もう一人の男爵
残るは、呪いの根源である元伯爵令嬢である。彼女の小屋まで行くのは酷い惨状だ。あそこには、妖精殺しの短剣は配置されない。無駄なのは、見るよりも明らかだからだ。
そこには妖精の子孫たち全てを連れていくわけにはいかない。あそこまで呪われている場所で、何が起こるかわからない。
善行も呪いも蓄積だ。毎日の行いが、その重度となる。
妖精男爵の善行は恐ろしいものだ。聖域の穢れなんて関係ない。だって、妖精男爵は騙されても気にしない。困った人がいれば、すぐ手を差し伸べる。それが、とんでもない悪人だって、かまわないのだ。そこに、苦しんでいる人がいる、ただ、それだけの理由だ。だから、妖精男爵の領地は妖精に愛されている。
元伯爵令嬢は、反省しない。最初は、苦痛やら何やらで、謝ったりしたのだろう。ところが、男爵領に来て、ちょっと許された気になったのだ。反省を辞めた。もういいだろう、なんて思ってしまったのだろう。そこに、呪いの真実を知り、さらに酷くなったのだ。
元伯爵一族が暮らす領地の外れは、最初こそ、ちょっと穢れちゃったね、程度だった。それが、呪いの真実を知って、一気に悪化したのだ。堕ちるのは、簡単なんだ。
どんどんと呪いに浸食されているそこに、元伯爵令嬢に情を持つ使用人頭も恐怖する。ここまで酷くなってから、足を踏み入れたのは僕だけだ。
「手を。意外と、左手が使えないというのは、歩き辛い」
そこに、僕はあえて、使用人頭を連れて来た。この男は、最後まで、あの元伯爵令嬢の末路を見なければならない。
ノックをする。返事はない。だけど、僕は小屋に入る。
中では、変わらず、反省も何もしない女がいた。僕のことは憎々し気に見てくるが、使用人頭に対しては表情を和らげる。お互い、情が通っているようで、良かった良かった。
ここで、僕は色々なものを切り替えた。もう、平民ぶるのはやめないといけない。
私は勝手に椅子に座る。
「許可してないわ」
「黙れ。お前も私も平民だが、私はこの領地では、もう一人の男爵だ。この領地では、私に逆らえる者はいないのだよ」
元伯爵令嬢は驚いたように私を見る。これまでの柔らかい態度がなくなり、どこか、貴族のような空気をまとう私に、口答えも出来ない。
使用人頭は、私が瞬時に切り替わったことに気づき、私の傍らに従うように立った。
私はお行儀悪いが、足を組んで、これでもか、と尊大な態度をとる。
「よくもまあ、ここまで私の領地を荒らしてくれたな。本来ならば、貴様ら一族郎党を皆殺しにするところだが、私の聖女が悲しむ。仕方がないので、正攻法だ。まずは、貴様の罪をここではっきりしよう」
「あの女をイジメたこと? 私は命令しただけよ! やったのは、他の奴ら」
「バカか。その程度のこと、リリィはこれっぽっちも気にしていない。リリィは強い女なんだよ。貴様の罪は、リリィをこの領地から出したことだ。あの女は、絶対にこの領地から出てはいけない存在だった」
「領地から追い出したからって、何よ。妖精憑きだから?」
「まず、事実を伝える。リリィは死んだ」
「………は、あははははははははははは!」
狂ったように笑う元伯爵令嬢。誰も、リリィが死んでいることを、この女に伝えていなかった。タイミングがうまくあわなかったんだろう。この問題が僕の手に渡ってから、僕はわざと、リリィの死を元伯爵一族に隠した。
「ざまあみろ!」
思いつくかぎりの悪口雑言を吐き出す元伯爵令嬢。育ちはあれだな、失敗したんだな、本当に。これを聞けば、百年の恋も醒めるというものだ。
実際、使用人頭は目を覚ました。もう、この女がどうしようもない奴だと、やっと気づいたんだ。
「もう、いいか」
「何が? もう終わったんでしょ」
「終わってない。ここからが本番だ。リリィが死んだのは、随分と昔の話だ。お前たちがこの男爵領に来るよりも前に、リリィは死んでいた。
妖精憑きの呪いは、妖精憑きが死ぬと、呪った妖精と一緒に消える。その事は、随分と昔の帝国で、わざわざ妖精憑きの命を使って実験され、証明されている。そこは、絶対だ。
なのに、お前たちの呪いは消えていない。もし、リリィが妖精憑きであるならば、もっと昔にお前たちは呪いから解放されていた。
つまり、リリィは妖精憑きではない」
「………あの、女、化け物、なの?」
「この呪いは妖精の呪いであることは、私の聖女が証明している。妖精は神の使いだ。それは、勉強して、わかっているだろう」
この女は、世の理をまるで知らなかったため、小屋で独り立ちできるようになってから、男爵家から、王国では普通に読まされる本を与えられた。見てみれば、それなりに読み込み、随分と紙が擦り切れている。
「まれに、生まれるんだ。妖精に溺愛される人が。帝国では、大昔は、そういう人のことを神の子と呼んだ。神の子は、突然、人の世界に降り立って、人を試すという。帝国では、この神の子が見つかった時は、保護し、ともかく、幸せに人の世を退場してもらうように手を尽くすという。それほど、扱いの難しい存在なんだ。
男爵家は、元は帝国の貴族だ。さらに、帝国の皇族の血もひいている。その関係で、リリィのような神の子が生まれたのだろう。本来ならば、神の子はこの領地から出してはいけない。この領地では、神の子は幸せになれるように、全て揃えられていた。
今では滅びてしまった魔法で作られた邸宅、妖精によって全てから守られた領地、心優しい領民。神の子の心安らかに生き、心安らかな最後を迎えるには、とっておきの領地だ。そこをお前が奪い、追い出した。
神の子を奪うような行為に、妖精が怒り狂ったんだ。それはそうだろう。長い年月をかけて作り上げた領地に、やっと神の子が君臨したんだ。リリィが誕生した時、領地全てが喜びに溢れたという。それほどの存在をお前は貶めたんだ」
「知らなかったのよ!! 知っていれば」
「お前がそうだから、妖精は怒り狂うんだ。妖精は、別に、分別がつかない存在ではない。確かに、物の価値観は違うし、妖精の視点と人の視点は交差しないことがある。だが、神の使いである妖精の倫理観は、神の領域だ。
やっていいことと、やってはいけないことは、誰もが同じだ。貧しかろうと金持ちだろうと、平民だろうと国王だろうと、皆、同じだ。
人を権力を持ってして貶めることは、良いことなのか?」
「………知らなったの。リスキス公爵の血縁だったなんて」
「私の聞き方が悪かったのか? それとも、お前はバカなのか!」
私がこれでもか、と声を荒げてやると、元伯爵令嬢は泣きそうな顔をして震える。
「お前の父親は死んだ。一族の呪いをその身に移し替えられるだけ移し替えて、苦しんでいるから、私が殺してやった。そのまま放置しておくと、呪いが大地を汚すから、燃やして、天に昇華させた」
「ひ、人殺し!」
私のことが怖くて、椅子から転げ落ちながら、離れようとする。私は逃げることを許さず、元伯爵令嬢の髪をわしづかみする。
「お前ら一族が私の領地にとんでもない穢れを持ってきたから、排除してやっただけだ。貴様にも呪いを移し替えて、殺して、燃やしてやりたかったが、リリィがそれを望んでいないから、我慢してやってるんだ!!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
何が悪いかなんて、この女は理解していない。ただ、怖くて謝っているだけだ。
私は元伯爵令嬢の頭を乱暴に離した。何本か髪が手にからみついた。私が手を横に出せば、使用人頭が丁寧に私についた汚れた髪をとった。
「リリィの願いを叶えるためには、貴様には動いてもらう。さっさと立て。私の時間は貴様よりも貴重だ。同じだと思うな。立て!」
がくがくと震えながら、元伯爵令嬢は立った。私はさっさと小屋を出る。やっと、次の段階だ。
使用人頭が元伯爵令嬢に手をかして、小屋から出てきた。それを見届けてから、私は魔法具を使用人頭に渡す。
「このまま、邸宅に転移だ」
私はただの人だ。魔法具は使えない。使用人頭は妖精の子孫だから、魔法具が使える。私の命令に、私と元伯爵令嬢ごと、男爵邸の庭に転移する。
突然のことに、元伯爵令嬢はついていけない。いきなり、世界が変わったのだ。そんなの無視して、私は表から邸宅に入る。それに続いて、使用人頭は元伯爵令嬢と一緒についてくる。
私は、二階のある部屋の前に立つ。そこは、随分と前から使われることが許されない部屋だ。
リリィの部屋だ。
リリィの部屋を誰も使うことはなかった。中の家具は入れ替えたというのに、不思議と、使ってはいけないような気になった。だから、掃除はされているが、そのままだ。
随分と遅れてやってくる使用人頭と元伯爵令嬢。
「貴様は、誰の下僕だ」
「ロベルト様です」
「ならば、さっさと手伝え。これで、私の左目をえぐれ」
聖女に鍛え直させた妖精殺しの短剣を使用人頭に手渡す。
「出来ません!」
「問題ない。床が汚れるようなことはない。綺麗に抉れるぞ」
「そういう問題ではありません!?」
「後で、私の聖女に治してもらう。さっさとやれ」
時間をかければかけるほど、私の決意が鈍る。
使用人頭は料理がうまい。鳥とかも包丁一本で綺麗に捌く。私の目も上手に捌いてくれるだろう。
しかし、いざとなると、使用人頭の手が震える。おいおい、失敗だけはするなよ。
私はただ、目を見開いて待った。
随分と待たされたが、私が全く姿勢を崩さず、まっすぐ使用人頭を見ているから、覚悟をきめたのだろう。綺麗に目を抉ってくれた。
血は出ないが、痛いものは痛い。私は悲鳴を舌を噛んで耐えた。痛みは、まあ、左腕に穢れを移した時に、随分と悶絶したので、その頃を思い出した。
そして、私は妖精の目を左目に押し込んだ。
「ぐああああああああ!!!」
しかし、それは想像以上に痛かった。
リスキス公爵の血縁であるシャデランが妖精の目を装着した時は、一週間は苦痛で動けなかったという。たぶん、妖精の目と何かを繋げるので、それに痛みが伴うのだろう。それを一週間はかけて行われるようだ。
しかし、そんなに時間をかけている暇はない。無理矢理、私は妖精の目を使用する。
妖精の目は、才能が足りない妖精憑きのための道具だ。妖精の目、と呼ばれているが、これは、視覚だけでなく、聴覚、触覚と全てを強化する道具だ。
しかし、妖精憑きでない人間にとっては、この道具は使いこなせない。受け入れられるための才能が足りないからだ。長時間の使用は、頭のほうが持たない。だから、短時間で全て終わらせなければならない。
しばらくして、私の体に無理矢理、妖精の目を馴染ませた。才能はないが、穢れの操作は出来る。同じようなものだ。
異様な光景を目の前でおこなされて、元伯爵令嬢は恐怖で粗相までしてしまった。後で、使用人頭が掃除だな。お前が責任をとってやれ。
「準備は整った。中に入れ。リリィを無理矢理、呼び出す」
「い、いや」
これ以上のことが起こることを元伯爵令嬢は受けきれなかった。だから、私は妖精の子孫たちにまかせる。
邸宅に残った妖精の子孫たちは、私の意思を察知して、やってきた。そして、無理矢理、元伯爵令嬢をリリィの部屋に押し込む。
「お前はどうする。ここで退場してもいいんだぞ」
私の目玉のついた妖精殺しの短剣を握ったまま硬直する使用人頭に声をかける。妖精の子孫たちは、使用人頭から短剣を回収する。それをどうすればいいか、わかっているのか、大事に扱ってくれる。
「いえ、行きます」
「そうか」
使用人頭がリリィの部屋に入るのを確認してから、私は妖精の子孫たちが気を聞かせて持ってきた水一杯が入ったコップを受け取った。
そこは、普通の貴族令嬢の部屋だ。貧乏貴族だけど、シャデランのせいで、随分と高級な家具に入れ替えられているが、目立ったものはない。
呆然と立ち尽くす二人を放置して、私は窓を開き、コップを置く。
「さあ、リリィの記憶を見せろ」
この水一杯のコップにより、妖精たちが動き出す。
邸宅にかけられた魔法が動き出した。外はまだ明るかったというのに、突然、夜の闇に変わった。
窓ぎわに、ありし日のリリィが現れた。
初めてみるが、リリィの娘エリィとうり二つだ。とても、人を呪うような、そんな悪いもの一つ感じさせない、綺麗な女性だ。
窓の外に向かって、リリィは祈りを捧げた。
『どうか、男爵領が豊かになりますように。
どうか、ダンと結婚できますように。
どうか、悪い人が男爵領に入ってきませんように。
どうか、お兄様とお姉様が幸せでありますように
どうか、シャデラン様が怪我をしませんように。
どうか、伯爵令嬢が少しだけ反省しますように』
そこで、祈りが終わる。それでいいんだ。
「ほら、リリィは呪いなんて望んでいない! お前たち、リリィの願いは絶対だ!!」
妖精たちが物凄い声で話している。その数は膨大だ。残念ながら、それを聞き取るための力までは、私は操作出来ない。
まだ、足りないんだ。私は元伯爵令嬢を見る。
リリィの祈る姿は、何度も繰り返される。同じだ。だって、わざとそこの部分だけを私が切り取ったんだ。元伯爵令嬢には、まだ響いていない。
だから、私は続きを少しだけ見せた。
『また、伯爵令嬢に反省させようなんて、無駄なことを。伯爵令嬢が、謝りませんよ』
知らない男の声が響き渡る。誰なのか、知らないが、それを聞いた使用人頭が「ダン」と呟いた。
『もう、わかっていないわね。反省は必要よ。でも、謝罪はしていけないのよ。上位貴族は、下位貴族に謝ってはいけないの。そうしたら、乱れてしまうわ。だから、上位貴族は間違ってはいけないの。間違っていても、謝罪はしていけない。ただ、間違えないようにしないといけないのよ』
『なかなか、面倒ですね』
『そうなのよ。でも、反省はして、それからは、間違わないようにしないといけない。貴族には、強い権利の代わりに、責任があるのよ』
笑顔でそういうリリィ。リスキス公爵家で淑女教育を受けた彼女は、男爵令嬢でありながら、上位貴族の心構えが出来ていた。
美しく、姿勢のよい彼女に、誰もが目を奪われたという。確かに、この姿は、目を惹く強さがある。それは、妖精に溺愛されている、ということは関係ない。
「ご、ごめんなさいぃ」
それを見ていた元伯爵令嬢は、この世にはいないリリィに向かって、泣きながら謝った。
何度も、何度も、頭を床に擦りつけて、元伯爵令嬢は謝った。
過去の、妖精の記憶であるリリィは、たまたまだろう、元伯爵令嬢に笑いかけ、そして、消えた。
「リリィの願いは絶対だ! 私の領地で呪いをふりまくな!!」
リリィの願いは一つ、叶えられた。元伯爵令嬢は、心から、反省したのだ。
邸宅が魔法を発動させる。リリィの願いは絶対だ。その願いを叶えるために、領地全体にいる妖精が動き出した。