、自分にたてついていた人間を殺す? おかしな話だわ。疑ってくださいといっているようなものじゃない。大体、彼は被害者を殺さなくても、なんでもないの。調べればすぐにわかるようなことだったんでしょう、土産物屋さん達からお金をまきあげていたっていうのは。薮をつついて蛇を出すのは、彼にしたら避けたいことでしょうから、上納を拒否したからって殺すなんてないわ。無視してればいいことよ」

 カロスは納得顔で頷き、アルケは扉を叩くような仕種をした。

「小間使い達は浴槽に湯をためてから、扉越しに隣の間に居る彼女に伝えたんでしょ。顔を見ていないし、そのあと浴室へ移動するところを見た訳でもない」

「うん」

「あのね、カロス、多分だけど、立ち洗いよ」

 カロスはぽかんと大口を開けてから、悲鳴じみた声を出す。「ああ! どうしてそんな簡単なことに気付かなかったんだろう?」




「推測でしかないけれど、こういうことがあったのじゃないかしら。彼女は、最初から義兄を殺すつもりで村へ来た。そして溜め池を壊した」

「なんだって?」

 目をまるくするカロスに、アルケは苦笑いを向ける。

「彼女がそれをしたのは、軍を来させる為。強固な無実の証明を手にいれたかったの。自分にはできなかったという証明をするってことは、証人と、犯行後すぐに被害者が見付かる必要があるでしょ。被害者は、宿の名物の薬草園で見付かったから、宿の客の誰かが見付ける可能性が高い。或いは、彼女の思惑では、()()が見付けることになってたんだわ。例えば、父親をさがしに来た子どもなんかがね。そうなったら、遺産はまず子どもへ行くんだから、疑いはそちらへ向いた筈でしょ? でも、彼女が期待していた誰かのかわりに、あなたの『にいさん』が来てしまったってことだと思う」

「そうだ、孫では犯行は無理だってことになったけど、たしかに、もし息子や娘だったら、それに孫でももう少し大きな子だったら……でも、軍はなんの関係が?」

「被害者が見付かれば、回復魔法をつかえる人間が呼ばれる。軍にはかならず居るでしょ。兵士の言葉には重みがある。少なくとも、そう考える人間は多い。この時間に絶対に彼女には不可能だったって、兵士が証言してくれたら、それ以上心強いことはない」

「ああ……」

「最初に壊された溜め池よりも、次の用水路のほうが被害があきらかに大きいというのが、軍を呼ぶ為だと考えてみてよ。それで、首尾よく軍を呼んだ彼女は、計画を更にすすめた。当日、オーブンの掃除を手伝ったのも、()()だらけだし汗をかいていたっていう姿を見せるため。彼女は小間使いを呼びつけて、()()で汚れてしまったから湯をつかいたいって、浴槽に湯をためるように頼んだ。そして自分は、洗面台に用意されている木桶とジャグのなかの水、せっけんと、自前の浴用布をつかって、体を拭いはじめた。あなたもやったことあるでしょう。浴用布を水で濡らしてせっけんをこすりつけ、体を拭いて、布をゆすいでもう一度体を拭く、あれよ。布を数枚用意しておけば、何度も布を洗う手間もない。ジャグの水半分もつかわずに、体はぴかぴかになるわ。慣れれば十分もかからないし、汚れた水は外の溝へ捨ててしまえばいい」

「でも、ジャグの水が減っていたら変に思われるんじゃない?」

「扉一枚隔てたところには、お湯がたっぷりの浴槽があるのよ。それを木桶にくんでおけばいい。あとからジャグへ移しても、一度わかしたお湯がさめたのか、生水か、気にしないひとが見たところで判断つかないわ。夜にはジャグの水はかえられるんだから、今更調べてもなにも出ないでしょう。或いは、飲み水用のジャグから中身を移しかえたのかもね」

 カロスが頷いたのを見て、アルケは続けた。

「小間使いがお湯をため終えたら、彼女はふたりを廊下へ追いやり、内側から錠をおろして窓から庭へと出る。薬草園へ行き、おそらく、借金のことで話したいなどといって待たせておいた、気の毒な被害者を殴った」

「待ってアルケ、凶器は? 彼女の持ちものには、木材なんてなかった」

「浴用布にせっけんを包んで振りまわしたのよ」

 カロスがもう一度、ぽかんとする。


「で、でも、せっけんだよ? 木材のようにはかたくない」

「椰子油や豚脂、牛脂のせっけんはとてもかたいわ。せっけんといってもいろいろなのよ、カロス。ひまし油のせっけんも、お湯につけるとすぐに溶けてしまうけれど、乾燥させていれば驚くほどにかたい。切り分けられていない大きなせっけんを布で包んで振りまわせば、ただでさえ重くてかたいのに、加速がついて相当な衝撃を与えられる」

 アルケは小首を傾げる。「それにね、カロス。これって、凶器を消してしまえるの」

「え?」

「彼女は被害者を殴って、急いで戻り、浴用布を水、それからせっけんでよく洗ってから、服をぬいで浴室へとびこんだ。そして、凶器で髪を洗うついでに体もゆすいだ」

 カロスは絶句している。

「立ち洗いで体はすでに綺麗だから、ちょ()()()()()()()で少しの汗をかいていたとしても、お湯でさっぱりするでしょう。しかもこれで、凶器は消えてしまったか、少なくともとても小さくなった。浴用布を洗うのに五分かかっていたとしても、十分もあれば、長い髪の女性でも、充分洗える。すでにお湯はたっぷりあるのだし」

「それじゃあ……でも……証拠はないね」

 沈んだ声のカロスに、アルケは小さく頷く。

「……ひとつ、あるかもしれないわ」

「そ、それはなに?」











 ふつか後、推理は正しかったと、カロスがほっとした顔で教えてくれた。ご婦人は容疑を認め、カロスの親戚は解放されたのだ。

「浴用布を宿の小間使いが捨てないでいて、助かったよ。捨てるように命ぜられたのに、上等な布だからって、惜しくなってとっておいたらしい。それを検査して、血がついたあとがあるってわかった。それに、彼女の小間使いが、やけに大きなせっけんを運ばされたことを覚えていた。突きつけたら、犯人は観念したらしい」

「よかったわね」

「うん。どうも、被害者とその弟とは、そもそももめていたらしいよ。被害者の弟は、兄弟の親が死んだ時の遺産の分配に納得していなかった。それで妻に兄を殺させるんだから、とんでもないことだ」

 被害者である兄が土地を、加害者側の弟がその土地とほぼ同じ価値の金をうけとったそうだから、なにも問題のある遺産相続ではない。長子がすべてをとってしまってもめる家に比べれば、半々にしたのだから平和だ。

 だが、今になって、薬草茶をつくる作業場にも権利があると弟がいいだし、兄はもめるのが面倒で、幾らか金を渡していた。兄にしてみれば、できるだけ義理を通そうとしたのだろうが、弟は兄が端金でごまかそうとしていると考えた。


「でも、どうしてだろう? 浴用布をもって浴室に居たって、おかしくないだろう。そっちで洗わなかったのは不思議だよ」

「カロス、それはできないわ。血がついたのよ。血はお湯でかたまってしまって、はっきり布にしみつくから、お湯では洗えない。だからって、血がついた状態で捨てるのは、抵抗があったんでしょうね。それで、ジャグの水をつかって洗った」

「そこまでしたなら、自分で処分すればよかったのにね」

「そんなにきちんと物事を考えられるひとなら、殺人がいかに割にあわないかわかるから、そもそもひとを殺したりしないのよ」

 カロスは頷いて、にっこり笑った。

「約束を果たすよ、アルケ。次の試験まで、僕が勉強をみてあげる」

「冗談はよして。それより、長椅子から最低何本釘をぬいたら分解できるか、たしかめてみない?」

 カロスは苦笑いした。「多分四本もぬけばいけるだろうさ、君がほんとに気にしてるみたいだったから、僕はあのあと計算したんだ」






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