3人しか知らない
頭の回転が早い人は、字を書く速度がその回転についていけない
ために 読みにくい字になる傾向があると言われている。
男性の鞄と長傘を置く速度と 酔ったおじいさんを助ける
速度がほぼ同じだったのは、何の法則だろう。
早朝の駅のホームは閑散として、酔っ払って足下がおぼつかない
痩せたおじいさんと 中年らしき男性 そして僕しかいなかった。
ホームギリギリをよろよろと歩いていた おじいさんが僕の目の
前で転落した。
おじいさんは、線路脇に座り込んで事の重大さが理解できていない
様子だった。
僕は 座り込んでいるおじいさんを うすぼんやり目で追うにとど
まり、それ以上の思考がなかった。
ジャケットとスラックス 茶色の革鞄と長い傘を持ち前を歩いて
いた中年男性が、
慌てる様子もなく、驚くほどゆっくりと丁寧に鞄と長傘を置いた。
そのあと 線路にひょいと降り おじいさんを助けたが、
どうやって助けたのかわからないほどの早業に
ひょっとしたら これは夢ではないかと疑うほどだった。
気がつくと おじいさんはホームの中央に座り込み、何が起きたの
か理解できないようで、ブツブツと独り言を言っていた。
男性は、ふただび ゆっくりと鞄と長傘を持ち 何事もなかった
ように歩き出した。
僕なら、線路に降りることは躊躇したし、痩せているとはいえ
男性ひとりを抱え 担ぎ上げるという行為は不可能だ。
せいぜい 慌てふためき走って駅員さんを呼びに行くしか
方法がなかっただろう。
それが正解だったとしても、遅れて おじいさんの命はなかった
かもしれない。
ゆっくり鞄と長傘を置く時間は、頭の中で電車が近づいていないか、
おじいさんの体格、ホームと線路の高さ 距離
たぶん 後ろにいる僕の把握まで、コンピューターのように
計算された時間なのだろう。
そして痩せた男性ひとりを担ぎ上げる強靱的な筋力とスピード。
映画の特殊部隊の訓練シーンに似ていた。
右に男 左に女 斜め下に手榴弾を持った男、制限時間は
3分、いかに早く確実に仕留めるか。
僕は映画の見過ぎだろうか。
普通の日常で ほんの一瞬 異常空間へ行き平然と元に戻った。
その時間は3分。
現実に起きた話だ。